はてなキーワード: 被災者とは
http://anond.hatelabo.jp/20110312092739
「そういうときには叱らなければ」というのは右も左も真ん中も関係ない。
これはその通りだね。問題なのは、はてなでは今回の地震でもそうだけど、不謹慎発言を批判するところを「ネトウヨめ!」というネトウヨ批判になって、結局、不謹慎発言の問題は考えていないということ。
Togetter - 「地震のどさくさに差別をたれ流す人々」
はてなブックマーク - Togetter - 「地震のどさくさに差別をたれ流す人々」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110468
このはてブで日の丸とか言ってるのは、単に日の丸を批判できたらいいやとか、あるいは、これに反応してネトウヨ批判したいだけというのが散見してるんだが。単に、「「正義」の名の元に晒し上げて衆目を集めて誰かを見下して優越感を得たい」というのは、はてなサヨクの常套だからね。
その証拠に、Twitterではサヨクもこの光景がエヴァンゲリオンみたいに見えたとかのリツイートなんかで賛同もして、これだけの破滅的な地震の被災者を無視して、被害者が死んだりすることに好意的につぶやいているのとかいるんだよ。
ウヨクの貧困者への対応は人権侵害とか言っておきながら、Twitterで「ネトウヨは低収入の貧乏人だからバカ」とか言っているサヨクがはてなダイアリーで反貧困のことを言ってたり、そういう集会に行っていることとかは、都合が悪いからネトウヨ批判とかしているはてなサヨクはそういうことは書かないよね。
「思うにこの手のデマは同国人達が厳しく叱らなければ、子ども(精神年齢が)は聞く耳もたん」というのは、はてなサヨクはまさにそうだよ。ネトウヨのひどい奴らは、保守派がかなり批判してるんだけど、はてなサヨクのバカな奴らは左派が批判しなさすぎるから。左派はバカサヨに甘すぎるんだよね。
Twitterを見てたら、さっきのアニメとか漫画に重ねて言ってたりね、はてなサヨクは漫画の権利とか言ってるが、漫画の権利とか言うのは、こういう大地震の時に不謹慎な漫画の比喩を言うことなのかね。
Twitterで右派の問題を批判するなら、左派も批判しないといけないが、あまりに一方的だな。Twitterの右派の不謹慎な発言を保守派が批判するのに比べれば、Twitterの左派の不謹慎な発言を左派が批判することがあまりに少なすぎるのはなんでなのか?
はてなのバカサヨクとこいつらは、同類。はてなは「ネトウヨ」の差別を指摘して差別を煽って、自分たちの「知性」なるものを誇示して人権問題を軽視するクズサヨクが集まっているところ。はてなのバカサヨクらの本音は、「差別を言ってくれてありがとう!」で、この発言にほくそ笑んでいるはてなのサヨクの表情が目に浮かぶ。「これで正義の差別の主張のダシに使える!」というのが、反吐が出るはてなのサヨクの本音。
Togetter - 「地震のどさくさに差別をたれ流す人々」
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http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110468
日の丸が~とか言っているのが、はてブらしい。この機に、被災者はどうでもいいから日の丸アイコンの奴を批判したいというのが先立ってるな。はてなでは新左翼がしてきたことを大いに評価するというバカなサヨクが際立っているんだが、新左翼は気に入らないと思った人を殺してきた奴らだから。新左翼がした残虐な殺人は、Twitterで韓国人~、中国人~と言っているだけでなくて、実際に人殺しまでしてきた奴ら。新左翼の差別の論理では人殺しまでしても問題ないと言ってきた。その新左翼たちを、はてなで大いに評価するバカなサヨクが少なくない。
Twitterと言えば、普段、貧しい人たちを助けようとかそんな集まりにも参加していて、はてなダイアリーでそんなことを言っているはてなのサヨクが、Twitterで「ネトウヨは低収入のバカ」とか言ってたんだが。これは、はてなのバカなサヨクをよくあらわしている。低収入の奴らはネトウヨの低学歴とか本音で思っておきながら、反貧困という人権を盾にして人権派のポーズをしている。
そう言えば、このはてなで外国人への差別を反対する!というデモをはてなのサヨクがしてたけど、その時に日の丸の日の丸をうんこにした旗を持ってきて、外国人差別をやめろ!というデモでその日の丸うんこの旗を掲げて、日の丸はうんこーー!と言ってデモをしていたな。これは、外国人にとっては非常に迷惑なことで、外国人差別をダシにして日の丸批判をしたいだけの奴らが集まっているのだから。Romanceとかいうのもしてたけど、このRomanceの日の丸はうんこ外国人デモを賛同しているサヨクが、はてブに複数いるな。そいつらは、反差別をポーズにしてネタにしたいだけで、差別問題のことを全く考えてない反人権の奴らで、まさに差別者なんだが。
韓国人~とか言っているのはまさに批判されるべきだが、それを普段、差別をダシにしてその差別のことを考えずに、結局「ネトウヨ」批判なるものがしたいだけだという魂胆を繰り返し見せてきたはてなのバカなサヨクが言うと、リベラル派にしても非常に迷惑なんだが。はてなのバカなサヨクは差別そのものの問題改善よりも、その差別が「ネトウヨ」から発せられるのをわくわくと心待ちにして、そのために「ネトウヨ」批判をして差別を煽って、いつまでも差別が存続してくれと思っているバカだから。そのため、いつまでも嬉々として同類である「ネトウヨ」批判をしている。
【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100109/plc1001092327012-n1.htm
こんなことを見ても、バカなサヨクは「小学生が複数死んでくれたほうが我々の活動に勢いが付く。さっさと小学生は死ね!!」というのが本音。こういう本音をいつまでも見せてきたのと非常にリンクしているのが、はてなのバカなサヨク。
はてなのバカなサヨクはリベラルのフリをして差別問題を語って、こっちの本当にリベラルな思想を考えている者たちの中に入ってくるな。ヘイトスピーチのことを言っているのがいるが、ヘイトスピーチを規制するというのは差別をダシにして差別されている人のことを考えていないお前らのバカなサヨクの呆れた言動も規制されるということなんだが。自覚があるのか?
