はてなキーワード: かあちゃんとは
(ゆうべ、仲間が寝てる人間の口元を舐めに行ってて喰われた・・・!喰われたあと、人間が『うーん、かあちゃんのカラアゲは相変わらずウマイ!ムニャムニャ』ってわけわかんないこと言ってた・・・!)
山を登るわけではないが、読み始めると止まらない。
有名なもので言うと、トムラウシ山遭難事故、八甲田山で行軍時に起こった遭難事故がそれにあたる。
どこが怖いのかというと、大きく三点ある。
穏やかな天気だったのに、突然ふぶく。
すぐ止むと思っていたのに、ずっと雨や雪が振り続けている。
天気が悪いだけで、道のりは険しく危険になる。命を落とすリスクがグンと上がる。
変に経験があると、やめときゃいいのに、これくらいの雨なら大丈夫だったと歩き続けてしまう。
滑落や雪崩はほぼ一瞬で全てが変わってしまうが、悪天候によるものは、疲労や風向きでどんどん悪化していく。
ここでやめとけば、ここでああしておけば、と助かる余地がいくつもあっただけに、読んでいる方からすると、ハラハラする。
死亡までしてしまった事故では、これは避けられなかったよね、というのはほとんどない。
ここでまず間違って、さらにここで判断を誤って、引き返す判断ができずに…とどんどん逃げ場を失っていく。
正気を失っていくさまが生々しく、恐ろしい。
三つ目は、近くにいた人が、なくなっていくところ
やむなくビバークし、夜を明かし朝になったら、隣にいたひとが冷たくなっているのが怖い。そばで死を体感するのが恐ろしい。
また、亡くなる直前に、滑舌が悪くなり、言動がおかしくなり、最終的には「おかあちゃん」と中高年の女性が叫んでなくなったりする。
そもそも夜の山ってだけでも怖いのに。
季節の変わり目なので、山に登る人はくれぐれを気をつけて欲しい
遠方のおかあちゃん末期がんになった
小さい子どもがふたりいて、飛行機の距離のおかあちゃんの見舞いに月いち位でしか行けなかったのに、コロナのせいで8月は行けなかった
フォロワーはママのこと40,50代だと思ってるから孫のことは絶対言わないんだ、ていうおかあちゃん
来春まで生きれるかな
髪も抜けるんだよこれから
あんたは冷たい手術の時もいなかった
小学生のころ勉強せえ、あそこの子と付き合うなとおかあちゃんに殴られた。引っ掛かれた。同級生にどうしたのと言われた
里帰り出産で、帝王切開した後歩行訓練してた私にペンギンみたいと言って笑ったおかあちゃん
帰宅するときあんた子どもネグレクトしそうで怖いといったおかあちゃん
おかあちゃん、手術してお腹切ったあと歩行訓練してるとき私笑わんかったよ
おかあちゃんはげになっても笑わんよ
しわがたるみが気になると、かぶれも気にせんと顔にテープ張ってたね
私が化粧すると誰も見ないのにようやるわと言ったね
LINEの通知切りたい。
若いころ水商売やってた母親が、俺のことを心配して当時の客に片っ端から電話してたらしい。
自分の力で掴み取った内定だと思ってたし、こんなご時世にあっさり何社も内定出るとか俺すげー!wってなってたし、ドヤ顔で内定者懇親会も行ったし、後輩のために就活体験記でも書こうかなぁwとか思ってた矢先にこれ。
まあ、内定なくて困ってる人とか、行きたかった業界が潰れた人とか、行きたかった会社が採用活動中止しちゃった人に比べたら、なんてことない悩みなんだろうけど。
かあちゃん、内定3社とれたよって言ったら「すごい!」って褒めてくれたじゃん。
すごいの俺じゃなくてかあちゃんじゃん。
なんやねんこれ。
そのため、キューポラの音はうるさいわ、型を作るための砂が飛ぶわで、近所からは公害呼ばわりされていた時期もあったという。
一度、工場から火の粉が飛んで隣家のヤシの木が炎上したこともある。
そんな過酷な職場(加えて安月給)は人手不足も甚だしく、軽度の知的障害や精神障害の人が貴重な戦力だった。
(給料のほかに、障害者の自立のための基金にも寄付をしていた)
とは言え、彼らは危なっかしく、聴力の弱い人もいたので、工場ではいつも怒号が響いていた。
その中の一人がかあちゃんに殴られるというのでわが家に匿ったことがある。
別の従業員が友人の家に金の無心をしていると聞き、顔から火が出たことも。
ずっと、そんな生家のことをどこか恥ずかしく思う気持ちがあった。
「ものづくりへの誇り」で補おうとするけど、それだけじゃ拭えない気持ち。
けれど、今日、わたしの心はバランスを取り戻し、これまでにない平和がおとずれた。
うちのじいちゃんもエボシ御前だったんだ。
もっとも、じいちゃんが鋳物工場を始めたのも、勤め先が廃業しそうになってやむなく手を挙げたのだと聞いている。