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はてなキーワード: 世界史とは

2011-02-03

ひきこもり就職しない奴へ

今の社会に疑問を持っているお前らは、次の時代の感覚を持っているよ

こういうことを勉強しておけ

  

・60~70年にどういう社会運動があったか知ること

戦時中メディアがしていたこと

大衆心理(下に書いたから読めばいい)

天皇幕府が何回入れ替わり、どういう内情があったか

日本史世界史Wikipediaで学べるからやっとけ

Wikipedia編集をやってみろ、これで文章力と中立的な見方を身につけられる

・ペンで戦え、録音や録画などを有効活用しろ

・「何事も自信を持って遂行し、過去歴史を踏まえた発言をすれば

どんな行為も知識人から味方が現れるから踏ん張れ」

チュニジアジャスミン革命、今エジプトで起きている革命について学んどけ

・まずはとにかく何でも疑ってみろ

  

生きぬき、やりぬいたらお前が正義になるんだよ

勇気持てよ

知っておくべき大衆心理

支配者やマスメディア広告代理店などは

以下のような「大多数の人々が共有する性質」を利用し

間接的に世論操作している

 

1.有名人につられる

2.できないことをしたいと思う、夢がある

3.多数派にいたいと思う

4.真実を求める

5.権威が好き

6.自分が他人からどう見られるかを気にする

7.心配性 (不安症)

8.ステータスに憧れる

9.リスクがないと思うと飛びつく

10.数ヶ月経てば大概の事件は忘れる

 

(例)

・ある商品を買わせたい(思い通りに行動させたい

  →買わせたい人々の好きな有名人に商品を紹介させる(1)

  →「あなたの願望、叶えます」と成功願望に付け入る(2)

  →「今大人気!」「全米が泣いた」などと同調を誘い宣伝する(3)

  →「真実を知らないままでいいんですか?」と問いかける(4)

  →「日本○○協会」などと格調高い名義で宣伝する(5)

  →「買わない人はこう思われますよ」と不安を煽る(6)

  →「早い内から勉強させないと将来大変なことになる」と子を思う気持ちに付け入る(7)

  →「これさえ持てばあなたセレブの仲間入り」などとステータスの欲を刺激する(8)

  →「無料です」と宣伝する(9)

とある有名人が事件後、ほとぼりが冷めるまで静かに待ち、いつの間にかお茶の間に復帰している(10)

※勿論、全てが悪意のあるものとは限らない(善意、悪意って何だろうな)

  

推薦図書

http://www.1101.com/darling_column/index.html

「大人が言わないこと」が分かるんじゃないかと思う

読めば「あぁ、やっぱりそれでよかったんだ」と

自分の考えに自信が持てるようになるはず

著者は「いい歳したオヤジなのにオヤジじゃない人」だ

全部読もう、無料

 

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169599

漫画に興味のある人にはこれも勧める

読めば分かる

 

タモリ

宮武外骨

赤塚不二夫

岡本太郎

■(寺山修司

 

以上の人物や関係者

影響を受けた、与えた人についても知り、

著作を読んでみるとさらに先へ進めると思う

リンク先はWikipedia

 

NHKことばのハンドブック

NHKアナウンサーが使う言葉秘密が載っている(難しいものではない)

この他にも言葉武器としている人の手の内を参考に学ぶといい

遊びの一環として真似から始めてみるのもいい

リンク先はAmazon(非アフィリエイト)

 

2011-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20110118141205

たますき家レジ

東ティモールってどこですか?」

って聞いてみるんだ。

レジの前で東ティモールフェアトレードコーヒーってのが売ってるから

どの店舗で聞いてもわかるやつ半数以下だよ。

すき家が世間一般の人たちよりもバカだったとして、これはひどいだろ。

すき家の従業員の多くはニュースも見れない未開の地から通勤してるというのか?

高校に進学してないか世界史を履修してないというのか?

まったくもって、高校で履修する現代社会世界史日本人の知識レベルを向上させてないね

http://anond.hatelabo.jp/20110118140142

世界史必修なのに、公民も必修なのに、

池上彰の説明を聞いて

「初めて知った」

という国民ほとんどなんだから、どの科目にどれだけ時間を割いたって一緒でしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20110118130011

高校の必履修科目でさ

地理歴史:以下の2区分にわたって必履修。括弧内は単位

世界史A」(2)または「世界史B」(4)

日本史A」(2)または「日本史B」(4)または「地理A」(2)または「地理B」(4)

公民:「現代社会」(2)1科目または、「倫理」(2)と「政治・経済」(2)の2科目

受験に必要不要を問わず世界史は必修なわけ。

したがって、最少単位数でも

世界史A,日本史Aまたは地理A,現代社会の3科目は必須。

理系でも受験社会科をつかう場合、まあ国公立を受ける場合はほぼ必然だが、このうち一科目以上をBをとっとかないといけない。

理由はしらんけど受験校では現代社会よりも倫理政治経済を履修させる傾向にある。

したがって大半の受験校では3~4科目、少なくても一つは4単位(週4日授業または2学年にわたって週に2回授業)の科目を履修する。

世界史はAかBか選べるとはいえ、全員が必修してるにも関わらず、国民の知識レベルはこんなんだからまともに守られていたとは思えないんだが、必履修科目未履修問題が起きて以来、ちょんぼは出来なくなってるはず。特に公立高校では。

コース分けが分化するまえに、受験に必要ないが単位数として必要な科目は履修させたいから、どうしても1、2年は公民現代社会倫理政治経済)の授業数が増える。

他方、理科卒業だけなら実はあんまり履修する必要はない。

理科:「理科基礎」(2)、「理科総合A」(2)、「理科総合B」(2)、「物理I」(3)、「化学I」(3)、「生物I」(3)、「地学I」(3)のうち、「理科基礎」または「理科総合A」または「理科総合B」を含むたった2科目

国立理系クラスは科目数がとにかく多い。

これは新しい指導要領だけど、このまえまでのもほとんど一緒。

やっぱ社会科受験で使わなくても世界史は受けないとならなかった。

加えて理系物理化学生物はそれぞれⅡがあって、数学もⅠ,Ⅱ,Ⅲ,A,B,Cと教科書6冊あった。

http://t.co/4CnGTxp

社会科をまとめるのが理系なのか?

http://b.hatena.ne.jp/articles/201101/2253

テスト動画コメントで「社会をまとめる辺りが理系」というコメントがあったんだけど、そうなんだろうか。というか現代社会ってなんだ?と古い記憶を辿ってみたのでここに書き記しておく。

私と高校のスペック

・1学年1000人くらいの大きさの私立高校

・稀に東大合格する生徒がいるレベル

学科商業工業、体育など色々ある

普通科には文系理系のコースがある

・私は普通科文系だった

・2年から地理コースを専攻した

私が通っていた高校の社会科は、2年生から世界史日本史地理の中からひとつだけ選択し、それを元にクラス分けを行っていた。

世界史地理はそのまま2年間継続するが、現代社会日本史を選択した場合に3年の途中から突然現れる仕組みで、日本史だけだと思っていたやつは3年で腰を抜かすことになる。

文系では、数学など理系の授業は2年の1学期までで完了する。さらに理系の授業時間もかなり少なく、数Iで言うと教科書の30%程度しか習わない。もちろん数IIなんて存在しない。

その代わり国語などは芥川龍之介夏目漱石句読点の打ち方や漢字とかなの比率など文章構造を解析して、当時の心理状況を推測するなど興味深い授業もあった。また、2万字~3万字の書き取りの宿題が出される度に徹夜していたことも懐かしい。時々この話をすると、ネタだろ?とか夏休み宿題か?と言われるが、これは一晩の宿題だ。

みなさんの通っていた高校と比べてどうだろうか。

そんなわけで何が言いたいのかというと、

理系がこんなに文系の授業やってるの?

