はてなキーワード: 富士登山とは
スペック:大学時代月1で登山する(登山系の中では)ゆるめのサークルに所属。
富士山登ったことない。テン泊で65リットルくらい?のザック背負って北アルプス登ったくらいの山にわか。高校の体力テストDだったのでそれでもきつかった。
ぱっと見思ったのは「健常者の大人ですら登山はしんどいのに、それを1合目から、大雨の中子供に歩かせるのはどうなの」ということだ。
「天候」
まず気になったのは天候である。大雨で登山はまず足元が滑りやすくなるため危ない。プラスして長時間は低体温症で動けなくなる…なんてこともあるだろうし危険である。
そして何より楽しくない。ウチなんかは緩いサークルだったので登山で綺麗な景色が見たいーって思う人が殆どで、雨が降って景色が見れないと「最早修行だなwww」と笑っていた。自分もそう思う。そんな修行を子供に体験させるというのはあんまりにもな所業である。
また、自分たちのサークルでは夏登山は8月前半、遅くても中盤までに終わらせるようにしていた。理由は後半になると台風先生にやられる確率が上がるからである。まあ早くても運が悪いとやられてたんだけど。ひどい大雨なら中止…なんてことも良くあったが、テレビが関わっている企画で果たして中止が易々と出来たのだろうか
「難易度」
あと気になったのは難易度の高さである。富士山はサークルの女性の先輩曰く「酸素ボンベがなければやられていたぜ…!」だったという。酸素が他の山よりも薄いことがダイレクトに体力を奪ったらしい。「ヤマノススメ」という登山漫画でも女の子が富士登山中に高山病に罹患し泣く泣く富士登山を諦めるというエピソードがあった。(まあ漫画だからって言われたらそれまでだけど)そんな大人、十代の少女でも苦労する山を恐らくそんなに体力のない子供に登らせて大丈夫だったのだろうか。
下山の問題もある。登山は山頂登って終わりではない。下山も結構な体力を使うのでけして楽ではない。体力ない奴だと足がガクガクになる。また下山は登りの方がやって来たら端に避けて、登山者が通過するまで待たないといけないのだがこれも何回もやられると足がやられるし、下るのに時間がかかってしまう。自分が北アルプスを1日で一気に下った時に最後の方で尻餅をついてしまったのだが、足に力が入らずしばらく立ち上がれなくなってしまったという感じだ。足が弱くて座ったら立ち上がれなくなってしまった祖母を介護したことがあるが、その時の祖母の気持ちが分かったような気分になった。本当に力が入らなかった。
「安全」
さらに山には「救急車」を気軽に迅速に呼べない。例えばしんどくなったとしても、サークルの登山とかで尚且つまだ歩けそうなら車道がある道までとか歩かないといけない。最悪ヘリコプターのお世話になる。24時間マラソンは辛くなったら即辞めれるし救急車も呼べるからあまり死の危険はないが、山だとそういう救援がすぐにやってこられないので死の危険度は上がっている。子供なんて大人より体力なくて体調崩しやすいのに救急車呼べない状況に落とすのはヤバイ気がする。
因みに体力テストDだった自分は下山してからだが、疲労で38度の熱を出したことがある。
24時間の子供が心の底から富士山大好き!制覇したい!という子供だったら救いはあったのかもしれないが…ていうか思ってもそんなん安全面考慮して止めろよとも思う。
そもそも24時間で子供にハードなことさせる企画自体やるのに良い気分はしない。もしそれでも24時間で登山を子供にやらせたいなら、「登山が好きな子供に、もっと低い山で、天候の良い日に(台風の来ない時期に)登らせる。そしてその録画を本放送で流すべき」だろう。天気の良い日に登らせた方が登山好きな子供だったら景色見れて喜ぶかもしれないし、大雨真っ白な画面よりはテレビ映えもするだろう。