お前らのような奴がいるから、ブサヨとか言われるんだよ。人権を本当に尊重するのなら、お前らは下手な口出しをするな。お前らがバカな煽りをすることで、逆に人権問題を蔑ろにする流れを作ってしまう。いい加減、日本にいるリベラルもはてなのサヨクの奴らの胡散臭さに気付いているからな、こいつらは人権のことなんか考えていないと。
明日は、この国に突如として現れた地獄の爪痕、その痛みを直視する日になるだろう。
そして結果的に、極限にまで至ったガバナンスの混迷も、誰かが仕掛けた卑小な人為(スキャンダル)も、全ては圧倒的な天災の前に吹き飛ばされることになった。
この地震は、あまりにも多くのものを奪ったと同時に、袋小路に陥ったこの国のあらゆる状況をリセットしてしまった。
今こそ、我々は、被災者の方々と共に、ゼロからこの国を「やり直す」ことはできないだろうか。
おそらく、この国はこれから先もずっと、座して「神風」を待ち、「外圧」によってしか変われず、「焼け野原からやり直す」ことしかできないのだろう。
もはや、それでも構わないと、余震の続く部屋の中で思う。
これを読んだ方、ぜひ、僕と一緒に立ち上がって欲しい。
イデオロギーの差を越えて、それぞれの立場で、この国の未来のために戦列へ並ぼう。
おそらく、これが最後のチャンスだと思う。この国に、もう、後は無い。
勝手な推測なので違っていたら申し訳ないが、フランチェス子氏がいう取材対象への「敬意」は
取材対象がどんな者であれ立場を一定程度尊重する、というレベルのものだったのでは?礼節に近いというか。
例えばフランチェス子氏にめがね王氏を取材する、といった仕事が入ったとして
この状況でめがね王氏の人格を尊び敬うという気持ちを心底持つのは難しいと思われる。
それでも仕事となればめがね王氏の立場を理解し一定程度は尊重するべき、といった話だったかと。
ましてや被災者への取材という文脈で出た「敬意」という言葉に違和感は感じられない。
その「敬意」という言葉にめがね王氏が過剰に反応し、のっけから煽りモード全開で「挑発」したと。
でもフランチェス子氏がいう「敬意」が文字通り「人格を尊び敬う」という意味だとしたらどうだろう。
犯罪者への取材の動機が犯罪を許さない、といった正義感から来る場合
罪を憎んで人を憎まず、といった聖人君主的心情を保てるのだろうか。
それがプロだといわれればそれまでだが、犯罪と人格は裏表とも言え(この辺は法律論としても議論のあるところ)
そこを分けて取材し記事にすることが出来るのだろうか。
取材中まるっと人格を尊び敬ったところで、記事にしたものが対象者を否定するものだったら
そもそも人格を尊び敬ったといえるのだろうか。
その辺をめがね王氏は冷静にフランチェス子氏に聞いてみて欲しかった。
いずれにしてもめがね王氏の挑発は目を覆いたくなるひどさだったし
「市民団体を黙らせた少女の言葉」というコピペを思い出して絶望した
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100902/1283437259
↑ id:hokke-ookami さんのこの記事についての感想です。
"イスラム武装勢力系の非合法組織が被災者支援"の記事から、阪神淡路大震災時の
指定暴力団の活動が想起されるのか、まずは自衛隊の活動を思い出すかは人によって
違うのだなぁと妙に感心してしまった。
パキスタン洪水で被災者支援している「イスラム武装勢力系の非合法組織」に近い組織はどれ?
さてあなたはどれを思い出しました?
僕は1.だったんだがなぁ
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。
「自衛隊員は頑張っている」→北沢防衛相「自衛隊賛美、最も危険だ。昭和の陸海軍の歴史でも明らか」
ttp://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1173257.html
1 :西独逸φ ★:2010/03/11(木) 17:07:53 ID:???0
「自衛隊員は国のために一生懸命頑張っている。彼の真意を忖度(そんたく)してあげてもらいたい」。制服組出身で初の防衛庁長官を務めた自民党の中谷元氏が11日の衆院安全保障委員会で、北沢俊美防衛相が陸上自衛隊の連隊長を注意処分にしたことを批判した。
連隊長は先月に「(日米)同盟関係は『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と発言。
北沢氏は「首相の言葉への揶揄(やゆ)」として処分し、「クーデターにつながる」とも述べていた。
中谷氏は委員会で「邪推では」とし、「権威や懲罰では隊員を心から従わせることにならない」と主張した。
北沢氏は「自衛隊を賛美して甘えの構造をつくることが最も危険だ。自衛隊が頑張っているからすべてがいいとなれば政治の存在がなくなる。昭和の陸海軍の歴史でも明らかだ」と反論。
中谷氏も「普天間問題で連日混迷とか報道されるから、この隊員は日米安保はしっかり守らないとという思いがあったのでは。よく反省を」と譲らなかった。
ttp://www.asahi.com/politics/update/0311/TKY201003110247.html
9 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:09:55 ID:yeCTQUFE0
自衛隊員は本当に気の毒だわ。
18 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:11:26 ID:uLK3fwXW0
25 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:13:03 ID:aIGSzX6d0
クーデターにつながるとか
ガチでこいつ言ってるの?
馬鹿じゃねwwwwwwwwwwww
574 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 18:14:08 ID:blaOWNgWi
»25
30 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:13:36 ID:5RWEIaFt0
しっかり納税をと言った市役所員や
78 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:19:34 ID:GaFf1Lam0
「鳩山総理は頑張っている」
105 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:22:14 ID:LFIoElp60
»78
座布団10枚上げる
156 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:27:20 ID:yPH5oezz0
»78
ははは、違和感無いなw
…はぁ、民主潰してぇ…
86 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:20:25 ID:TNljgvGn0
組織のトップが一番やってはいけないことは、
部下のやる気を削ぐことだと思う
103 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:22:02 ID:v6pOW7Ak0
「あんたの部下を、もそっと信頼してやれよ」という社外からの指摘に
「甘やかすとつけあがるんだよ」と公衆の面前で答える上司がいたら、そりゃその会社だめだわ
315 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:44:42 ID:EuYFIHC50
【国防】与那国島への陸自配備を撤回。「隣国を刺激する政策はどうかと思う」 -北沢防衛相- [09/24]
ttp://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1253831505/
327 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:46:06 ID:nnht2R8W0
簡単な話だ。阪神大震災のとき、体を張って瓦礫から被災者を助けた自衛隊と、
その足を引っ張りビラを撒き散らした連中の同類とどっちを国民が信頼すると言うんだ?