社会科が4つもあったらテスト勉強大変じゃね?

ということ。

追記など

分かりにくくてゴメン。

書き取りは漢字の書き取りで、年数回行われる全校一斉漢字テストの対策です

ついに謎が解けた!

5年ほど前の未履修問題ですね、もはや他人事なのですっかり忘れてました

2010-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20101206003653

元増田です

他の人が答えてるように、高専を3年で辞める場合中退になるよ。

転校、転入する場合もうちの高専では中退扱い。

大検受けたのと同じだね。

でも、カリキュラムが全く違うからセンターとかでは圧倒的に不利。

世界史とか化学とかのレベル全然違うから。

裸で戦争行くようなもんだって、先生が言ってた。

卒業まで頑張るわ。

増田さん、ありがとうございました

2010-12-03

ニコニコ生放送 村上隆芸術闘争論#2 森川嘉一郎プレゼン

以下、森川プレゼンの聞き取りメモ

村上は美大を問題にしてるが一番問題なのは小中高の美術教育だと考える

村上が批判するところの『自由主義』≒内発的なものを表に表現することこそ美術の真髄であるという思い込み

そのルーツは小中高の美術教育

小学校はともかく中高でそういう教育を行うのは問題なのではないか

日本美術教科書は他国と比較すると異様に薄く内容的にもかなり異なる

典型例として

自画像

自分を見つめる

生まれてからずっとつきあってきてる自分ですが、自分のことはよく分かってるようで中々つかみどころがありません。

自分ってなんだろうは永遠課題かもしれません

今の自分をよく見つめ、心の中や自分らしさがあらわれるような自画像を描いてみましょう

このときアニメ絵を描くと教員は嫌な顔をし、

「それはあなたの絵ではなく誰か他の人の書いた絵でしょう」

「人の真似ではなく見たまま感じたままを描きなさい」

NGが出る

褒められる絵

美術教師・教科書が褒める絵のスタイルには傾向があり、顕著なのが風景画における印象派

心ひかれた場面に出会ったら絵に表してみましょう

光や影、広がりや奥行きを各画面の構成や色彩で工夫すれば、印象深く表すことができます

印象派

日本美術教育印象派美術最先端だった頃に開発された技法が輸入され太いチャンネルになっている

その結果として印象派的な書き方を教えることが日本美術教育の一つの王道を成している

外国美術教科書ってどう違うの?

分厚い

美術史を丁寧に教える

ルネッサンスの項では遠近法が開発され、そうした理論の注入が行われた結果それまでの中世の絵から

どのように変わっていったのか、等が論理的に

20世紀の項では

ピューリズムとかシュープレマティズムなどマニアックな流派まで結構詳細にどういう背景を持って

どのような流れで出てきたのかを触れる

中学生教科書

半分は美術史をやり残り半分は実作

こういう教科書を読みどういう課題をやるのか

例えばエジプトの壁画、ファンアイクの絵、マチスの絵に到るまで丁寧に模写をした上で

それがどういう時代背景の元にどういう技法で描かれているか自分なりに読み込んで

まとめる、ということを行う。

日本でも美術史をやらないわけではないが、それは日本史世界史の授業で行い

美術の授業とは切り離されている

基本的に向こうでは美術史自分で描くこととを両輪のように組み合っせてやってる

こういった模写を通じた美術史教育を受けることによって、

美術というのは歴史があり、何が「美しい」と思われてきたのかは時代時代によって

かなり変わってきている。

歴史の積み重ねがそれを作り上げている。

それは宗教だったり政治であったり、そういった権力のもとで作られてきたとか

あるいはフランス革命により王政が打倒された結果、描くモチーフが王侯貴族から市民に変わっていったり

そういう技法まで含めて流れがあり

我々が何を美しいと感じるかというのは、実は自分が生きた時代に人々がそういうものを

しいと思うように訓練されたから、そういうものを美しいと思うのだということが体得されてゆく。

しか日本場合

ある人がなにかを美しいと思う、それは何か訓練された結果美しいと思うのではなくて、

あくまで内発的ななにものにも影響されないそういう感覚があり、その美しいと思ったその感覚

あるいはそれを表現することそのものが美術なんだという風な、いわば洗脳を受ける結果として、

自分があるものを美しいと思うときに、例えば広告とかTVCMとかの結果としてそういうものを

しいと思うようになっているにも関わらず、内発的に美しいと思っていると誤解している

ところが発生しかねない。

疲れたんでここまで

以下、日本美術教育のこのような特殊性のルーツはなんのか、等々

またこういった『自由主義』が美術教育専門家ら自身にも問題だと認識されていること、

にもかかわらずこーなってんのか、日本美術教育がどのように位置づけられてるからなのか、等々。

更にかつて現在美術界同様な状態だった日本建築界が磯崎新の仕掛けによりどのように

変わってゆき、現在のような5~6人のワールドクラスを輩出するまでに変わっていったか、等々

村上は磯崎が建築界で起こしたことを美術界で起こせるのか、等々

と続く

とにかく根拠が実感だけの村上さんよりはるかに具体的で面白かったんで、こんな糞エントリじゃなく

直接↓を見てもっと洗練されたまとめ、感想、そしてツッコミを書いて欲しい。誰か。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv33643068

思い知れ

ガンダム!!!!!!!!!

高潮の気分は最高に最高に変わっていく!!

らららい、らららい。なんとなく、全てが変わる瞬間が来る!!

目の前の景色がガラっと変わる!!

どこまでも、それはどこまでも進む。

ひたすらに長いレールの上を、どこまでも、どこまでも。

辿りつけるのは果てのない明日

闇の中に紛れた君のサイン

さすがだね。最高だね。匿名ダイアリー。ここが最高だよ匿名ダイアリー

君の言葉。ぼくの言葉。ぼくは選んだ、進むことを。戻ること許されない。

絶対に、絶対にぼくは知っている。無意識に浮かんだ自意識

やばいやばいやばいロックンロールが止まらない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

because I love you.ファッキンミュージックですよね。

なしくずし!!!さぁ!ここから君はどうする!何をする!

今からぼくは今からぼくはきっと君に想いをそっとここで歌うから君は消さないでいてよ

心の奥の闇に灯を

しばらくの沈黙の後、彼はしゃべり始めた。なにもかもが、違って見えた。

何かが変化したんだ。その間、一体何が変化したというのだろう。

何も変化していないはずがなかった。変わらないものなんて何一つないけど変わるスピードが違ったんだな。

何も無い場所から、いきなり何かが生えてきた。びっくりするほど唐突だった。

どこまでも、どこまでもそれは進んでいく。太郎は元気を出して、また歩き出す。

誰も何も言わなくたって、彼は歩き続ける。

本当に、あの時のあれが効いたんだなぁ。ぼくは寢らずに澄済んだ。

よかった。本当に生きていてよかった。そう想えることがいくらでも。

そう、、生まれたんだ。この地球に。どんなにネガティブになっても、ぼくは笑ってみせる。

どんな地獄を見せられようが、ぼくは笑ってみせる。

世界史。理解し。なんでもかんでも、とんでもない力が湧くのさ

僕は知りたい世界の中心を。僕は知りたい。この世界の真理を。僕は知りたい

お尻たい。君の心を知りたい。とんでもなくはじけとぶ有象無象

なんでもかんでも、ぶっ飛ぶ勢いで、らしくない花を咲かせ、北中国と南中国戦争を始める。

だけど僕は笑っている。首つり台の前で、僕は笑っている。

妙な予感が身体を走る。らいくらいくにこんにちは

ここらへんがマイジャスティス

2010-12-02

ちょっと世界史に詳しい増田さん教えてください

イエス・キリストが実は白人じゃなかった可能性は大いにあるんですか?

