はてなキーワード: 暑かったとは
勉強がしたい
資格の勉強、仕事の勉強、受験勉強、試験勉強、免許の試験、予習、復習、
読みたい本がある、学びたいことがある、書きたい文がある、書き出したい事がある。
やらなければならない勉強はいくらでもある。けれど、場所がない。
家にはテレビもパソコンもある。マンガもある。雑誌もある。ベッドもある。家族もいる。集中できない。気が散る。それ以前に、やる気が起きない。
図書館は、いつ行っても満席だ。座ろうと思うと席取りのために朝から並ばなければならい。静かだけれど、音をたてるのにも気を使う。人もいっぱいいる。顔も席も近い。気が散る。本もたくさんある。読んでしまう。第一、行きたい時間には閉まっている。
学校は、友人がいる。遊んでしまう。それどころではない。椅子は木で出来ていて硬いし、空調も不安定だ。暑かったり寒すぎたり。音もうるさい。話し声が一番うるさい。
職場は、電話が鳴っている。人の出入りも激しい。話し声もやまない。第一、仕事しろと言われる。当たり前か。気も休まらない。
喫茶店は、ちょうどいい雑音だったり、机だったり、コーヒーも飲めて環境はいい。けど、店だし、店に迷惑かけてないか気になる。客の出入りもあるし。またコーヒー頼まなきゃ。となりのテーブルは3人で話している。気が散る。静かなときは最適なのに。空いてる日は、客も少なくても音楽もかかっていて、コーヒーもおいしくて、最適なんだけどな。それでも店に対しては気になるし、第一、そんな時間にめぐり合えることなんて少ない。となりでノートパソコン広げてる人はなんで何も気にならないんだろう。マックもファミレスも同じ。
勉強はしたい。でも場所がない。あるにはあるんだけど、集中できない。
仕事がしたい。場所がない。あるにはあるんだけど、集中できない。
そんなあなたにうってつけ。
中が見えますか?
程よい大きさの机とオフィスにあるようなイスと、適当な広さのスペース。
配置や仕切りにも気を配っており、周りの人がさほど気になりません。
Wi-Fiも対応しているので、ノートブックを持ち込んでもかまいません。
入りにくいですか?
赤いLEDランプが空いている席です。まずは試しに1時間、100円玉を3枚入れて席を選び、ボタンを押すとランプが消え、チケットが出てきます。あとは中に入って番号の席に座るだけです。
俺、素人童貞、年齢=彼女暦ほぼなし。デートはあるけど、手をつないだくらい。いつもいい人で終わる。振られまくり男だ。
8月8日。被災地の石巻で災害ボランティアの最終日、石巻から仙台へ。
行ったことがある奴はわかるけど、結構たくさんボランティアっているんだ。
ボランティアが終わったというハイテンションがあったかもしれない。
ボランティアをした場所とは違うグループだったんだけど、気になってかわいいなと思っていた子に思い切って仙台の七夕を見てみないかと誘った。
ま、ナンパだな。上ずった声で緊張した。
同じボランティア同士、息があったというか、ノリでOKをもらった。
半ば強引だったかも。きっとキモイなんて思われていたかもしれない。
宿はどこのホテルもいっぱいだったけど、たまたまツインがキャンセルで空いていたんだ。
駅ロッカーで荷物預けて、商店街の七夕を見たり、匂当台公園で音楽を聴いたり楽しかった。
本当に手を出さなかったんだ。歩いているときは手もつながなかったし。
少し寝た後、夜中に起きてしまった。
悪いとは思ったが、
その子の寝顔を見て一人でオナニーした。
暑かったからか、ブラジャーが見えていたし、パンツまで手が届きそうで。
チンチン出しながらティッシュを探していると、その子、起きちゃった。
目が合って見つかった。
キャッと驚かれた。
