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2012-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20120723022250

からだけど、用法に誤解があるようなので。

アメリカのある大学博論審査を聞きに行ったことがあるが、そんな攻撃的じゃなかったぞ。

君も「らしい」とか使ってないけど同じ用法使ってるじゃん。

「ある大学」って時点で架空の、とか怪しい情報ですがと言ってるようなもん。

ちゃんとしたソースを「以下URLで」とか「以下文献pp.~pp.より抜粋引用」とかしないと君の言う指摘はそっくりそのまま君に言えるんだけどね。

2012-07-20

日記

 児玉聡『功利主義入門―はじめての倫理学読了。読みやすく、しかも、勉強になった。私は今年度初めに、「意味の分からない本は読まない」と決めたため、哲学系の本は一切読まなくなったのだけど、本書は、功利主義を理解するための知識がきちんとまとめられているにもかかわらず、倫理学素人である私にも意味の分かる本であった。

 とりわけ私にとって重要だったのは、功利主義に対する批判者の多くが、「行為功利主義」と「直接功利主義」を念頭に置いたワラ人形攻撃をしている、という話(p.83)。ちまたでは功利主義批判をしばしば目にするけれど、そこで批判されているのがワラ人形でないかどうか、考えるための一つの目安を手に入れることができた。

 逆に言えば、本書では、ベンサム説やJ.S.ミル説がそのまま示されるだけではなく(当たり前か)、それらへの批判を経てより洗練された形の功利主義が紹介され、擁護され、さらには今後の課題が提示されている。単に昔の人の思想を勉強するのでなく、論争(と現実的事例への適用)を通じて倫理学に触れられる本書には、「はじめての倫理学」という副題がよく似合うと思う。

 功利主義(と功利主義批判)そのものの解説以外にも、公衆衛生に関する政策、幸福論、心理学や脳神経科学による研究ビルゲイツ寄付先の決め方など、色々と興味深い話題が盛り込まれ、また、倫理学武道になぞらえた説明にも色々な点でとても納得できた(日常会話で友人の意見を批判するのは、通行人大外刈をかけるのと同様に危険!)。J美の出番がもっと多ければより楽しい本になっていたと思うが、それを望むのは欲張りだろう。

 以下、思ったことのメモ

p.20)食事のときに音をたててよい文化ルールが、「食べるさいには周りの人を嫌な気分にさせるべきではない」という(より深い)ルールに基づくものと理解できる、というのがどういう解釈なのかよく分からない。音をたてることを禁止したがる人は周りの人を嫌な気分にさせるから、音をたててよいというルールがあるんだということ?

pp.154-155)選好充足と幸福のつながりを疑うための2つの思考実験から、「すべての選好を充足させることが幸福につながるわけではな」いということになりそう、という結論が導かれている。つまりここでは、「選好充足しても幸福にならない」感じのするケースが挙げられているわけだ。しかし、これら2つのケースで想定されている選好充足は、選好充足とは思えない。例えば、ある学者が「ノーベル賞をほしい」と思っていて、その後に政治的理由で「ノーベル賞なんか欲しくない」と思い直して、その直後にノーベル賞受賞発表があった場合、それは明らかに(かつての彼の選好に合致するものではあるが)彼の選好充足にはならないだろう。それと同様で、1つ目のケースでは、現在の妻の選好はかつての彼女の選好とは異なるし、2つ目のケースでは、受賞者発表の時点でカナダ研究者は(死んでいたので)ノーベル賞受賞を選好しておらず、受賞発表は選好を満たさない。したがって、これらは「選好充足しても幸福にならない」ケースではないのではないか。…と書いてる途中で、「じゃあたった今の選好しかその人の選好として認めないの? それ色々まずくね」という批判が浮かんだ。まあだから、どちらにしても、幸福につながる選好の定義は難しい、ということなんだろう。

p.204)「カント引用は…」。どこに引用されてるのか、本気で見つからない。

p.219)「同時に日常底に用いたりするのでなければ」。「日常的」の誤植?…と思ったら、仏教用語で「日常底」という言葉がある模様。あとで調べる。

以上。

 

 ところで、最近私が(本書とは無関係に)手に取ったいくつかの本によれば、功利主義者は必ず利己主義的傾向を持っていて、極端な場合世界は亡びても自分だけ助かればいいというところまで至る(*1)、のであり、また、ベンタムの思想は、ヨーロッパの恥ずべき日々に確立された「快楽苦痛に関する皮肉簿記学」であり(*2)、もはや、日本精神界では「浅薄」なものとしてあまり顧みられず英国でもムーアによる批判以来(理論倫理学説としては)過去の思想となっている(*3)、のであった。そんな中で、私が本書によって功利主義に入門できたのは、幸運だったと言えるだろう。

==========

(*1)井上哲次郎日本魂と米・英の功利主義」、『日本公論』1943年8月号所収、p.6。なお井上によれば、ベンタム・J.S.ミル・シジウィク・墨子荀子荻生徂徠・太宰春台などが功利主義である

(*2)アンドレ・ブルトン澁澤龍彦訳)「ルイス・キャロル」、『澁澤龍彦翻訳全集12』所収、1997年(仏語底本は1950年)、pp.313-314。ベンタムへの言及は、ルイ・アラゴン言葉としてブルトン引用しているもの

(*3)『世界古典名著:総解説 改訂新版』自由国民社2001年、p.204。

2011-11-10

運転履歴証明書の効力が永年化したという報道から

何で管轄が全く違う部署で法的に効力のある身分証明書をポンポン出しちゃうかな?

他の国ではありえない数の身分証発行国だぞ。何でこうセキュリティ面で進歩しないのかね(むしろ住基カード導入時の目標から大幅に後退している)。

折角住民基本台帳カードという戸籍証明其の物を表した最強の身分証明カード(このレベルで効力を持つのPPのみ、しかし期限があるのは周知の通り)があるのに、行政サービスを受ける為のカードが複数あるというのは事務手続きの煩雑化を招く上に、個人の使わない多くの身分証に対する管理煩雑になり、結果偽造されても気付かない可能性も出てくる。

住基カードに切り替えるように勧めればいい話で、労力をこんな事に費やすなら、もっと住基カード機能を強化してくれ。

2011-03-25

暫定基準値がおかしい

水道水の暫定基準値って何が根拠?

WHO飲料水水質ガイドラインpp.201-204によると

一般成人による放射性核種の摂取に関する線量換算係数

放射性核種線量換算係数(mSv/Bq)
セシウム1341.9*10^(-5)
セシウム1371.3*10^(-5)
ストロンチウム902.8*10^(-5)
ヨウ素1312.2*10^(-5)

およびガイダンスレベル計算

GL = IDC / (hing * q)

GL飲料水中の放射線核種のガイダンスレベル(Bq/L)

IDC:個別線量基準。ここでは 0.1(mSv/y)

hing:成人による摂取の線量換算係数(mSv/Bq)

q:飲料水の年摂取量。ここでは730(L/y)

を用いて計算(有効数字2桁)すると

放射性核種GL(Bq/L)
セシウム1347.2
セシウム13711
ストロンチウム904.9
ヨウ素1316.2

になるんだけど。

2010-10-09

ポケモンプレイして感じたやっぱ任天堂の本気はすげぇ

かれこれ、初代ポケモングリーンをやったのが最初最後だったから、今回ポケモンブラックプレイしたのはもう12年ぶりくらいなんだろうか。

いろいろ感じたことは、ポケモンとは今までのRPG集大成だということだ。

(1)自由なパートウエイトが大きい

とりあえずエンディングまでは辿りついた。

まだまだ冒険は終わりではないらしい。。

これからは順不同で自由度の高い旅が用意されているみたい。

出会いを求め、伝承を辿り、新たな発見を求めて冒険がずっと続いていく。

近作のポケモンコンピュータRPG史上初めて導入された画期的な要素ではないけれど、このエンディング後のパートが大きいのは特徴的だ。

一本道の必須パート+エンディング後(あるいはエンディングの前から)に自由なパート

の2パート構成は最近RPGにはよくある。

例をあげれば、クリアした後も、エンディング後にいけるようになる隠しダンジョンや、クエストとよばれる小冒険を続けることでストーリーテリングの楽しさが去った後もゲーム面白さを維持できる。