…しかし大菩薩の下山ですら大学時代足がガックガックになった身としては、やっぱテレビの企画という失敗があまり許されない奴で子供に登山させるのなんてやめた方がいいと思わざるをえない。まあ何言ってもやめなさそうだけど。
余談だが北アルプスとかでも親子でイキイキと歩いてる登山者とかいて、後ろで死にかけてた自分はいやあ子供って体力ある子はほんとすげーなと尊敬しました。
成人式ということで新成人がたくさんいたが、東京の新成人はとても品が良くて感動する。田舎とは大違いだ。
とりあえず意識を高めるために業界本を立ち読みしにBookFirstに向かう。がん保険1位とのこと。
会場に行くとカジュアルなスーツかスーツを着た人がたくさんいた。(案内には出来る限りスーツで来るなと書いてあった)
説明会はアホでもわかるように「相互扶助の精神」とか「収支相等の原則」とか「第一分野・第二分野」から始まる。
一番最初に「人生という航海に一つだけ持って行くとしたら何を持っていきますか」とかいう文系のアホくさいアイスブレイクの質問が入る。
会場内「スマホ」と答える人が3人もいてビビる。ちなみに僕は最初は妻が欲しいと思ったんだけどそんなことは恥ずかしくて言えないので奇をてらって「飛行機」と答えた。奇をてらったのはわかっているが、実際飛行機があって操縦できたらいいと思う。ちなみに模範解答は「コンパス」らしい。コンパス持ってても自分が今どこにいるかわからなければ意味が無い。やっぱり僕は飛行機で俯瞰したいね。
「当社は外資系の張り詰めた雰囲気と違って、社員をとても大事にしています」「創業以来リストラを行ったことはありません」
「If we take care of our people,the people will take care of our business」とかホンマかいなと言いたくなる御託が並ぶ。
インターンで学ぶこと:自分自身の大切なこと・どのように成長できるか・仕事内容・当社の強み弱み
とかはえんとりーしいとぉを書くときに使えそうだと思った。
人生の4大リスクとは:「しぼう・にゅういん・ながいき・かいご」と言っていて、さすが第三分野の人だなあと思った。
「生きる」を創る。というブランドプロミスには第三分野でやっていくという意味が込められているとわかると確かに面白い。
てがきでえんとりーしーとぉ書かされる。字が汚すぎて絶望。その後帰ってすぐにえんとりーしいとぉ通過のお知らせがくる。
その後丸亀製麺を食べて帰宅する。ジムの説明会に行こうと思っていたが寝落ち。今日は7km走った。東京マラソンに出たいとか富士登山したいとか意味不明な感情が沸き上がってきて僕自身知らないうちに心が病んでいるだなと思った。
楓「ごめんなさい。辛かったわね。今のあおいちゃんのレベルで富士登山が出来ると判断した、私のミスよ。全て私が悪かったの。本当にごめんなさい」
楓「今ふたりに、『私達の分まで楽しんで』って伝えたわ」
楓「体の作り込みが甘かったわね。再チャレンジに向けて、今からトレーニングプランを練りましょう」
楓「大丈夫。脱落したのはあなただけじゃないわ。毎年たくさんの登山客が道半ばで断念して、帰っていくの」
楓「登山の成否は運が決めることが多いわ。もしも、ほんの少しだけ、条件が違ったら。あと少しだけ天気が良かったら、もう少しだけ気温が高かったら。もう少しだけ眠っていたなら。 いえ、やめましょう」
楓「山は逃げない。逃げるのは、いつも『人』」
楓「装備をUL化しましょう。ザックはスペクトラ製に変えて、余分なストラップは切り落として、インナーバッグの防水を徹底してザックカバーを省略、アルミ蒸着のシュラフカバーを兼用すればシュラフも薄くすることが出来るわ。歯ブラシの柄は落としてね。それで10g 稼げるから。服も、インナーを厳冬期用のメリノウールにしてそれ以外を極力、重量比の熱効率が高い羽毛で固めればかなりの軽量化が見込めるはずよ。いい、あおいちゃん、フリースは『甘え』」