348 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:48:33 ID:Rv48WqGB0
»327
ビラ撒きの方を信用した結果がいまの政権だが。
「中国や朝鮮民族のために血反吐を吐きながら働いてボロ布のように
見捨てられて死にたい」
これが民意。日本人は変態だな。民主政権成立したことで、おれはもう
つきあいきれないと思った。
338 :名無しさん@十周年:2010/03/11(木) 17:47:13 ID:EuYFIHC50
ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2010030802000049.html
「乾パンのように長期保存できて、しかもしっとりと柔らかいパンをつくってほしい」。十五年前の阪神大震災の被災地に、栃木県の自社工場からパンを届けた秋元義彦さん(56)は、被災者の切実な声を正面から受け止めた▼試行錯誤の末、一年後に缶ごとパンを焼き上げる方法を開発、常温で最長三年保存できる「パンの缶詰」の商品化に成功。焼きたて同様の食感が特徴で、宇宙飛行士の若田光一さんがスペースシャトルに持参し、飛行士が取り合うほどの人気だったという▼いま秋元さんが力を入れているのは、自治体や企業などから缶パンを賞味期限の一年前に下取りして、非政府組織(NGO)の日本国際飢餓対策機構を通じて、被災地に送る「救缶鳥」プロジェクトだ▼ジンバブエの飢餓の支援やスマトラ沖地震津波、新潟県中越地震など、これまで計十数万缶を届けてきたが、下取りの対象を大口の顧客以外の個人にも広げる試みだ。大手宅配便の業者の協力も得られたという▼一月に大地震のあったハイチにも、近く三万缶を送る予定だ。輸送費の負担をめぐり交渉した外務省は、緊急の予算がないと消極的で、米国の貨物会社が引き受けてくれることになった▼秋元さんは災害現場で聞いた小さな声を決して聞き逃さなかった。その真剣さが地方のパン屋さんを世界を相手にする会社に成長させたのだろう。
ハイチの被災者に千羽鶴を送ろう、という活動がMixiで広がっているというニュースです。
ご存知の方も多いと思いますが、詳細を知りたい方は下記のリンクなどどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1391165.html
最初に色んなニュースサイトでタイトルを見たとき、「ん?良い事だと思ってやってるのか??」とびっくりしましたが、
読んでみると批判的な意見が多いようなので、安心しました。
いや、安心しましたというのはちょっと違いますね。
どちらかと言うと、「あぁ、自分が感じた違和感を皆感じてるんだな。」という、再確認になったという感じでしょうか。
上のリンクや(http://masuda.livedoor.biz/archives/51382613.html)に書いてある意見に
私はおおむね賛成です。千羽鶴作ってる暇があるなら募金でもしとけ、と。
救援物資は続々集まっているのに、届けることが出来ない状況のようです。
なので、一番助かるのは復旧の助けになる募金じゃないでしょうか。
ここからが本題なのですが、上記のリンク先や、
他のまとめ記事などでよく見かけたコメントがとても気になっています。
のような、「広島の時は賛美したのに、なぜ今回は批判するのか?」と言うコメント。正直意味が分かりません。
広島の千羽鶴は燃やされてしまったのを悲しんで、それを元に戻したいと言う活動でした。
日本人は千羽鶴の意味が分かります、千羽鶴に込められた気持ちを理解できます。
理解できるから、燃やされてしまったときに悲しくなるわけで、だからこそ千羽鶴を送ることに意味があったわけです。
千羽鶴が何か理解できないハイチの人にとっては、イキナリそんなもの送りつけられても意味不明な紙の塊です。
それこそ燃やすぐらいしか用途はありません。
しかも、広島に千羽鶴を送ったとき、広島は別に何の異常もありませんでした。
食料に困っているわけでもなく、たくさんの人が瓦礫に埋まってもいなかった。
何千人も人が死んだわけでもなく、食べ物のために暴動が起きる状況でもなかった。
千羽鶴を送るという事が「偽善」だとしても、受け取る心の余裕があった。
しかし、今のハイチの人々に「折り紙送ってくれてありがとう」という余裕があるでしょうか。
ハイチが落ち着いてから送るという事だそうですが、完全に復旧するのには5年や10年という月日ではとても足りないのです。
それまで待って折鶴を送るのならば、5年間少しずつでも募金して下さい。
私の近所の被害はそれほどではなかったものの、水も電気もガスも無い生活はとてもつらく、友人の親族がたくさん亡くなりました。
そんな状態の時に千羽鶴を貰っても全然嬉しくなかったと思います。
ダンボールいっぱいにパンでもつめて送ってくれたほうがよっぽど嬉しかった。
神戸の町は何も無かったみたいに復旧してると思われがちですが、今でも悲しみを背負って生きている人がたくさんいます。
復旧した頃に千羽鶴を送ることで「一人ぼっちじゃない」と分かってほしいなんて独りよがりはやめて、
今から、今すぐに助けになるものを送って下さい。
募金する人は、安心を買ってるんだと思う。子供たちもいい事をしている手ごたえと、お金が集まる不思議な経験がおもしろいんじゃないかな。
善意、募金は手ごたえがないのがつまらないのだけど、街頭募金はそこが解決されているので面白い。ハイチ募金に1000円を入れてきた。札を入れるといろいろ面白かった。すくなくとも1000円ぶんは。
それで被災者が助かる「かもしれない」なら十分だ。
新潟中越地震のことを想起した。
救援物資が届いて一番面倒だったのが仕分け作業。
日本全国のみんなが「善意で」廃品回収並みのがらくたを一緒くたにして送付したから,被災地では仕分け作業に追われた。
ひとつの箱にいろいろ入れるより,一つの箱には一つの品目,たとえば1箱全部ホッカイロとか,そういう風にしないと,
仕分け作業で人手を食い,被災者の手元に届くのが逆に遅くなるっていう話。
そんな現状に違いないハイチに,ジャパニーズオミマイだなんつって折り鶴送りつけても,
仕分け作業が増えるわ,捨てたら気持ち悪いわで,処理に困るんじゃないかな。
仕分け作業が増える分,「善意の押しつけ」「自己満足」どころか「邪魔」になりうる。
気持ち伝えたいのはわかるけど,発生直後なら生きることに直結する物資の方がいいと思う。
主催者は「ひとりぼっちじゃないことを伝えて元気づけたい」とかなんとか言ってたけど,
そもそもハイチは貧しい国で,「ひとりぼっちだから落ち込む」よりも「今夜の食料がないから落ち込む」ような国だと思うんだ。
ttp://d.hatena.ne.jp/tano13/20100118/p1
では、残りの2万7千人は誰が助けたのか?