もともと、自由なパートが置かれる以前でもPG(ここではドラクエに代表されるRPG)の魅力の1つは探索だった。

近作のポケモンは後半のパートがかなり多い。

今回、ポケモンブラックホワイトエンディングまでに巡ることが出来る町はマップにある町のたった3/4ほどだ。

ダンジョンに至っては半分くらいストーリーと無縁だ。

もちろん、通信機能を使ったクエストも用意されている。

(2)キャラ育成要素と感情移入しやすさのバランス

ドラクエでいえば3、FFでいえば5、自由度の高い育成要素を加えたゲーム面白い

反面、キャラ自由度を持たせることは、人格定義しにくくなる。

ドラマパートでは勇ましいセリフを言うけれど、戦闘シーンでのジョブ遊び人だとか、移動シーンでは鎧を着てるのに戦闘シーンでは魔法使いローブを着ているとか。

か弱い女性という設定なのにパーティ最高火力だとか。

その点で、ポケモン完璧だ。

どんなにポケモンを鍛えようと、どんなポケモンを育てようと、主人公の人格違和感はない。

パーティメンバー過去の設定をつけないという意味では、DQ3のルイーダの酒場システムWizのが古いしギルガメッシュ酒場というべきか)と同じのはずだが、ポケモンのほうが自然キャラ感情移入が出来る。

流石にそこは人間と獣の差、獣はペットを飼う感覚で従えることができるが、共に冒険する仲間にはそれぞれ世界にたった一つの冒険する理由が欲しい。

戦闘員と主人公を全く切り離し、戦闘員を非人間にすることで完璧な解決を図ってる。

とはいえ、これだってポケモンが初の試みになるかは微妙だ。

たとえば昔から女神転生では似たシステム採用されてた。

(3)狭い世界

RPGにおける世界の広さは、スーパーファミコン時代が一番広かったと思われる。

主人公が住む世界地球規模(船や空を飛んで一周できる)で、さらにもう1つ、あるいは二つ同じように地球規模の異世界次元をまたいだり時空をまたいで存在し、同じように人の営みが用意されていた。

ところが、それ以降は世界の広がりはない。

むしろ、ある外界から隔たった特定地方舞台にすることが増えてきた。

おそらく、僕らの住む現実世界のようにいろんな人がいて、いろんな思想、派閥存在する世界の諸問題は、魔王を倒せば解決するような単純なものではないからだ。

ポケモンもこの流れを踏襲してる。

狭い、人の繋がりの密な世界の温かさ、かといって冒険が不自由なわけではない。

世界が狭いからといって、すぐに退屈してしまうことはない。

僕が子供の頃に近所の廃屋や林を探索していたときには退屈さを感じなかったように。

(4)古きよきターン制

ポケモン廃人パラメータからダメージ計算できるように、極めて厳格なルールで動いている。

パラメータと行動の結果がほとんど予想可能なまでにすることで、カードゲームのような戦略性が生まれている。

そこに、僅かに1つ2つ、(僅かであるのがミソだ)乱数で決まる要素を加えることで、興奮が高まる。

テーブルトークRPGから伝統的な古きよきターン制だ。

しばらく気付けなかったが、風来のシレンのようなダンジョンRPGに通じるものがある。

なにを、何回、どういう順番で、行うか、それをプレーヤーに考えさせる。

MP制でなくPP制にしたのもそのせいだと思う。

もちろん、これが対戦という状況においてさらに頭脳戦の楽しさとなるだろうことは想像に難くない、

(5)通信要素

思えば、初代ポケモングリーンレッドの2バージョンを用意することで、通信なくしてコンプリートできない仕様にしたのは画期的だった。

最近だと、インターネットにより携帯機でなくとも通信は可能になったけれど、ネットワーク利用で面白さを倍増させることに関しては、これ以上のゲームはなさそうだ。

面白さを倍増と書いたが、累乗といっていいかもしれない。

DSのためのソフト、いや、ポケモンのためのハードこそDS

ラブプラスDSの特性を最大限生かしたゲームとか言う意見を聞いたけど、そんなレベルを遥かに上回る。

(6)ゲームバランス

やりこみ要素が強いのに、廃人初心者も、小学生大きなお友達も、みんな楽しめる。

極めて凶悪なコンボがありながら、完璧なハメ手がない。

以上、近作のポケモンゲーム史上画期的というようなシステムはない。

ただ、集大成だ。

そのクォリティが高すぎて、RPGというよりもポケモンという新しいジャンルだと言っていい。

しかし、おそらくこんないろんな要素を絶妙なバランスで詰め込むのは他社には出来ない芸当だったと思う。

どうせ子供向けだろとか、グラフィックドットが粗いとか、そう思って見向きもしてないだろうけど、みんなポケモンやってみてくれ。

2010-04-21

保守世代での同人発行部数のススメ

ハナから売れてるような人でなく、少部数の小規模サークルへ向けて。

  

無謀にもネームバリューもなしに400部や500部を刷る勇気ある若者もいるこの時世。

廃棄される同人誌環境に悪いだろう、と思いそういったケースが起きないように

傾向と対策として、最低発行部数を見積もれる計算式を、ないなりの頭で考えてみた。

  

基本は数値を掛けていく。

  

まず第一に考えるのが画力。ここではABC3段階に分けよう。

次にイベント規模A,B,C(コミケ,コミックシティ,コミックトレジャー)、ネット認知度A,B,C(アクセス数=では安直?)

最後に、表紙、表紙の加工、ページ数、価格

  

第一項目では、画力A(巧い)B(普通)C(へたっぴ)、となる。ここの判断が明確ではないのでまぁ、自分で線引きを。

  

画力の基本値を1とし、A(4)B(3)C(1.5)とする。

次にイベントでの倍率を(Aコミケ等, 3),(Bサンクリ等, 2.5),(Cコミトレ等, 2)

ネット認知度、(Aわりと, 2),(Bそこそこ, 1.5),(C無名, -)

表紙は(A巧い, 1.5),(B無難, 1.25),(Cうーん?, -)となって、

加工の有無(オフPP 1.5),(オフPPなし, 1.25),(コピー紙, -)

ページ数(18P未満, -)(18P以上, 1.25)(30P以上, 1.5)

価格(500円以上, -),(400円, 1.5),(300円, 2),(200円, 2.5),(100円, 2.5),(無料, -)

  

さて、描き揃えた所で、仮に無名のへたっぴ同人作家コミケで出す場合計算してみよう。

  

■へたっぴ、コミケ、無名、コピー本、30P以上、200円で売る。

画力1.5 x コミケ3 x 無名- x 表紙1.25 x コピー紙- x ページ数1.5 x 価格2.5 = 21部 と大体20部。

  

次の例はネットごく一部で割りと認知されている人物、無論同人は初めて。

  

画力普通コミケ、わりと、巧い、PP、18P以上、価格500円とした。

画力3 x コミケ3 x わりと2 x 巧い1.5 x PP1.5 x 18P以上1.5 x 価格- = 60.75部 と少ないかも。初回という事もあるので無難か?

