2018-07-18

字書きと言う呼ばれ方が嫌いだ。

ネット文芸をする人のことを、字書きと呼ぶ人がいるわけだが、嫌な呼び方だと思うし、間の抜けた呼び方だと思う。

そもそも字は書いてない。少なくとも書いてない。字は打鍵しているだけだ。

字を書くというなら、むしろ絵を書いてる人の方が、「字を書いて」いるはずだろう。

それをわざわざ字書きと言う呼び方をするのかと言えば、大元には「絵描き」と言うイラスト描き、マンガ描き呼称と対比させようと「字書き」と呼んでいるのだろう。

そう言った、絵描きを中心とした文化を基にして周辺を定義していく、その傲慢に似た無神経さにも腹が立つ。

とは言え、これは私が、腹に抱えた未熟児のような重さで、絵描きへのコンプレックスの塊を抱えているから腹が立つのだろうし、殆どの人は絵描きを中心とした呼称の対比にイラつきはしていないのかもしれない。

しかし、字は書かない。少なくともネット文芸を発表する人は、字を書いているわけではない。

字を書くって文字面だけ言えば、小説や詩とかのことを指すより、「書道家」の方が適切だろう。彼らは確実に「字を書いている」。

もちろん、書道大学学部でいえば文学部に入るのは知っているが、言いたいことはぼやけるので省くが。

大体からして、字を書くというなら、小説や詩だけではなく、twitterをするのだってブログ更新するのだってメールを打つのだって、「字を書く」に入ってしまうではないか

文芸でやっているのは、字を書く事ではないし、字を打つことですらない。最重要ポイントは「字」ではない。

字は構成要素でしかないはずで、例えるなら絵描きでいえば、線書きと呼ばれるくらいの話だ。余りにも呼び方雑すぎる。

詩が作っているものは、旋律であり音であり、その表現したいものは字ではない。

小説の作っているものは、物語であり思想であり、表現したいものは字ではない。

字書きとは本当に何という嫌な呼び方だろう。字を書いているのではない、字ですらなくていい。表せるなら声でも良い。字は手段であって目的ではない。

それを字を書き連ねているだけと言うのは、まあ自分から言う分には良いだろうが、他人から定義されたくない言い方だ。

謙遜するなら、まだ、字書きと言うより無限猿とでも呼ばれた方が良い。少なくとも字を打っている。

以上を元にして、私は字書きと言う呼ばれ方が嫌いだ。字書きとか言う人間は滅びれば良い。

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