地域の住人の人たちです。
みんな被災者なんです。
みんな忙しいどころではなかった人たちです。
余震の恐怖におびえながら、傾いた家に飛び込んでいったのは、なんの訓練も受けていない普通の人たちです。
自分はあの地震でたった一つだけよかったと思えたことがあります。
それは、「人間はいざとなれば本能として助け合い、支え合うものだ」という実例をみれたことです。
あの状況で人に迷惑をかけられず生きることなんて出来はしない。
あの状況で恐れるべきことは、「人に迷惑をかける」ことでなく「人の迷惑を受け止められない」ことを恐れるべきだと私は思います。
「被災地で強姦事件多発」がまた話題になっているみたいなので、
物語の海、揺れる島
http://www.amazon.co.jp/dp/4093872058
の該当部分をこぴぺ。
Hは、震災から一月後に電話によるカウンセリングを始めたという。その「女性のこころとからだ」と名づけたホットラインに現在まで総数二千七百もの女性からの相談が寄せられ、レイプにかかわるものは約五十件にのぼる、という。
「レイプの話はたくさんあります。ボランティアの女子大生なんですけど、長田区を歩いていたら、いきなり後ろからリュックを捕まれて瓦礫の中でレイプされたとか。女の子が声をかけられて被災者をお風呂に連れて行くボランティアだと言われて、信じて車に乗ったら山の中まで連れて行かれてレイプされたり…」
さらに彼女が受けた「相談内容」はつづいた。アルバイト募集の張り紙を見て行ってみるとそこは半壊したビルで、いきなり乱暴された。もっとも悲惨な話として、震災で身寄りを亡くした姉妹のひとりがこわれた自宅に物を取りに帰り、そこでレイプされその場で自殺した-。
「被害者と一緒に警察に言ったこともあったけど、警察官が自分のためにならないから取り下げろって言うのよ」
...
前述の雑誌、新聞の報道記事にはすべてHの電話相談「女性のこころとからだ」で受け付けた事例が紹介されている。
たとえば九十五年七月二十六日付の「朝日新聞」家庭面では「阪神大震災のストレス、女性にずしり 子供虐待、親類と衝突」との見出し。全国紙では最も早く大きく取り上げた記事である。震災から4か月間で、千500件以上の電話相談があったことを報じ、家族関係のトラブル三〇七件、幼児虐待一〇四件、レイプ/レイプ未遂三七件など相談項目別に数字が挙げられている。このうちレイプに関しては「レイプ/レイプ未遂についてのそうだんもあった。町が焼け、家が壊れて、街灯がなくなった。後ろからリュックをつかまれて立ち入り禁止のビルに引きずり込まれた例。半壊の家に物を取りに帰って泥棒と出くわし、教われた例もあった。三七人の被害者のうち、警察に届けたのは二人だけ。それもほどなく訴えを取り下げている...」との記述があり、Hが私に話した内容と一致している。
...
兵庫県警が震災のあった九十五年一年間で強姦事件として認知したのは五十七件、うち五十六件を検挙。その前年は認知、検挙ともに五十七件。
さらに震災被災地十四署にかぎれば、九十五年認知十五件、検挙十四件(一月~十一月)。前年同期間は認知、検挙ともに十九件。
もちろん、強姦事件は犯罪の特殊性からしても被害者が警察にすべて届けるというものではない。むしろ届けないことが多いはずだ。警察による事細かな事情聴取も「セカンドレイプ」といわれている。もっとも県警捜査一課の山川管理官は「こちらとしては積極的に届けてほしいので、捜査に婦人警官を配置している」という。
...
「被災女性を支える女たちの会」「性暴力を許さない女の会」「みずグループ」といった関西ではよく知られる女性団体ではのきなみゼロだった。大阪YMCAが中心となって開設した「犯罪被害者相談室」もゼロ。公的機関の兵庫県「心のケアセンター・震災ストレスホットライン」もレイプにかかわるものは1件もなかった。
また、兵庫県立女性センターでは震災後半年で一万五五三件の相談を受けた。5人のカウンセラーが4本の電話にかかりっきりの状態だったという。レイプにかかわる相談は一件あったが、それも相談者が途中で切ってしまったので内容はわからないという。経験二〇年になる女性問題カウンセラーは「強姦の被害者は、警察に届けるのと同時に電話相談も躊躇するものだから数字には表れない」という。
警察の発表にも各電話相談にも「被災地で強姦事件多発」の証拠となるべきものが出てこない。なぜ、Hのところにだけ五十件ものレイプ相談が寄せられたのか。
...
「神戸ではレイプの話がたくさんあって、誰でも知ってるくらいだったわ。私も実際に四件もレイプの話を聞いていたし、あのくらいの相談がHさんのところにいっても当然だと思った。彼女の話、すごく具体的だったもの」
だが、正井が「実際に聞いた」という四件のレイプ未遂事件を丹念に聞き取ってみると、うち三件が「又聞き」の類だった。「あら、でもこれは私の弟が言っていたのよ、本当なの」という最後の一軒は、無線が趣味の弟が「○○避難所のボランティアはかわいい女の子がいるよ」というカー無線マニア同士のやり取りを偶然傍受したというものだ。
これでは、レイプ事件が多発したという証拠にはなっていない。
...
