日本がポツダム宣言を受け入れた、と小学校の授業で習ったとき、幼かったわたしは戦争の閉会宣言のようなものだと認識し「ああ、これでこわかったアメリカさんとも仲良くなれるのだなあ。平和になったのだなあ」と思った。無条件降伏という言葉の意味や重さを意識したことがなかった。
ところが戦後どうだ。「日本はアメリカの植民地」というのは自虐でも揶揄でもなく、まことにそのまま言葉通りのものだ。
日本の仕組みは徹底的にアメリカに利益を吸い上げられるように組み替えられ、誰もそのことに気がつかないレベルで綺麗に植民地化された。
隅々まで道路が発展し、どんなに歩行者や運転者に危険だろうと、アメリカの利益になっているうちは車社会は止まらない。
一流企業の社員でさえ、死ぬまで働かされるし死ななかった場合は自殺に追い込まれる。
誰も自分を幸せにしようと思わないし、他人を幸せにしようなんてなおさら考えたこともない。
日本が豊かになろうと貧しくなろうと、何人死のうと平均寿命が伸びようと、アメリカにとってはアメリカの利益になればいいし不利益になればバッシングが起きる。
ある晴れた昼下がり、芝の上にごろんと横になって半日を潰そうかとか、向こう40年間で一度でもできる時が来ると思うだろうか。思わないだろう。なぜなら、わたしは奴隷の子孫だからだ。
「中国では旧正月を祝うのです」あるとき中国のそんな文化を聞いてふーんと思った。ふーんと思ったのち、しばらくして気がついた。中国人は「旧」正月を祝っているつもりなんてない。中国は戦勝国だから、自分たちの暦で好きなときに祝えるのだ。日本はアメリカの植民地だから、アメリカ経済に都合のいいように暦も書き換えられているのだ、と。
そんな何もかも失った日本で、唯一といっていいくらい独立国家らしい真似事が残されているのが「和暦の制定」
ひとは面倒くさいからこの際和暦も捨て去ってしまった方がいいという。
なるほど、文化というのは、人が使わなくなったら廃れていくことこそが自然なのだから、その考えもいいだろう。
どうせ和暦といってもアメリカの太陽暦に合わせて元号だけつけさせてくれる、「独立国家の真似事」の名残みたいなものだし。
昭和から平成へと、敗戦後一回だけ和暦の平定を宗主国アメリカ様からゆるされたが、次の元号は国民自ら捨て去ってもいいと言うようになった。植民地被支配これに極まれり。先人たちは、平定の先に何が見えると考えていただろう。合理の名のもと、独立国家のおままごとが終わろうとしている。わたしは少し寂しさを覚えた。
~21時ごろ~
「もういいやwwwこのプロジェクト炎上してるしwwwwwかえって寝よwwwwww」
~次の日~
「なんで寝たんだろう。間に合う気がしない」
藤崎ひかりさんが書いてるしおいちゃん浮気同人誌は、メロンとかで探して必ず買って読んでる。
でも今回自分の旦那である提督が親友と浮気して、再度浮気相手のところに戻ったしおいちゃんが散々セックスして楽しんだ挙句、
まるで被害者みたいなツラして「提督が親友と浮気してた、私どうしたらいいんだろう」とか浮気相手に言う訳ですよ。
これまではエロ可愛いしおいちゃんが見れて幸せしかなかった訳ですが、初めて読後激しい不快感を味あったね。
そういや作者女性だったなー、こういう女多いよなーと思わずにはいられなかった。てめぇが先に浮気したんだろうと、んでそれに
薄々気づいてる旦那提督が不安げな顔してるから、親友は自分の好意と励ましたい気持ちで寝た訳で。全部自分から始まってる事を
被害者ぶってるところに、こいつなんてくそビッチだとイライラしましたわ。
「子育てがつらい」
「残業がつらい」
「夫・妻の態度がつらい」
といったよくある悩みを話題にして盛り上がっている場面で
「何がそんなにつらいの?別につらいことないよ。もっと楽しもうよ!」
自分の能力を自慢したい場合と、どんなことがあっても「あたし、へこたれへん!」という朝ドラ的主人公になりきっている場合がある。
口癖は「別にいいけどさ」。
自分と反対意見を真っ向から唱えられ、かつ自分が不利な場合によくこの言葉を使用する。
「ま、そういう考えもあるんじゃない。自分には関係ないけど」といったそれまでの話をぶん投げるような発言をしつつ、その後もなぜかしつこく蒸し返しにかかる。
別にいいならその場を立ち去ればいいのに、発言してからの方が構ってオーラが強くなる。
それまでなかったアイディアや試みをした人に対して周囲が概ね賞賛をしていると必ず湧いてくる。
コロンブスが卵を立てたあとに、いやそれはインチキだの、殻の割れ方が汚いだの、やるならもっとうまくやる方法があるだの後出しジャンケンで言いたい放題。
最初に卵を立てたというところを賞賛した上で褒めるケースも極稀にあるが、ほとんどが細かい指摘をすることで自分の方が上だということを示しにかかる。
SNSでタイムラインに流れてきたんだけど、ご報告とお願いということで、
億単位の資金調達の報告と欲しいものリストへの支援という内容が、
オフィス移転直後らしく、傘立て、ミーティングテーブル、シュレッダー、
空気清浄機、掃除機などがリストにあったが、億単位の資金調達したにも
かかわらず、なぜ欲しい物リストを公開しているんだ? この手のリストを
公開して支援をお願いするのって、創業直後だろ、普通は。もし以前から
公開していたら、資金調達を機に非公開にするだろ。
億単位の資金調達後にこんなことをするなんて、何考えているんだ?
