今までネットウォッチ板で対象に見つからないように対象を馬鹿にして楽しんでたのに、
新規がわざわざ対象のブログにコメントしたりして炎上状態になって、
ウォッチ民が怒るのに似ている
cider_kondoさんやsabacurryさんやhungchangさんにidコールしてみたら?
たぶん冷蔵庫の中にあるあり合わせの肴で「やるなー」と言ってくれると思うよ
10年かけて開墾した土地がたった1回の洪水で全部押し流されたら人生絶望するかっつーとそうでもない。
また耕すしかないのだ。
かくいう私も幼い頃から大の絶叫嫌いで、例えば某ディ〇ニーランドのカ〇ブの海賊の落下でさえ耐え難いくらいだった。
まあつまり、ディ〇ニーランドに行っても乗れる乗り物が非常に少なかったのだ。
後にデ〇ズニーシーが出来て、1度だけ家族に連れられて行ったけど、あそこはディ〇ニーランド以上に「落ちる系」が多いね。殆ど楽しめずに終わった。
多分好きな人に言わせたら、「落ちる系以外にだって面白いアトラクションやショーやグリーティングがあるよ!」といったところだろう。自分もその言い分はそこそこに理解しているつもりだ。
もちろん、1人でパークを好きに歩き回って、グリーティングやショー観覧を楽しむのも非常に有意義な過ごし方だとは思う(実際にそのように過ごしたこともある)。
しかしながら、尻が重い私がああいったテーマパークに行く時というのは、つまり誰かに誘われたからであって、誰かと同じ場所で同じものを楽しむためであることが殆どなのである。
そしてそのような集まりにおいて、「落ちる系」に乗れない人間というのは、足でまといでしかない。
よく、落ちてる途中で写真を撮られる箇所があって、そこで皆で同じポーズをする、みたいな監修があるじゃないですか。
「落ちる系」大丈夫だったらな、ああやって仲間に入って笑えたのにな、った。
足でまとい系の増田は、そういうノリに物理的についていけないので、そういうノリが発生する前、つまり「落ちる系」のあるテーマパークに誘われた段階でお断りを続けています。
このエントリを見て、
「出来るものなら、オハイオ州に残った最後のリョコウバトを狙うハンターを、片っ端から狙撃してコヨーテの餌にしてやりたかった」
同一の人的資源(あなたの時間とかお金のことです)を食い合うものなので、
両立したければどちらもうまく資源量をセーブしていかなければならない。
「彼女に割く資源はもう増やさずに減らす。仕事に割く資源を一方的に増やす。」ということ。
一般的に30歳の男性の目標状態として語られる「就職して結婚して落ち着く」とは、
さらに資源が省力化できたら子供という資源消費先も追加できる。
まあ、資源貯蓄量がよほどたくさんある(たとえば実家と同居で住居費が要らないとか、
うかつに転職する、引っ越しするってちょっとどうしたものか、な状態だよね。
普通は、どちらも一種類におさえれば(彼女は一人だけ、転職も業種を絞る)
他業種へ転職、彼女を捨てる、引っ越し、などすると消費資源が一時的にかさむ。
新たなものを獲得するため、出費もかさむし、
そんなことも30歳になって考えてないのってなんか逆にすごい。想像もつかない。
体育会系なのかな。「筋肉さえあれば」ってことなの?それとも釣りか極端にモデル化してる?
だれか(彼女)が助けてくれてた?
消費先をすべて捨てて修行僧みたいになる人もいるけど(いばや通信参照)、
まず彼女に過去の提案のどこがおかしかったか気づいたということを告げて感謝するところから仲直りが始まるんじゃないかな。
ダブったのでこっちはなし!
まざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかーまざーふぁっかー
小さい頃から親に「お前は人の三倍努力してやっと一人前なんだ」と言われてきた。
事実それくらいにやってもできない子だった。それは今もそうだが。
だから、小さい頃から「努力しなければ、みんなに追いつかなければ」と思って生きていた。
そうして数十年経った今、「努力では解決できないことがある」「努力にも方法があって、適した努力でないといくらやっても無駄orほとんど効果のない遠回りな努力、にしかならない」ということに気付いた。
頑張ってなんとかなることでも頑張り方が違ったために、まったく身につかなかった。
頑張ったらなんでも何とかなる、という夢を見ていたけれど、夢から醒めてしまった。
残酷だなぁ。頑張ったのにやり方が違うって。
頑張るも何も主観だし、頑張りなんて人から評価されるわけでもない。
頑張ることを頑張る、みたいな某アイドル現象に気付いたけれど、同頑張ったらここから抜け出せるのかな。
なんて、また頑張ることを考えている自分がいる。というより、そんな自分しかいない。
はぁ。頑張るのも疲れた。悲しい。
8年半ぶりに銀杏のライブ。最後に見たの戦争反対ツアーのZepp福岡、社会人三年目。あれから8年半。結婚もして子どもも二人産まれた。確かに私の環境は変わったのかもしれない。でも、2004年4月に久留米でセッチューフリーで初めて銀杏を見たあの時の、21歳の気持ちから、どろどろした気持ちは変わってなくて。33歳になったけど、もがきながら働きながら子ども育てながら。何にも変わってない。峯田。くそったれ。活動しなくて、あんなに聞いてたファーストアルバルもいつの間にかほとんど聞かなくなってたけど、光の中に立っていてねがでて、DVD用にラブレター募集しててメール送った。やっと出た愛地獄にラブレターが載ってた。待たせ過ぎ。でも、素直に嬉しかったのは、銀杏BOYZがただ好きだからか。13年間も好きで、追いかけられるものがあることは幸せか。愛地獄見て世界平和祈願ツアー絶対行こうって思って、福岡くるし、チケット取れた。死ネT着て行った。8年ぶりに見た銀杏BOYZ。変わった。メンバーがやめてサポートになったかとか、それもあるか。ただ殺伐とした空気はなくなってた。せんそうはんたいツアーのときもそうだったけど、愛地獄のスメルズのライブ見て、2004年に一番見に行ってた時期の殺伐としたライブ見れるかなって思ったけど、違った。当たり前だけど、私も銀杏BOYZも変わった。私の環境も、峯田の環境も変わった。それでも、銀杏BOYZは私の中の深くに居着いていて、ドニラバンの銀杏Tを着て、日曜日の午前中子どもを公園に遊びに連れていく。