はてなキーワード: 害虫駆除とは
ゴキブリだの害虫駆除云々はあくまで比喩(それも下手な)であり、話の枝葉であって話の本筋じゃないでしょ。
現在の野党の存在は自民党一強状態を構成する一要素でしかなく、野党の延命は自民党独裁体制をくじくどころか、逆に補強する結果になってしまっている
っていうのがその人の話のキモでしょ?
話の枝葉に突っかかるんじゃなくて話の本筋を見聴極めろ。
人の話はつっかかりやいすいところだけじゃなくてちゃんと聞け。
野党のことをよく知りもせずに野党批判をするのは建設的ではない、と言ったら、
「今からバルサンを焚こうとしている時にゴキブリの生態を調べる人などいない」と、きっぱり言われた
彼らが言うには、現在の野党の存在は自民党一強状態を構成する一要素でしかなく、野党の延命は自民党独裁体制をくじくどころか、逆に補強する結果になってしまっている、ということらしい
前述の話に当てはめるならば自民党は害虫駆除業者であり、彼らを潰すためには害虫そのものを根絶させるしかない、と
それなのに自民党批判勢力は口を揃えて「害虫駆除業者を肥え太らせるな!ゴキブリが部屋を飛び交う程度なら皆我慢できるはず!」と叫ぶばかりで、いつまでたったも害虫が減らず駆除業者はますます儲かる一方でうんざりしているのだという
こんな煽りタイトル入れてる俺は、リリース初日から今もやっている。
でも全く面白いとは思ってない。
比較的田舎のほうに住んでいるせいもあるだろうが、ネズミと小鳥を延々と捕まえるだけ。害虫駆除かよ。
ジムは見てるだけだし、ガチ勢が占拠してるからあまり勝てない。
いくら製品版のポケモンがあるからといっても、そこらへんのソシャゲのほうがよっぽど楽しめると思う。
でも、やめられない。
理由の一つは、今後アップデートで面白くなるのではという期待だ。
あとはなんだろう。暇な通勤時のついでかな。
でも、巷だとポケモンGOのためにわざわざ外出したり、ミニリュウの巣だ!といっては人が群がり、ながら運転による事故も起こっている。
さすがにポケモンGOのためだけに外には出たくない。
今更ではあるが、「借りぐらしのアリエッティ」のDVDを借りて家族で観た。
これからの駄文を端的にまとめるとね、悔しいのよ。俺の負け犬の遠吠えなの。
子どもたちは「髪留めかわいいね」とか「せっかく友だちになれたのに悲しいね」なんていう感想を言っていた。俺は(もうちょっと大きくなったらまた別なものが見えてくるかな)くらいに思って「かわいいね」「うちにもいたら友だちになれるかな」とか相槌打ってたんだ。
「アリエッティって窃盗犯じゃねwww」という類の冗談は公開当時からあるのは知っている。妻がよりにもよって子どもたちの前でそれを言い出した。しかも本気で。
俺は(お姉ちゃんも高学年だし、せっかくの機会だから、もう少し深いところまで話し合ってもいいかな)と思い、いろいろ話そうとしたの。
(妻はいわゆる原作厨なので、絶対に原作も知っているはずなんだけど、昨日は映画だけ観たので原作については触れなかった)
もうさ、映画の情緒とかなくなっちゃって、法律論とかになっちゃってんの。
「泥棒はいけない」のはもちろん子供に教えなきゃいけないことだけど、この映画じゃなくてもよくないか?もっと他に伝えたいことないか?
俺は相手の意見を完全にではないまでも、受け入れてみようとする分、一貫性がなくなるの。そのせいで話がそれちゃってんの。
でも向こうはこっちの仮定や言い分はほぼ無視して、終始「小人は泥棒」を前提に話を展開するんだよ。一貫してるの。俺の話の途中に割り込んでくるの。しかもアリエッティの話しているのにレ・ミゼラブルを持ち出すとか、妙に回転速いの。
俺はどうやったら妻に勝てますか?
