2018年7月6日をもって、麻原彰晃自身が起こした事件の罪償いは、全てが終了した。
日本の法律では、刑罰を受けた人には、もうそれ以上罪を問うことはできない。
死んで灰になった人間に、さらに罪償いをさせることは不可能であることは言うまでもない。(肉体がないので、謝罪も賠償もやりようがない)
「まだ償いは終わってない」と文句を言ってる人は、生前に本人へ直接言っておくべきだった。
死んだ後にいくら騒いでも、もう遅い。
ネットで文芸をする人のことを、字書きと呼ぶ人がいるわけだが、嫌な呼び方だと思うし、間の抜けた呼び方だと思う。
そもそも字は書いてない。少なくとも書いてない。字は打鍵しているだけだ。
字を書くというなら、むしろ絵を書いてる人の方が、「字を書いて」いるはずだろう。
それをわざわざ字書きと言う呼び方をするのかと言えば、大元には「絵描き」と言うイラスト描き、マンガ描き呼称と対比させようと「字書き」と呼んでいるのだろう。
そう言った、絵描きを中心とした文化を基にして周辺を定義していく、その傲慢に似た無神経さにも腹が立つ。
とは言え、これは私が、腹に抱えた未熟児のような重さで、絵描きへのコンプレックスの塊を抱えているから腹が立つのだろうし、殆どの人は絵描きを中心とした呼称の対比にイラつきはしていないのかもしれない。
しかし、字は書かない。少なくともネットで文芸を発表する人は、字を書いているわけではない。
字を書くって文字面だけ言えば、小説や詩とかのことを指すより、「書道家」の方が適切だろう。彼らは確実に「字を書いている」。
もちろん、書道が大学の学部でいえば文学部に入るのは知っているが、言いたいことはぼやけるので省くが。
大体からして、字を書くというなら、小説や詩だけではなく、twitterをするのだって、ブログを更新するのだって、メールを打つのだって、「字を書く」に入ってしまうではないか。
文芸でやっているのは、字を書く事ではないし、字を打つことですらない。最重要ポイントは「字」ではない。
字は構成要素でしかないはずで、例えるなら絵描きでいえば、線書きと呼ばれるくらいの話だ。余りにも呼び方雑すぎる。
詩が作っているものは、旋律であり音であり、その表現したいものは字ではない。
小説の作っているものは、物語であり思想であり、表現したいものは字ではない。
字書きとは本当に何という嫌な呼び方だろう。字を書いているのではない、字ですらなくていい。表せるなら声でも良い。字は手段であって目的ではない。
それを字を書き連ねているだけと言うのは、まあ自分から言う分には良いだろうが、他人から定義されたくない言い方だ。
謙遜するなら、まだ、字書きと言うより無限猿とでも呼ばれた方が良い。少なくとも字を打っている。
以上を元にして、私は字書きと言う呼ばれ方が嫌いだ。字書きとか言う人間は滅びれば良い。
廃仏毀釈のことかーーーーっ!!
