はてなキーワード: 育児体験とは
同じ予告編また見せられるのが嫌だったのと、時間が微妙に合わなかったんで都市部のシネコンに行くことに。
30分前に到着するも、予定してた回はすでに満席…都市部はこれがあるんだよな。
そういえば同じ映画館でハサウェイ見ようとした時に初めて満席食らって…調べると丁度1年半ぶりだった。
客が入るのはいいことだし、都会だから時間潰すのには困らないけど、予定が狂ってしまった。
シン仮面ライダーの予告が見れたのは良かったが、全体的にCMが長い!予告編ならいいがシネコン特有の企業CMなのが辛い…予告編でもキツイ奴はキツイが…
あと小中学生や家族連れのグループが多いのはよいことだがちょっと肩身が狭い。そういえば冬休みなのか。
スクリーンが大きいのはいいが、前の席を取ってしまったせいか、序盤はそれが裏目に出てたように思う。
遠景の腕とか顔は強くデフォルメされてるんだけど、広いスクリーンで見ると雑作画に見えてしまった
これまではそれがちょうど良かったんだけども、単にそっちで見慣れすぎてて勝手に違和感持っちゃっただけかもしれん。
そんなわけでなんとなく没入できてないところはあったけど、遊園地戦以降は大スクリーンの方がよかった。
電気がバチンて点いて、アオリ構図ですずめが何!?って言うとこ好き
結局楽しんで観ちゃった
その他、気づいた事など
・すずめの部屋にライ麦畑でつかまえての文庫本があった
・草太が「すずめの大事」ボックスを勝手に椅子の足にしてると何処かで教えてもらったが、実際にやってて駄目だった
・芹沢は2002生まれ、学生証の裏に2023卒って書いてあった気がする…劇中の311は実際のとは1年ずらしてる?
・古文書の要石、途中で印が剣に代わって代替わりしたんじゃとか言われてたが、こいつら初代から白と黒で剣持ってるしやっぱ代替わりしてなくね?
・こいつら会って一週間くらいで育児体験して育ての親に挨拶して実家まで行ってんだよな
・母親=すずめなの、最初はフーンって感じだったけど、髪が解けたり上着をピンで留めてることに気付いてからちょっと面白く感じてきた
・草太が芹沢?ってなった時、すずめがニヒッと笑ってるのに気付く
・吉幾三のシーンが結局分からん。EDのカラオケとかじゃないだろうけど…
・環さんが稔君につれなくしてると思ったけど、窓の外見てるだけだった
辛かったという表現は正しく無い。
知らずしらずに貼っていた緊張の幕が剥がれて、自分が思っていた以上に責任を感じ、重圧があったことに気付かされる。
妻が戻ってきた夜、子供を意識せず仮眠してしまっていた事におどろいた。
子供には変化によるストレスは与える事は無かったし、親を含めて心配させずに育児を全うした自負はある。
今までに無いくらいのエネルギーを使って、子供が死なないように、悲しませないように、誰からも心配されないように、悲壮感を感じないように努めていた。
「みてね」というアプリで、コロナ感染で気分が落ちているだろう妻と義両親に向けて、子供の様子を投稿し続けた。
言葉が通じない子供に「おはよう」「今日も暑いね」「お腹空いたかな」と声をかけ続けたが
もちろん赤ちゃん言葉が恥ずかしい訳では無いし、子供の成長を願っていた事は間違いない。
夜は5時間ほど寝た後、深夜にミルクとおむつ替えを1回すれば良いくらい。
特別手のかかる子供では無い。よく笑わせたし、泣いた理由も大体わかった。
それでもワンオペ育児は余裕がないし、原因も無くクシャミした時や不意に泣き始めた時はコロナの感染を疑って不安になる。
お風呂に入れる時は、普段なら(妻)入浴→(妻)呼び出し→(夫)検温・脱衣→(妻)子供と入浴→(夫)子供受け取り→(夫)拭いて保湿・着衣という手順だが、
ワンオペ育児はすべて子供を優先させるために自分が風呂に入る余裕がない。この変化が一番精神的にきた。
シングルマザーの友達は元気だろうか。連絡取ったら変な事になるのでしないけど。
【基本情報】
・34歳男(事業会社の動画編集部門所属)MR211 HR741 操虫棍