  

基本的にあまり多くの部数が出るようにはなっていない。MAXで200部くらい。最低で3部。

爆死回避の為に作った表みたいなもんで、実際の所は、運と直感、その他諸々で動く事だろうと。

  

  

価格帯での倍率は巧さに比例するだろとか、18P以上の倍率基準は

誰が決めたとか、合同本は?成年補正は?、売れなかったぞゴラァとかのつっこみはナシで…。

目安の最低を出す意味で、簡易すぎるがこんなの作ってみた次第。

  

保障はできないが、参考程度にはなるかな、という感じ。

もっと正確な項目と計算法でジェネレーターとかあったら面白い

  

…というか無難に50部刷れば安心だよって話でFAですかね。

追記:0に何を掛けても0だわな…小学生でもわかるのに。指摘ありがとう、感謝

2010-02-20

ttp://natalie.mu/music/pp/quruli/page/3

音楽芸術ではなくなったっていうことなんですかね。僕はすごい好きな指揮者がいて、その人が書いてる本の中で、けっこう目から鱗が落ちるようなことが書いてあったんですけど、産業革命以前のヨーロッパでは、ほんまに文化芸術っていうのがいろんな物事の中心、人の喜びの中心にあったんですけど、産業革命以降っていうのは、そんなことよりも新しい冷蔵庫を買うとか、そういうことのほうが人にとって価値のあることになって、音楽っていうのは趣味の1つに成り下がってしまったと。それを読んで「ああ、なるほどね」と思って。

2009-09-13

毎朝の推測と反駁

人間は手の抵抗と皮膚感覚を通じて推測した脳内自分の顔の形についての概形から適応的にカミソリに加える力のベクトルを制御する。曲面の形状の予測に失敗すると、カミソリの刃が肌に食い込むことになる。これはあなたのモデルが反証されたことを意味する。

電気カミソリを使う人は真理に興味がないのである。

Reference: Masuda A, Refutable theories of safe shaving, Journal of Theoretical Shavology, Vol. 18 (Evilseer, 2009), pp. 93-98

2009-08-30

インドの高校世界史教科書『世界史のテーマ』目次

http://anond.hatelabo.jp/20090829003621

序文

前書き

セクション1―草創期の社会

前書き

年表1(600万年前から前1世紀)

テーマ1―時のはじまりから

テーマ2―書くことと都市の生活

セクション2―帝国

前書き

年表2(前1世紀頃から1300年)

テーマ3―三大陸に亘る帝国

テーマ4―イスラームの中心地

テーマ5―遊牧民の帝国

セクション3―変わりゆく伝統

前書き

年表3(1300年頃から1700年)

テーマ6―三つの身分

テーマ7―変わりゆく文化伝統

テーマ8―文化の対峙

セクション4―近代化へ

前書き

年表4(1700年頃から2000年)

テーマ9―産業革命

テーマ10―先住民の排除

テーマ11―近代化への(複数の)道

結論

出典:National Council of Educational Research and Training, 2006, Textbook in History for Class XI: Themes in World History, New Delhi, pp. ix.

注1

テーマ内の見出し ( )内は訳者による補足

「テーマ1―時のはじまりから」

「人類の進化の話―a 現生人類の先行者たち」

「人類の進化の話―b 現生人類」

「初期人類―食料獲得の方法」

「初期人類―森から洞窟・原野へ」

「初期人類―道具の製作」

「コミュニケーションの形態―言語と芸術」

「アフリカにおける狩猟採集民との出会い」

「狩猟採集民の社会―現在から過去へ」

「テーマ2―書くことと都市の生活」 

「メソポタミアとその地理」

「都市性の意味」

「都市とモノの流通」

「文字の発達」

「記録の方法」

「リテラシー」

「文字の使用」

「南メソポタミアにおける都市化―神殿と王」

「都市の生活」

「牧畜地帯の中の交易都市」

「メソポタミア文化における都市」

「文字の遺産」

「テーマ3―三大陸に亘る帝国」(ローマ帝国史)

「初期の帝国」

「三世紀の危機」

「ジェンダー・リテラシー・文化」

「経済の拡大」

「働き手の統制」

「社会の階層」

「古代後期」

「テーマ4―イスラームの中心地」

「アラビア半島におけるイスラームの興隆―信仰・共同体・政治」

「カリフ―拡張・内戦・分派形成」

「ウマイヤ朝と政体の集権化」

「アッバース朝革命」

「カリフの凋落とスルタンの台頭」

「十字軍」

「経済―農業・都市化・商業」

「学問と文化」

「テーマ5―遊牧民の帝国」

「前書き」

「社会的・政治的背景」

「チンギス・ハーンの生涯」

「チンギス・ハーン後のモンゴル帝国」

「社会・政治・軍事組織」

「結論―世界史の中のチンギス・ハーンとモンゴル帝国」

「テーマ6―三つの身分」(西洋中世史)

「封建制とは」

「フランスとイングランド」

「三つの身分」

「第二身分―貴族」

「荘園」

「騎士」

「第一身分―聖職者」

「修道士」

「教会と社会」

「第三身分―農民、自由農民と農奴」

「イングランド」

「社会・経済関係に影響を与えた要因」

「環境」

「土地利用」

「新しい農業技術」

「第四身分?―新しい都市と都市民」

「大聖堂の都市」

「14世紀の危機」

「社会不安」

「政治の変化」

「テーマ7―変わりゆく文化伝統」(ルネサンス)

「イタリア都市の再興」

「大学と人文主義」

「人文主義者の歴史観」

「科学と哲学―アラブの貢献」

「芸術家とリアリズム」

「建築」

「初の活版印刷書」

「人間に対する新しい考え方」

「女性の志」

「キリスト教内部の論争」

「コペルニクス革命」

「世界について学問する」

「14世紀にヨーロッパ「ルネサンス」はあったか」

「テーマ8―文化の対峙」(南アメリカの文明と植民地化)

「カリブ海とブラジルの人々」

「中央・南アメリカの国家体制」

「アステカ帝国」

「マヤ文明」

「ペルーのインカ帝国」

「ヨーロッパ人による探検航海」

「大西洋を渡る」

「アメリカにおけるスペインの帝国樹立」

「コルテスとアステカ帝国」

「ピサロとインカ帝国」

「カブラルとブラジル」

「征服・植民地・奴隷貿易」

「テーマ9―産業革命」

「なぜイギリスか」

「都市・貿易・金融」

「石炭と鉄」

「綿紡と織布」

「蒸気力」

「運河と鉄道」

「変化した生活」

「労働者」

「女性・児童・工業化」

「抗議運動」

「法による改革」

「「産業革命」についての論争」

「テーマ10―先住民の排除」

「ヨーロッパの帝国主義」

「北アメリカ」

「先住民」

「ヨーロッパ人との出会い」

「相互の認識」

「土地を失った先住民」

「ゴールドラッシュと工業の成長」

「憲法で定められた権利」

「変化の風・・・・・・」

「オーストラリア」

「変化の風・・・・・・」

「テーマ11―近代化への(複数の)道」

「前書き」

「日本」

「政治体制」

「明治維新」

「経済の近代化」

「工場労働者」

「好戦的なナショナリズム」

「「西洋化」と「伝統」」

「日常生活」

「「近代の超克」」

「敗戦後―グローバルな経済大国としての再生」

「中国」

「共和国の樹立」

「中国共産党の台頭」

「新しい民主主義の確立―1949~65」

「国家像の対立―1965~78」

「1978年からの改革」

「台湾の話」

「近代化への二つの道」

2009-08-29

世界史を読むということ―インドの世界史教科書から

以下は、いわゆるインドの高校世界史教科書、『世界史のテーマ』前書きの試訳である。

       「世界史を読むということ」

                                       ニーラドリ・バッタチャールヤ(チーフ・アドバイザー)

