BUCK-TICKの狂った太陽(1991年)を最近久しぶりに聴いてみたら、それよりだいぶ後に出てきたオルタナグランジとかヘビーロックの類の音はこのアルバムの中で既に実現しているのでは?と思ったので(いろんな人が同じようなこと言ってるみたいだけど)
あとさ、毎月勤労統計にはパートタイム労働者の時間当たり給与も示されてるんだけど
統計見なくてもコンビニやスーパーで見かけるバイトやパート募集の時給は年々上がってるんだから
普通に頭働かせれば個々人の賃金は上がってるけど新規の就業者が増えていて
バイの人なのかな?
自分はシスヘテロな男性だけど、恋愛対象としても性欲の対象としても、女性しか対象にしかならない。女性をエロの対象としているポルノしか楽しまないし、男性が被写体のポルノを見させられると不快だ。
もちろん、極小の可能性を突き詰めれば、自分が将来的に男に惚れることは理論上ありえるけど、実際にそうなりそうな可能性はまずなさそうだから、自分を「異性愛者」と思っているし、それ以上の根拠はいらないでしょ。
ゲイやレズの人も同じでしょ。理論上の可能性としては実はバイだったということはありえるけど、現実的にみてなさそうだから、同性愛だと判断しているし、それ以上の根拠は不要。
もし言い切れるのなら心でなく体をみてるんだね
体目的ってやつだ
自分は恋愛の相手には体の関係も求めるので、体目的もあることは否定しないけど。体をみると心をみないことになるというのはよく分からないな。
ちなみに「プラトニックな恋愛」をする自分を想像したとしても、その相手は女性がいいな、と思うし、そこで改めて自分が異性愛者であることを確認する。
面白かったような気がするけど別にその時はあんまり何も思わなかった
劇場版2作目は衝撃だった、アニメは子供向け、ドラマは大人向けくらいのイメージがあった
子供時代の私になんだかわからないけど大人の雰囲気がある作品感を与えてくれた
実写版パトレイバーをやるって頃には特に理由はなく押井作品から離れていたけど
結構映画観ていても席を立ちたくなるようなひどい作品なんて滅多にない
痛々しくて立ち去りたくなった
実写に逆輸入されるとこんなに聞いてられないもんだとは
大人になればわかるかなと思っていた
最近、マンガの感想まとめとか読んでいると、びっくりするようなコメントを散見する。
漫画は絵があるから理解しやすい、というのは本当ではないらしい。
具体的には、
①物語は作者の意見の一側面であって、普遍的な真実を定義するものではない、ことが分かっていない。
②作中の人物の役回りと、その役回りを元にした発言の意図を、客観的にみられていない。
ような場面によく出くわす。
②は謙虚に意図を他の人と話題にすれば良いし、③は批評家にありがちではあるけれど、
僕らはいろんな考え方に触れながら生きていて、マンガも小説も映画も表現手法の一つにすぎない。
でもそれは登場人物にとっては正しいこともたくさんある。
そのギャップが、物語の中を生きていない僕らの心に刺さるのなら、その物語はきっとキラキラしているのだ。
だから、理解が及ばなくともこれは物語なんだと理解してほしい。
そして、どう感じたかを語ろう。
父親や親戚に男尊女卑モラ山ハラ男が多かったせいで、自分の中に「自分より目上の男性には逆らえない」という意識が染み付いている。
そのせいで目上の男性に対しては、笑顔が可愛いちょっとバカな女の子の振りをして媚びてしまう。
そうすると彼らに「この子は俺のことが好きだからセクハラして良いんだな」と認識され、人よりモラハラセクハラに遭いやすくなる。
完全に悪循環。
「バカで可愛い女」以外で目上の男性に受け入れられた経験がない。
どうしたら良いんだろう?
ワイは和尊しかしらないやで