ちょ、ちょっとまって😥
アニメキャラデのポプラが一番かわいくてエロいのは自明の理なのに
つーかぽぷらまじ意味不明
ぽぷらってよりかはワーキングのぽぷらの周りの人間が、の間違いか
ちっちゃくないよが口癖のくせしてあんだけでかいものぶらさげてるのに、まったくそれに触れられないとかほんとおかしいだろ
いなみがむねちいさいのきにするみたいなのはちょっとあったけどさ
あああああああああどうでもいいからぽぷらのエロ同人もっとかけよオラ
ちなみにこれまで見た中で一番よかったのはうたたねのだな
切替時の2時間を捨てられれば別にシステム改修の必要はないよ。
若干アオリ気味にいってるから嘘が混じっているけれど、実際海外との時差まで気にしなければいけないシステムなんて日本にはほとんどないよ。
思考実験なんだけど、生活保護の人を全員殺したとしてさ、納税者が何か困ることってある?
それが起きにくい設定をあとで考えてみる。
その前に余計な揚げ足取りを排除するために少し言葉を定義し直したい。
納税額が受益額より少ない人の中から子育て中の人を除いた人をターゲットにする。その人たちを広義のナマポと呼ぶね。
それ以外の人を納税者と呼ぶ。
定義は以上。次設定ね。
広義のナマポの人だけが何の前触れもなく忽然と消滅するとする。
広義のナマポの人に何か貸してた人が居たとしたらその人が貸したものを返してもらえなくなったというレベルの困り事や消えた人の部屋などの整理を納税者がやらされる程度のことしか思いつかない。
あとは運転中の車が事故るとか今後広義のナマポになる可能性の高い人が恐怖心や怒りなどから重大な犯罪を引き起こす、とか?
ならばこの一回だけそれが起きて今後は起きないという事をなぜかみんなわかってたとしたらどうかな?
なにか困ることあるかな?
あえて言うよ。
消防救急警察とか即時対応必須なシステムはあるけれど、それが「現在の時刻」を必須にしていることなんかないよ。
あとからの記録振り返りに必要とか言うかもしれないけれど、今の政権はあとからの振り返りなんか必要ないとしているからな。必要な部分があるならあとからの振り返り以外で考えてみなよ。
手帳型のカバーつけてるけど、たまに外すとめちゃくちゃ薄くて軽く感じる
坊主にした
夕食は家焼き肉だったけどフライパンで焼いて皿に盛り付けられたのを食べるスタイルで正直イマイチだった
肉も、肉自体はいい肉(近江?)らしかったが、うすすぎて安物オージーと同じようにしか感じられなかった
朝からひるすぎまできつくて寝てた
火傷しそう。
屋根でいいじゃん
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1256426
このまとめに関するブコメを見ながら、強い疑問を感じている。
たしかに無謬のものなど存在しない。誰もが間違えるし、誰もが過ちを犯す。
だからこそひとつの失点ですべてを否定するべきではないし、ひとつの加点ですべてを肯定すべきでもない。
優れたプレイヤーであるにもかかわらず、たったひとつ失策をしただけでそのプレイヤーを追放してしまえば、むしろゲーム全体が劣化することになるだろう。
だからこそ僕らはプレイヤーに対して、「是々非々」で対応すべきだ。
僕はこれを、とても正しいと思う。
では何故、今回のこれらのブコメに疑問を感じたのか。
端的に言って、僕の疑問はこういうことだ。
「ルール違反のなかで為された物事と、ルールの上で為された物事を、等価に置き、是々非々とするのは、果たして正しいのか」
・立法事実の捏造、および捏造が認められた立法事実に基づく法案の強行(高度プロフェッショナル制度)
などの出来事を指している。
このどれもが近代国家、法治国家、民主主義国家において、重大なルール違反であることは、言うまでもないだろう。
どれも自民党がこれまで成し遂げてきたこと、そして成し遂げようとしていることだ。
「ルール違反のなかで為された物事と、ルールの上で為された物事を、等価に置き、是々非々とするのは、果たして正しいのか」
僕はこれについて、正しくない、と考えている。
何故か。
民主主義国家において、ゲームの主導権を持つのは、常に国民だ。
だから、ゲームが成立する限り、どのようなひどいプレイであれ、どのような優れたプレイであれ、諦めることも、やり直すことも、継続することも、改めることも、国民の手によって行うことが出来る。
だからこそ、本当に僕らが恐れるべきは、ゲーム自体が崩壊することに他ならない。
そうなった場合、諦めることも、やり直すことも、継続することも、改めることも、僕らの主体的な意思では、決して行うことが出来なくなる。
だからこそ、重大なルール違反が行われたなら、いかにルールの上で優れたプレイが行われて居ようと、退場しなければならない。
そうでなければ、ルール自体が軽視され、より力の強いプレイヤーのやりたい放題になり、ゲーム自体が崩壊するからだ。
ひとつの失点ですべてを否定するべきではないし、ひとつの加点ですべてを肯定すべきでもない。
けれどそれはルールが守られているからこそ機能する態度でもある。
僕らの多くが「基本的にはあなたを応援しているけれど、これについては改めてほしいな」と声を挙げれば、少なくとも議論が巻き起こる、そういう状態であるからこそ、有用なのだ。
どんなに支持者が声を上げても、議論の一つも起こらない。すべては無風状態で粛々と進められる。
さらに、その状態がもっと進めば、今度は、非を唱えることさえ、「是々非々」であることさえ許されなくなるのだ。
事実、現在の中国や北朝鮮では、自国のトップへの批判はできない状態にある。
こういったゲーム崩壊の行き着く先が、ユダヤ人の虐殺や、天安門事件と言った、基本的人権を蹂躙する暴虐であることは、歴史にある通りだろう。
正直なところ、我が国もまたゲーム崩壊の瀬戸際にあるように感じている。
そのように首相近辺が公言したことは周知の通り。これは「非」が許されない状態とほぼ等しい。
この状態に「そう言うことは許されない」という声が自民党内部から何故、噴出しないのか。
森友加計問題。高度プロフェッショナル、水道民営化、サマータイム。といった問題もそうだ。
どれも、党内で多くの異論が撒き起こって然るべき類のものであり、支持者の間でもこれらを否定する意見は噴出している。
議員というのは本来、一人一人それぞれが国民が選出した代表だ。「その党だから」以上に、「その人だから」選ばれた存在だって少なくない。
ならば、より自民党内からの異論や反対意見が、活発的にニュースを騒がせるべきだろう。
それなのに、自民党内は無風のままだ。
僕はもう、自民党と言う組織の中で、完全にゲームは崩壊しているのだと認識している。
そして、権力者の身内で行われているこのような状態が、僕ら一般市民まで適応されないなどとは、僕はどうしても思えないのだ。
「女の子が頑張ってるのに何でお前は帰ってるんだ」とか怒鳴られたな
どうした? 早くしろよ