はてなキーワード: オリンピアンとは
『ゲーム楽曲とマンガのフキダシでオリンピアンが入場してくるというのは、俺らの勝ちですよ、みなさん。https://twitter.com/demodori_s/status/1418537066976014341?s=19』
クソチョロいですなぁ。
誰かな。
組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
個人的には、かつては尊敬すべき人間と思っていたオリンピアンたち(橋本聖子氏や山下泰裕氏)のあまりにも醜悪な姿を見せつけられて、考えてみれば体育教師というのはまあそういう人間多めだったと思い出されて、まああんなのに公金や公共の電波使わす意味ねーわと考えるようにはなった。どうせ国威の発揚とやらに役立てることが目的であるなら、大谷の出場試合を地上波で毎日放映した方が安上がりであるし、遙かに効果的かつ有益ではないのか?
もともとスポーツを見るのは好きなので、楽しく働いている。
取材対象の中にはオリンピアンや東京2020を目指してる選手もいて、ここ1年はそういう人たちに会うたびに延期についての思いを聞いてきた。
「絶対開催してほしい」とか楽観的なことを口にする人はひとりもいなくて、みんな揃って「五輪があると思ってやるしかない」と言う。
我々もオリンピックの有無で仕事のスケジュールが大幅に変わるので、気持ちは同じ。
「あると思ってやるしかない」。
中止になるかもしれない。でも、きっと開催されると祈りながら、できることをやっていくしかない。
何百回も呪文のように聞いて、言って、自分の中に刷り込んできた。覚悟はしているつもりだった。
「あると思ってやるしかない」。だから、あるかないか、ということは考えない。「あると思って」やるのだから。
覚悟を決めているようでいて、その実、”中止”という想定されるべき未来を直視できていなかったのだと思う。
だからと言って、不確実な1年後へのモチベーションを維持するには、そう考えるしかなかったのも事実だ。
それに、どこかで期待もしていた。
そのうち指定感染症の等級も下げられて、楽観的なムードができて、オリンピックはぬるっと開催されるはずだと。
観客数は絞られるかもしれない。無観客もあり得る。
だけど、大きな反対はされずに、選手たちの勇姿はむしろ静かに歓迎されるんじゃないかと。
思い描いてしまっていた未来は遠い。大阪の感染者数は、過去最高を更新してもなお増える一方だ。
指定感染症の等級を下げよと言う声もあまり聞こえなくなってきた。
慣れきった群衆と巨大な恐怖とが、水と油のように混ざり合うことなく取り残されている。
裏腹に、オリンピックは日に日に近づいている。聖火リレーは全国を回り、代表選手が続々と決まっている。
”最悪”を覚悟したつもりで、大量のドーピングを使ってなんとか乗り切ってきたスポーツ界は、間違いなく、着実に期待を高めてしまっている。
今から中止に、本当になりうるんだろうか。もし、本当に中止になってしまったら。
私の心は間違いなく折れる。これまでずっと頑張ってきたあの仕事たちの意味はなんだったのか。
仕方ないね、じゃあ次、と切り替えるには、あまりに選手たちに感情移入しすぎてしまった。
現部署でそのまま働き続けられる気もしない。
まあ、私個人は異動してしまえばいいだけの話だし、異動できなくて仕事に身が入らないままでも、たぶんクビにはならない。
でも外野の私ですらこれなのに、アスリートたちはどうなるんだろう。
東京を目指すことで成長できたという選手がいた。東京があったから続けられたという選手がいた。
ほとんどのアスリートが不安を抱えているセカンドキャリアも、メダルを獲れば一気に幅が広がる。
他国開催とは懸ける思いも、人生に与える影響も、桁違いの一世一代の大会。
それが一夜にして手からこぼれ落ちたら。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASP413WJBP39UPQJ00S.html
バカじゃねーの?
