http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1256426
このまとめに関するブコメを見ながら、強い疑問を感じている。
たしかに無謬のものなど存在しない。誰もが間違えるし、誰もが過ちを犯す。
だからこそひとつの失点ですべてを否定するべきではないし、ひとつの加点ですべてを肯定すべきでもない。
優れたプレイヤーであるにもかかわらず、たったひとつ失策をしただけでそのプレイヤーを追放してしまえば、むしろゲーム全体が劣化することになるだろう。
だからこそ僕らはプレイヤーに対して、「是々非々」で対応すべきだ。
僕はこれを、とても正しいと思う。
では何故、今回のこれらのブコメに疑問を感じたのか。
端的に言って、僕の疑問はこういうことだ。
「ルール違反のなかで為された物事と、ルールの上で為された物事を、等価に置き、是々非々とするのは、果たして正しいのか」
・立法事実の捏造、および捏造が認められた立法事実に基づく法案の強行(高度プロフェッショナル制度)
などの出来事を指している。
このどれもが近代国家、法治国家、民主主義国家において、重大なルール違反であることは、言うまでもないだろう。
どれも自民党がこれまで成し遂げてきたこと、そして成し遂げようとしていることだ。
「ルール違反のなかで為された物事と、ルールの上で為された物事を、等価に置き、是々非々とするのは、果たして正しいのか」
僕はこれについて、正しくない、と考えている。
何故か。
民主主義国家において、ゲームの主導権を持つのは、常に国民だ。
だから、ゲームが成立する限り、どのようなひどいプレイであれ、どのような優れたプレイであれ、諦めることも、やり直すことも、継続することも、改めることも、国民の手によって行うことが出来る。
だからこそ、本当に僕らが恐れるべきは、ゲーム自体が崩壊することに他ならない。
そうなった場合、諦めることも、やり直すことも、継続することも、改めることも、僕らの主体的な意思では、決して行うことが出来なくなる。
だからこそ、重大なルール違反が行われたなら、いかにルールの上で優れたプレイが行われて居ようと、退場しなければならない。
そうでなければ、ルール自体が軽視され、より力の強いプレイヤーのやりたい放題になり、ゲーム自体が崩壊するからだ。
ひとつの失点ですべてを否定するべきではないし、ひとつの加点ですべてを肯定すべきでもない。
けれどそれはルールが守られているからこそ機能する態度でもある。
僕らの多くが「基本的にはあなたを応援しているけれど、これについては改めてほしいな」と声を挙げれば、少なくとも議論が巻き起こる、そういう状態であるからこそ、有用なのだ。
どんなに支持者が声を上げても、議論の一つも起こらない。すべては無風状態で粛々と進められる。
さらに、その状態がもっと進めば、今度は、非を唱えることさえ、「是々非々」であることさえ許されなくなるのだ。
事実、現在の中国や北朝鮮では、自国のトップへの批判はできない状態にある。
こういったゲーム崩壊の行き着く先が、ユダヤ人の虐殺や、天安門事件と言った、基本的人権を蹂躙する暴虐であることは、歴史にある通りだろう。
正直なところ、我が国もまたゲーム崩壊の瀬戸際にあるように感じている。
そのように首相近辺が公言したことは周知の通り。これは「非」が許されない状態とほぼ等しい。
この状態に「そう言うことは許されない」という声が自民党内部から何故、噴出しないのか。
森友加計問題。高度プロフェッショナル、水道民営化、サマータイム。といった問題もそうだ。
どれも、党内で多くの異論が撒き起こって然るべき類のものであり、支持者の間でもこれらを否定する意見は噴出している。
議員というのは本来、一人一人それぞれが国民が選出した代表だ。「その党だから」以上に、「その人だから」選ばれた存在だって少なくない。
ならば、より自民党内からの異論や反対意見が、活発的にニュースを騒がせるべきだろう。
それなのに、自民党内は無風のままだ。
僕はもう、自民党と言う組織の中で、完全にゲームは崩壊しているのだと認識している。
そして、権力者の身内で行われているこのような状態が、僕ら一般市民まで適応されないなどとは、僕はどうしても思えないのだ。