・妻28歳(医療事務・現在は育休中)MR129 HR344 ガンランス
・子供4ヶ月
出産を機に妻の実家の徒歩圏に移住。夫側の両親は東京を挟んで2時間ほど
【起きた事】
その翌日になって義両親がコロナ陽性だという事が判明する。
そしてさらにその翌日の深夜帯に妻が悪寒と微熱を発症することになる。
1日ほど経過観察をしたが、熱は下がらず咳き込み始めたところで抗原検査で陽性が判明した。
最終的には妻に判断させて「嫁は実家で療養、夫は子供と二人で現在の住まい(ただし夫に症状が出たら戻る)」という判断にした。
生後1か月の赤ちゃんがいるママなんだが、ここの所夫へのイライラ感が半端ない。
産後クライシス自体はは妊娠中の時から知っていたが、夫大好きだし自分にはあまり関係ないと思っていた。
育児によるストレスや睡眠不足、ホルモンバランスの乱れによるものとは聞いていたけど、
ダークサイドに堕ちたかそうでなければ産後のホルモンバランス乱れによるものとしか説明しようがないと思っている。
以前は私も「慈愛に満ちた優しい妻」の分類だったはずだが、同一人物とは思えないくらい無性にイライラするのだ。
とにかくイライラする。
夫が悪いというわけではない。
夫は以前からずっと変わってないのだ。
連日初挑戦のラスボス(赤ちゃん)との攻防(夜泣きやら授乳)で全然寝てなくてもう体力の限界、もうだめだと半分倒れかけてる中で、
「まだだ!まだあきらめて、た・ま・るかぁぁぁぁーーーっ!」と力を振り絞って必死で戦っている。
赤ちゃんが寝た一瞬の勝利とやっと寝れるという安堵の瞬間、お約束のフェイントだった時、
スーパーサ〇ヤ人になれるんじゃないかというくらい毎日「うおおおおおおおおおおおおおおーーーーーー」となっている。(心の中で)
毎日リミッター解除、リミッター解除・改の連続で日々限界の限界を超えて生きている。
それが勇者(母親)の宿命と言わんばかりに苦行に耐え続けているのだ。
そんなやるかやられるかの殺伐とした過酷な戦場で24時間妻が戦っている最中、
唯一の味方である夫は隣でゴロゴロしながらスマホゲームしてたり、YouTube見たり、仕事で疲れたスヤァ・・・となっているのだ。
こっちはラスボス(赤ちゃん)の未知なる攻撃(なぜ泣いてるかわからん)に
「なぜだ・・・くそ!どうすりゃいいんだ・・!何かいい策はないのか!!もうこれ以上はもたないぞ!!(メンタルが)」と手をこまねいているのに。
「貴様ここで何をしている!!そんなことしている場合か!!チッ!役立たずが!!流れ矢にあたって死ぬぞ!!ここからは俺一人で行く!」という気分なのだ。
長々と書いたが結論としては、ホルモンとか、ストレスとかそうゆう次元の問題を超えて、もう見ている・感じている世界が違うのでイライラが止まらないのだ。
そりゃ夫だって仕事して帰ってきたら疲れるし、家ではゆっくりゲームだってしたいのはわかる。
里帰り中はお惣菜とかレトルトとか出来合いのものが多かっただろうし、なるべく夕飯は作って出す。
夕飯を作るのだって一苦労だ。泣かないタイミングを見計らっても泣かれてすぐ作れるものも時間をかけて作る。
夫に愛情がないわけではない。
「そろそろ赤ちゃんお風呂入れてくれる?」と以前と変わらない感じで聞く。
夫はおふとんでごろごろしながら「準備して~」という。
またここでブチ切れたくなる。
(育児体験じゃねえんだぞ!!!風呂といったら赤ちゃんの服からベビーバスの準備とあと片付け、風呂上りの保湿まで全部だクソが!!)
という心の声をぐっとこらえて準備をする。
「準備できたから入れて~」とお願いする。
夫は布団でむにゃむにゃしながら「パパを先にお風呂に入れてください~」と動かない。
というか以前はふふふと笑っていたことも最近はだいたいなんか言えばブチ切れポイントだ。
「パパは大人だから一人でお風呂入れるもんね~いいから早く入れてね~~~~~」と言って布団を剥ぐ。
(風呂ぐらいごちゃごちゃ言わずにさっさと入れろや!!!!!!!)