2010-11-22

政治家ってどの程度の知識人なんだろう?

意外とパソコンがない家が多いことに気付いた。

ところで、政治家パソコンが家にないってあるんかな?

それから、渡航歴がない人って以外と多いことに気付いた。

ところで、政治家となると渡航歴がない人は少なそうな感じ。

いろんな面で、政治家って一般人とどれくらい違うんだろう?

英語一般人平均よりもできそうな感じだ。

海外にも詳しそうな感じだ。

でも、あんがい英語も中3レベルのような気もするし、海外のことだって世界史地理一般人と同じような気もしないでもない。

例えば、ソマリアと聞いて、ソマリアについてどのくらいわかるんだろう?

場所くらいはわかるとして、歴史宗教言語資源、どの程度しってるんだろう?

経済外交政治、全部に精通したスーパーマンである必要はないとは思うけど、一般人レベルより上であって欲しい。

2010-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516



高校世界史レベルの知識を即成でインストールする方法

http://togetter.com/li/69858

へのツッコミ増田があったので。


確かに山川教科書は、ひたすら文節が羅列されているようで、

通読するのはかなりの苦行だと思う。読んでるうちに、頭が

ショートするわ。イメージとしては把握しづらい。

ただ、「高校世界史レベルの~」の。目次から読む、というのは

なかなかいい。というか、(小説以外の)どんな本でも、目次を

じっくり読めば突飛な記述にもそこまでびっくりしないし、

普通の本の読み方。でも大事だと思う。

そこから先の方法としては、「高校世界史レベルの~」も、結構

納得できる気がするけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

世界史日本史も好きな一社会人の意見だけど。

試験対策も何もなく、ただ歴史教養として知りたい・学びたいってんなら、文学として捉えるのが一番取っ掛かり安いと思う。

これ以上ないくらい大スペクタクル人間ドラマが展開してるんだからさ。

大河ドラマ見るでもよし。

歴史小説読むでもよし。

ゲーム漫画だってありだ。

その中から気になる人物や事象や土地があればそこから歴史を掘り下げていくといい。

好きなこと・興味あることってのは一番あたまのなかにスラスラ入ってくる。

最初っから全体像を通して通史を理解して・・・っていうより、連続短編小説だと思って好きな土地の好きな時代からwikipediaでも何でも読んでみると覚えがいいんじゃないかなあ。

正誤は二の次で。

ただし常にその描写が誰によってどんな媒体に書かれているかを頭の隅で考えながら。

(これをしないと、まったく違う意見に出くわしたときに脳内がついていかない)

必要なのはモチベーションの維持。

そのためには好きで居続けること。

面白ければ興味は尽きない。

試験なんてもう無いんだから、好きなように学べばいいんだよ。

世界史勉強法解釈学的循環

解釈学的循環」は、ハイデガー提唱した言葉である。これは、世界史を学ぶ上で、大切な概念であると思う。

解釈学的循環を簡単に説明すれば、「木を見ないと森が分からないけど、森を見ないと木が分からない」ということ。

このような循環に陥ると、一見理解は不可能なような気がしてくる。しかし、決して不可能なわけではない。

まず、全然理解できなくてもいいから森を一通り見る。そのあと木を見れば、何もしないで木だけを見た時に比べれば、ほんの少しだけ分かったような気になれる。

木をほんの少しだけ分かったようになった状態で、もう一度森を見れば、1回目よりも多少マシな理解が出来る。

その状態で再度、木を見れば、やはり前回よりもいくらか分かった気になれるはず。

これを繰り返していくことで、理解の階段を少しずつ上っていくことが出来る、という考え方だ。

世界史であれば、これは通史とテーマ史の関係と一致する。

山川教科書は、初学者にとっては呪文同然だが、それでも無理矢理読むと、そのあとテーマ史の問題集を解いたとき、「あ、この話どこかで聞いたことがある!」というエピソードが必ず出てくる。

その後、再度通史を読むと、1回目は右耳から左耳に抜けていった言葉が、ある程度ひっかかるようになる。

世界史を理解するためには、この地道な作業を繰り返していくしかないと思う。

つまり、

通史→通史→通史→テーマ史→テーマ史→テーマ

という学習順序ではなくて、

通史→テーマ史→通史→テーマ史→通史→テーマ

という順序のほうが理解が深まると思う。

3往復もすれば、友達に「世界史詳しいんだね」と呼ばれるくらいのレベルになるはず。

(関連)

http://togetter.com/li/69858

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

学ぶってこと

世界史を学ぶに色々意見が集まってるみたいだけど。

 

ういうのって「どんな(立場の)人」が「どのような目的で」学ぶかによるよね。

単なる知識欲を満たしたい人ならば教科書通読するのは苦じゃないでしょう。

教員になりたいとか試験があるって人ならば、通読はした方がいいと思う。それだけじゃ駄目だけど。

ただまぁそういう人はごく少数派だろうと思う。

 

大体の人は知りたいと思う「現代の事象の原因」や「時代」、「人」が居るからこそ学びの姿勢を取るんじゃないだろうか。

例えば日本史だったら大河ドラマの「新撰組!」を見て江戸末期についてもっと知りたいと思う、みたいな。

そんな時、果たして教科書通読は有効かと言うと違うよね。

知りたいと思うポイントを中心として、そこから前後に知識を広げて行くことになると思う。

 

そんな時に教科書は役立たずかと言ったらそうではない。

教科書の目次、題材の並びはちゃんと考えられて作られている。

だから知りたいと思うことを目次や索引から引いて、そして読んでいけば良いのだ。

そこで更に「この事象の前に何があってこうなったんだろう?」とか「この事象の後はどうなったんだろう?」って興味が湧けば、自然と知識の幅は広がるし、興味もない所まで読まなきゃいけない通読よりは肩の力を抜いて取り組めるんじゃないだろうか。

 

社会人になって仕事の事も考えなきゃいけなくて、そこに更に勉強への強迫観念が付与されたら鬱になるわ。

社会人になったらね、仕事に必要な勉強以外は、自分で選んでいいと思うんだ。

自分なりに必要だと思ったら仕事以外の事でも学ぶし、興味が沸いたら他人のやり方なんかさておき自分で楽しく学べる。

 

そんな私は今、清末あたりを勉強中。

いやー…浅田次郎先生のおかげで興味がわきまして。

 

蒼穹の昴、最高ッス!