新鮮みが足りない―そんな風に思いながらデレステのイベント予告を聴くのは何回目だろうか。完全新規の楽曲、完全新規のユニット・・・今までそれなりの頻度で供給されてきたものが今年は雀の涙だ。
もう見た、知ってた、もう見た・・・
私はよく物忘れをしたり、物を落とすことをしてしまう。ドアや炊飯器のふたやクーラーボックスの蓋をよく閉め忘れる。会計の時に財布を忘れて店を出ようとしてしまう。また、物をうまく結べなかったりする時が多い。他の人と比べてすごく不器用な方だと思う。
その「くせ」がADHDという発達障害に起因するものだと大学生の時病院で診断されてから、ある程度受け入れる一方で、ああやっぱりそうだったんだな、と納得はいくけど「普通の人」ではなかったんだなと悲しい気持ちになった。
仲のいい友人たちもちょっと「抜けてる」人が多い。だから、みんな遅刻もよくするし忘れ物もよくする。でも、誰も怒らない世界だから、そこでは気楽に過ごして皆ある程度のことは許されている。
ただ、それは月1だったり月2,3で会う友達だからこそ「まあいっか」と許容できているんじゃないかと思う。
それが毎週のように会う恋人だった場合状況が変わってきてしまうのだと思う。
最初の恋人は、私がそういった抜けている部分を見るのが許せなくて暴力や暴言をたくさん振るってきた。机からコップを落として水をこぼしたら、10回ほどお腹を殴られた。その人の気に入らない「私のくせ」をつい出してしまうと、「お前はどうしていつもそうなんだ」と怒られた。最初は、そういったドジをして謝った時、頭を撫でながら慰めてくれた。でも、一向に直らない私の姿を見てイライラするようになったのか、上記の行動に走るようになってしまった。結局、我慢できなくなってこちらから連絡を切って別れた。
2人目の人は、暴力は振らなかったけど、私の行動に対して最初から気になっていて、その人本来の性格もあって「○○(私の名前)ちゃん、それヤバイよ。絶対直した方がいいから。」と逐一言ってきた。関わる期間も短かったからあんまり覚えてないけど、いきなりLINEで「お前はほんとそういうとこダメだな」と連投してくるのがとてもしんどかった思い出がある。
3人目の人だけは私がどんなドジをしても怒らなかった。その人も私と同じくらいADHD傾向のある人で、すごく寛容な人だった。「こんな私を受け入れてくれるなんてすごい」と思って感動してしまった覚えがある。それが嬉しくて、今までで一番長く付き合った。でも、その人はお金に対してすごく不器用で、段々と私に対してお金をせびるようになってきてしまった。「ああ、結婚したら私が稼いだお金もこの人の散財に使われちゃうのかな」と怖くなって別れてしまった。
今、好きな人はすごく優しくて、ちょっと変わっているけれど大事にしてくれて本当に好きだ。
でも、その人にもついに「そういった抜けてるところがすごく心配で、将来を一緒にやっていけるか不安だから直して欲しい」と言われてしまった。
今まで好きになった人の中で一番魅力的で好きだと思えていた人だったから、最初そう言われたことがすごくショックだった。「この人も、1番目の人や2番目の人みたいになっていってしまうんだろうか」と怖くなってしまった。たとえ、そうならなかったとしても大好きな人を無意識にイライラさせてしまっていた事実がすごく辛かった。
正直、私に対して「直して欲しい」と言ってきた人は結果的に私に対して及んだ行為は酷かったとしても、その人の性格だけの問題ではないと思う。距離感の近い人間がそういった抜けた行動をしているのを何度も見ていると、ついイライラしてしまうのだと思う。そういった感情に左右されて相手を非難する行為は「モラルハラスメント」だったとして、その感情を生まれること自体を否定してはいけないと思う。
確かに今までされてきたことは酷かったことは多いけど、そもそも私の「抜けてるところ」のせいでこうなってしまったと言えるんじゃないか。似たような出来事がここまで重なってくると、もし、私が抜けていなかったらもっと良好な関係が築けたんじゃないか、と思えてくる。
どう捉えるべきなのか正直よくわからないけれど、同じことを繰り返すのは怖いという気持ちでいっぱいになっていて、とにかくADHDに関する本を読んでみたり、発達障害を診てくれる病院にまた行ってみようという気持ちになっている。
神ではない、予言者だ
四捨五入くらい許してやれよ
まーでもその183人全員を…っていうのはデレの結構息苦しいポイントだとは思うのよな
もっと言えば、120人くらいのアイドルは存在も意識してないが、40人くらいのアイドルは実際すごく好き、ってデレPも居ておかしくないと思うんだよ
それでも人数ぐらいさらっとググってチェックしたってよかったろうとは思うが
長広舌を振るわんでもソシャゲを毛嫌いしていたオタクが手のひらを返したのがデレマスだってのは常識だし、
それも「据え置きのアイマスはやってないけどニコ動で見たからどういうキャラがいるかは知ってる」というプレイヤーが押し寄せたからだろ。
アイマス2の騒動もオタクのあいだで注目度高くなけりゃあんなに話題になってねえよ。
そのアイマス2が合計17万本で、デレマスは開始3ヶ月で100万ユーザーなんだから、「もともとのファンしか来なかった」なんて嘘っぱちだわな。