風呂どころか何とか湾に沈めかねない。心の声はやーさん顔負けだ。
そうだ。夫はまだ赤ちゃんに会ってから1か月もたってないのだ。
まだまだ育児も父親業も初心者なのだ。いきなりスパルタでは心が折れてしまう。
母親だって入院中わけわからないながらにやってできてなくて助産師さんに手直しされたにも関わらず
「ママ上手~」「大丈夫よ~」とおだて励まされながら覚えてやってきた。
思うがままにブチ切れては夫が気の毒だ。
年間定額を国に納めてでも子供を生みたくありません。
家族が、というより周りの人間ほとんどが子供を持つことで人生が豊かになると考えていますが、私は全くそう思いません。子供が無条件に好きだったり老後の面倒を見てもらいたかったりと、様々な理由があることは分かっていますので、この考え方自体を根こそぎ否定する気はありませんが、私は無理です。心から子供が苦手なのです。
突然意味の分からない行動をする、言葉が通じない、四六時中意識を子供に向けていないと危ないことをしてしまったり、人に迷惑を掛けてしまったりします。
悪阻は苦痛ですし出産自体は痛いに決まっていますし、お金が掛かります。大学時代に奨学金を借りているので、それの返済もあります。休職・離職していつ戻れるか分からない状況が続くなんて、考えるだけで不安が凄いです。
育児体験の漫画やエッセイを読んでも、夜中は寝られず、お風呂にもゆっくり入れず、買い物に一人で行くのも困難、落ち着ける時間がないと苦しかった話しか見たことがありません。
苦しくなかった話として挙げられるのは決まって「子供が自分の指を握ってくれたときは幸せだった」とか「初めて言葉を話したときは感動で涙が出た」とかだけじゃないですか。その幸せに対して苦痛の割合が大きすぎませんか、と毎回思います。
あと何より子供が苦手だからと断っているのに「自分の子供だったら可愛いと思えるに決まっている」と押し付けてくる恋人と家族に嫌気がさしています。
生むのも育てるのも私なのに、何故私の意見は有耶無耶にしてしまえるのか。もしも本当に生んで、可愛いと思えなかったら?むしろ逃げ出したいとすら思ってしまったら?怖くて仕方がないんです。子とはいえ人は人。人の人生を支えることに自信がありません。
少なくとも私は嫌な育て方をされた覚えしかありません。いつも姉と比べられては努力が足りないからと言われて、やりたくもないことを姉がやりたいと言っているからやらされて、早く両親から解放されたいと思うばかりの人生でした。
それなのに子供にとって良い育て方が出来る自信などあるはずがありません。子供に、子供時代の私と同じ思いをさせてしまったらどうしようと考えてしまいます。
子供を生まず老後の面倒は誰に看てもらうんだ、と言われるとゾッとします。皆自分の老後のために子供を生むんですか、と。私は貴方の老後の世話をするために生まれてきたんですか、と。
子供がいないと老後は生きていけないなんてことはありません。そもそも介護が必要になる歳まで生きる気もありませんし、万一生き延びてしまったとしても、介護施設を利用します。そこで働いている人も誰かの子供なんだぞと言われたら、ぐうの音も出ません。ですがそれは仕事ですので、「生んでやったんだから介護をしろ」というのとは違いますから…。
ここまでお読みくださった方には分かる通り、私は子育てに向いていません。生むべきではない人間です。
それを妊娠・出産の良さを語ってくる人に分かってもらうにはどうしたらいいんでしょう……。
皆様のご意見をひとつひとつ拝見しました。個別にお返事ができず申し訳ありませんが、こちらの追記を持ってお返事とさせていただきます。
まず、優しい反応がたくさんあり、とてもほっとしました。嬉しかった、とはまた違いますが、否定しないでくださったことがすごくありがたかったです。
また、何度もコメント等で申し上げている通り、子供自体が嫌いなわけではありません。「心から子供が苦手」とだけ書いてしまったからか誤解されているようなのですが、正しくは「心から子供と接するのが苦手」です。分かりにくい書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。
例えば、ファミレスやスーパーで子供が泣いていたり叫んでいたりするところを見ても、大変そうだなとは思いますが迷惑だとは思いません。(親が怒鳴り付けて怒っている場合などは少し迷惑と思ってしまいますが、そうしなければならないんだろうな、という理解もあります)
ただ、その短い間に見ただけでも「大変そうだな」と思ってしまうようなことが、毎日朝から晩まで続くと考えると、どうしても私には耐えきれないと思います。「母親になれば耐えられるよ!」と言われても、自分のことだから分かるんです。