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

リアルタイムで見ていた者から補足。

他の社会人には非常に厳しい行為だと容易に想像つくだろう。

この勉強法偏差値55以上の実力が必要だと感じられる。


元々、この一連のtweetは、某早大生が「世界史勉強したい」と言ったことに対して、「じゃあ最近高校生家庭教師をやっている俺が」という感じで始まったもの。

なので、上の元増田の指摘は全く正しくて、最初から偏差値高めの大学生のために書かれている。

さらに言えば、この二人は元々知り合いなので、相手がどれくらい本を読めるのかということも大体把握した上で書かれている。

なので、実際この後で、「山川通読とか難しすぎるでしょ」というツッコミに対して、「彼なら問題ないと思った」と答えているし、実際に家庭教師をしている時はここに書かれていない様々な指導があるよう。

2010-11-18

世界史教科書通読せよ」などという教師は

Togetter - 「高校世界史レベルの知識を即成でインストールする方法」 http://togetter.com/li/69858

ここに書かれた学習法が絶賛を受けているが、ちょっと待てよと言いたい。

まず、総論。「高校レベル世界史に通暁するとはどういうことか?」という問いに応えましょう。教材研究した結果から言えば、これは三段階の学習を行ったかどうか、になります。レベル1:〈通史〉。レベル2:〈テーマ史〉。レベル3:〈論述〉。この段階で世界史を頭にインストールすればよい。

とあるが、このレベル1からしてすごいものだ。

課題その1】「『山川世界史B』を通読する。回数は最低二周。」これができれば、Lv1〈通史〉は難なくクリアできます。

教科書を最低二周通読するって、どれだけの人間ができるのか。

「善くできた新書のように」読めというが、実際の山川教科書はこのような感じだ。

ナイル下流域のメンフィスを中心に栄えた古王国では、クフ王らが自分の墓として巨大なピラミッドを築かせた。これは神である王の絶対な権力を示している。中王国時代には、中心は上エジプトのテーベに移ったが、その末期にシリアから遊牧民ヒクソスが侵入し、国は一時混乱した。しかし前16世紀に新王国がおこってヒクソスを追放し、さらにシリアへと進出した。(P.25「エジプトの統一国家」)

これを「善くできた新書のように」興味を持って読めるのか?

このあたりは元から興味がある人も多いのでまだ読める方だろう。

イスラム世界での国家の興亡など、教科書のあの記述で興味を持って読めるというのか。

教科書は350ページ以上ある。

大半が「~した。~した。~した。」の羅列でできた文章だ。

「私も実践しよう」と言っている方も多いが、断言しよう、一周さえ読み切る人間はその1割もいない。


なお、あの学習法には、通読が厳しいという人のためのヒントも添えられている。

読むのがしんどい、なぜだろう? と思ったら、山川世界史リンク誘導を適当ネットサーフィン感覚で飛んでみてください。そのうち、「なぜ山川世界史電子教科書ではないのだろう?」と疑問に思うほどの学習効果を得られるはずです。そして、現代史まで辿り着けばよいです。

これは実にいい意見だと思う。リンクをつなげるようにして歴史をつかむのは非常に重要だ。

現役の高校生には「別ページのリンク誘導」に意識をして読むことを強く勧める。


しかし、そのリンク誘導が「読むしんどさ」をどのように解消するのか?

歴史的な事柄の羅列を読み、リンクがあって、飛んだ先も羅列。

ネットサーフィン感覚があれば、読むのが楽になると本当に思っているのか?

この「別ページのリンク誘導」は何も山川教科書だけの専売特許ではない。

多くの参考書にこういったリンク誘導はある。

リンク誘導を意識する」という指摘は大切だが、それは決して教科書がよいことにはつながらない。


あと、第2のテーマ史の実践だが、

さて、通史を終えたら、好きな世界史用の演習問題本を一冊、買ってきましょう。これはなんでもいいです。たとえば山川の『私大・二次対策世界史B問題集』http://amzn.to/9vBJI7 とかは、僕が今言っている話に応用しやすいものになっています。

入試対策の問題集を解き続けられる社会人はどれだけいるのか。

自分立場を他者に当てはめすぎていないか?

高校教師家庭教師塾講師なら仕事にもつながるが、他の社会人には非常に厳しい行為だと容易に想像つくだろう。

これを「素晴らしい方法だ、やってみよう」と書いている多くの人たちは、どこまで本気なのだろうか。



と、ここまで文句を書いてきたが、この学習法を書いた人を批判したいわけではない。

書き手は家庭教師をされているようで、これは実践の伴った学習法なのだろう。

論述」までも視野に入れていることから、国公立クラス受験生を指導されているのが分かる。

東大京大クラス頭脳を持つ人たちになら、

教科書を最低二回は通読しろ。それが第1レベルだ」

と言っても、善し悪しは別として納得はできる。

偏差値35から70までの高校生の相手をしてきた自分の目では、この勉強法偏差値55以上の実力が必要だと感じられる。


ここで強調すべきなのは、「実力の足りない人間が安易な気持ちでやれば確実に挫折する方法論」だということだ。


で、どうしてそのことを誰も指摘しないのだろうか?

それどころか、どうして「すばらしい」「私もやろう」と絶賛できるのか?

教科書を最低二周通読するなどわけもない意欲の高い人たちだらけなのだろうか。

てかさ、「賢く見える意見」にうなずいてるだけじゃねえのか?


腹が立つのは、学習法の書き手さんではなく、周囲の「教科書礼賛」の姿勢だ。

教科書礼賛。教科書万歳。「教科書を読めばいい」という教師とその指導法を安易に認める人たちだ。

教科書を読むだけで理解できる人に、「教科書を読め」というのは構わない。

けれど、教科書は万能なんかじゃない。


教科書歴史的事柄が簡潔に述べられたいい教材だとは思う。

だが、そこには絶対に「指導者の解説」が必要だ。

「なぜそれが起きて、どのようになったのか」の流れの説明を加える必要がある。

なのに、「教科書を読めば分かるはずだ」と工夫のない授業をする指導者が多すぎる。

それを助長しているのは、「教科書があれば大丈夫」という安易な考えだ。

そう、これを深く考えず絶賛している人たちの考えだ。


教科書を音読するだけ。

黒板に事実の羅列を書くだけ。

用語に線を引かせて覚えさせるだけ。


そんな授業でどれだけの世界史嫌いを産んできたのか分かってんのか?

「高校世界史をやり直したい人は、まず教科書通読しましょう」

そんな学習法で本当に世界史をやり直せる大人がいったいどれだけ生まれるんだ?

教科書を買ったはいいが、待っているのは事柄の羅列だ。

それを前にすれば、「世界史は難しい。無理だ」と思う人間を増やすだけじゃないのか?


教科書を読めばいい」なんて発言が出る人は、きっとすごく賢いんだろう。

俺にはその気持ちが分からん

工夫のない指導で世界史苦痛としか思えなくなった生徒たちを俺は何人も見てきた。

解説なしで教科書を読める人間は、上位の限られた層だけなんだ。


教科書通読する、それで本当にいいのか?



じゃあ、どうやって世界史勉強すればいいのか?