楓「今頃二人はどんな景色をみてるんでしょうね」
楓「みて、あおいちゃん。天の川が綺麗ね。 …ところで、あおいちゃんはどう思う? 素直な感想を聞かせて? 『わたしは綺麗だと思った』」
楓「たとえ富士登山に成功したとしても、就職の役には立たないわ。いわんや恋愛をや」
あーーー おいーーーーーーーー
楓「富士山は日本で一番高い山よ。世界にはもっと高い山もあるけど」
楓「動画で撮っておいたんだけど、これが五合目のあおいちゃん。この時はまだ元気だったわね。楽しそうね」
楓「『これカワイイねェェ〜』『いいなァァ〜』『かっちゃおうかなァァ〜』」
楓「その木の杖、途中から邪魔になってきたでしょう? 私とひなたちゃんは持ってないわよね? どうしてだか解る?」
楓「自信のある人はいいの」
楓「何のためにYoutubeがあると思ってるの」
楓「こんな夜でも後で振り返ると、きっといい思い出よ。10年後、100年後も色褪せない思い出。半分、、持ってけ!」
楓「わお!」
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さーて来週のヤマノススメは?
ここなです。
今回あおいさんは少し調子に乗ってしまったみたいですね。無理せず、ゆっくり休んで欲しいと思います。
さて次回は、
「あおい 諦めて下る」
「かえで 山小屋で脱ぎ始める」
「ひなた ふ菓子を拾いに戻る」
の三本です。
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♪
おたがいの〜
ゆびとゆび〜
切〜り取って
持〜ってけるか〜な
当たり前だろ。よく考えてみろよ。
さっき、被災にあった子供達が富士登山するってコンテンツが流れてたけどさ、もしテレビCMの利益が寄付されずにテレビ局に行ってるとしたら、こうなるんだぜ?
テレビ局「おい、おまえら出来るだけ感動させるように頑張って富士山に登るんだぞ」
テレビ局「でもなんだよ?」
出演者「その、私たちが頑張って視聴率を良くして得られるお金はちゃんと寄付されるんでしょうか?」
テレビ局「は?んなわけねーだろwww それは電波利権持ってる俺らの権利なんだよ」
出演者「えっ、でも私たちは無報酬なわけですし、あなた方だけが」
テレビ局「っうるせーんだよ。テメーらはテレビに出られるんだから良い思い出になるだろうが!」
出演者「そ、そんな、、、私たちは高山病になるリスクもしょってるのに」
テレビ局「はっはっはっ。悔しかったらおまえらも電波利権もらえば良いだろwwww」
こんな世界なわけないじゃんw
昨日、富士登山をしてきたけど、
山小屋のスタッフのあまりの態度の悪さに、怒りと驚きを感じた。
山小屋とはいえ、接客業なのだからもう少し改善したほうがいいだろう。
そもそも、見た目もヤンキーっぽい出で立ちで、態度が悪すぎ。
(通じてないと思って言ってるんだろうね)
あんなに態度悪くてもやっていけるからには、何か利権でもあるの?
あまりにも驚いたので検索すると出るわ出るわ、山小屋の評判の悪さw
と入れたら、「悪い」とサジェストされるほどw
この辺りで検索かけるとわんさか出るか見てみると良いよ。
富士登山するなら、なるべく宿泊しない日程を考えたほうがいいかもね。朝早く出るとかさ。
宿泊したほうが楽ではあるけど、あんな山小屋泊まるなら、その分頑張ったほうがマシ。
あれって参入出来るのかなぁ。
※反応があったので追記
あれは、男の城なんてカッコいいもんじゃない。
話によると早い者勝ちだとか。
毎年毎年違う人が来るのだろうか?
