2008-01-11

1962年の「恋愛資本主義

ずいぶん久しぶりに社会学の書棚にいったらブルデューの『結婚戦略家族階級再生産』という本の翻訳が出ていたのでついつい買ってしまいました。

下の引用は旧来の家中心の婚姻システムが崩れ、自由恋愛システムが立ち現れ始め、農民=ダサイ、都会人=イケてる、という対立が明らかになってきた時期のフランスのど田舎農村について記述です。それが1962年に書かれた論文のものだということを考えると、今になって「恋愛資本主義」だなんだとさわいでいるのがばからしく思えてきました。

クリスマスダンスパーテーが、とあるカフェの奥のホールでおこなわれている。(・・・)フロアの周縁につっ立って暗い塊をなしている一段の年長の男たちが押し黙ったまま見物している。(・・・)独り者が皆、そこに揃っているのだ。(・・・)クリスマス元日ダンスパーティーでは、独り者たちは何もすることがない。(・・・)独り者連中は夜中までそこにいるだろう。パーティーの明かりと賑わいの中、ほとんど無言のまま、近づくことのできない娘たちを見やりながら。そのあと彼らはカフェの奥に行き、向かい合って飲むことだろう」(pp.7-8)

「たとえ少しでもぎこちなかったり、無精ひげが生えていたり、みっともない身なりをしていれば、農民は即座に『ふさぎの虫にとりつかれた、不器用な、気むずかしい、時には、下品な、女にたいしてつっけんどんな』、社交的でなく無愛想なフクロウと見なされてしまうのである」(p.136)

「自らの身体に関する惨めな意識は、(都会人とは異なり)農民を自分の身体から切り裂き、内向的な態度にさせる。こうした態度こそが臆病さとぎこちなさの根源にあり、彼にダンスを禁じ、女性の前で単純で自然な態度をとることを禁じるのである。結局のところ農民は、自らの身体に当惑しているために、我を忘れさせ、自らの身体を衆目にさらすようなあらゆる機会のなかで、気詰まりやぎこちなさを感じてしまうのである」(p.137)

経済的・社会的条件が結婚への適性に影響を及ぼすのは、主として男性がこうした条件について抱いている意識を媒介にしてなのである。要するに、自覚のある農民とは、軽蔑的な意味での農民として自らをとらえる機会をいくどとなく持たされてしまった農民なのである」(p.138)

ピエールブルデュー(2007)『結婚戦略家族階級再生産』藤原書店

  • ふっるーい本の中に、渦中の問題の本質が書いてあって、なんだか愕然とすることあるよね。ブルデューは守備範囲じゃないんだけどさ、アダムスミスやケインズの段階で今だに問題とさ...

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