えー、あまり自信のない方向けに、簡単な学習法を書きます。

まず大型書店学習参考書売り場に出かけてください。

そこで買うのは、あの学習法の方も書かれていましたが、まず「用語集」と「資料集」です。

あの学習法は、「教科書を利用する」という点以外は、非常に参考になる学習法だと思います。

地図を手書きで書いてみるとか、ものすごい大切なことだと思いますよ。

あ、レベル2とレベル3は不必要です。

あの「論述理論受験テクニックで重要なだけです。

社会人なら、通読が終わった後は興味のある個別の歴史をどんどんのぞいてみましょう。

そっちの方が楽しくて身につきます。


で、あとは通読用の教材を買いましょう。

まずは実際に山川教科書をじっくり見て、読めるかどうかを確かめてください。

教科書だけですむのであれば、本当にそれが手っ取り早いです。

無理だなと思ったら、高校生用の学習参考書を眺めてみましょう。

そこには生徒に理解してもらうための工夫であふれた書籍が多くあります。

その中から、「背伸びせずに吸収できそうなもの」を自分の目で選んでください。


簡単にできそうなところから一歩ずつ。

歴史最初から最後まで眺めた――それだけでも大きな財産になるはずです。



追記

書いてもらったコメントを見て思いましたが、

教科書じゃなく参考書を読め」という自分意見も、たいして変わりませんね。

漫画でも新書でもゲームでも、何でもいいから歴史に親しめる入り口をまず作る方が大切。

それで興味を深めてから、教科書参考書で通史の知識をつかむのがいいですね。


通読だって「漫画世界歴史シリーズ」から始めて、教科書につなげてもいい。何だってありなんですよ。

自分参考書が大好きなので楽しめますが、あれでも無理って人はいっぱいいますし。

とにかく、「教科書通読ベスト」って意見が気にくわないだけで、親しめるところからまず始めるべきなんでしょう。


と、「背伸びをせず吸収できる」とか「親しめるところ」とか、具体的な意見を言わずすみません

人それぞれいろんな形があると思って、言いづらくなってしまうですよね。ごめんなさい……。

なので、トラックバックブクマコメントで、「勉強をこうやりゃ俺は面白いと思う」という意見を書いてもらえれば幸いです。

2010-11-02

母の苛烈すぎる性格

母親性格が苛烈すぎる。

いままで色んな趣味に手をだしてきたが、ドクターストップ人間関係不和破綻している。

スポーツ系のドクターストップならとにかくとして、およそ怪我のしようがないインドア趣味でさえドクターストップがかかるまで熱中する危ない人だ。

書道ヘルニア家庭菜園で疲労骨折だ。

飲まず食わずではないにしろ、一旦没頭しはじめると水分とカロリー補給の時間以外は止まらない。

当然、家事は手につかなくなる。

家族から文句は出るが、

母の趣味友は

あなたが頑張ってる姿をみて、みんな勇気付けられるんだから」

他人事だと思って適当な励ましを与えてくれる。

そんな母の友人たちも母の激しすぎる性格を嫌って、遅かれ早かれ去っていくわけだが。

今度きたブームは海外旅行だ。

国内温泉巡りの時もかなり危なかった。

苦行のようなスケジュールで出かけては疲れ果てて帰ってくることを繰り返していた。

車の運転が出来なくなって帰れなくなったりもした。

車の運転が出来ないってのは、故障とか、眠気とかじゃなくて、俺には理解できないんだけど頭の中が沸騰しすぎて運転出来なくなるらしい。

そして、今度は海外旅行の熱が高まってきている。

ヨーロッパをさらっと巡る旅をした。

得意気に添乗員に説明された文化遺産にまつわるエピソードなんかを家族にしたものの、たまたま母以外にとっては常識だった。

なんか悔しくなったらしい。

そして、俺の高校の世界史教科書を読み始めた。

久々に帰省したら、教科書最初の数章の余白にはびっしりとメモ書きがされ、付箋が挟まれ。ページは擦り切れかかるほどだった。

ヨーロッパの次はエジプトだった。

世界史勉強したら行きたくなったとか。

最初の章の勉強を終えるなり即現地に行く行動力がやばい

次は、インド、その次はパキスタンだった。

エジプト文明インダス文明ときたら、メソポタミア文明イラクは渡航できないだろうし次は中国あたりかな?っと思ったが甘かった。

エジプトパキスタンイスラムの魅力にとりつかれたようだ。

せめて英語が通じる国とか、せめて先進国とかいう発想はないらしい。

いつの間にか教科書イスラム世界の章まで進んでいた。

イラントルコ、そしてこの間はレバノンに旅立った。

レバノンイスラム国ではないが)

次はシリアパレスチナに行きたいと言っている。

もちろん、どの旅行も友達も家族も連れ立たず、一人でツアー参加だ。

「夫の稼ぎで暮らしてる専業主婦なんだからもう少し大人しくしとけ」

っと誰かいうべきなんだろう。

あるいは言ったのかもしれない。

しかし、言ってどうなるというのだ。

言って聞くような、理性的人間じゃないことは誰よりも知ってる。

そして、母がいない家は母がいるときよりもずっと平和なのである。

母の存在雷雨であり台風であり活火山なのだ。

欧米人ってさ、たまに極端な人がいるじゃん。

毎食ずっとビッグマックしか食わないアメリカ人とか、ヒョウに憧れて裸で暮らすフランス人とか。

たぶん母親はそっち側の人間なんだろうね。

そして、少なからず自分と弟にもその病的な凝り性の血は流れてる。

声を上げた記憶がないのに、ジム

「バーベルを上げ下げするときに叫ばないで下さい」

と注意されたことがある。

反動をつけずにゆっくりストレッチをしていただけなのに、肉離れするまで伸ばしてしまったことがある。

弟は考え事があると左右を確認せずに道路を渡る。

気付いてないだけで自分もそうなのかもしれない。

なんか怖い。

2010-10-09

物事をカラダで覚える人

もう12年も前のことだけど、弟が中三のとき、母親が中三の英語勉強を始めた。

負けるのが悔しかったらしい。

俺と父に負けるのはしょうがないと諦めていたらしいが、弟とドンペケ競争だけには勝ちたかったらしい。

一応は英文科出身のくせに、きれいさっぱり覚えていなかった。

アホ高校から推薦ってこんなもんなのかなって思った。

当時は。

それから勉強して今ではペラペラに・・・、はなっていない。

狂ったように同じ文を延々とノートに書き殴り、数週間でブームは去った。

今でも、全く喋れない。

英語スペルタイプできない。

そのくせ、人の話をメモするときは、英単語英語で書く。

本人が言うのには、手が覚えてるから英語になるけど、どういう文字が並んでるかはわからない、とのこと。

謎だ。

その一年後、弟の高校入学と同時に、高校数学に挑戦し始めた。

またもやまた狂ったように、だ。

ところが、因数分解で躓いた。

延々と、ノート教科書が真っ黒になるまで式を展開し続けたのに、逆の操作が全く出来なかった。

そこでドロップアウト。

翌年は化学に首を突っ込んだりした。

たしか、アボガドロ定数で早くもドロップアウトしてた気がする。

6.02×10の23乗という数字から理解出来なかったみたい。

説明してといわれても、なにが理解できないのかが理解できなかった。

それから10年ほど経ち、母は俺と弟の世界史教科書を頭から読み始めた。

本人が言うには一章を読み終えるとその前の章について綺麗に忘れてしまうらしく、一章を読んで、二章を読んだら、一章と二章を通読して、三章を読んだら二章を忘れてるから二章を読み直し、そしたらもう三章を忘れていてもう一度三章を読んで、そうしたら一章を忘れたから一章から三章まで読み直し、という風に何度も読み返してるらしい。

なんだかんだで近代直前あたりまで読んだみたいだが、このあいだ古代から読み直してた。

読み返す回数がフィボナッチ数みたいになってることに気付かないせいか楽天的だ。

それから、行って見なきゃわからんということで、ヨーロッパ旅行に行った。

そのあと、エジプトに行き、イスラム国に興味が強くなり、パキスタンイラントルコ旅行してる。

今度はレバノンに行くそうだ。

英語圏じゃないと不便じゃない?

と聞くと、英語だって喋れないから何語だっていいの!

