2018年04月27日の日記

2018-04-27

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anond:20180427230801

既婚の30台は羊水腐ってないけど未婚の30台は確実に腐ってる

既婚も未婚も30も車持ってないよ~!おっかし~!

偏向報道とかじゃないのに「報道すること」自体を叩いてる奴

情報統制がお望みなの?

ロジカルからといってうまくいく訳ではないのが現実

 忙しい方向けに結論を先出しすると、

・「『正しい前提』でないと、いくらそこから説明ロジカルでも誤った結論しかでないのが上手くいかない原因」

人間論理の誤りを検出するのは得意だが、自分の見てきたものしか世界を把握できないために前提の正しさの検証が苦手

場合によっては、論理整合性を保つために現実バイアスをかけたり自分に嘘をついたりして前提をでっちあげてしまうこともある。

いくらロジカルで筋がよくても、なんかもやっとするときは前提を疑おうね。

という話です。

数学論理学をベースとした理論では論理的であれば必ず正しくなります。そこで、世間では理論に限らず様々な場所論理性を活用して物事を上手く回しているように見受けられます

しかしながら私は、とりわけBtoCの現場では論理であるからといって必ずしもうまくいくわけではないことに気付きました。そして何かを考えたり作ったりする上でロジックに全幅の信頼を置くのをやめました。

最初はこの気づきを上手く言語化出来ず、ロジックを信奉している方々になぜそうなのか説明してもなかなかうなずいてもらえなかったのですが

この度何故自分がそう考えるかの「ロジカルな」説明がおおよそ形になりました。

(尚、ここで言うロジカルとは、AでA⇒BならBだよねとかAでBだからA∧Bは真だよねなど、何かしらの真なる前提の元にそこから言えることを組み立てるという方法論をさします)

理論では、究極的な大元になる前提(公理)が存在し、それを前提に論理を組み立てることで様々なことを言っていきます

要するに「前提が正しい、論理が正しい、だからそこから言えることは正しい」なわけです。

逆にいえば、論理が正しくとも前提が誤っていればその結果は誤りうるわけで、標題の主張の根本はここにあります

現実で何か提案問題解決を行う際にも、何か前提があり、そこに論理を入れることで、結論を出すわけですが、ここで正しい前提を設定しないといくら論理の筋がよくても結論が誤ったものになります

 では正しい前提とは何でしょうか。多くの場合、主張する当人が正しいと思い、その場で意思決定をする人間がそれを否定することが出来ないことが正しい前提として扱われるのではないでしょうか。

論理学や数学における公理のようにそれ自体地球上の何億人という人間によって否定できないならまだしも、実際の現場ではたかだか数人が否定出来ないことによってそれが正しいように扱われます

言ってしまえば、その場で意思決定する人間全員が否定できなければいくら誤った前提でも通ってしまうのです。

 じゃあもっと広い人にその前提を検証するためにユーザーテスト市場調査を十分に行えば問題いかと言えばそういうわけでもありません。現実問題として潜在的ユーザー全員を調査することは困難でありますし、例え全員を調査できたからといっても、調査した人それぞれが自分感覚を正直に言葉にできるわけではありません。時には真逆のことを言ってしまうこともあります

 そういった制約のなかで、本当にその前提が正しいのかを検証することは困難です。説明論理的かどうかは多少勉強をすればわかります論理的でないことを捉えるのも簡単ですが、自分が立った前提が正しいかどうかは「少なくとも自分世界や調べた範囲では当てはまらないものがない」ということでしか検証できないため、広い世界で本当に現実に即しているかを把握することは非常に困難になります

 また、これは仕事で成果を出さなければならないという状況下で顕著ですが、筋が通っていなければ提案否定されるということを理解している人が、筋の通った説明をするために自分バイアスをかけて真実を歪める場合があります。たちが悪いのが、成果を出すこと=意見を通すこととなってしまった場合自分自身そのバイアスに本当に気づかない、または気づかないフリをすることがあるのです。

 要するに、前提が間違ってていいならロジカルであることなんて簡単で何にでもロジックをつけてしまえるということでして、本当に難しいのは正しい前提を見つけることなんです。

 だからこそ、本当に成功したいのであれば他人の「ロジカルな」説明を聞いて「ロジカルから大丈夫だろう」などと考えてはいけません。貴方が話を聞いて正しそうに感じるけど何か引っかかるのであれば、それはおそらくこねくり回された理屈の都合の悪い部分が前提に隠されているのを感覚で感じているからです。前提を疑いましょう。きっとなにか隙があります