つまり、この相談件数もレイプ相談の内容もまったく根拠のないものだと、そういうことですね。
「あなたがそう思うなら自由に書いてもらっていいですよ」
Hは、何か思い切りをつけるように言った。そして、電話相談を受けていたのは自分ひとりだったと認めた。
「私は数なんて出すつもりじゃなかったのよ。正井さんたちやマスコミが数を出せって言うから、仕方なかったのよ。でもね、これだけは信じて。私がここで電話を受けていたことは本当なのよ」
とりあえずこれだけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ahni.co.jp/kitazawa/sei/kitazawaseikyouiku12.htm
何かの式典が行われて、天皇陛下が受賞者と直接お話をしていた。
受賞者は「とても緊張してしまった」というような感想をインタビューで話していた。
私はTVを見ながら、「うんうん、そうだよネー」と気軽につぶやいてみかんを食べていた。
すると家族が「は?なんで?」と剣のある様子で絡んできて驚いた。
面倒くさい展開になりそうだったので、詳細は説明せず、
「そういうもんじゃないの?」といって、とりあえず流しておいた。
家族と天皇制の是非についてなど語り合ったことがなかったから、
まずその反応に驚いてしまった。
話す前から面倒な方向に行きそうなときは、話さない。
早計だという意見もあるだろうが、
剣のある絡みなのだ。
この後どういう展開になるのか予想もつかない。
あえて進んでみるのも漢の道かもしれないが、
私は天皇制について賛成でもなければ、反対でもない。
幼い頃は「日本の象徴」という表現がよくわからなかったし、
今でも理解してるとは言いがたいと思う。
でも国際的な行事に皇室の方々が出席し、
災害時のご訪問なども、大変なことと思う。
その際、陛下ご夫妻に励まされて元気を取り戻されたお年寄りを見るのは、
それはそれで不思議な気もする。
私は直接皇室の方々を拝見したことはない。
自分が同じようにお声をかけられたら、
同じように感動することができるだろうか。
わからない。
逆に、ただの一般人である私が陛下と同様に、被災者に声をかけたらどうなるだろうか。
陛下のときと同様に、元気を取り戻してもらえるとはとても思えない。
当たり前だ。
そういう目に見えない重たいものを背負われている。
それなりに生々しい、人間としての生活の話も聞いたことがある。
免許の更新時にあたかも義務かのように請求されるこの謎の協会の会費。
一度も払ったことない。
巷では建前とは裏腹に天下り団体で浪費されるどうしようもないものだと糾弾されている。
交通安全に関する各種標識とか、啓蒙活動とか、朝夕通学路で交通整理をしてくれる、いわゆる「緑のおばさん」とかもここがやってくれてるんだけど、収入に対する活動内容が薄っぺら過ぎて、警察官僚の天下り利権の総本山だとか。
なんか、これを払わないのはどうしたらいいですかとかあちこちの掲示板とかでみるけど、自分は普通に「入りません。」とか「出しません。」とか、そのときの相手の言い方次第ですけど至極当然のように断って払ってません。はじめからきっぱりと言うと、相手もそれ以上なにもいわないですよ。
ただ一度だけ・・・「協力お願いします。」という言い方をしていたおばさんが、「協力しません。」と言った自分の意図を察してか、
少し悲しい顔をして「これは・・・子供の通学路の安全対策や、ランドセルに付けるカバーの配布とかにも使われるものなので・・・是非、お願いできませんか?」と、決してすべてが世間で言われている悪い金になるわけではない、と、乞うようにいわれたときは一瞬「うぐぅ」となったが、再度きっぱりと「それでも駄目です。」と断った。
おばさん、あんたは悪くないよ。
自分にも子供が居るし、交通安全協会の理念自体はすばらしいし、通学中の子供がトラックに轢かれて5体ぐちゃぐちゃのミンチになったなんて話し聞くと本当に寒気がして予防対策には関心があるけど、ごめんね。
だけど、「紛争の被災者を救済したり、インフラ整備にも支援をしている。」からといって、一方で自爆テロやロケット砲で無辜の市民攻撃して紛争を助長しているテロ組織に寄付はできないでしょ。(テロ組織が根強いのは、味方にたいしてはそういう草の根支援があるから。)
お金で済むなら地元のロータリー倶楽部に寄付するし、行動で示すなら町内会の通学路パトロールに参加するよ。
まぁ、地元の緑のおばさんもおじさん(?)も、知り合いなので多少ひっかかりはあるが、自分の意思はそうです。
ま、別にびびる必要は何もなくて、きっぱり「入りません。」と言うか、だまって更新料だけ出せば良いんですよ。
彼らはガザの戦争は終わったと言います。その被災者の魂と心に、戦争がのこすであろう痛み、悲しみ、恐れ、不安をすべて無視して、戦争がひとつの会議で始まり、また別の会議で終わることができるとは、驚くばかりです。
ガザのパレスチナ人は、彼らに対するイスラエルの戦争をたくさん目にしてきました。そこにあるのは、最初の抵抗運動と二度目のそれ、お決まりの侵攻、私たちにおしつけられた封鎖、日々を生きるパレスチナ人におしつけられた、いっさいの憐れみのない封鎖、ひとかけらの後悔も、わずかばかりの配慮も、なにもない封鎖でした。最後に、無実の人びと、子ども、年寄り、家庭と祖国、パレスチナ人すべてに対する、この巨大な戦争がありました。
私たちが目のあたりにしたどの戦争についても、語られるべき数々の話があります。征服者の蛮行と憎悪についての話です。そしてどの戦争についても、それらの話を伝えるための、生きる、生きのこるための意志があります。私は難民の第三世代になります。私は両親と祖父母の話に耳を傾けてきました。彼らが故郷を追われた事情、子どもを失った人びとの事情、世話することができずに、子どもを道端においてきた人びとの事情についてです。それらの話はあなたの心を芯から揺さぶるものでしょう。それでも、それらの話の語り手は、生きる意志を、新しい生活をはじめる意志を、彼らの子どもを育てる意志を持っているのです。
