はてなキーワード: はあちゅうとは
最近は検索すらせず、SNSのフォローだけで情報を集めてる人が多い
SNSでそれをナニナニさんが否定してたから無理ですみたいなことを言われるらしい
そのアカを調べてみても単なる私見で、全然医学的な裏付けのない言葉ばかり
と言うかうつ病者に対する治療や改善ではなく、共感だけ切り取ってもっと症状が悪くなるような情報を垂れ流したりしてる
更に質の悪い奴は、ブログを開設して自己診断系のアフィに誘導してる始末
自分の弱さ強さを自覚することでより良く現状を受け入れられますみたいな
当然、医療行為でもなんでもないから、ただそいつに金が入るだけ
これからこういう不安感や救いを求めるような症状が現れる病気の人をターゲットにした詐欺行為、絶対流行るぞ
はあちゅうなんてどうでもいい
グーグルの検索はシステムを変えればいいが、こっちは人が叩かないと無くならない
なんでお前らほっとくんだよ
http://110sekuhara.com/index.html
今のままでは、はあちゅうのせいで全うなセクハラ告発が極端にやりづらくなってしまう。
単なる「はあちゅう叩き祭」。
ツイッターで巨乳いじりやハゲいじりをしてる人が、セクハラ告発したとしても
ツイッターは公開の場ではあるが無差別性や強制性はなく公共性は低い。
ポリコレに沿う表現が求められるテレビやコンビニ本表紙とは違う。
あー、ごめん。私は既婚者男性だけど、はあちゅうは害悪だと思ってるし、増田にも何度も書き込んでる。
はあちゅうの童貞いじりは害悪でしかない。私はそりゃ童貞じゃないよ、でもはあちゅうみたいなのが童貞を弄るのは見たくないんだよね。独身の時からそう思ってた。
はあちゅうを叩いてる童貞ども。そろそろ自分たちが踊らされていると気付け。
はてな民にここまで ガ チ 童 貞 が多いのは何なんだろうね。
何も分かってない童貞たちのために、俺様が年末の貴重な時間を割いて説明してやるよ。
まず、童貞いじりは「表現」と認められるべきか? これはイエスだ。童貞など本人の意志ですぐにでも今夜にでも捨てられるからだ。質の悪いフェミが耳障りのいい言説で表現規制を持ち込もうと暗躍しているが、童貞諸氏はこの手の甘言に乗せられないように。
童貞って、本当は恥ずべきことなんだよ。はあちゅうは童貞をネタとして笑いに変えてくれるけどさ、優しく言ってくれてるうちに自分で気が付こうよ。
よくいるのが、性行為がそんなに重要なのか?と反発する奴。違う、そうじゃない。LINE役員氏は生物としてとか人口維持とか言ってるが、そもそも避妊してるから関係ない。
性行為自体にとらわれすぎて本質を見失ってはいけない。本質とは、性行為に持ち込むまでの「スキルセット」を証明することにある。童貞を捨てることは「大人になる」とも言う。つまり成人として認められるために社会の通過儀礼を済ませるということなんだ。
ポリコレ大好きなアメリカでさえ、いい年して童貞のままだとゲイと疑われ、からかいの対象になる。別に本当にゲイならいいんだよ。やむを得ない事情がある人を馬鹿にしてるわけじゃない。そこはいくら童貞でも文脈から察しろ。
まあでも通過儀礼にはだいたい裏口があるから安心していい。「ソープへ行け」の名言通り、日本では安全でコスパのいい風俗店がチート級の救済措置になっている。この点で日本はアメリカより は る か に イージーモードだ。むしろ日本では童貞であり続けることのほうが難しい。。。
はあちゅうが「裏口入学」を認めるかどうかは一度聞いてみたいところだが、日本で普通に生きてれば童貞の「卒業証書」は簡単にもらえる。その気になればすぐやれるのにやらない奴らは、自ら童貞を望んでいるとしか思えないわな。果たして童貞にどんなメリットや価値があるのか。「ねぇねぇ、なんで童貞って童貞なの?」と聞きたくなるわけだ。
これで童貞がいじられる正当な理由があることは分かったとして、はあちゅうが童貞をしつこくいじり続ける理由も考えてみたい。まずはマーケティングのためだろう。はあちゅうの支持層はスイーツと思われがちだが、実は違う。いくらスイーツでも自分たちが活字ばかりの本を読むのが苦手なことくらいは知っている。つまりはあちゅう本のメイン読者は、はあちゅうのスカートを覗きたいと妄想してるような童貞たちなんだよ!
だがそれが真実だとしても、もっと童貞を気持ち良くさせる耳障りのいい言葉でも振りまいたほうが得策ではないのか。そこははあちゅうなりに、親近感を演出しているのかもしれない。芸能人がYouTubeやコミケに「降りてくる」ようなもので、あのクラスの人がこんなところに来てくれたという親しみを与えられる。どんなに売れてもお高くとまることなく、手の届く距離から下世話な童貞ネタでいじってくれる。これが童貞たちにブクマさせるコツなんだろう。
追記:
耳障りのいい、という表現は間違っていた。教えてくれてありがとな、童貞さん。
追記2:
・人の言動を党派性(誰の敵味方なのか)が最優先されるものとして解釈しがち
・自分の世の中とはズレているセクハラに甘い思想を批判されているだけのことを、ただの批判も難癖つける非難もまとめて党派性と捉える人々をうまく使って、はあちゅうが嫌いだから批判している人が大勢いる中でがんばって立ち止まっている私偉い!を演出しようとするところ
・「はあちゅうが嫌いだけど、今回の岸勇気によるセクハラは、はあちゅうがかわいそう、はあちゅうを支持する」って多くの人がどうして書くかっていうと、「はあちゅうが嫌いだけど」って書かないと君たちが、はあちゅうを全人格的に支持している、と誤解してくるからです。「はあちゅうが嫌いだけど」を書くなというなら党派性で言動を解釈するのをやめてから言え。
俺は "はあちゅう" って人をあまりよく知らなかった側の人間なんだが、彼女の告発記事を読んで、最初は
「こういう女性社員は他にもいるんだろうな、かわいそうに」
「そもそも立場の強弱で性行為を迫るって男としてはかっこ悪いよな」
みたいな感情を抱いていた。
名指しで告発されていたK氏は一方的な加害者で、はあちゅうはその被害者なのだと。
ただ、ここ最近のはあちゅうの言動を見ていて、何かこいつもどこか狂ってるんじゃないかって思い始めてきてしまったんだ。
その結果、俺の中で "はあちゅう" はそういうポジションの女なんだなって、妙に納得してしまった。
と何度思ったことか。
でもそのたびに自分でばっしゃばしゃとガソリン浴びてまた勢いよく燃え始めるんだよな。
すごいと思うわ。
「心ない言葉」は実際たくさん来たんだろうが、ぜったい効いてない感がすごい。
つらい、苦しい、でもがんばる!みたいなこと言ってるけど、なにも信じられない。