事情を説明し、手を出さなかったし、いい人だから、いいよと言ってそのままエッチした。
どうせ一夜かぎりだと思ったし、中田氏した。
朝起きて、もう一発した。もちろん中田氏した。
チェックアウトの時間が近づいたので、急いで身支度して、駅でバイバイした。
俺はどうせ一夜限りだと思っていたし、こんな俺には無理な女の子だとわかっていた。
みんなからは不釣合いだと言われるに決まっている。
実は、お互いに素性についてはあまり話していなかった。
メアドだって交換していなかった。というより高速バスに乗り遅れないように急いでいたから忘れていた。俺の携帯番号を書いたレシートを渡していたけれど連絡はなかった。
やっぱりと思った。俺には無理な女の子だよな。あんなにかわいい子 夢だったんだ。
翌週、お盆前のこと。
その子が俺の会社に派遣社員として職場に入社してきて、お互いにガチでビックリ。
連絡がとれなかったのは携帯番号を書いたレシートを亡くしてしまっていたとのこと。
今ここ
自転車で出かけようとしたら同じアパートの下の階に住むおばあさんが三輪車で帰って来たのと遭遇した
私「こんにちは」
おばあさん「こんにちは」
私「今日は涼しくて過ごしやすいですねえ」
(やべっ、涼しくなったから家出て来ただけで昼間は暑かったのにwwwww)
おばあさん「え?」
(やべっ、おばあさん聞こえなかったみたいwwwわざわざもう一度言うような話じゃないよwwwww)
私「今日は、涼しくてー」
(結局同じこと言っちゃったwwwwwなぜか空指差しながら言っちゃったしwww)
おばあさん「ああ、そうですねえ」
(おばあさん返事に困ってるwwwですよねwwwwww)
私「明日もこんな天気だといいですねー」
おばあさん「そうですねえ」
(ごめんおばあさんwwwwwろくなこと話せなくてwwww)
私「ほんとにぃー」
(これ以上話せることないしwwwwもう行くしかwwwww)
おばあさん「どうもぉー」
私「どうもぉー」
(おばあさんに切り上げさせちゃったwwwwていうか最後うまく切り上げる方法もしらないのに話しかけた自分馬鹿wwww)
(そういや先日洗濯ピンチを下に落としたお詫びすればよかったwwwww)
(絶対へんな住人だと思われてるwwwww)
私「うわああああしにたい」
(しまった口に出しちゃったwwwwwご近所の人にも変な人間だと思われるwwwwデュフwwww)
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
フンフフ~ンと競馬雑誌を読んでいると、相撲でもやっていそうなくらいに体格のよい、
小学校高学年~中学1年生くらいの男の子が、おもむろにギャンブルコーナーの隣にあったエロ雑誌コーナーを物色し始めた。
「そういうお年頃なんだな、フンフフ~ン」と考えていたのだが、彼は選び出したBOMBのシュリンクを剥き、
見開きページに寝そべっている篠崎愛を縦にして向かい合わせ、一心不乱にマスターベーションを始めたのだった。
目を疑った。
店内はクーラーが効いているとはいえ外は蒸し暑かったので、Tシャツの裾をパタパタと扇いで涼んでいるのかと思ったのだが、
勃起した己のナニを他人にバレぬよう垂直にチンポジを修正するわけでもなく、
堂々と、俗にいう“テントを張った”状態にして、イチモツの頂点をガシガシと擦っていたのだった。
これが大人であったなら、勇気を出して忠告するか、あるいは店員に報告したのちに警察云々…という話になるのかもしれないが、
相手は見るからに未成年。体格はかなりよいが小学生の顔立ちだ。
未成年者だからエロ本は18禁云々…とも思ったのだが、読んでいるのはBOMBの篠崎愛のグラビアだ。
BOMBは何だ?何扱いなんだ?