それから、分かってもらいたいと思うのは傲慢だという指摘をいただきました。それについては仰る通りだと思いますし、恋人とは次に会ったときに話し合い、お別れをしてきます。(大切なことは面と向かって話したいので。いつになるか分かりませんが…)
両親からは、そこそこの愛は貰っていると思います。ただ愛情の向け方が私には合わなかっただけです。勉強も運動も出来ず取り柄がなかった私に、諦めるのでなく厳しく接することが正解だと思っていたと言われたことがあります。確かに、両親が諦めないでくれたおかげで、当時行ける高校がないと担任に言われたことのある私なのに、そこそこ名の知れている大学まで通えて、就職も出来ました。それは感謝しています。
けれど、いつも両親を怒らせないようにと張り詰めながら過ごしていた子供時代は、愛など微塵も感じたことがありません。両親は私のことが嫌いなんだと思っていた時期もあります。
正しい子育てなんてないのでしょう。大体の流れは同じでも、性質や物の見方・考え方は子供であっても「人それぞれ」です。
私の育て方ひとつで、子供は幸せにも不幸せにもなります。そんな風に他人の人生を背負うなんて、到底私には不可能です。度胸も覚悟もありません。
生んでみればわかるなど言われても。もし子供を生んで「子育てが辛い、やめたい」などと言えば、「母親失格」や「じゃあ何で生んだんだ」と責められるのでしょう。やるせない思いでいっぱいになります。
案ずるより産むが易しと言われても、私は身長が低く、母曰く出産にリスクがある体型ですし、慢性疾患もあり毎日薬を呑まなければなりません。出産は皆同じ条件ではないのに、易しと言われても、不安なものは不安です。
「子供がいれば一人前になれる、生まなければ一人前になれない」とのコメントもいただきました。本当にそうでしょうか。生んだだけで一人前ならば、虐待で子供を殺した親ですら一人前になってしまいます。けれど、世の中的には、そうではないですよね。
正しくは「子供を生み、きちんと育てて、ちゃんとした大人にすることで一人前になれる」じゃないでしょうか。(私はそうは思いませんが、一人前になれると主張したい人は、です)
「子供がいれば幸せになれる」なんて考えも、きっとこれから先持たないと思います。子供は親を幸せにするための道具ではありませんし、子供がいなくても幸せな過ごし方だっていくらでもあります。
妊娠・出産・子育てで何年も辛い思いをするのが嫌なだけでなく、子供に辛い思いをさせかねないことも嫌なのです。無条件に幸せになる親も子もいません。親だけが幸せでも、意味はありませんし。
女性として生まれてきたからといって、子供を生まなければならないという考えは人間が有性生殖をする生物である限りなくならないと思います。
ですが、自分の人生を決められるのは結局自分自身だけです。他人に従わなければならない義務などありません。「女として失格」でも「人間として失格」でもいいです。私のせいで不幸になる可能性のある人はいない方がいいんです。
子供が好きで、生みたいと思う人は生めばいい。生みたくない人は生まなければいい。どちらも個人の選択で、誰かに強制される必要はないです。
自分でも何を書いているか分からなくなってきました…。長文・駄文で申し訳ございません、お読みいただいた方には心より感謝申し上げます。
(お金貰ってでも、では? という指摘をいくつか受け取りました。書いた当初は「子供を持っていない女性からお金を取るという制度ができても」という意味でした。勢いで書いてしまったことと、二度書き直したことにより、本来の意味を失っておりました。申し訳ございません。)
子供の特性なんて千差万別だから、自分とこの数人の育児体験を一般化するのは危険だよ。育児コミュニティって言っても似たような人が集まってたらあまり一般化できないしね。
うちはADHDで、抱っこされるの嫌いだったからなあ。歩くようになってからは、一瞬でも手を緩めるとどっか飛んで行くので、荷物を持ち上げたりベビーカー出し入れする時は、外向き(顔を内向きに抱っこすると猛烈に頭を殴られる)で腰をがっしりホールドしつつ片手作業。
もっとも、大元のベビーカーの話については元増田を支持するわけじゃない。うちもそんな状態でそもそも電車での移動を諦めてたし、移動するとしたら大人2人を確保するようにしてた。個人的な意見としては、ベビーカー問題は、個人のマナーでどうにかなる話じゃないよ。交通機関に余裕がなさすぎる。
ただ、自分が育児したからっていうんで育児のことを知った気になるのは危ないなってこと。保育士とかベビーシッターを長く続けててのべ何百人も面倒を見たという人の話なら傾聴に値するけど。