ポジティブ

市場適当にモノを買ったりしてる。

いつも旅は1人でツアーに申し込んでる。

家族や友達を巻き込んだことは一度もない。

人に知らせずに出かけたほうがお土産を買わないでいいから楽だとかで、1人で行き先と日程を決めて一人で出かける。

すごい行動力だとは思うんだけど、白状するとあんまり本能の赴くまま動く人といるのって疲れる。

よく電話はするけれど一緒に住むのは勘弁だ。

2010-09-03

2冊のアクション書評 ピーター・ドラッカー堺屋太一

http://twitter.com/zaway/status/22888381585

ドラッカー堺屋太一。2人にはある1つの共有点がある。

それは、未来経済社会のあり方についての「ビジョン」についてである。それを堺屋太一は「知価社会」とよび、ドラッカーは「知識社会」と呼ぶ。キーワードは「脱工業化」、そして「知」だ。従来型の産業構造の転換が求められているという議論は、今も日本で話題になっているが、これは新しいようで古い。そこで今回は、彼らの著作の紹介を通じて、過去の議論をざっと見てみようと思う。

堺屋太一「知価革命

1985年に刊行された、堺屋太一未来予測本。

当時はかなりの反響があった。鉄鋼やエレクトロニクスなど日本製造業が絶頂期にあった中、周囲からのひんしゅくを恐れずに堂々と脱工業社会の到来を予言した。ある意味で、時代を先取りしすぎた本と言えるかもしれない。

まず著者は、古代以来の世界史の「精神史」的側面を振り返りつつ、現在世界が直面している変化を位置づける。むかしは、カネや領土を追い求めた「物質」尊重型の古代文明ローマ帝国中国漢王朝のような)、古代の巨大帝国が崩壊すると今度は、信仰に篤く慎まやかな生活をおくる「精神」尊重型の中世が到来した。それが、産業革命以後の近代ではまた「物質」を追い求める時代へと転換した。その意味では、現代社会価値観古代帝国が基底にある。

しかし、足下ではこれが中性的な「精神」尊重型の社会に立ち戻る動きが見られる。2度の石油ショックが起こり、これで資源が有限であることに人々は気づき環境意識が高まっている。「このまま大量生産、大量消費を続けたら我々はまずいのではないか」、そうみんなが確実に思い始めている。この流れの延長線上にある社会の姿と位置づけるのが、「知価社会」である。

知価社会とは「デザイン性やブランドイメージ、高度な技術、あるいは特定の機能の創出といったことが、物財やサービス価格の中で大きな比重を占めるようになる社会」と定義する。ここで、単に情報産業サービス産業などという特定の業種転換より広い意味をもっていることに注意したい。むしろ、強調されているのは製品としての「コモディティ」の終焉である。彼は確かにこう書いている。「安い規格品よりも高級なブランド品が、より長く使われる「知価」の部分が肥大化した価格攻勢が一般化する」(文庫版p225)。

すでにアメリカでは知価社会への適応が進んでいる。単純な製造業が衰退する一方、ブラディング、マーケティングサービス産業の比率が高まっている。翻って、我々日本にとられるべき選択肢は2つ。知価社会への移行を推し進めるか、それとも従来の工業社会の基盤に固執するか、だ。日本が取るであろう道について、彼は製造業での成功体験が忘れられず従来型産業構造維持型の政策を取り続ける可能性は高いと予測している。しかし、その道は安易であり、長期的に有利とは限らない。国際環境の変化に適用できない硬直化に陥る危険性があると警鐘を鳴らし、締めくくる。


ピーター・ドラッカーポスト資本主義社会

原著は1993年刊。この時齢83歳。

ドラッカーといえばマネジメントだが、 本来は政治社会批評家である。彼がマネジメント研究に入っていったのは、その思想を実践するための手段としてマネジメントが有効だと気づいたからにすぎない。

彼はまず産業革命が起こった要因について振り返り独特の解釈をする。産業革命を起こったのは、生活水準資本の変化意外に、1700年以降から変わったある決定的な要因があった。それは職業組合などの内部のみで、数千年に渡って発展してきた秘伝としての技能が、初めて収集され,体系化され、公開された。技術学校や「百科全書」のような書物によって経験は知識に、徒弟は教科書に、秘伝は方法論に置き換わった。この「知識」こそ、道具,工程製品への応用の連鎖をうみイノベーション加速度的な発展を促したものだった。

そして、今、知識の役割はさらに重要になっている。放射線治療機器CTスキャナ、高度なCVD装置、超高速のスパッタリン装置。今の製造業の基盤になっているこうした生産手段は、労働者の高度な知識があって初めて動く。昔の資本主義がそうであったように、けっして労働者歯車のように資本家に所有された代替可能な機械ではなくなっている。従来の資本主義にあったような「資本家労働者」という次元は今や完全に消滅している。今や富の創出の中心は、資本労働土地から、人間の知識そのものへと移行している。

ドラッカーは、このような形で変化しつつある社会を「知識社会」と称した。そうした社会では、労働者達の知識を効率的に活用し、いかに収益にむすびつけていくか(これをドラッカーは「知識の生産性」といっている)がこれまで以上に国,産業企業競争力にとって重要になってくる(p244)だろう。それはこれまでもそうだったし、これからはさらにそうなっていくだろう。イギリス過去CTスキャナコンピュータ抗生物質ジェット機を開発したが、それを製品サービス仕事転嫁できず、アメリカに抜かれていった。他方、アメリカアメリカマイクロチップコピー機、工作機械などのパイオニアだったにもかかわらず、日本企業がそれらの市場を奪取するのを指を加えてみるしかなかった。そして、日本は、自らが事業の先鞭をつけたほとんどの主力産業液晶テレビカーナビ、電池)で韓国中国企業の強烈なキャッチアップを受けている。

では、いかにして知識の生産性を高めることができるのか?それを実現する手段が「組織が成果を生み出す機能を高めること」。つまり、マネジメントなのである。この結節点において、社会学者としてのドラッカー経営学者としてのドラッカーとががっちりと連結される。

2010-07-21

アクション書評 梅棹忠夫文明の生態史観」 (1966)

①まず読んで、これはずるい、と思った。

第一にこれはきちんとしたかたちの「論」なんかではない。

著者自身がくりかえしそのことを強調している。「文明の生態史観」は今後の研究のための作業仮説であり、デッサンであり、研究計画、である、と。つまり研究者にとって、もっともしんどいけど絶対に必要な、史料や文献によって自分の仮説を検証したり補強したりするという作業をすっ飛ばしている。記者が、裏をとらずに想像で書くようなものだ。政治家が、公約だけで政治を行うようなものだ。

②そうはいっても、このビジョンはすごい。

 なぜ世界(ことユーラシア大陸内)には経済が発展し豊かな国々がある一方で、貧しい国があるのだろうか。なぜ他ならぬ日本けがアジアの中でこれほどまでに高度な経済発展を遂げているのか。まずこの問題意識がいい。こうした問題意識は、こんにち「グローバルヒストリー」として、世界史の1つの重要研究テーマになっている。著者は50年前の早くからそれを予見し、問題提起をおこなっていた。この先見性には、正直舌を巻く。

 また、その問題意識のもとで提示した仮説も面白い。とくに著者が両者を分け隔てたものとして強調するのは、西洋日本はともに封建制で、それ以外のユーラシアの国々は、独裁制専制君主制をもっぱら、敷いてきたという指摘だ。前者は1人当たりの富を育成する方向に進むが、後者は特定の為政者に富が集中したまった富がおりていかない。(ただ、一口封建制と言っても、日本西洋封建制は実はかなり違うものであることが専門家から指摘されていることには注意したい)。

③ただ、さすがに時がたったな、と思う記述もある。

 それは、この本で扱われる日本ポジションだ。西欧社会に唯一肩を並べる、ユーラシア大陸でも特別な存在、として描かれている。日本が今繁栄しているのは、(後進国中国はなく)先進国西欧社会文明史的な共通点があったためだ、と主張する。「日本とそれ以外のアジアでは交通、通信など密度がぜんぜん違う。決定的な違いは工業力だ」とまで言い切っている。梅棹先生がも50年後にこれと同じテーマで本を書いたとして、日本について同じような見方をできるだろうか。興味深い

