SAOは原作の第一巻でゲームの終わりまで描いているから原作どおりにやったら数話で終わっちゃう。
だからその合間を短編集のイチャイチャエピソードで埋めてるってわけ。
今日本の悪いところの原因を探っていくと、いろいろなところで「おっさんがクソ」ということが多い。
全部とは言わないが、一部(全部ではないという意味)のおっさんが強烈にクソでクソ同士慣れ合ってるので世の中はクソになる一方だ。
おっさんたちは学ばないし、現実を見つめないし、自分たちがまともだと思っているから、死ぬまでクソが流れることはない。
しかしながら、俺もおっさんと呼ばれてもおかしくない年齢であり、もしかしたらクソなおっさんになるのかも、なりつつあるのかも知れないし、なっているのかも知れない
それがものすごく恐ろしい
http://anond.hatelabo.jp/20170317155716
こういう人間は「~したかった」のではなくて、「~したかった」と言いたい人間でしかない。
見出しによくある「~したい」とか、「~できない」と言っている奴らの9割方はこれと同じ。
本当に着たかったなら既に着ているし、着ないでアレコレ尤もらしい理屈に飛びついて忌避するのは、結局のところその程度の気持ちだってこと。
でも、その程度の気持ちだということで捨てきれないのもこのタイプには往々にしてあることで、そんな自分を慰めるために吐露するわけだ。
こうして、事実上は大したことをしていないのに大層な挫折話を自己陶酔して語る人間、“できなかった人間”に見せかけた“できないと言いたい人間”は各地に出没するわけである。
ちなみに、これの最も分かりやすい典型例は、「幼女になりたい」といったようなことを言っているアホね。
元増田とかの「ゴスロリ着たい」ってのは可能な部類なんだけど、「幼女になりたい」は物理的に不可能なのが自他共に分かっているから、“できなかったと言いたい”欲求だけが色濃く出てきて醜悪。
もしも本気でなりたいと思っているならば、そのものにはなれなくてもそれに近づくような言動を目指すもの。
それこそおっさんだろうが何だろうが幼女っぽい服装や、そういった言動をしようとするだろうが、9割のやつらは本気でそんなことをやろうとはしない。
そういった過程すらなくて、ただただ“できなかったと言いたい”だけ。
だから三枚くらい欲しい服買って、写真館とか行って修正バリバリの写真をプロに撮ってもらおうよ
若かりし自分の供養ができるのは今、あるいは子供を身代わりに捧げるくらいだよ!
服は満足したら売ればいい
http://portal.nifty.com/kiji/161212198283_1.htm
生活費11万って家賃や食費とかいろいろ入れるんでしょ?結構きつくないか?
俺はたばこも酒もしないけど難しい気がする。
家賃:7万
食費:4~5万(昼夜は外か中食)
確か小学生の時に読んだ、世界の偉人とかいう学習漫画だったと思う。その本は赤毛のアンの作者のモンゴメリについてだった。
モンゴメリの幼い頃のエピソードとして、彼女が「命からがら」という言葉を使ったところ先生から「そんな汚い言葉を使うんじゃありません」と激しく叱責されて悔し涙を流したというのがあった。
ここの件がよく理解できなかったので妙に覚えている。「命からがら」って下品なのか?小学生にとってはなかなか難しい言い回しですらあったので余計分からなかった。多分、英語と日本語じゃ違ったりするのだろうと受け流した。
でも今になってふと思い出して、ググってみたのだけど英語で「命からがら」が特に汚いスラングがあるとかそういう話は出てこない。未だによく分からない話。
1期前半の死人が出まくるところまでがまともに見れて、それ以降はクサい感動ラブコメとSFですらない近未来技術の解説だからなー。
妻と友人両方いるところではどうなんだよ!
高校の頃に初めてのバイトがファミマで、歩行器?みたいなやつで自力で歩けず、100円玉か50円玉かもわからないようなヨボヨボな爺さんがエロ本を買ってきたのを見て
「あぁ男はいつまでも女の尻にひかれて生きていくんだな」って思ったね。
俺もきっと色んなことを忘れてもシコシコしてるんだろうな。悲しいけど、これが男なのよね。
逃れられないんだなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20170315234045
ものすごい数のブコメ、トラバをもらってびっくりしたけど、本当に有り難かった。
本当に本当にありがとう。
回答がうつ病一色だったのはちょっと驚いたけど、やっぱりそうなんだなぁとハラ落ちした部分もある。
先日、非定型うつの典型症状について見ていて、ほぼ全て当てはまっていることは認識してたからね。
(ちなみに、涙が出たりはしていない)
でも、なんていうか、友達と遊んだり趣味のことはできていたから、絶対違うだろうというか、信じたくない気持ちがあったんだと思う。情緒はかなり安定してるしね。
でもトラバで、
「「今日は趣味のコンサートに行けてストレス解消になった。明日仕事行きたくないなあ」→鬱かもしれないし、そうじゃないかも
「趣味のコンサート行けばきっと楽しくて元気が出てくるに違いない。だからがんばって見に行かなきゃ」→典型的な鬱」
って書いてくれてたのを見て、本当にそうだなあと思ったよ。なんとか人生を楽しくすれば、生き続けられるんじゃないかとずっと思ってた。
友達と会えば、一時的にも気分が良くなるし、テンションも上がるしね。
同じような人はけっこういるんじゃないかと思う。
「情緒も安定しているのに起きられないって、心や気持ちをすっかりと無視する習慣ができあがったのかな。」
って書いてくれたブコメには、家庭環境とか他のことでも思い当たることが多すぎてハッとさせられた。
昔から、本当に辛そうな状況でも全然表情とかテンションが変わらないって言われてたんだ。
あと、年収とか勤務先について書いて、不愉快な思いをさせてしまった人、ごめんなさい。
自分がどんな人間か書こうと思った時に、書けることがそれしかなかったんだと思う。
指摘してくれた人もいたけど、私には他に誇れることも自分で成し遂げたと思うものが他に何もなくて、肩書きとか仕事が本当に心のよりどころになっていたんだと思う。
いろいろな事をやってきたつもりだったけど、結局それしかなかったんだって。
あと、総合職と書いたのは私の性別が女だから。たしかに、男性ならあまり意識しない言葉だよね。
仕事といえば数年前に役付き(事業責任者)になってね。年の半分くらいが異常に忙しくなってしまって、次の繁忙期は乗り越えられないかもしれないとは思ってた。
それに、もうかなり長いこと私と同じ業務ができる人(同じ資格がある人)がセクション内にいない状態だった。そのことも地味に、ずっと負担だった。
また来月から私がしなければならない仕事があって、それだけはやりたいなと思ってるけど、どうなるのかな。
それから保険加入を勧めてくれた方、ありがとう。医療保険しか加入してなかったから、初診の前に生命保険に入っておこうと思う。
あと、うつ以外の可能性も考えてくれた方もありがとう。子供の頃に甲状腺の異常は指摘されていたことを思い出した。最近も頻繁にリンパを腫らしていたから、その線でも受診したいと思う。
嫌な思いをさせてしまった人もいたかもしれないけど、たくさんの人が親身になってくれて、心配してくれて本当に有り難かった。
ブログに記事まで書いてくれた人、ありがとう。連絡できるかは分からないけど心に沁みたよ。
似たような状況の人もいるみたいで、参考にしてもらえたらいいなと思う。
妻がいないところでは共通の友人に「○○がさー」と言っている。
妻がいるところでは「○○さん、XXして」と言っている。
そうです私は信用できない人間です。