 「どうしたら一年間で世界史を勉強することができるのでしょうか」とあなたはきくでしょう。「様々な国でとても沢山の出来事が起こり、それぞれの国でとても沢山のことが書かれてきました。その広大で限りないコーパスの中から、勉強すべきほんの少しのテーマをどうやって選べばよいのでしょうか」と。

 それはもっともな疑問です。どんな種類のものであれ、世界史の本を読む前には、そのような疑問に答える必要があります。シラバスというものは、どのように組み立てられているのか明らかにしなければなりません。本もその狙いを説明すべきでしょう。

 歴史を学び、書くという営みの中で、史学者は常に選択を必要とするということを忘れてはなりません。これは、素晴らしい小冊子『歴史とは何か』の中で、E・H・カーが何十年も前に指摘したことです。かび臭い文書館の膨大な史料の山を渉猟した後、史学者は重要と思われた事実を書きとめます。彼は、それらの事実を、その他の文書館で同様にして集めた証拠と付きあわせます。彼は読んだもの全てを写しとることはできませんし、集めた証拠を全て使うこともできません。ある史学者にとって意味を成さない証拠は、顧みられないまま残されます。時が経って、新しい疑問を抱いた史学者が同じ記録を読むことでしょう。彼女はそれまで見過ごされていた証拠を発見します。彼女はその証拠を解釈し、新たに既存のものと結びつけ、新しい歴史の本を書くでしょう。

 歴史を書く営みは、この選択という要素と切り離すことができません。ですから、歴史を読むときには、どのような出来事に史学者が焦点を合わせているのか、それらをどのように解釈しているのか、ということに注意を払う必要があります。私たちは、史学者が展開している大きな議論、特定の出来事に意味を持たせる大きな枠組みを理解する必要があるのです。

 最近まで、私たちが読む世界史というものは、しばしば近代西洋の興隆についての話でした。それは、切れ目のない進歩と発展の話でした(技術と科学、市場と貿易、理性と合理性、自由と解放の伸展)。ある出来事についての歴史は、この西洋の勝利という大きな物語の中で組み立てられることがとても多かったのです。帝国による世界の統制は、そのような過去の認識に基づいていました。西洋は、世界を文明化し、改革を導入し、土人を教育し、貿易と市場を拡大する、進歩の運び手と自任していました。

 今日、私たちはこのような認識に疑問を持つべきではないでしょうか。そのためには、世界史を見直す必要があります。いくつもの大陸と長い時間を渡り歩き、世界史を新しく捉えなおすことができるか調べてみなければなりません。『世界史のテーマ』はその旅路のお手伝いをします。

 それは、三つの方法によります。

 その一つ目として、発展と進歩という輝かしい物語の陰となっている暗い歴史を紹介します。15・16世紀の南アメリカへの冒険者と貿易商の到来は、西洋の商業と文化を単に押しひろげたわけではなりません。疫病を撒き散らし、文明を打ち壊し、人口を激減させたのです(テーマ8)。後年、白人の入植者が北アメリカとオーストラリアへ移住したときも、単なる進歩のみがあったわけではありません(テーマ10)。これらの地域における近代資本主義社会発展の歴史の背後には、原住民の排除、ジェノサイドとさえ言える不穏な話が横たわっているのです。

 二つ目として、国家と帝国の形成を扱う第二セクションがあります。そこでは、ヨーロッパのローマ(テーマ3)のみならず、イスラームの中心地の諸国家(テーマ4)、モンゴル人の国(テーマ5)についてのドラマが明らかにされます。これらの章では、それぞれの地域において、非常に異なった方式で社会と政体が構成されていたことが述べられます。

 三つ目として、第四セクションは様々な近代への道を叙述します。かつては、工業化というものはイギリスで初めて起こり、その他の国々は色々な方法でそれを模倣しようと努めたと信じられてきました。そのような議論では、西洋は再び世界の中心とみなされています。しかし、今日の私たちは、創造性の全てが西洋起源でないことを知っています。しかしながら、反対に、西洋は外の世界の歴史に何の影響力も持たなかった、とか、それぞれの国の発展は独立に起こった、とか、発展の自生的な起源のみに注目すべきだ、などと単純に主張することもできません。それはとても視野の狭い見方であり、地方根性の一種です。そのかわりに、それぞれの国の人々がそれぞれ創造性を発揮して生活世界を形作り、それらの発展が、ヨーロッパを含めた他の国々や大陸に対し、交互に影響を与えたことを理解する必要があります。テーマ7では、ルネサンス期のヨーロッパが、外の世界の発展から多大な影響を受けたことを知るでしょう。

 あなたの旅は、人類社会の始まり(テーマ1)と都市の始まり(テーマ2)から始まります。次に、三つの別々の地域で、巨大な国や帝国がどのように発展したのか、それらの社会がどのように成り立っていたのかを知るでしょう(セクション2)。続くセクションでは、9世紀から15世紀にかけて、どのようにヨーロッパの文化と社会が変化したか、そして、ヨーロッパの拡大が南アメリカの人々にとって何を意味したのかを詳しく知るでしょう(セクション3)。最後に、近代世界の形成に関わる複雑な歴史について知るでしょう(セクション4)。それぞれのテーマの多くは、その分野で交わされている論争について紹介し、史学者が途切れることなく古い問題を新しく捉えなおしていることを示すでしょう。

 どのセクションにも、前書きと年表があります。それらの年表は試験に備えて暗記するためのものではありません。それらは、ある時期に世界の色々な場所で何が起こっていたのか考えるきっかけを作るためにあるのです。それは、ある場所の歴史を別の場所のそれと関連づける手助けとなるでしょう。

 年表を作るということは常に困難を伴います。どのように焦点を合わせるべき日付を選べばよいのでしょう。全ての史学者が賛成することはないでしょう。事実、同じ時代について、色々な本で掲げられている年表を見比べてみれば、強調されている論点が異なることに気づくことでしょう。ですから、それが何を伝え、何を伝えていないのか、それぞれの年表を批判的に読む必要があります。年表は独自の方法で歴史を構成するのです。

 今年度、あなたが南アジアの歴史を勉強することはありません。来年度、あなたは『インド史のテーマ』を読むことになります。この二年間(第11学年と12学年)で、世界史上の重要な出来事と歴史過程のいくつかについて理解するだけではなく、どのように史学者が過去を知るようになったかわかるようになるでしょう。彼らの用いる史料について、それらへの焦点の合わせ方について、歴史的知識というものが、解釈の繰り返しと論争を通して発展してきたことについて、知ることになるでしょう。

出典:National Council of Educational Research and Training, 2006, Textbook in History for Class XI: Themes in World History, New Delhi, pp. v – vi.