この女、カーラーとして三流で、中部電力時代の日本選手権連覇は北海道から無理やり軽井沢まで移籍させた藤澤五月のおかげに過ぎない。
その藤澤が調子を崩した日本代表決定戦で北海道銀行に敗れ、ソチオリンピックには出られず、ソチの後に寿引退した。
中部電力時代は「美しすぎるカーラー」として客寄せパンダの役目を果たし、トリノオリンピックの小野寺・林コンビのように「オリンピックに出て人気を得て寿引退」という青写真を描いていたと思われる。その本家に足元を掬われてしまったが。
その後は特に後進の指導とかの話は聞かず、散発的に解説者として出てくるだけ。
今年の日本選手権でも、市川の解説を聞いていると藤澤五月の事を本当に嫌っているんだなと分かる。決して褒めないどころか藤澤のショットについて触れようとすらしない。2月13日の女子プレーオフでは藤澤のナイスショットに対して実況から感想を求められると「ロコソラーレのチームワークが~」と返したくらいだ。聞いてて嫌気がさしてくる。
いま男子の世界選手権が行われているが、市川は解説者としての登場予定がない。GWに予定されている女子世界選手権のほうでは解説者として出てくる可能性があるが、こちらも金村萌絵(旧制・目黒)というチーム青森OGの解説者が居るのであまり活躍の場はないであろう。金村氏は個人的な感情を解説に持ち込むことが無いのでNHKも扱いやすい。
オリンピアンになれなかった市川は本来カーリング界から消えゆくはずの存在である。コーチにも呼ばれていない。一時期カーリング協会の地区委員に名を連ねたが、市川が普及させたいのはカーリングではなく自分自身の存在であったため今は外された。
しかしルッキズムを活用して知名度だけは高いのでこれまで解説に呼ばれてきた。しかしそれもそろそろ賞味期限切れ。
面白いか面白くないかでいったら面白い。ただ物語のご都合主義的な展開が気になる。
王道の少年漫画の流れを汲んでいるのだから仕方がないっちゃないんだけど。
ピンチになったらタイミング良く味方が現れて助かるとか、たかが2年の修行で身体能力がオリンピアンを超越するレベルになるとか、教わってない技をいつのまにか覚えてるとか、死にそうになったところで急に新しい必殺技を考案するとか、仲間のピンチで異能に目覚めちゃうとか。
普通に考えてありえんでしょ? っていう。興醒めする。
まあ子ども向けの漫画なんだからストーリー展開がこうなるのはしょうがない。ドラゴンボールだってご都合主義な展開だった。こういうのが嫌なら青年漫画を読めばいい。
だけどあれだけ話題になってるし、たとえ少年漫画であっても大人も楽しめるストーリーになってるんじゃないかとちょっぴりだけ期待しちゃったんだよ。
普通に可愛い絵で可愛いキャラが出てきて(キャラの顔のバリエーションは少ない)、エンターテイメントな王道少年漫画だった。読んでて面白けりゃ、多少ご都合主義でも目を瞑るべきなんだろうな……。
青鬼、と呼ばれた男がいた。
奴さんは我が私立中学の最古参の体育教師で、それはほぼ公式と化した渾名であった。渾名がついていることから察せられる通り名物男であり、一説には自衛隊教官であったとも刑事であったとも、オリンピアンであったともいわれていた。(母校にはなぜかもう一人オリンピアンがおり、そっちは物理教師で種目は射撃。流体と落下に縁があったのであろう)
体育教師のわりにえらくチビ-中学生とほぼ同等の上背である-で、顔色は渾名の通り常に悪かったが、ふるまいは明るいおっさんという体でご陽気なものだ。授業自体もそう他と変わらない。シーズンごとに球技と陸上、格技を学期ごと2種目ぐらい最終的には競技になる程度に教え込むのである。なお、1学期を通してずっとラジオ体操をやるなどというカリキュラムもあった。あれはあれで細部にこだわると奥が深いものである。
青鬼には妙な信念があり、軟派な校風の中、真面目であることに非常なる重点を置いていた。その発露の一例が、とにかく早く着替えて予鈴前に集合した生徒は、10点満点の評定の内一回に付き1/3点を加算するという、大変太っ腹なシステムである(ただし2点のキャップがある)。陰湿になりがちな体育教師にあって、逆の場合の減点をしないのが青鬼の陽性な気質のもう一面の発露だ。今にして思えば、私を含めた運動音痴連の為の、まあ救済だったんだろう。なにせ中学なのに赤点で即落第というそこだけはシビアな私学の事情もある。
ある学期のことである。その時の球技はバレーで、3種類のサーブの打ち方とレシーブ・トス・アタックを一通り練習したらもう試合だ。だが、こちらは前述の加点で辛うじて体育落第を防ぐ程度の生徒である。サーブすら敵陣に入らない有様だ。それを見ていた青鬼が私を呼びつける。
「増田よ、お前のフォームは悪い。だが、ボールは少なくとも飛んではいる。だから軸足のつま先を、きちんと飛ばしたい方向に向けろ。そのうえでネットを超えるような高さで打てば、必ずサーブは入るようになる」という。
まさかそんな単純な事でと思ったが、言われたとおりにすれば、成程ボールはある程度ちゃんと敵陣のライン内に飛んでゆく。理屈はわからないが、これはさすがに感心した。ひょっと青鬼が伝えたかったのは、その先にある例えば体幹の使い方などの深いモノであったのかもしれない。だが、あいにくの運動音痴である。そこまで会得できるわけがない。
しかし、お陰様で傍から見ると異様なフォームだが、その後も幾度か機会のあったバレーボールで、少なくともサーブだけは何とか入れることができた。余りの奇天烈なフォームに幻惑されるあまり凡球だが受けにくいと、過分の評まであった程である。あの歳で身に着けたことだ、多分いまだに入れることができるはずだ。
なぜこんなことをいまだに憶えているのかといえば、その後の(前の連中もそうだが)体育教師の一人としてこのレベルの具体的な指導というものがなかったからだ。連中は自分ができるあまりか、何か根本的な他の原因によるものか、できないものに対する改善策というものを全く示すことができなかったのである。そりゃルールや所作を教えるのも重要だ。だが学生生徒に何らかの前進をもたらしたのは一人青鬼だけであった。
たまたまそういう巡り合わせだったのか、それとも青鬼だけが特に秀でていたのかは謎だ。だが、体育教師と指導の問題が話題になるにつけ、私は青鬼と、己の奇妙なフォームのサーブと、それを身に着けた古い体育館を思い出すのである。