という、唐突な犯罪告白を職場の同僚からされて、リアクションに困った。
で、何でそんなことしたん?って聞いたら、「電池が入ってる様子もないのに何で動いてるのか不思議で、中身を確かめてみたかった」だそうだ。
へ、へぇ……。私が小学校高学年か中学生くらいの頃に、テレビで「いまどきの子供は海に魚の切り身がそのまま泳いでいると思ったり、動物は乾電池で動いていると思っている」なんて評論家だかコメンテーターだかが言っていて、そんなバカなwと笑った記憶があるけど、まさか同僚がその類いだとは。
私は同僚に「自分で切り刻むまでもなく、道端には他の動物に殺されたり車に轢かれたりして中身をぶちまけている生き物の死骸が転がってるじゃん。図鑑のうしろの方のページとかに、動物の解剖図くらい載ってるじゃん。アサリの味噌汁食えば、アサリのハラワタがどうなってるかくらいわかるじゃん。なのに何で、わざわざ自分で生き物解剖しちゃうんだよw」と言った。同僚は「いやなんか不思議で……」と口ごもった。
同僚は、自身の幼い頃の行動を「両親も祖父母も働いていて家におらず、兄弟姉妹もいないので、一日中独りで留守番していたせいで見識が狭くなった」と分析している。うーん、そういうもんなのかな。そう言われてみれば、同僚のように小動物を解剖しようとなんか考えたこともない私は、子供時代には母方の祖母が付きっきりで育ててくれて、近所には父方の祖父母や親戚が住んでて、地域の子供集団とも付き合いがあった。そこそこ自然のある地域だったし、家では猫や犬も飼われていた。そういう環境で学ぶことは多いのかもしれない。
それとも、同僚の家族一同、小さな子供を終日独りきりで家に閉じ込めておくことに何の疑問も懐かないという、共感性の欠落っぷりが、同僚にも、遺伝か育て方かわかんないけど、受け継がれたのかな。
問題は2つある。
一つは、芸能人は報道対象のニュースの分野についてほとんど素人であるということと、
もう一つは、ニュース(と俺は認めないが)のソースの多くが取材や記者会見などの一次情報ではなく、SNSやテレビ番組上の発言による、取材を介さない情報であることが多い、ということだ。
シン・エヴァのラストで大人シンジは真希波マリさんと仲良く結ばれて幸せになる訳じゃないですか。
で、シンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコ(嫁)ってのはもうこれでもかってなくらい定説となった訳なので、
これは庵野監督からの「お前らもさっさと結婚して真人間になれ」みたいなメッセージとして捉えてる連中がわんさかいる訳よ。
あんなの単に「私は愛する人を見つけて幸せになりました、以上!」程度のものなんだよ。
お前の事なんて眼中にないんだよ。
そもそもシン・エヴァンゲリオンは「大人になる」が一つの大きなテーマだ。
Qの頃からアスカがシンジの事をしつこく「ガキシンジ」と呼んでいたあの流れと地続きなんだよ。
映画の中で色んなものに触れて影響されて、最終的には親父のやらかした事に自分が「ケジメを付ける」って言い張る程度に成長してみせた。
ゼロと言っていい。
マリが最後に登場したのは、シンジがゲンドウと色んな意味で決着を付け、自己犠牲で世界を救おうとした所を母親に救われた後だ(多分。記憶曖昧)。
マリがシンジを救ったんじゃなく、救われたシンジを迎えに来ただけ。まぁそれだけでも極めて重要だと思うけど。
まぁ何が言いたいのかと言うと、「結婚して真人間になれ」ではなく「真人間(成人)になった結果結婚した」的な流れという事だ。
なので大事なのは「新劇場版エヴァンゲリオンが提示する『子供から大人への成長』とは何か?」を考察してく事なんじゃないか?
多分ゲンドウに関しては「大人になりきれなかったままユイと出会いシンジという子供ができてしまった」って事なんだろう。
って事は「セックスして子供を作る」イコール大人になるという訳じゃないと、作品そのものが物凄い勢いで訴えてる訳だ。
じゃあ大人になるって何なんだろうな?それはみんなで全力で考察してくれ。
庵野のノロケに目を眩ませられて本質が見えてない人たちにちょっと苛立ってしまったので書き殴った。上記考察の異論は認めるというかむしろ歓迎する。
ご褒美じゃん。
そんな事件はたまに聞くが、
もし自分がそういうことをしようと思ってけっこう頑張っても、そういうサイトに行き着けないと思う。
別に特別ネットに詳しいわけでもなく特別疎いわけでもない普通のおっさんだが。
まあ、Bit Torrent=割れ=違法、という感覚自体が古い、といわれたら反論できないけどね。今日日わざわざP2Pとかやるために入れてる人もいないでしょう。
なんか、「ルナルナがあるだけで彼氏持ちとみなすなんて」と同じ構造がオタクが使うアプリ?にも同じように存在してるのが草だな
もう誰も『PUI PUI モルカー』の話してない