2009-07-25

女性差別(笑)

http://www.asahi.com/international/update/0724/TKY200907240216.html

まあ、女性差別はなくさにゃならんよーという所に同意はするけどさ、こういうニュースがあがってくると「だから日本ダメなんだ!」と喜色満面にブコメしてる連中キモいキモい事(笑)。ほんと「国家」とか「政府」とか巨大な存在を批判したつもりになってストレス発散するの好きだよなあいつら。

この「女性差別撤廃委員会」の委員の一覧はこれな。

http://www.un.org/womenwatch/daw/cedaw/members.htm

Ms.Ferdous Ara Begumバングラデシュ
Ms.Magalys Arocha Dominguez キューバ
Ms.Meriem Belmihoub-Zerdani アルジェリア
Ms.Saisuree Chutikul タイ
Ms.Dorcas Coker-Appiahガーナ
Ms.Mary Shanthi Dairiam(Rapporteur) マレーシア
Mr.Cornelis Flintermanオランダ
Ms.Naela Mohamed Gabr (Vice-Chairperson) エジプト
Ms.Françoise Gaspard (Vice-Chairperson) フランス
Ms.Ruth Halperin-Kaddari イスラエル
Ms.Tiziana Maioloイタリア
Ms.Violeta Neubauer スロベニア
Ms.Pramila Patten モーリシャス
Ms.Silvia Pimentel ブラジル
Ms.Fumiko Saiga日本
Ms.Hanna Beate Schöpp-Schilling ドイツ
Ms.Heisoo Shin韓国
Ms.Glenda P. Simms (Vice-Chairperson) ジャマイカ
Ms.Dubravka Šimonović (Chairperson) クロアチア
Ms.Anamah Tanシンガポール
Ms.Maria Regina Tavares da Silvaポルトガル
Ms.Zou Xiaoqiao中国

こういう組織でも国ごとの政治力とかがもろに影響出るわけ。

たとえばこの委員会中国に対して上記記事のように何か苦言を呈した事は殆どございません(笑)。状況を報告してくるNGOとか団体が全部共産党の子飼いってのもあるけどな。フランスがそれを突っ込んだ事あるけどシカトされてるし。

他の国も似たような事言われたら「ハァ何言ってんの?俺んとこはちゃんとやってますが何か?」と突っぱねてるケースが大半、というか通例になってる。そういう組織なわけ。当たり前だけど、日本も同じようにスルーするだろうね。

2009-04-28

ポケモンプラチナ、バトルファクトリーで最近あったこと

2009-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20090420220613

conservativeでないGCの方が古くからあったのだから、conservative GCのconservativeを「古くさい」と取るのはおかしいでしょう。

最初に使ったのが誰かということについてだが、現在言うところのConservative GC = conservative pointer findingを行うGC、という用法を導入したのは Boehm and Weiser, Garbage Collection in an Uncooperative Environment, Software Practice and Experience 18(9) pp.807--820, 1998. だと思う。

元増田の主張についてはもっともだと思うな。「保守的GC」というのを見ると頭の中で「conservative GC」に置き換えてたので気にならなかったけど。

2009-04-03

毛について

人間、誰しも毛が生えている。

男も女も元男も元女もみんな生えている。男と元男にしか生えない毛は一本だけ。

毛の濃い人はとにかく濃い。女にもいるが男に多い。陰毛は機動性に優れている。

ところで、毛を抜いたらどうなるのだろうか。

・毛根を刺激し、太い毛が生えてくる。

だんだんと薄くなる。

という真逆の二説がある。真実は一体どっちなのか。

僕のおっかぁが太くなる派なのでそれが正解なのは間違いないのですが、一応確証は欲しい。

ですが調べるのが面倒。なら自分の体で試そう。

ここまでは2年くらい前の話でありましてつまり僕は、ここ2年間、頑張ってスネ毛を抜き続けました。

ピンセットによるよる手作業。そろそろ毛抜き職人の域に達したと思います。

そして1か月ほど抜かずに放置をしました。果たして結果はどうなるのか。

僕の大学受験を捨てた科学的調査の結果はどうなるのか。

毛にかけた高校二年間、あと一年で取り返せるのか。

なんか面倒なので結論だけ言います。

一部ですが、毛が生えなくなりました。

1か月経っても生えてこないので、毛根から死滅していると思われます。

あ、未だに生え続けている毛の濃さは全く変わっていません。

埋没毛を無理矢理ほじくり返して抜いたせいでボロボロだった皮膚も、1か月の内に復活しました。

さあ、ここに新事実が生まれました。

毛は抜き続けると生えなくなる。

これによって自動的にハゲの原理も解明できました。

人間の毛(もちろん髪も)は毎日毎日、生えては抜け生えては抜けを繰り返しています。

そして、一毛穴が生やすことのできる本数は(個体差はあれど)決まっていると思われます。

年を重ねるにつれ一毛穴の限界発毛数に近づきます。そしてついにリミットブレイクを起こした毛穴が、ハゲとなるのです。

リーブ●1は人型対G兵器和田○子が喝ッ! を入れることで限界発毛数を強制的に増やすのでしょう。PPマックスみたいなもの。

2009-03-21

来客とその場で楽しめるゲームソフトをあまり持っていない事に気付く

今まさにそういう必要に迫られてる状況に陥っているわけだ。

大まかなゲームソフト所有リスト

PS2
PS3

どれもこれも料理にたとえるなら高タンパクカロリーで脂っこいものばかり。

  • 性別・年齢層を問わないゲーム内容
  • プレイ時間はせいぜい半日程度
  • すぐに操作方法を習得出来る
  • やめるときにはすっぱりやめられる
  • 熟練者(つまり俺)と対戦可能。しかもそれなりにいい勝負が出来る

上記のような条件に当てはまるソフトとなると、何があるかな…。

2009-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20090126174521

増田だが、「累犯障害者」の第3章を読んでみることをオススメする。

I'm Yoko-Masuda. I recommend for you to read Ch.3 of "Ruihan Syougai-sha" written by J. Yamamoto.

累犯障害者 獄の中の不条理(単行本) 山本譲司 (著)

http://www.amazon.co.jp/dp/4103029315/

第3章(pp.105-123) 生きがいはセックス売春する知的障害女性たち

2008-12-01

まあ、東浩紀も一応予防線は張っていて

10万はてなポイントを進呈します。東浩紀歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら

http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128/p1

進化論否定論者のように南京虐殺を扱う東浩紀

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081130/1228056396

さすがにこれについては本人、この対談の中でもう少し触れています。

リアルのゆくえ』pp.220 - 221

東 (前略)個人の価値観でこういう風に生きてもらいたいとか、こういうふうに生きるべきだということを、友人や知人に言うことと、社会のみんながそれを信じるかどうかということについての予測は、まったく関係がないでしょう。その時に、ぼくは、そういう友人や知人を増やしていきたいとは思う。それこそが希望だから。でもそれは社会への絶望と両立するしかないんですよ。

大塚 それが公共性っていうことなんじゃないの?

東 それを公共性だというのであれば、南京虐殺は絶対になかった、韓国人中国人はいますぐ死ぬべしと友人や知人に向けて書いている連中と同じになる。だって、彼らもそれは公共的な言説だと信じているのだから。だから私的な希望と公共性を混同することはできない。

大塚 (中略)たしかに、ネット人間たちの狭い議論の中で、南京虐殺はなかったという人間と、あったという人間の間に何かが生まれると思うのは不毛なのかもしれないけど、ぼくはそこに、何かが生まれないとはやっぱり思わないし。

東 たとえ生まれたとしても、それは関係がない。問題はそんなことではなくて、ぼくが言いたいのは、いまやいろんな人間自分思想こそが公共的だと勘違いして、何億というホームページを開設して情報を垂れ流している。その時に、それに対して、ぼくこそが公共的なのだ、なぜならぼくは本も出しているし、東大とかも出てるからと言うわけにはいかないでしょう、ということです。もしそんな立場をとったら、それこそ不遜というものですよ。

大塚 ぼくの言っている公的というのはそうじゃない。あなたがいう公的というのは、俺のことを認めろ、ということだってのがよく分かったんで、理解はするけれども、ぼくはそういう意味では公的っていう言葉をまったく使っていない。ぼくは、つねに他者との関係によってあらわれるものを公的と言っているわけだから。

東 そんな公共性はネットによって実現されている。そのうえで、その「公共性」がいったい何を生み出しているだろうかというのが、先ほどから言ってるぼくの失望です。

同 pp.222-223

東 今なら、南京虐殺について調べたいと思ったら、ネット上で、一瞬にして、いろんな立場の人の意見を読むことができる。だから、その意味では、大塚さんのいう「公共性」は実現している。で、読んだから何が起きているのか、っていう話です。読んだから、そこで議論ができる。本当に真実の議論ができるか、それはできない。なぜかといったら、真実になんて誰にも近づけないからです。そうするとそこで起こるのは、誰が優位に立てるかの競争だけです。(中略)情報量が大きくなると「誰が頭がいいか競争」しかできなくなってしまう。