今回の戦争について私たちが伝える話は、どんな人間の想像力も超えたものとなるでしょう。どこへ避難すべきかもわからず逃げたこと、子どもや年寄りに対する慈悲もなしに一家みなごろしにされたこと。私たちに向けて放たれた武器は、私たちの記憶に永遠に鮮やかにのこるでしょう。
今日は停戦の一日目です。ほかの人びとと同じように、私がいつもの生活に戻れる最初の日です。私たちは地下室から出て海岸を臨む客間に座ります。私の子どもたちは、彼らの部屋やベッドで眠ろうとしません。彼らはこう尋ねるのです。
「もう撃ってこないと保証してくれるの」
彼らの過ごした恐怖の時間を忘れるのには、とても長い時間がかかることを私は知っています。彼らが耳にした大きな爆発音を忘れるには時間が必要です。私たちが慌てて部屋を飛びだし、より安全な場所を求めて避難したことを忘れるには時間が必要です。(この状況で、)どうして戦争は終わったと言えるでしょう。
(娘の)サルマは、F-16戦闘機の音を聞くと、とても怖がります。もちろん、それは今なお、横柄にも空に爆音をとどろかせています。それが私たちの心と財産に撒きちらした破壊を、誇らしげに見下ろしているのです。(この状況で、)どうしてサルマに戦争は終わったと言えるでしょう。
幸運なことに、私の子どもたちは、その愛する者たち、友達や隣人が殺されたり死んだりすることを見ずにすみました。それでもなお、彼らは、その心と魂に、この戦争が残した悪質な影に苦しんでいます。
魂にこの戦争の報いを受けた私たち(パレスチナ人)の子どもは、彼らが目のあたりにした映像を決して忘れることはないでしょう。彼らの親が、姉妹が、家族皆が殺されたことを決して忘れないでしょう。その心と魂に、その生涯にわたって、平安を見いだすことは難しいかもしれません。なぜなら、彼らが見たものは忘れることができないものだからです。彼らの頭上で家が崩れ落ちるのを見た子、家族とともに瓦礫の下に取りのこされ、弱っていった子、誰か生きのこるかは神だけが知っています。愛する者たちの、命の火の消えた体を見わたす子、この子は、その姿を心と魂に焼きつけるでしょう。この子は永遠に苛まれるでしょう。この子たちは、どのように停戦後の暮らしを楽しむことができるでしょう。
その暮らしと親族を失った子たち、その目を、手足を、家を失った子たち、征服者の貪欲さを目撃した子たち、彼らはその痛みを決して忘れないでしょう。イスラエルによるガザに対する戦争、22日間を通して、彼らが過ごした恐怖の時を、決して忘れないでしょう。彼らの受けた傷と喪失が、常に記憶を新たにさせるでしょう。彼らの心には、一つの質問があります。
「わたしたちは何もしていないよ。なのに、なぜあなたたちは、こんなにひどいやり方で、わたしたちを殺すの。わたしたち、こどもに、なんの思いやりもみせないで」
国連パレスチナ難民救済事業機関のウェブサイトに掲載された、ある母親からの手紙です。
nofrillsさんのところ(下記URL、勝手に紹介してすみません)ほかで伝えられる惨状を目にして、私は何度も泣きました。
http://nofrills.seesaa.net/article/112997883.html
すでにあちらこちらで言われていますが、「停戦」したからといって、問題は山積みのままです。経済大国の国民として、安保理理事国の国民として、「対テロ戦争」に「参戦」中の国民として、中東で公正な政策が行われるよう注目していくことは大切だ、というのが私の意見です。簡単に解決できる問題ではないことは承知の上ですが、まずできる一歩を踏み出すことが大事だと考えました。あまり時間をとることができなくて、ほんのわずかで質もよくない翻訳ですが、ガザ事情を知る一助になったらうれしいです(また、不公正はガザだけでなく、チベットでも、チェチェンでも、ダルフールでも、そのほかの各地でも、もちろん大殺戮とはいかなくても日本のなかでもみられます。はじめは、それぞれが情報を得られる範囲で、手近なところから、読んだり、聞いたり、考えたり、話しあったり、広めたりしていくことが、第一歩として大切だと思っています)。
ひとときも早くガザの封鎖が解かれますように、パレスチナ・イスラエルに平和が訪れますように。
P.S.:読み直して違和感を感じた文体を整理して、二三の訳語を変更しました。あと、はてなの方、上のAdsはかえられないのでしょうか。
追記したらかわりましたね。よかったです。
彼女は「1月17日」と記せば誰もが思い出す地震の被災者で、両親は自分の足で立つこともできない娘を遺して亡くなった。
その友達が、“奇跡”と共に残った自らの命を捨て去ろうとするに至った経緯を書き残すと共に、自分自身が思い悩んでいることを打ち明けることで少しでも心を軽くしたい。
俺と彼女が知り合ったのは6年ほど前、ともに小学4年生の頃。関西生まれの転校生と、関西生まれの在校生の出会い。
転入したクラスで親密になった友達は男子1人と女子2人の計3人で、その中でも件の彼女とは不思議に気が合い、人に打ち明けにくい悩みを相談できる貴重な異性として、互いを大切に想ってた(と思う)。正直ちょっと顔が赤くなる。
“打ち明けにくい悩み”といっても大半は歳相応に他愛のないもので、高校生になった今では「あんなバカバカしいことを真剣に悩んでたのか…」と恥ずかしくなってくるほど。
それらのほとんどは相手と共に考えることで解決させることができたんだけど、ただ一つだけ、どう悩み抜こうと答えが出なかった問題がある。それが、彼女の話した自らの過去に関するもの。
神戸の灘区に住んでいたらしい彼女の一家は、彼女が2歳になる前に地震に遭い、二人の親と、母親の中にいた“一人”の弟妹が命を落とした。
たった一人遺された娘は、母親の妹(か姉かはハッキリしないけど)夫婦に引き取られ、母親の出身地、九州に移り住んでいる。
きっと、関西から来た転校生として、「他の友達より真剣に耳を傾けてくれるかもしれない」と思って打ち明けてくれたところもあったんだろうと思う。