http://anond.hatelabo.jp/20120806205751
スポーツフィッシング、スポーツハンティングは、「食べるために動物や魚を狩猟する過程を楽しむ娯楽」だと思ってたけど、
「食べることを目的としない狩猟・漁」だから「スポーツ」と称するようですね。
食べるためでもないのに命を奪うのはたとえ対象が魚であっても嫌なので、「スポーツフィッシングは抵抗ない」と書いたのは取り消します。
最終的に釣った魚を食べるならば、あるいは鳥を撃ち落すのでも最終的に食べるならば、狩る過程をレジャーとして楽しんでいても問題ありません。
ただ、ウサギや鹿や熊やアザラシは、食べるために狩猟していたとしても、その殺す過程を楽しんでいたとしたら嫌だし、
楽しんでいなくても「素手で直接」殺していたら、その人とは付き合えない。
銃で撃ち殺す分には、その「手」が動物の血肉で汚れていないから、付き合える。
逆に、たとえ自分自身では動物を殺害してなくても、殺された直後の動物の皮を剥ぎ取るとか解体するとか内臓を引きずり出すとかしてたら、
触れられたくないと思う。結果別れるんだと思う。
食べるためでなく毛皮を採るためにウサギや狐や狸を殺すのは論外だし、たとえ自分で殺していなくても動物の毛皮を剝ぎ取る仕事をしている人とは付き合えない。
蛇やワニを食べるわけでもなく皮を採るために殺す仕事だったら、殺す過程を娯楽にしていなければ大丈夫かなあ?嫌は嫌だけど。
自分では蛇やワニを殺さず、殺された彼らの皮を剥ぐだけの仕事だったら、手を洗ってくれれば触れられても嫌じゃないから、付き合えると思う。
魚は鳥は虫は?動物実験する人は?漁師や猟師は?害虫駆除業者や害獣駆除業者は?兵士や軍人は?
多分私の許せる許せないの基準は、
「殺生の目的(食べるため・自分の命を守るためか、それ以外の非自衛的なものか)」と、
「殺害対象の種族・属性」と、
同じ殺生でも、直接対象を触って殺すよりも、触らず殺す方が許せる。
対象を確認できる殺し方よりも確認できない殺し方の方が許せる。
屠殺業者も動物実験をする医療関係者も動物を素手で殺していることには変わりないが、
後者はその「手」で殺した動物以上の生命を物理的に救う作業をしている。
屠殺業者も猟師も食べるために動物を殺していることには変わりないが、
後者は直接対象を触っていないし、対象との間に距離があるし、銃弾は刃物よりも殺傷した手ごたえが弱い。
素手で殺すより刃物で殺す方が、刃物で殺すより銃や薬物で殺す方が、銃や薬物で殺すよりミサイルや爆弾で殺す方が、自他共に殺生をしているという実感がなくなる。
実際奪った命の重さに変わりないから、実感がなくなる方が問題なのかもしれない。
対象の苦痛が軽減されるから殺生の罪が軽くなるという理屈からそう感じているのかもしれないが、逆に対象の命の重みを軽減することでもある。
基本的に気絶させてからじゃないといけないらしくて電気ショックで仮死状態にするとは言ってましたよ。
でも素手で殺すことには変わりないようです。
見た動画はどこかのアジアの国の近年の映像で、殺しているのは屠殺業者ではなく一般人でした。
ですから、日本や欧米ではちゃんと資格を持った人が設備を整えてもっと人道的な方法で行っているのだと思いますが、
いかんせん相手は規格化された物ではなく生き物だから、機械化には限界があって、最後には人手に頼るしかないそうです。
害虫駆除業者はもちろん、魚介類を捕る漁師にも全然偏見ありません。
むしろ虫を殺して合掌するという感性の方が理解できません。
脳があるのかもよくわからないし、意識とか自我とかないと思うし、生物というよりコントローラー付きの機械みたいなものだと思いますが。
ましてや植物を摘み取ることを「命を奪う」行為だと考える感性に至っては理解不能です。
生命をどう定義するかによるけど、植物は生命体じゃないでしょ。
細胞分裂して増殖して自己複製して自己保存しようとしていることが生物の条件だと定義すれば、無理やり生物とみなすこともできるのかな。
でも少なくとも動物じゃないし、生えているか枯れているかの状態の違いはあっても生死の観念を適用できるものではないと思います。
あと実験動物も普通の動物と変わりないから同じようにかわいいよ。
それが理由かわからないけど動物実験している人にも生理的な嫌悪感は沸き起こる。
でもそれ以上にその人は人間や動物の命を救っている。「生き物を生かす技術」をその手に持っている。
屠殺業者は、毛皮を取るための業者もそうだけど、動物を殺したその手で他の生命を救っていない。から嫌なんだと思う。
ふとベランダでガーデニングをやってみようと思ったけどやめた。
季節ごとに育つ植物があるから年間計画があって水やりの量と時間が決まってて土に種類があって間引きがあって栄養をあげて害虫駆除してと色々あるらしいけど「庭仕事」っていうキーワードを見てやめた。
仕事が増えるのいやだなぁと。
コンピュータ使う仕事してるとどれだけ効率化するかばっかり考えてそれが楽しくてやりがいを感じてるのに、植物は適当にこれだけバッチ処理組んでおけばあとは鑑賞するだけみたいにはいかない。
僕はとにかく簡略化、単純化、これだけやっときゃええんでしょっていうシステムを作りたい。
でもコンピュータシステムも運用というものがあってシステム以外の作業をしないとやっぱりうまく動かない。そういう意味ではガーデニングと同じでしょう。じゃあやっぱり仕事が増えるだろう。
でも仕事が増えたらやりがいも増えて結果も増える。やってよかったなっていう気持ちが増える。
やめようと思ったけどやっぱりやってみようかな。