体罰必要

戸塚ヨットスクールの元校長

仮に過失致死だったとして

それが立証されたとして

自分の作ったスクールで6人も死人が出たことは

教育論以前に管理能力がなかったということは

まぎれもない事実

もうヨットスクールなんか開いちゃダメな人なことは間違いない

体罰必要というなら

別にヨットスクールである必要なんかなくて

山奥でもなんでも子供を教える場所なんかいくらでもあるわけで

子供管理するということは

それには必ず責任が伴う

死なない程度に体罰しているならまだ理解できる

でも死に至らしめてしまたことは間違いないのだ

殺意がなかったとしてももう死んでしまったら

更生だとか社会復帰だとかそういうのも全部不可能になる

生きていればいくらでも可能性はあるけど死んだら終わり

死にそうになって溺れている人間がいたら少なくとも命だけは助けてやれれば後はどうにかなるのに

それすらもできない

自身管理責任を棚に上げて

マスコミがどうこう。関係ないそんなこと。

スクールを開くのは勝手だけど

ヨットスクールないしそれに近いもの

もうやっちゃダメでしょ。

恐怖で子ども支配すると言っているけれど

死んでしまった時点で支配なんかできてない

殴っていいのは殴られる覚悟のあるやつだけだ。

私は体罰には賛成だし

この報道がされていた頃には生まれてもいない

この人がいうマスゴミ報道鵜呑みにするほどバカじゃない

だけれどもこの人間教育論を語る資格はない

本当に恐怖で支配しようと考えたら、というか

人を支配することではヤクザの方が数段上だろう

洗脳することもできない。

まだどこかのカルト教団の方が格上だ

何より年々体罰少年犯罪も減少傾向にあると言われているのに

暴力しか人を支配できない

今のスポーツ界で活躍するアスリート

体罰を乗り越えてきたとでも?

こんな極端な教育論を振りかざす人間

未だ藁をもすがる思いで頼る親がいることが信じられない

anond:20180427230415

ワイらは、もう遺伝子レベルでそう感じるようにできているんや。

陽キャが女の子と楽しそうに話していたら辛いんや。

言葉の上ではそれが大したことではないことは知っている。

でも、辛いんや。目の前で見せつけられると。

からといてワイのような、キモオタ童貞にはどうすることもできないんや。

でも、このどうすることもできない状況から、何かを見出そうとすることは

それは芸術的な何かだとワイは、思うんや。

anond:20180427230248

それって要するに、女性云々を「特別成功体験」とみなした上で

「こんなに俺が特別視して得た成功体験をお前が求めないのはケシカラン」

的な言い方で非難飛ばしてるわけでしょ。

既に成功体験を得たのにまだそういう思想にハマってしまってる思想とかやばい方向のアレだろうし

そんなのにまともに対応してしまうのは非モテ云々なんかよりよほどアレなのでは?

anond:20180427225002

神とは物語のことだ。

ワイらは物語世界に生きている。

それは強者なら現実という物語だったり

あるいは弱者なら妄想という物語だったり

もし強者なら現実を受け入れることができる。

からたとえ失神しても

また新しい神様を作っている。

anond:20180427230053

成功体験がないから云々って分析してる人は女性なんですがそれは

というか非モテってそれを特別視してないからしたがって関心がなく、それがけしからんという方向の非難もあるんだがなあ

エロ漫画に見る「バブみと死」について

緑のルーペの「AFFECTION:ERROR」の話

この作品において、主人公父親は「ランバジョージ症候群」により、「化け物」になる

人の欲望、望みを持った時にそれをそれを叶えるような、快楽だけを実現するような形へと変容する

最後父親は娘の子宮に入り、娘の子供として生まれ直す

この生態について、最近になり思い当たるものがあった

寄生虫

一般寄生動物は、体を固定するための構造が発達する。他方、特に内部寄生虫は、使う必要のない運動器官、感覚器官、消化器官が退化する。しかし、生殖器官は発達する場合が多く、体が生殖器官だけになってしまうような例も見受けられる。



しかし、私はこの結末にどうしても納得できない

母胎回帰快楽の究極であるというのであれば、何故「誕生」をしなければならなかったのか

まれ直す必要など無い

母親の体内という幼児的万能感を得られる場所において、永遠にまればいい

型月世界観で言えば「根源」に戻ったということであり

ラカンで言えば、父の名を受け入れ去勢される前の想像界の段階である

自分主体性をなくし、ひたすら原点に戻っていく

バブみは母胎回帰願望と近いところにあり、母胎回帰願望は希死念慮に近い所がある

性は必ずしも生ではなく、むしろ平穏さや死に近い所がある

結論

「AFFECTION:ERROR」の結末は、主人公の子宮内快楽を貪りながら退化していき

受精卵まで戻った挙げ句に体内に排出されて死ぬという結末が良いのではないかと思いました

もしくは、主人公女の子死ぬまでセックスし続ける(終生交尾)結末が望ましいのではないかと思いました



参考:三秋縋「恋する寄生虫

「終生交尾?」と高坂は訊き返した。

「そう。終生交尾少女は肯いた。「フタゴムシはその半生を、パートナーと結合したまま過ごすの」


追記:

滑空の「しゅーしゅくしゅ!」って、割と切ないよね

anond:20180427225900

すっげーどうでもいい成功体験なのに何か特別成功の様に想像しているのがモテない理由であり歪む理由から、なんかしらの女性関連の成功があれば解決すると思うよ。

こういう人たちは他の成功体験と大差ないことに気づいてないのよ。

ちーっすwww

連休前のプレミアムフライデー終電が見えてくる時間なのに、

こんなとこでなにしてるんですかーwww


これを読んだやつはGWで食べたいものを書いてけ。

anond:20180427225459

最後無駄に詩的な感じにもってってんねん!!

anond:20180427225459

女に受容される、なんて狭い意味での成功体験を一つ仮に得られたとしても

成功体験がないからって暴れるような人間は別な「成功体験の欠如」を見つけて暴れるんじゃねって思う

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