しかし俺は関西と言っても大阪生まれ、なじみの薄い神戸の話に特別な思いを抱くことはできず・・・(我ながら最低だ)
あえて自己を弁護するならば、とにかく「親がいない」という事実が衝撃的で、話の詳細を考える余裕が無かった、ということだったのかもしれない。
それからは年に1、2度ほど会うことがあるのみとなり、電話やメールといった手段での連絡は一切なし。
伝えるべき事柄もないし、たぶん単に面倒だったんだろう。以後5年間、ほんの最近までそんな関係だった。
変化が起きたのは去年の11月、連絡先も伝えていないはずの彼女からかかってきた突然の電話。(連絡先は男の友達から聞き出したらしい。伝えたことを忘れていた。)
とにかく話がしたくて電話をしたとは言うものの、しばらく喋ってみても彼女の話したい事柄が見えてこず。
とりあえずその日は電話を置くことにし、後日改めて会いに行くと伝えることで彼女を落ち着かせることに。
久しぶりに見た彼女は随分と思いつめている様子で、会うなり突然泣き出しそうな雰囲気すら感じられる悲痛な姿。
他の友達連中と楽しく過ごすふりをしつつ、何が彼女をそこまで追い詰めているのかを全身全霊で突き止める決意を固めたりしたのだが、その原因はあっさり彼女自身の口から語られる。
それは、もはや忘れかけていた、地震の話。
夢を見た、と彼女は言う。生みの親の死に目に遭いながら何もできず、ただ泣いていただけの自分の惨めな姿を目にした、と。
出来事以後の13年間、一度たりとも、そんな悪夢はみたことが無かったのに、私は見てしまった、と。
どう接すればよいのか分からなかった。何だこの話、なんだよこれ。
今まで自分が生き残ったのは全くの偶然だと思っていた、運命のいたずらで、仕方がないことだ、と。
しかしそうじゃなかった、自分が生きているのは両親のおかげだ、両親が身を挺してくれなければ私は確実に死んでいた、と。
そんなことも知らずに「私はあの時どうして死ななかったんだろう、死んでいれば楽だったのに、死んでいたかった」なんて考えていた自分が許せない、と。
「生き残ったことへの罪悪感」と、「生き残らせてくれたことに感謝してこなかったことへの罪悪感」。
二重の重圧に耐えかね、必死に苦しみから逃れる方法を考え続け、出してしまった答えが、死ぬこと。
この問題は未熟な高校生が悩むには難しすぎるのだろうけど、彼女自身が死に代わる答えを見つけなければいけないことは確かだ。そして俺は、その答えを探す手助けとしてできることを見つけたい。
それまでに、何としても。
非正規雇用:雇い止め、失職8万5000人 先月から2.8倍〓〓厚労省調査
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20081227ddr001020002000c.html
「2157人が住まいを失い、5万人については住居の状況が把握できていない」
これを読んではっきりわかった。これは「災害」だ。
大地震がおきたと考えるとわかりやすい。
理不尽な力に振り回されて、真冬に寝るところもなく投げ出される人たち。
被災者が分散されていて被害が目に見えにくいだけで、これは公共施設への避難が必要な「災害」。
そう考えると、なんでいまだに募金活動が行われていないのか不思議に思えてきた。
やってたら募金するよ、俺。自分も貧乏だけど、死ぬほどではないし。
どこかでやってないのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20081120080305
んなこと言ってもよ。開き直って言うようだけど、別の理由でもいいんじゃね?たとえ偽善でも困っている人を助けることは、何もしない善人よりも俺は偉いと思うぞ。阪神大震災の時だって偽善者は沢山居たぞ。カメラに映る機会を探すために人気の多そうな場所で水や食料配ってる奴(俺の知り合いだけどさ)とかな。だがな、被災者にとってはたとえ偽善であっても水は水だろーに。貴重品には違いない。ありがたがって受け取ったはずだよ。荻野だって同じだよ。あんなにプライドが高そうな奴がそれをかなぐり捨ててまでパソコンを貸してくれと声をかけたんだ。応えなきゃ人間じゃねえよ。でもな、世の中金持ちばっかじゃねーの。ただで人の財産を使わせてやるわけがないだろ。金が無いならせめてそいつの日常生活を話してもらって周囲の好奇心を満たさせてもらわないと。あー確かに偽善かもよ。でも変な奴が自分の面白い部分や恥を晒してもらう代わりに、飲み食いぐらいはさせてやったじゃん。糸柳だって寝床を提供してやってるじゃん。ネットで話題にするぐらい屁でもないだろうよ。少なくとも荻野に迷惑なんてかからないはず。サーカスのピエロだって自分のみっともなさを売りにして生計を立てているわけだ。ピエロを笑いに金を払う客はそんなに悪者か?自分が食っていくためには何だってやればいいだろ。大方の奴なんて荻野みたいな奴のことなんて放置だろ?だけどな、どんな思惑があろうが救いの手を差し伸べる奴の方が偉いんだよ。荻野は明日死ぬかもしれないが糸柳たちに会わなければ昨日死んでいただろう。「拾うだけ拾っておいて飽きたら捨てるなんて」って言ってる奴いるけど、別に飽きたら捨ててもいいじゃんと思うね。1日でも生き延びるための力を貸してやったんだから、それをやってない奴よりは偉いだろ。そんなにそれは悪か。100万円の寄付よりも人と人とがふれあった偽善による支援の方がまだマシだろう。
他人に要求しておいて自分は平気でそのルールを破るなんて中々面白い人だね。
http://anond.hatelabo.jp/20080811045938
無い知恵絞るのをやめて、他人様のblog↓(それとも本人?)のアイデア拝借したんだろうけど全く駄目。
http://b.hatena.ne.jp/entry/8708498
色んな例で述べたように時間も有限な資源の一つなんだよ。1日48時間ほしいなんてセリフよくあるよね?
