2007-12-07

優越感ゲームについて個人的書きとめ

シロクマさんの優越感ゲーム云々以降の記事は、いろいろと考えるところがあった。iPodなどによる優越感の獲得は、ほぼまんまに「お前は俺か」だ。通学途中の満員電車の中や、ときには学校に着いてからも、いつも仏頂面のままにマイナー洋楽を聞いているし、唐突に電波ソングに切り替えてみたこともある。図書館勉強するときは、机の上にいろいろと無駄に積み上げ、周囲の雰囲気の威圧感に負けまいと防衛意識を高めている。今まではそのような行動をわりと自然にやっていた(優越感を獲得するためにあえてやっているという認識が弱かった)のだが、最近になってそのような意識に対して過敏になり、「大して好きでもないことをやっても優越感ゲームの肥やしにしかならねぇよ!」みたいなやさぐれ具合になってしまったのである。

しかし、他人に不可侵な優越感ゲームによる自己満足をやめたところで、コミュニケーションゲームから往々にして離脱し、ニッチな界隈での意識の発露も十分にできない自分にとって、残るのは何もないただ無力な存在だけだ。これは結構しんどい。繁華街を歩いていると、リア充たちとすれ違うたびにじわじわと敗北感が募ってくる。ゲーセンにいっても、周りの「俺TUEEEE」な奴らによるパフォーマンスによって自意識にペシペシとジャブを打たれたあと、実際に自分のプレイの不甲斐なさによってノックアウトされる。某アニメショップにいくと、嬉々としてモノを買いあさる人たちに圧倒される一方で自分はアンテナの低さゆえに何も目にとまらない、という状況のコントラストに落胆する。

だったらオタク的なことにプライオリティを置かなければいいじゃない、という話なのだが、そもそも他のさまざまな状況で安定した満足感を得られなかった結果の果てに、今があるのだ。おそらく周囲の人間から見れば、いわゆる「萌え」的なコンテンツの露出が大きくなっている昨今の潮流に流された、にわか的存在であるだろし、実際それは否定できない。同年代の多くはエヴァに大きな影響を受けている世代だが、そのあたりの基礎教養的なものに関する知識も少ないし、今さら振り返ろうとすることもない。変にプライドが高そうでとっつきにくいくせに、どこか構ってほしそうな雰囲気を隠しきれていないが、かといっていろいろと突っ込んでみると薄っぺらでどんな人間かわからない、という孤立しやすい典型だ。その結果、痛いニュースを流し読みして「まったく今の日本は…」と嘆き、ホッテントリを見てリテラシーを獲得した気分になり、ニコニコに上がってくる動画を見て適当に「わろたwwwww」とだけコメントするような、極めて楽な立場に流されていく。そのような引力に逆らおうとしながらも、コミュニケーション舞台に上がろうとしたり、カテゴライズされた領域での承認を得ようとすることは積極的にしないので、ささやかな優越感ゲームによる自意識の囲い込みはなくてはならないもののようだ。これをトラバしてダイアリーに書こうとはせず、増田に投下しているのも、よりリスクの少ない方法で優越感を得ようとしたからだろう。

おそらく、なんらかのキャッチー言葉(スイーツ(笑)など)に反応しすぎるあまり、そのようなステレオタイプに当てはまるまいとする意識が過剰に働いてしまい、がんじがらめになるのがいけないのだと思う。中途半端メタ思考に左右され、まっとうに物事を考える視点がなくなってしまっている。ほどよい程度の鈍感さというかスルー力みたいなものを持ち合わせた上で不要な雑音に対応し、それなりに歩みを進めるしかないのだが、実行するのはなかなか難しい。

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