2020年09月13日の日記

2020-09-13

価値観アップデート()し続ける想像をしたら人類は滅亡すべきという結論になった

自分でやるのは難しいので適当に周囲に合わせて生きていこうと思った

ガチイキ何回もしてても

男の人はなんか勘違いしてて、すげーセックスよかった人で何回もイッタとしても

次の日もまた名残でしたいかと言われるとそうでもない時が多いんだよね、マジで

anond:20200913163107

この増田、心広すぎて、びっくりしちゃった。

これ、たまたま見つけた古いツイートなんですけど、今の日本を端的に表していると思うんですよね。

長らくパターナリズム庇護下で生きてきたのに急に自由にされ、しか自由競争を生き抜くための教育も満足に受けられないまま戦場に放り出される。

実家が太ければ教育が手厚くなってマシになるが)

そして自由という戦場の餌食になる。

なんとなくBTS見てみたらツイッターフォロワー3000万人くらいいるの?ケタが違うな。

anond:20200913163409

1人で黙々とダーツしてる人がいたら、むしろ尊敬するわ

anond:20200913125850

料亭フランス料理屋以外は一人で行ったことある

その2つは一人用席って無いように思う

こういうのな

「ひとりで焼き肉いきづらい」

「それはつまりあなたが焼き肉屋で一人でいる人を異常者だと差別する人間ってことですね」

anond:20200913162552

うん、だから、「逃避できる娯楽」の一種が「フィクションに出てくる、家事育児平等分担してくれる夫」だったりするわけでしょ。

からフィクション世界だとそういうのがウケる

現実いくらでもいる、家事育児をやらずに女に押し付ける夫の需要フィクションだと精々「それを叩いてすっきりするコンテンツ」くらいしかない。

からそういうフィクションが(否定的意味以外では)描かれにくくなっているんだけど。

BLジャニーズオタク女性はそんなの一切興味がないんだから家事育児を女に押し付ける夫がフィクション肯定的意味で出てこようと一切気にしない、

そんなの気にしてるのは特殊な「ジェンダー論にはまってるフェミ」だけ」って世界観が現実とずれてるんだよ。

実際はそんなの見たくない女性多数派から、そういうフィクションが作られにくくなってる。

二次創作短編について

長編小説エントリをお見かけしたとき自分思考整理のために書いていたものを投げます

 

私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど

今いる界隈で字数マウントっぽいのちこちょこ見るようになったので。

いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど

じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。

ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。

 

というのは、自分二次創作における文章文字数に一回仮死状態になったからです。

筆を折ったというよりは筆を止めた。

私はHP全盛期のとき個人サイト作ってみたくて

家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。

思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。

自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、

感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。

その段に至って初めて「文字数」というもの意識しました。

それで一回、すごくつまらなくなってしまった。

小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使います

私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。

時間いかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。

ワンシーンの抜粋動作の美しさを描写して書き留めておきたい。

 

けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。

まず書く情報量を増やさなくてはならない。

シーンを複数用意して時系列構成思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。

 

クロッキーは言ってしまえば鉛筆一本、筆一本でできる。

でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。

デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法知識がいる。

30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、

下手すると無限時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。

鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。

 

今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。

物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。

「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。

あと短時間でたくさん読める。

キラーフレーズを噛み締めて気軽に楽しめる。

などの短文の魅力が好きでした。今も好き。

 

絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも

要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。

あと向き不向き。タイプ別といってもいいかも。

一口長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。

読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。

物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。

 

それがわかっていればよかったんだけど

小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて

(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)

それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。

今は自分いちばん書きやす文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。

 

分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど

からといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。

「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分ジャッジする必要はない。

なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。

 

万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし

3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります

 

長い文章は確かに強さを感じるし、熱量もあります

それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。

これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。

 

でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要微塵もない。

 

この世にはショートショートの極点である星新一もいますしね。

「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。

長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います

 

私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。

軽やかなので。

重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作醍醐味だとも思う。

 

そういう覚書でした。

 

一般出版物におけるショートショートは800〜4000字、

 短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが

 二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)

 

 

 

 

anond:20200913162552

結局生存にめちゃくちゃ不利で人生投げちゃった人のよりどころでしかないのをなんとかしない限りジェンダー論って一時代流行で終わって勝手に消えてくもんだと思うわ。

映画ドラマ

オープニングとエンディングに曲が入るのはなぜ?

こんにちはメーラーデーモンです

下級デーモンなんですけど、最近利用者が減ってて困ってます

Lineでしたっけ。

ケケケッ潰れちまえ…。

おっと悪魔っぽくなってしまいました。

でもデーモンですし、仕方ありません。

もう一度挨拶します。

インターネット利用者の夜中のつぶやき、なんと饒舌なことでしょう。こんばんは、メーラーデーモンです。

昼ですけどね!

仲間のバッドゲートウェイくんは次々別次元に人を送り込んで楽しそうなのに、こっちはからっきし。

しかワナクラちゃんがうちの狩場にタダ乗りしてるから嫌なんですよね。

メーリングリストとか激減ですよ。あとCCとかわからない人が増えてるんでしょうか。

ですよね。そうですよ。自分だって人間ならSNSLine使いますから

城達也さん、ぐちに使ってごめんなさい。

距離感で怒られたことない?

距離感いきなり詰めてきたからこっちも詰めたら怒られた

非対称性ってやつか

anond:20200913162456

色々見えちゃっててすごい

もしや神では?

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