それなのに全くクオリティに変化がなく底辺をたどるのはなぜなんだろう。
自分だったらどうかなぁと想像しつつ書いているんですけれども、
それが上から目線だってことなの?
自分なら、他の人に世話されないと生きられないのは変えられないので
仕方がないとあきらめつつ、
でも普通の人みたいに生きられたらいいなーとは思うので、
出来る範囲で自己実現をしたいと思う、と考えた。
具体的に何を自己実現するの?
先はそんなに長くはない(20年とかではない)から、
自分がいなくなったあとのことだって考える。
だから、具体的に何を努力するの?
先はそんなに長くないって健常者でも事故で死ぬことあるの知ってるの?
小さいうちに残されることがほぼ確定の子供たちはどうするの?
だから、それはあなたが心配することじゃないでしょ。
元増田の記事によれば、公的扶助のかかるお荷物だっけ?を産むなといったあなたが
なんでそのお荷物の心配をしているの?
それが上から目線じゃないの?
「知能に障害を持っている子だけどみんなと同じ高校に通わせたいから特別簡単な入試にしろ」
自分だったらどうかなぁと想像しつつ書いているんですけれども、
それが上から目線だってことなの?
自分なら、他の人に世話されないと生きられないのは変えられないので
仕方がないとあきらめつつ、
でも普通の人みたいに生きられたらいいなーとは思うので、
出来る範囲で自己実現をしたいと思う、と考えた。
物理的にできるだけじゃなくて、金銭的にとか心情的にとかもね。
残念だけれども、この人たちのような病気になったら
先はそんなに長くはない(20年とかではない)から、
自分がいなくなったあとのことだって考える。
その上で、自分で努力したら実現できる範囲のことなら努力するよ。
今は良くても将来だめだろうとなったらあきらめるよ。
だから
ただ、権利だ自由だ言うなら、その前にもっと努力しろと。
自分の出来る範囲を考えてからものを言え、実行に移せと。
って言ってるんだけど、どこが違う?
普通に生きていただいて大いに結構、でもそのあとはどうするの? 自分がよければそれでいいの?
小さいうちに残されることがほぼ確定の子供たちはどうするの?
金銭的な面だって不安だよ。遺族年金だけで食っていけるほどもらえるわけでもなし、どうするの?
障害を持っていても「なんでもかんでも」普通にということ?
もしかして増田は
「知能に障害を持っている子だけどみんなと同じ高校に通わせたいから特別簡単な入試にしろ」
「歩けなくて常時車椅子だけれど富士登山に連れて行って山頂まで登らせろ」
みたいなものも要求しちゃう方?
そしたらどこまでいっても相容れないわ。
http://anond.hatelabo.jp/20070321150102
人間生きていればつきあいってものがあるからねぇ。私は宗教なんて信じないから、って、社葬に行かなかったり、赤い服着ていったり、手を合わせなかったりしたら、社内コミュニケーションがとれなくなるでしょ。茶碗のごはんにお箸を突き刺してると、同じテーブルについてる仏教の信者がすごく嫌な思いをするんじゃないかね。ユダヤ教信者の前で卍マークをちらつかせないよう配慮することだって、広い意味でいえば宗教行為といえるよね。アラブの国に旅行に行けば、空港降りたときにアッサラームアライクムってよびかけられて、こっちもアッサラームって答えるんじゃないかと思うよ。富士登山するじゃない、そうすると山道のラスト、山頂入口には鳥居があって、それくぐりたくないから鳥居をよけるってそれもどうなのかなー。サッカーでも野球でもグラウンドに礼とかするの、他のみんなが揃ってやってるのにひとりだけ頭下げないってできるのかなぁ…?
なんとも思ってなくても、親のため、子のため、会社のため、あいつのために、頭も下げるし手も合わせる、それが人生だと思うし、その行為で無信心っていう信念が汚されるわけでもないんじゃないかと思うが、どうだろ。