大塚 それは情報量が大きくなったからじゃなくて、まだそこに生きるわれわれがそういった環境に対して、どのように情報の処理や判断をしていくかの訓練ができていないからだと思うけど。

東 ぼくは、リテラシーの発想では対応は無理だと思います。

大塚 少なくともリテラシーの問題として対応し得る部分が、ぼくには充分ありうると思うけど。

東 リテラシー論というのは、普通読者の側の論理ですね。つまり読む側の話です。

大塚 いや、リテラシー論っていうのは、発信者論でもあるんだよ。読者の論理ではなく、書き手を教育する論理だと思う。

東 (略)百歩譲って、受信者リテラシー教育可能かもしれない。(中略)しかし、発信者能力教育するというのは難しい。人びとがネットで好き勝手なことを流す権利は、教育では止められない。だって、彼らはそれをやりたいんだから。

大塚 いや、発信者教育はできる。にもかかわらず発信者としてあるための教育が未だなされていないということが問題だと思う。(中略)だからぼくはインターネットによって書く主体や、書き手としての自分、発信者としての自分というものを、この国において全員が意図すれば獲得できるという環境が生まれたときに、少なくともそれを断念していいほどに近代を通じてまだ努力はされていないと考える。(後略)



d:id:tikani_nemuru_Mさんは、

無限に開かれた討議」というのは、根拠とか証拠とかデータを参照せずに、ひたすら思いこみだけでしゃべることも認めなくてはならにゃーようですにゃ

と東を批判します。この批判は全く妥当だと私も思います。少なくとも、知識人という立場にあるものが、知や学問に対してこのように不誠実であってはならない。大塚はこの対談では一貫してそういう立場から、東への激しい苛立ちを隠さずぶつけ続けていきます。

しかし一方で、おそらく東はそんな批判は織り込み済みなのだろうとも思います。たとえば、上記のような批判に対しては、それでは「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を公共圏から駆逐していいのか、それが「公共圏」なのか?という反論も可能でしょう。そこまで下品な反論でなくとも、フレイザーは「複数のマイノリティによる多元的公共圏」は、それらの中には決して上品でないものも含まれうるが、しかしそれでも単一の公共圏よりはいいのだ、ということを「公共圏の再考:既存の民主主義の批判のために」で書いていたように記憶しています。

(もちろんフレイザーは、歴史修正主義公共圏?を容認はしないでしょうけれど)

さらに言うならば、インターネットの時代において、「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を駆逐することがそもそも可能なのか、また、彼らが公共圏の議論に参加可能なレベルの「知の技法」を身につけることが可能なのか?という問いもあるでしょう。そして、東はその可能性に完全に絶望しています。ゆえに、

(同、p.189)

公民的な自覚をもたない人をどれだけ抱えられるか、そちらから社会設計を考えるしかない。これがぼくの前提です。

(同、p.231)

市民であり公民であることが正しい人間であり、それを育てていくことでしか社会は変えられないという理念に対して、ぼくは違和感がある。ぼくの関心は、むしろ、全員を市民公民に育てあげることなど不可能だという諦めのうえで、でもそれでもいい社会をつくるにはどうするか、というところにある。

と語ります。

つまるところ、東が歴史修正主義を「容認」するとすればその限りにおいてであって、歴史修正主義者がどれほどネットの中で暴れ回ろうとも、結果として歴史修正が実現しないような社会であればそれでいいし、それよりない、と言っているように私は読みます。その結果として歴史修正主義を容認したように見えたとしても、それはそうした態度の反射的効果にすぎない、とは言いうるかもしれない。

とするならば、デリダ歴史修正主義を支持もしくは黙認した言葉が彼の著書にあるか、と聞くよりは、デリダ思想が、公共圏に対する東の絶望に結び付くのか否かを問うた方が生産的であるように思います。おそらく東本人も、デリダ歴史修正主義についてどう語ったかは問題ではないと語るでしょう。もちろんそこは、十分に問題ではあるのですが、そこで水掛け論を行っても仕方がない。

大塚―東対談における大塚は、激しい苛立ちと同時に、東から一生懸命言葉を引き出そうと我慢を重ねています。もちろん大塚の我慢を我々が共有する必要は微塵もありませんが、しかし東の公共性に対する批判を行うとき、どれだけ絶望しようと対話の中から公共性を見出していこうとする大塚の態度に私は共感を覚えるし、それに倣うべきだという態度を取りたいという志向は否めません。

2008-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20081018072817 の続きだよ

これでおしまいだよ

elisp

sangels.el
(require 'cl)				; for cl-seq

(defvar sangels-movies-dir nil)
(defvar sangels-player "c:/Program Files/GRETECH/GomPlayer/GOM.exe")
(defvar sangels-sort-by 'sangels-sort-by-rate)
(defvar sangels-rate-file "~/.emacs.d/.sangels/rate")
(defvar sangels-buffer "*sangels*")
(defvar sangels-thumbnail "00_thumbnail.jpg")
(defvar sangels-m3u "00_movies.m3u")
(defface sangels-name '((t (:family "fixed" :weight bold :height 3.0)))
  "")
(defface sangels-rate '((t (:family "fixed" :weight bold :height 1.5)))
  "")
(defvar sangels-mode-map
  (let ((map (make-sparse-keymap)))
    (define-key map "n" 'next-line)
    (define-key map "p" 'previous-line)
    (define-key map (kbd "RET") 'sangels-select)
    (define-key map (kbd "SPC") 'sangels-select)
    (define-key map "q" 'sangels-quit)
    (define-key map "+" 'sangels-rate-plus)
    (define-key map "-" 'sangels-rate-minus)
    map))
(defvar sangels-mode-hook nil)
(defvar sangels-highlight-overlay nil)
(defvar sangels-rate-alist nil)

(defconst sangels-rate-max 6)

(defun sangels-insert-movies ()
  (save-excursion
    (let* ((inhibit-read-only t)
           (files (remove-if-not
                   (lambda (x)
                     (and (not (member (file-name-nondirectory x) '("." "..")))
                          (file-directory-p x)
                          (member sangels-thumbnail (directory-files x))))
                   (directory-files sangels-movies-dir t)))
           (ids (mapcar 'file-name-nondirectory files)))
      (erase-buffer)
      (setq ids (sangels-sort-ids ids))
      (dolist (id ids)
        (let ((file (expand-file-name id sangels-movies-dir))
              (pos (point)))
          (insert-image-file (expand-file-name sangels-thumbnail file))
          (end-of-line)
          (insert (propertize (format "%-15s " id)
                              'face 'sangels-name))
          (sangels-insert-rate id)
          (insert "\n")
          (put-text-property pos (point) 'sangels-id id))))))

(defun sangels-sort-by-name (a b)
  (string< a b))

(defun sangels-sort-by-rate (a b)
  (or (> (sangels-rate a) (sangels-rate b))
      (sangels-sort-by-name a b)))

(defun sangels-sort-ids (ids)
  (sort ids
        (or sangels-sort-by
            'sangels-sort-by-name)))
(defun sangels-insert-rate (id)
  (let ((rate (sangels-rate id)))
    (insert (propertize (concat
                         (make-string rate ?★)
                         (make-string (- sangels-rate-max rate) ?☆))
                        'sangels-rate t
                        'face 'sangels-rate))))

(defun sangels-current-id ()
  (get-text-property (point) 'sangels-id))