2010-07-19

累進課税税金の本来の形ではないわけだし、消費税が逆進的だって別にいいと思うな

小学校の頃に、税金の大切さを教えるアニメビデオを見せられた。

で、ビデオを見る前に先生がすこし話をする。

お金持ちから多めに税金をいただくことで、貧富の差を少なくすることが出来ます。うんぬん。」

で、ビデオ上映開始。

ストーリーはこんな感じ。

宇宙人地球にやってきて、主人公たちを自分の星に招くの。

その星は税金がなくて、電気も水も自家発電、自家浄水。

貧しい人は大変。

そこに、危機到来。

たしか隕石が衝突しそうになるかなにかだったと思う。

それぞれの家の発電機提供して、巨大な出力をだしてなんとかするの。

それぞれが自給自足するより、みんなが力を合わせる事が大事でって感じでまとめられた。

そのあとはストーリーから離れて、みんなから集めた税金でこんなことをしてるんですよーってインフラ整備が紹介されておしまい

紹介されてたのが道路とかダムとかってのが今考えると自民党時代だなぁって感じだけど、そこには突っ込まないでくれ。

で、子供ながらに思った感想

「あれ、先生の説明とちがくね?

個人じゃ無理な事業に必要な資金や労力はみんなで負担しましょうって話じゃん。」

時は流れ、高校時代、理系のくせに世界史をとったりしたんだけども、累進課税、というか所得税さえ世界歴史に出てこないんだな。

労役であれ、人頭税であれ、金持ちだろうと貧乏人だろうと、基本的にみんないっしょ。

とにかくむしる。貧しい人ほど辛かったのは想像に難くない。

公共サービスを受けるための対価だったんだろうな。

日本に住んでると忘れがちだけど、昼間外を安全に出歩けて、夜は安心して寝れるということがすでに治安っていう公共サービスを享受してるってことなんだよね。

全員定額の税(全部貨幣じゃなくて、物納や労働もあり)と、通行税みたいな(インフラの、公共サービスの)利用者だけが払う税金の二本立て。

で、時代が進むと、税金は定額のもの他に定率のものが増える。

収穫の1割とか、土地面積に比例してとか。

でも、所得税ってより資産税みたいな感じで。

で、現代。

定率どころか、所得額に応じて税率が増える累進課税

素晴らしい発明だよな。

基本的に賛成してるよ。

余裕がある人は、余裕がない人を助けるべきと思ってる。

行き倒れがいたら介抱してあげるべきだし、困った人は助けるべきだ。

でもさ、忘れちゃならないのが、税金ってそもそも貧富の差をなくすためにあるわけじゃないってこと。

自然に考えれば、定額か定率が本来。

富の再分配も重要だけど、第一義的な役割じゃない。

財政赤字なら、貧乏人が可哀相とか、消費税は逆進性が強いとか、そういうことを言ってる場合じゃないだろって思う。

それに、あんがい絞っても絞っても、そりゃ苦しいだろうけども餓死者なんか出ないと思うんだよね(笑)

2010-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20100626022554

十数年前までは最安娯楽のネットすらなかったんだぜ?

現代日本世界史上で、もっとも安価な娯楽が溢れている時代だというのに・・・

2010-06-09

生活保護世帯からの東大受験

あなたの偏差値は55くらい。勉強で苦労したことも特に無いけど、テスト前にちょろっとやるくらいで

まぁ基本的に自宅で机に向かったことなんてない。そういう人が、生活保護世帯から東大へ向かうためのエントリ

まず、東大の基本は鉄拳にあると言っても過言ではない。

というのも、まず適当な高校に通ってると教師に「東大に行きたい」などと言った日にはキチガイ認識されること間違いなく

それどころか真剣精神科を薦められる可能性すらある。こういう状況は全く以ってよくないので、

自分でなんとか環境を作らねばならない。そうなると、自然予備校にいけ」という話になるが、

それはそれ、カネがかかる。そこでお勧めの方法は代ゼミ等有名予備校近くのゲーセンに行き

鉄拳バーチャ等の周辺をウロウロすることである。出来ればちょっと戦えるレベルの実力があれば申し分ない。

そこには「まぁ、十月からマーチでいいや」と背中に書いてある部類のクズがウロウロしてるはず。

クリスティーナ等の初心者でもそこそこ戦えるキャラをチョイスし、二勝三敗で負けて友達になろう。

彼は快く参考書コピーさせてくれるどころか、学生証すら貸与してくれるはずだ。

こうすることによって、ナチュラル代ゼミという環境をゲットすることが出来る。講師にはどんどん質問しよう。

ただし、稀に来る見回りにだけは用心だ。

さて、予備校にはこうして潜入したもののあなたは偏差値55である。

ぶっちゃけ、たいした力にはならないだろう。しかし、周囲が全部受験生という環境を得るのは非常に大事である。

もし、最低限の社交性があるならコミュニケーション能力に末期レベルの障害を持った友人を作るのを薦める。

彼はとても親切かつ熱心にあなたの受験を支えてくれることだろう。

受験は個人戦ではなく、団体戦である。個人でモチベーションを保つのは難しい。

しかも、あなたは生活保護世帯である。アルバイトも忙しい、二浪はやむないとして資金は最低150くらい貯めておきたい。

だが、地方出身者でも二種・一種の奨学金を併用すれば大抵の場合なんとかなるのでここはさほど心配ない。

それは環境は整った。では、ナニからはじめるべきか。

色んな考え方があるが、私が推奨するのは「東京大学過去問」+ 「センター過去問」である。基本はここだ。

まず、何でもいいから両方を手に入る限りやろう。センターに関しては偏差値55のあなたなら半分はとれるはず。

ブックオフでわりと安く手に入る。「参考書を一周してから模試」のような考え方は、貧乏人の受験には通じない。

あれは家庭教師などというチンコから糖が出そうな甘い環境のやつが取るべき戦法だ。

基本的に過去問を総当たりしてから参考書に挑む方が、遥かに効率がいい。

社会生物などの暗記科目はこれをやるだけで普通人間であれば八割近く取れる。

センター10年分の過去問総当たりは三週間あれば終わるはずだ。この頃にはあなたの偏差値は58くらいになっているだろう。

だが、早稲田慶応のような私大過去問に手を出してはいけない。あれはジャンルが違う。

東大過去問はやりたいならやってもいいが、まだやってもシバかれるだけだろう。京大過去問立ち読みすらしないほうがいい。

この頃、「~大学なら受かるな」という気持ちがわいてくることは避けられない。

実際、マーチはいけるだろうし早計も視野に入るだろう。だが、あなたはこの気持ちを噛み殺し東大にまい進すべきだ。

東大に第二志望は無い、私大対策にかまけた場合ダブル落ちすらありえる。

また、この頃から予備校通いが面白くなってくるはずである。基本的に、授業は楽しい

なぜなら、予備校というのは受験勉強ディズニーランドだからである。ぶっちゃけると、幾ら質の良い講師とはいえ

予備校よりは独学の方が早い。しかし、勉強してテンションが上がる状態に持っていくという意味で、予備校は使った方がいい。

多少時間をロスしても、ドトールに居座って仲間と勉強しよう。

ここで、あなたの前に巨大な壁が現れる。

数学はなんとかなるだろう、あれは基本的な計算能力さえあればあとは暗記に過ぎないのだから。

理系のトップを狙うならともかく、センター数学は二ヶ月で満点取れるように出来ている。

東大の本試験も言うほど難しくはない、淡々とやればなんとかなる。

だが、この頃から「英語」の恐怖にあなたは陥れられる。なにせ、あなたは真面目に勉強をしたことがない。

つまるところ、英単語の持ち合わせが少ないのである。

これははっきり言って、時間がかかる。だがやるしかない。

とりあえず、まずやるべきことは英単語帳を窓から投げ捨てることである。

あんなもんはどんだけやっても身にならない。じゃあ、「六本木に行って外人と飲めよ」って話になるかといえば

それもノーだ。あいつらはファックとアスだけで大体コミュニケーションが取れるからダメだ。

では、どうするか。これは一見遠回りのようだが、過去問に出て来る文章をひたすら追うことに加えて、

過去の問題集から類推した出そうな文章をを「読む」ことと「書く」ことである。リスニングぶっちゃけ捨てろ、語彙さえあれば八割は取れる。「英語耳」なんて存在しない。知ってる単語は聞き取れる、後はセンスオブワンダーだ。