もし時間が無限なら、全ての患者にいくらでも労力を割くことが出来る(まあ時間=寿命までだから患者も苦痛はあるが実質死ないんだけど)。
経営判断も同様。周到なマーケティング・シミュレーションに際限なく時間を掛けられのであれば、事業リスクは大幅に低下する。
しかし現実はそうではないから、相対的に効率的で相対的に迅速で相対的に効果的な判断の方法が要求されてくるわけ。医療でも経営でもね。
つまり、これらは相変わらず資源の有限性に促された、経営学的・経済学的資源の最適配分の実践に過ぎない。
トリアージはそうした資源の有限性への対処という課題を、印象的に切り取ってみせる希有な例。
何より件のエントリーのブコメでも、筆者の含意をちゃんと理解した初学者以前のギャラリーが沢山いたんだしね。
というより、トリアージの現場で本当に足りないのは時間じゃないんだよ。
君を含む多くの人が「救命医療・人命に関わる問題にリソースを」と主張するように、マンパワーの頭数から訓練・研修のチャンス、
機械・設備や資金、従事者のケア等色んな物が足りない。そういう大状況があって初めてトリアージのような限界的な現象が生まれるわけ。
もし災害発生と同時に十分な医師・コメディカルを派遣し、被災者を医療拠点へ高速輸送・収容、物資設備の供給も十分という
状況であれば、全員に平時と同じだけ治療を施せる。しかし当然そうした是正には有限なリソース、パイの再分配という壁がある。
言ってみれば、今も国民自身の選択として日々命の「切り捨て」が進行中なんだよ。
結局、依然としてトリアージ的発想はこの世の現実。ちゃぶ台返しどころか釈迦の手の平なんだね。
抽象的な考えを苦手にしている(具体例の知識にも乏しいが)のはこれまでで十分理解したけど、相変わらず酷いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080810210828
>だから「有限」と「足りない」は違うw
一度物やサービスや資源の使用に何故価格なり税金なり規制が付き物だったりするのか、
そして時にそれらが高低強弱上下に変動するのか、理由を考えた方がいい。
まあ「あたまがわるい」から難しいかも知れないけど。
>ご都合主義乙。
翻訳すると「反論出来ませんごめんなさい」という事だよね。
前の「お前は原理主義的資本主義者だ!」とかいう意味不明な逃げ口上と同じだ。
逆選択もWikipediaに載っているはずだから、迷惑も顧みず必死に暴れる暇が有れば調べておくべき。
一応経済学や経営学を勉強したいなんて殊勝な事言ってたんだしさ。FRBの声明はどこかの経済記事もされていたはず。
>企業の全てが利益の最大化を単一目的としてはいない、と書いたんだが。
>本店をつぶしたほうが利益が出る場合でも、本店をつぶさないことがある。
>それは君の中の企業像であって、オープンソースのような形である程度共存共栄を図ってる企業もあるよ。そりゃ競争原理は働いてるけども。
>経営陣の倫理観の話では絶対にありえないと思い込みたがる君の世界観が不思議だ。
そこはお仲間とおぼしきサヨクの皆さんが全否定してくださって(企業は利益追求が本業ではないとの
分裂勘違い君劇場さんの言明に対し、山ほどある食品偽装を前に企業のモラルに何を期待しているの?具象的にも
抽象的にも企業は利益追求が本業、みたいな反論)いるから、安心して論破されたと認めていいよ。この助言は二度目。
例外は原則を覆さない、あるいは一見例外的に見えるような現象も実は原則に沿ったものだったりする、だってさ。
たとえばそちらが必死に拘泥して得意になっている「一見」利益にならない本社の維持でさえ、
従業員のモラルやブランド価値、地域地盤といった経営上の判断が必然的に絡んで来る。
限界的な例を考えれば話はもっと簡単。もし利益を追求しない事によって恒常的に売上高比数百%を
上回るコストを強いられる場合、その企業は赤字、ひいては倒産を強いられる「倫理的」選択を自ら進んで行うだろうか?
もちろんそういうダメ企業は潰れる方が世の中の為になるし、そうなるのが現実でもあるから、どっちでも構わないんだけどね。
まあ君は自称ネオリベらしいから、倫理を専ら企業任せにして公害なり偽装なりが横行しても何も気にしないんだろう。
>ということにしたいんだろうなあ。なるほどそんなごまかし方があったのか。
何なら迷惑顧みずに説明力の例をブコメから大量引用しようか?そうやって意固地に現実を認めないから、
ここのリソースを食いつぶして迷惑掛ける結果になっているんだけど、少しは反省しようよ。
>(追記)書き忘れてたけど、「自分の知能の希少性を思い知る」という表現は、希少性という単語の使い方をちょっと間違ってると思う。
それはそっちが自分で認めたように経営学や経済学一般を知らないからだよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E5%B0%91%E6%80%A7
述語というのは文脈により意味を変えるの。なんでそうやって恥を上塗りしたがるのか理解に苦しむ。
でまあ、そちらの必死の抵抗にもかかわわらず、流れは最初から何も変わってないから、まとめ的には↓のままでいいね。
http://anond.hatelabo.jp/20080810205804
・トリアージ的な、資源制約下の選択という問題はこの世界の普遍的な現実です。
・一般的に言えば、トリアージ的な資源の最適配分の積み重ねが「かわいそう」な人を(短期的にも長期的にも)最も少なく出来る。
・資源制約下の最適分配・資源の効率的運用という経済学的・経営学的課題の例としてトリアージは有効。
それにしても、あれだけ経済学や経営学に対する無知や理解力の無さを晒し上げられてフルボッコされたのに、
未だに虚勢だけは一人前というのが凄い。たぶん「自分はいわゆるはてなサヨクの一員だ」的なペラペラの
帰属意識に支えられているんだろうけど、素直に彼らに通報して助けを求めた方が格好付くかも知れないよ。
ただ指摘済みのアイデア剽窃の試みは完全に失敗したようだし、目利きの能力もなさそうなのが何ともね。
まあ壊れたレコード状態で生産性ゼロの君だから、このまま頬被りにするのが一番じゃないかな。