(defun sangels-play-movie (movie)
  (let ((explicit-shell-file-name "cmdproxy")
        (shell-file-name "cmdproxy"))
    (apply
     'call-process-shell-command
     "start" nil "*tmp*" nil
     (mapcar (lambda (x) (concat "\"" x "\""))
             (list sangels-player
                   (unix-to-dos-filename movie))))))

(defun sangels-select ()
  (interactive)
  (let ((id (sangels-current-id)))
    (when id
      (sangels-play-movie (expand-file-name
                           sangels-m3u
                           (expand-file-name id sangels-movies-dir))))))

(defun sangels-quit ()
  (interactive)
  (kill-buffer sangels-buffer))

(defun sangels-rate (id)
  (or (cdr (assoc id sangels-rate-alist)) (/ sangels-rate-max 2)))

(defun sangels-rate-save ()
  (interactive)
  (let ((dir (file-name-directory sangels-rate-file)))
    (unless (file-exists-p dir)
      (make-directory dir t)))
  (with-temp-file sangels-rate-file
    (insert (pp-to-string sangels-rate-alist))))

(defun sangels-rate-load ()
  (interactive)
  (when (file-exists-p sangels-rate-file)
    (with-temp-buffer
      (insert-file-contents sangels-rate-file)
      (goto-char (point-min))
      (setq sangels-rate-alist (read (current-buffer))))))

(defun sangels-rate-plus (&amp;optional n)
  (interactive "p")
  (setq n (or n 1))
  (let* ((id (sangels-current-id))
         (cell (assoc id sangels-rate-alist)))
    (unless cell
      (setq cell (cons id (sangels-rate id)))
      (setq sangels-rate-alist (cons cell sangels-rate-alist)))
    (setcdr cell (+ (cdr cell) n))
    (save-excursion
      (let ((inhibit-read-only t))
        (beginning-of-line)
        (goto-char (next-single-property-change (point) 'sangels-rate))
        (delete-region (point)
                       (next-single-property-change (point) 'sangels-rate))
        (sangels-insert-rate id)))
    (sangels-rate-save)))

(defun sangels-rate-minus (&amp;optional n)
  (interactive "p")
  (setq n (or n -1))
  (sangels-rate-plus (- n)))

(defun sangels-post-command-hook ()
  (save-excursion
    (move-overlay
     sangels-highlight-overlay
     (progn
       (move-beginning-of-line 1)
       (point))
     (progn
       (move-end-of-line 1)
       (forward-line)
       (point))
     (current-buffer))))

(defun sangels-mode ()
  (interactive)
  (kill-all-local-variables)
  (use-local-map sangels-mode-map)
  (setq sangels-highlight-overlay (make-overlay 0 0))
  (overlay-put sangels-highlight-overlay 'face 'highlight)
  (overlay-put sangels-highlight-overlay 'evaporate t)
  (make-local-variable 'post-command-hook)
  (add-hook 'post-command-hook 'sangels-post-command-hook nil t)
  (setq major-mode 'sangels-mode)
  (setq mode-name "Sangels")
  (run-mode-hooks 'sangels-mode-hook)
  (set-buffer-modified-p nil)
  (setq buffer-read-only t))

(defun sangels (&amp;optional arg)
  (interactive "P")
  (when (or arg (not sangels-movies-dir))
    (setq sangels-movies-dir (read-directory-name "movies dir: ")))
  (sangels-rate-load)
  (switch-to-buffer (get-buffer-create sangels-buffer))
  (sangels-insert-movies)
  (sangels-mode))

(provide 'sangels)

2008-02-12

うつと社会的地位

スーザン・グリーンフィールド『脳の探求』より

セロトニンうつ状態のつながりに熱狂するあまり、それを社会的地位の説明にまで拡大する科学者もいる。オナガザルの研究で、社会的階層の底辺にいるサルセロトニンの濃度が低く,頂点にいるサルは高いということがあきらかにされている。地位が上がると、セロトニンの濃度も高くなる。同じように、人間社会でも、地位の低い人(貧困者や女性)はセロトニンの濃度が低くなる傾向にあり、実際、うつ病は比較的このグループに多い。うつ病は、社会のより優位なグループメンバーに対して、地位を表明する手段として進化したという説もある。内向的でひかえめな行動は、将来ライバルとなるおそれがないことを示し、地位の高い者を安心させるというわけだ。(pp.188-190)

グリーンフィールド自身がこの説に賛同しているわけではないが、個人的には強く興味をひかれた。

2008-01-11

1962年の「恋愛資本主義

ずいぶん久しぶりに社会学の書棚にいったらブルデューの『結婚戦略家族階級再生産』という本の翻訳が出ていたのでついつい買ってしまいました。

下の引用は旧来の家中心の婚姻システムが崩れ、自由恋愛システムが立ち現れ始め、農民=ダサイ、都会人=イケてる、という対立が明らかになってきた時期のフランスのど田舎農村について記述です。それが1962年に書かれた論文のものだということを考えると、今になって「恋愛資本主義」だなんだとさわいでいるのがばからしく思えてきました。

クリスマスダンスパーテーが、とあるカフェの奥のホールでおこなわれている。(・・・)フロアの周縁につっ立って暗い塊をなしている一段の年長の男たちが押し黙ったまま見物している。(・・・)独り者が皆、そこに揃っているのだ。(・・・)クリスマス元日ダンスパーティーでは、独り者たちは何もすることがない。(・・・)独り者連中は夜中までそこにいるだろう。パーティーの明かりと賑わいの中、ほとんど無言のまま、近づくことのできない娘たちを見やりながら。そのあと彼らはカフェの奥に行き、向かい合って飲むことだろう」(pp.7-8)

「たとえ少しでもぎこちなかったり、無精ひげが生えていたり、みっともない身なりをしていれば、農民は即座に『ふさぎの虫にとりつかれた、不器用な、気むずかしい、時には、下品な、女にたいしてつっけんどんな』、社交的でなく無愛想なフクロウと見なされてしまうのである」(p.136)

「自らの身体に関する惨めな意識は、(都会人とは異なり)農民を自分の身体から切り裂き、内向的な態度にさせる。こうした態度こそが臆病さとぎこちなさの根源にあり、彼にダンスを禁じ、女性の前で単純で自然な態度をとることを禁じるのである。結局のところ農民は、自らの身体に当惑しているために、我を忘れさせ、自らの身体を衆目にさらすようなあらゆる機会のなかで、気詰まりやぎこちなさを感じてしまうのである」(p.137)

経済的・社会的条件が結婚への適性に影響を及ぼすのは、主として男性がこうした条件について抱いている意識を媒介にしてなのである。要するに、自覚のある農民とは、軽蔑的な意味での農民として自らをとらえる機会をいくどとなく持たされてしまった農民なのである」(p.138)

