抑うつ感をクスリで押さえ込んでいるものの、今日は持病の背中の痛みが酷くなり
営業時間中にも関わらず、耐えかねてマッサージに行って解してもらった。
それが仕事の施術士さんに「ガチガチですねぇ」といわれるぐらい酷い状態だった。
日々老いていく肉体を誤魔化しながら、Webと電話だけの孤独作業が続く。
mixi日記の過去2年の5月ごろを見ると見事に虫食いだらけで
馬齢を重ねる意味があるのだろうかと考えて、無いなぁとネガティヴに考える。
大学時代の恩師が喝破したように人は「自分自身を目的に生きられない」のが運命で
真の目的は「代替できな他者との関係性の維持と発展」にあるとのことで
不惑にしてこの言葉の意味はやはり正しかったなぁと思わざるを得ない。
先日、宮台先生の新著を買ったのであるが「終わりなき日常を生きろ!」と嘯いていたのに
結局はご自分の配偶者と子息に自分の生命の意味を委ねているのが読み取れて
この人は相変わらず頭は良いけど、自分の言説に責任を持てない人だなぁと思った次第。
生きて行くことが無意味で、時間が未来にしか進まない不可逆性を「以下に耐えうるか」
を考えてみたときに、導き出される解は、「意味を与えうる関係性を、どこかに見つける」
それと「時間の不可逆性を受け止めて肯定する」と簡単な結論になってしまう。
しかし、理由を推察したとしても、解決方法が容易く手に入れば誰も苦労はしない。
たぶん、その境地を私が手に入るとしたら涅槃にしか無いのであろう。
要するに、ほとんど諦めているのである、もうどうしたらよいか分からない。
涅槃を欲せば答えは手元にあるが、まだそこまでは追いつめられてはいない。
真に追いつめられる日が来ないことを望んでいるのか、いないのか・・・