山といえば川、空と言えば海、俺と言えば素人童貞というように、言語には流れが存在する。

ある程度単語の形から、意味類推出来るし文脈でも読める。100パーセントは必要ない、

意味論的表象像が脱構築されたポストコロニアルの時代にあって観念論的自我デカルト以後に仮定された実体性を空隙と看做す」

たとえばこういう文章があるとする。これは日本語だ、「意味わかるか?」と言われれば俺もわからんが。

それでも、なんとなーく意味はとれるだろう。つまるところ、英語って割とその程度で取れる。

後は、とれるところをキッチリ追うことだ。単語帳を追うことも大事ではあるが、言葉自体の流れを追う力は

文章を読むことでしか身につけられない。この文章を読んで「自分ってわからないよね」っていうくらいのところが取れれば

後はなんとかなるのである。ちなみに、文法は高校三年間分全部まとめて一ヶ月でなんとかなる。覚えろ。

物理化学生物のチョイスは俺は基本的に『日本語が読めれば出来る』生物がお得だと思うが好みでかまわない。どれでも変わらん。

世界史日本史は暗記で取れる、暗記しろ。国語現代文日本人なら問題形式を把握すれば満点近く取れる。古典は覚えろ。

現代文が取れない奴は問題を作る奴の立場に立て、あれは必ず文中に答えがある。稀にないこともあるが、それは誤差だ。

だが、一教科のマニアにはなるな。9割で十分だということは深く認識しておいた方がいい。50点から90点を目指す労力とそこから100点を目指す労力は大体同じくらいだ。10点くらい犬に食わせろ。

サプリメントに頼ることも重要だ。

ヒデルギン、ピラセタム、カフェインブドウ糖、アドラフィニル等役立つもの世の中にはある。

アドラフィニル以外は自由に使え。ただし副作用には注意しろ。俺の頃はリタリンがあったが最近はない。残念だ。

また、追い込みの時期になると団体戦だったはずのスクラムが足の引っ張り合いになっている可能性は120パーセントである。

最後の四ヶ月は予備校なぞいらん、誰とも会わずに勉強しろ。

終盤はひたすら過去問に加えて英文を読め。結局のところ勝負を決めるのは英語だ。

帰国子女連中への憎しみをたぎらせれば越えられるはずだ。あいつらがバックでファックしてる間に単語を三つ覚えろ。

あとは普通にやれば受かるはずだし、仮に東大すべってもどこかしらの旧帝に後期で滑り込めるはずだ。

東大はやるべきことをきちんとやれば受かる。

東大に入っても幸せになれるとは限らんし、俺は幸せになれなかったが

東大に入ることは幸せなことだと約束しよう。世界を常に見下せるのはとても良いことだ。

がんばれ受験生金持ち死ね

2010-05-04

アクション書評 マクニール「疫病と世界史

 1976年刊。米国を代表する歴史学者ウィリアム・マクニールの主著で、その後のグローバルヒストリー研究にも絶大な影響を与えた。ジャレド・ダイアモンドベストセラー「銃・病原菌・鉄」のタネ本の1つとしても知られる。

 本書で中心となるメッセージは、次の1点に集約される。「疫病の流行が、世界史重要な決定要因でありつづけてきたのにそれが無視されてきた」ということ。昔の人類がいかに疫病に苦しめられてきたか、また疫病が歴史上の事件にいかなる影響をあたえてきたか、医学の発達した現在においてはそれらを実感することは難しい。史料の乏しさも手伝って伝統歴史学ではこの重要な要因が無視されてきたことをマクニールは冒頭、痛烈に批判する。数少ない史料を補完するように、彼は一流の歴史家として培った卓抜な想像力を武器に、議論を展開していく。例えばこんな具合に;

インド地域での諸王国はなぜ、なぜいつも外部から簡単に征服され、その征服王朝も短命だったか。その背景には、高温多湿な気候がはらむ高い厄災リスクが、各王朝の国力(人口)を削いできたからではないか。カースト制度も同様に、病原菌に侵された原住民への隔離意識というものがそもそもの発端にあったのではないか(上巻p160)。

欧州文明の中心が地中海世界から北部へと移動していったのは、長い間くりかえされてきたペストの影響が大きい(上巻p209)。西暦634年から、急速に拡大していったイスラム勢力に対して東ローマなど欧州勢が簡単にやられてしまったのも、542年以降に地中海世界に繰り返し起こっていたペストによってかなりの国力をそがれていたのが一因だ。

・その後、欧州でしばらく活動を休止していたペストは、なぜ14世紀になって思い出したように全ヨーロッパで猛威をふるったのか。それは大モンゴル帝国の影響がある。もともとヒマラヤ山脈を本拠地としていたペストは、モンゴルの同地への征服活動の結果中国に広がり、それが交易路に乗って1348年のヨーロッパに到着し大流行した。実際、1331年にペスト中国流行ユーラシア草原部は1346年を軌に人の流れが止まった。その地にいた人が病気ですっかり死んでしまったからだ(下巻4章)。

・16世紀初頭。スペイン人が新大陸アメリカに侵入してきたとき、アメリカ原住民天然痘などに為す術も無く犯され人口は20―25分の1に激減した。これは無理もない。ユーラシアヨーロッパアフリカ間の広大な土地がもたらす生物多様性の中で、繰りかえしの厄災をくぐり抜けてタフになったヨーロッパ人に比べると、アメリカ原住民はただの無垢なヒトにすぎなかった(下巻5章)。

 そして現在天然痘ペストコレラなどの医学対処法が完成し、新大陸アメリカのように無垢な住民が大量に存在する未開拓エリア存在しない。つまり、私たちは数千年の人類文明史上初めて、疫病による大量死のリスクが消滅した時代に生きている。このことはもっと認識されていい一方、気を抜いてもいけないと著者は警告する。マッドサイエンティストたちが、有毒かつ伝播性の高い病原菌を作りだす危険性もあるし、地球温暖化の進行は我々と病原菌とのバランス(均衡)を崩すかもしれない。また今後起こりうる地球生命体との接触は、我々人類に全く新しい疫病をもたらすかもしれないのだ(下巻6章)。

 強く感じさせられるのは、この難解かつ前人未到だったテーマに果敢に挑んだ著者の気概だ。特に、紀元前のころの疫病の影響については有用なデータがほとんど存在しておらず、事実上推測することしかできていない。普通研究者ならば、こんな局面に直面したとき「やっぱりこのテーマ止めようか」となる。あるいは周囲からそのように諭される。にもかかわらず、これだけ自信をもって堂々と議論を展開している所に、何だか読んでいて勇気すら与えられる。清々しい本。

http://twitter.com/zaway/status/13367034409

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