何も考えていないからこんなことをするのかもな。
近所の銭湯に行った。
460円だった。
番台の人がそんなにおじいさんでもない男の人だったので少し驚いた。
「ととのったー」というのをやりたかったけど、サウナも水風呂もなかったのでできなかった。
お湯の温度がめちゃくちゃ熱くて、47,8度くらいはあったんじゃないかと思う。
10分くらい浸かる→3分くらい休憩しながらケロリンに水を入れて戯れる→5分くらい浸かる→水で遊ぶ→3分くらい浸かる
という感じで出た。
脱衣所に体重計があったので寝正月の分どれくらい増えたか量ってみたら全く増えてなくてがっかりした。
平日しか開いていない多治見市文化財保護センターに行ってきましたわ。
もはや意地ですわ。
博物館設備は一室のこじんまりとしたもので、常設展はないようです。
現在は「カミさまホトケさまお医者さま」展として医療と祈りに関する
迷信と笑うのは簡単ですけど、原理のわからない病気に人々が感じていた
恐怖から救われたいという思いが伝わってきました。
平成23年になっても自分の患部と同じ部分に濡らした紙を貼り付けることで
治癒を祈願する紙貼り地蔵というお地蔵さまが作られているそうで驚きました。
ちょうど「西浦焼展」がはじまったばかりで明治に新しく生まれた
繊細な絵付けの陶磁器を鑑賞できました。
同じモチーフの器でも、花の描き方や配置が違うことで
金魚の絵がついた一輪挿しが特に素敵で、表面に網を浮き出るように
西洋風の立派な建物ですが、大きな窓の下の隅に力が集中するらしく、
そこから亀裂が走っている様子が目立ちました。上はアーチで受けているので大丈夫です。
裏庭にとても雰囲気があって、西洋の歴史の舞台に立った気分にひたれました。
たいへんな面積があるふどう園はすべて葉を落とした状態で、
わたくしお酒は苦手なので、売店でクッキーセットとニック・ナックを買いました。
瀬戸ドミニカン修道院の薄くて堅いクッキーがとても美味しゅうございます。
ニック・ナックはさらに素朴な「ぼうろ」みたいな味わいでしたが、
後味がとてもよかったです。
情報が賢い者からそうでないものに流る時代ではなく、現代は愚かな者が欲しがる情報を作り出す時代である。
雑誌やアフィサイトに作成に携われば、そのテクニックは誰でも身につけられる。
簡単に儲かる仕事、都合のいい恋人が見つかる物語、作られた夢、難病が治る魔法、利己的な人を肯定する思想。
俺たちはそれを垂れ流してやり、金を得る。
でも、人類の将来に必要であろう治安の持続を考えれば、これらは毒にしかならないのも知ってる。
グレーな仕事をしてきた同僚も、家族を持ってからかなり丸くなった。
自分の周りのことだけを考えるだけではダメだという危機感を俺に語るようになった。
だが、俺もその言葉に納得するようになってきた。
進歩の無い安定は、海辺で砂の城を作り続けるような人生に思えてくる。
守る者ができ、その安全について考えていくと、やはり(みせかけだけでも)利他性が重要だと経験で学んだのも大きいだろう。
町の安全を守っていた同級生が、俺の羽振りのよさにバカバカしくなって仕事を辞めてトラブルを起こしたり、
超大手に入った優秀だったやつが、冴えなかったコンプレックスを爆発させて今では工場で働いていたりする。
最近ではその毒牙にかかった連中を見るたびに後ろ暗い気分になる。
お受験のために着飾るオバサン、奇抜な格好をして闊歩するにいちゃん、ネットで自分の信じたいモノだけを検索するオッサン。
毒に冒されたままだといつか回り回って自分以外のものも滅しちゃうぞ、と。
俺も歳とったなあ。
まとめるとこんな感じかな~
頭がいいならわかってくれるはずなのに
とはいえ試験の点数はとれるようだから発達障害なのかもしれない
ところで人間とは何かを考えない者は果たして人間といえるのか”
たぶん占い師みたいなタイプの人間とか同じ畑の人間を、(特に自分の)本質を見抜く力があって頭がいい、と表現しているのではないか
それと同時に、誰にも伝わる言い回しを重要視するのは幼稚で頭が悪くなると思っていそうでもある
世が世なら出家とかしそう
話がつまらないぐらいならまだ無害だけど、ひどいのになると周囲に迷惑をかけるからいけない。
知り合いの出戻りシンママがまさにそれだな、と思い当たった。
見た目はとても若々しくて華があるし、魅力的なんだよね。
こちらも最初それにほだされて親身になって相談を聞いていたが、よくよく話すうち、精神年齢が10代後半ぐらいで止まっていることに気付いた。
依頼心がものすごく強く、周りがみんな自分の世話をしてくれて当たり前だとアラフォーの今も思い込んでいる。
離婚の原因も要するに自分の気まぐれによる不倫だし、それも「旦那が優しくしてくれないから寂しかった」「旦那に見捨てられた」という被害者意識こそあれ、本質的に自分に責任があることが理解できていないであろうことがうかがえた。
振り回される子どもたちが本当に不憫だと思った。
今も件の間男と続いているらしいが、無職でしかもモラハラがひどいらしく、子どものために早くそんなのとは縁を切れと言いたかったが自分がそんなことを言うとまた曲解されて責任を取らされそうなので、そのあたりが見えた時点で速やかに撤退させていただいた。
あとで彼女の旧い友人に話を聞くと、こうして次から次へと近くにいる人に依存してはやんわりと距離を取られ、また次の相談相手を探して、ということを繰り返しているらしい。
美人がみんなそうだとは思わない。