ピエールブルデュー(2007)『結婚戦略家族階級再生産』藤原書店

2007-11-17

土曜日、朝9時起床。

現在、昼。

ニコニコ動画を見る。

いつも見ている永井先生を検索、過去動画を見ていた。

釣り動画を見つける、見てみる、変な奴がしゃべっている

タグの一部を押す、同じく配信者のゆとりポスというのが映る。

変なきちがいにしか見えない。でも、発作時の自分に似ているので落ち込んだ。

PPパナップを見る。気持ち悪い。でも、どこか自分に似ているので落ち込んだ。

2007-11-10

殿堂入りができない

こんにちは ぼくはポケモンが大好きです。

しかし、ポケモンであることができません。

それは、殿堂入りができないことです。

そのことをみんなに伝えようとぼくは自分を元にした歌を作りました。

この歌で、できないことをできるには、自分でやらなきゃいけないと思って欲しいです。

それでは聞いてください 「殿堂入りができない」

殿堂入りができない 原曲・「エアーマンが倒せない

気がついたらいつも「そらをとぶ」をばかりしてる、そしていつもポケモンが育たない

あきらめずにいっぱいトレーナーとバトルをするけど すぐに飽きてしまうよ

ふしぎなアメがあれば 楽にポケモン強くなるけれど

何回やっても 何回やっても 殿堂入りができないよ

あの四天王 何回やっても 倒せない

必死に強いわざをだしても すぐにPPなくなる

伝説のポケモンも試してみたけど レベルが低けりゃ意味がない

だけど次は絶対勝つから 僕は「かいふくのくすり」を最後までとっておく

気がついたらつかまえた数が少なく、みつけた数の半分以下だった

あきらめずに草むらとかを必死にはしるけど いつも同じポケモン

マスターボール」があれば 楽にポケモンゲットできるけど

何回やっても 何回やっても ポケモンつかまらないよ

あのポケモン 何回やっても つかまらない

必死にボールをなげたけれど すぐにボールがなくなる

HPをギリギリにしてみたけど 「じこさいせい」をつかったら意味がない

だけど次は絶対ゲットするから 僕は「タイマーボール」を最後までとっておく

「わざマシン」があれば楽に強いわざをおぼえるけど

何回やっても 何回やっても チャンピオンが倒せないよ

あのチャンピオン 弱点ないから 倒せない

必死にダメージをあたえるけど チャンピオンが回復してくる  

強いわざを出してみたけど 効果がなかったら意味がない

だけど次は絶対勝つから 僕は「げんきのかたまり」をちかつうろで掘っておく(END)

この歌のご意見・ご感想トラックバックで募集します。

そしてこの歌がニコニコ動画流行るのが、ぼくの夢です。

2007-06-17

平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録

前口上

ThinkCに参加した人たちからは評価が高い白田氏の演説だけど、ギレン・ザビの演説級だと僕は思う。たくさんの人が知った方がいいと思うし、もっと評価されていいはずだ。一部で議事録もあがっているようだけど、現場の勢いはあんなものではなかったから僕の記録を公開することにした。それに今回のフォーラムは公開されないと聞いたから。

もしかしたら実際の発言とは多少異なっているかもしれない。そこのところは僕も危ぶんでいる。とはいえ、面白さとか迫力とかだったらある程度までちゃんと再現できてると思う。以下の記録を読んでくれて、白田氏の熱さが伝われば幸い。

演説記録

【第一発目】

...「制度改正ができるものならやってみろ」ということでしたが...

そんなこと10年前からやってきたんですよ!

博士論文で、著作権制度が産業保護奨励政策としての独占にすぎないことを明らかにした(1)。

博士論文の内容をくだいて一般向けにした、わかりやすい解説も書いた(2)。

あちらこちらの講演で語った。

雑誌記事で一般に訴えた。

オンライン記事でみなに訴えた(3)。

審議会に出て言いたいことを言ってきた。

ロージナ茶会という組織も作った──茶会はすでに解散してしまいましたが──。

パブリック・コメントも出した(4)。

私一人でできることは、ずっとやってきたんだ!

それでも、誰もついてきてくれないから...

いまだに、こんな議論を続けなければならないんじゃないですか。

法律論では、なんにも先に進まないことは、もうわかってますよ。

...この会場の誰が、私を援けてくれるんですか?

誰が、私と一緒に著作権制度の議論に本気で取り組んでくれるんですか?

最近は、茶会のメンバーですら、私の書いた記事にコメントくれなくなった(苦笑。

そこら辺(運営側)の人たちも、最近さりげなーく私の発言を無視するようになった。

それでも、一人でも、一歩でも先に進まなければいけないから、

こうしてここで喋っているんですよ!

【第二発目】

会場から「白田の主張は偏ってるんじゃないか」というご指摘がありましたが...

そんなことは百も承知でやってんですよ!

日本の学界の主流である、ドイツフランス著作権理論がどんなものかは、よく知っています。

しかし私の博士論文では、イギリス著作権制度がそれらに先行し、強い影響を与えたことを明らかにしている。私の研究では、産業保護策としての独占の付与が先んじ、その後、著作者の財産権だの、著作者の人格権だのといった主張がくっついてきたことを明らかにしている。

私はその研究に5年かけたんだ。貴重な若い時間を費やしたんだ。

だから、著作権制度が所有権人格権を本質とするという主張については、賛成できない。さらに言えば、知的所有権のみならず所有権という概念それ自体があやふやであることもまた、岩波から出た論文集の中で指摘している(5)。

もちろん、こうした考えは学界では異端だろうし、支持者もいないだろうことは知っている。

しかし... 世間の大勢が、著作権は「天才を保護する権利だ」とか「創作者の心情を保護する権利だ」などと言ってるからといって、自分が5年かけて確認したことを、「著作権制度は、本質的に産業保護目的とした独占にすぎない」という自らの主張を、曲げることは学者としてできない。世間の大勢を慮って自説を曲げることを曲学阿世という。首をくくられても自説を叫ぶのが学者なんじゃないですか?

いいですか... 社会ほとんどの人が「著作権は天才の権利だ」と信じて、それを強化拡大しようとする側にいるとき、シーソーは、圧倒的に権利強化の側に重く傾く。そのとき、たとえ100mの空高くはじき飛ばされようと、誰かがシーソーの反対側に立たなければ均衡など維持できないではないですか。

ローレンス・レッシグは、憲法学者でありながら、なぜ著作権制度について問題意識をもち、闘っているのか!

彼の本、『コモンズ』には、こういう一節があった。

──連邦議員が、少数の利益既得権ではなく、一般的な福利を尊重すると考えることが頭がおかしいのなら、連邦最高裁が、形式的な法律の適用ではなく、われわれの自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしいのなら、いますぐキチガイを増やさなければならない──

というものだ。したがって、私は百も承知で偏った議論を展開している。それは、それが全体としての均衡を維持するのに必要だと考えているからだ。

  • footnote

(1) 白田氏の唯一の学術論文である『コピーライトの史的展開』 知的財産研究叢書2, 信山社 のことらしい。

(2) ネットワークでは良く知られた『もう一つの著作権の話』青空文庫 のことのようだ。

(3) このあたり、氏のWebサイト『白田の情報法研究報告』でだいたい読める。

(4) 「知的財産推進計画2006」の見直しに関する意見募集にも提出している

(5) 知的所有について, 『[rakuten:book:11350650:title]』 第3巻 情報, pp. 85--105 のことらしい。

連邦最高裁が「自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしい」という部分についてだけど、実際の記述は、『Free Culture』p. 313 にあった。引用すると以下のとおり。

でも、政府の役割が「バランスを追求する」ことであるべきだというのがバカげていると言うのであれば、わたしはバカの側に分類してほしい。というのも、そうなったらこれがかなり深刻な問題になってきたということだからだ。もし政府バランスを追求しようとせず、政府が単に最強のロビイストたちの道具でしかないということが誰の目にも明らかになっていて、政府に別の基準を要求するのがバカげていて、政府ウソではなく真実を語るよう求めるという発想がおめでたいのであれば、世界最強の民主主義だったはずのアメリカは、いったいどうなっちゃったというのだ。

政府高官が真実をしゃべると期待するのは頭がおかしいのかもしれない。政府の政策が、強力な利益団体のお手盛り以上の何かだと信じるのは頭がおかしいのかもしれない。歴史を通じてずっとアメリカ伝統であったもの――自由な文化――を守ろうと論じるのは頭がおかしいのかもしれない。

それが頭がおかしいのなら、キチガイをもっと増やさなきゃいけない。それもすぐに。

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