この子の行為を知らずに通り過ぎる主婦、帰宅途中の女子学生。そして、これから僕を見つけて横に立つであろう彼女。
この子を見たときにどう思うのだろう、どう感じるだろう。
どうするべきなのかという思考を殺して、無視してしまえと競馬雑誌に目を通すも、左目の視野入ってくる彼の右手の動きは激しさ増すばかりだ。
雑誌の記事など、ターザン山本の対談の相手すら頭に入るわけなどない。
なぜこんなところでマスターベーションをしてるんだ?こいつは!と考えたときに
「衆人環視の中で、生身の女性を視姦ではなく、グラビアを用いてのオナニーが最高なのさ!」という変態の星に生まれた神童であるというよりも、
「自宅や自室でできない、性的に抑圧された環境にいる子なのかもしれない」だとか
「単にマスターベーションがどういうものなのか、公の場ですることはどういうことなのかをわかっていないのかもしれない」だとか、
性教育やら家庭環境などの面についての妄想に近いいろんなことが頭をよぎった。
何の解決にもならないが、
『買ってあげるから、駅のトイレとかでしろ』
と言おうと決めて、彼をジッと見つめたときに、
彼はすでに事を終え、悟りの境地に達したのか、手を止め、雑誌を粗雑に投げ置き、
ジッと見てきた僕という存在を気にしながら店を後にしていった。
瞳は濁っていたように見えた。濁っていたように思う。
グッと入れた体の力が抜けた。
笑顔でやって来た彼女を見ても、どうしようもないぐらいに憂鬱な気分のままだった。
いや、憂鬱というよりも、なんとも言いようのない恐怖心のようなものがあった。
バイトでレンタルビデオ屋の店員をしていたから、AVを借りる・借りたい、女の子の裸でオナニーしたいぞ!
っていう男の子なんて山ほど見てきた。なんなら、そういう性的なことに関してはどっちかというと寛容なほうだと思っていたんだけれど、
それよりもはるかに目の前で行われていたことの衝撃が上回っていた。
今後も、彼は外的であれ内的であれ、何らかのキッカケがないかぎり、
マスターベーションを本屋ないしコンビニでグラビアを読みながらすると思う。AVのパッケージでもするかもしれない。
とにかく、自宅以外でオカズのある公の場所でするだろう。
また彼が成長し、今以上の性的欲求が爆発したときにどうなっちゃうのか。
考えなくてもいい、どうでもいいことなのかもしれないが、ゾッとした。
どうにか健全な、健全でスケベな、少なくとも分別ある男子になってくれと願った。
そうならないのなら、誰か第三者が彼をなんとかしてくれと願った。
何もできなかった僕です。何ができるのだろう。
考えすぎなら、それでいい。けれどなぁ。
男の側から見ても、得体の知れない恐怖感ってのがあったんだ。
一人暮らしが初まってもう7年になる、実家は18の時に出た、今では年に数回帰る程度だ、
父ちゃんは子どもと話はあまりしない方だった、母ちゃんはおしゃべりな性格だ、
家は母ちゃんの話が中心に話題が繰り広げられてたと思う。
俺が小学校高学年の頃だったか、父ちゃんが1年間単身赴任をした、サッカーの帰りの車で
父ちゃんに直接言われた、その時はふうん、って反応しかしなかったが、次の日学校から帰ると
1年後父ちゃんが帰って来た、思春期真っ只中な俺は表には出さなかったが嬉しかった、
飼ってた犬は家中を全力疾走して喜びの遠吠えをあげてた。
小さい頃はキャッチボールとかしてもらった事があるが良く覚えていない、
どちらかと言えば小学生の頃父ちゃんが母ちゃんのケツを撫でまわして
父ちゃんのスケベ、変態!、っと叫んでた時の方が記憶に残ってる、今思えばあれはサインだったんだろう。
今日風呂上がりに暑かったんでパンツ一丁になってた、不意になんか懐かしい臭いがした、
昔、高校生の頃だ。
シャワーを浴びたんだ。
なぜか村々してきて、シャワーをティムポにあて、シャワベーションを
していた。その時はいかなかったが、シャワーを終えて、身体を拭いて
いると、なぜか掃除機がそばにあり、魔が差した俺は、あろうことか
全裸でやるその行為はとても刺激的だった。立ったまま、足を広げ
さらに、口をあんぐりと大きく開け、目をくるんと上に向けたアホ面でだ。
なぜかそうすると気持ち良かったのだその当時。
目線を・・・目線をフト横に向けると・・・。
なんと出かけていた筈の母親と姉が、ポカンとした表情で立っていた。
「うわああああああああ」
俺は悲鳴を上げた。気が狂いそうだった。
麦茶を手にした。その夜は本当に辛かった。口もきいてくれない家族。
悲しくて何を喰っているのかわからない味の夕食。
柄にも無く、詩を書いたような気もする。
今、思い出しても辛い。よく人から悩み事を聞かされたりするが
あの修羅場をくぐり抜けた俺から言わせれば、そんなもんどうってこと
なしだ。このどうにも美化できぬ残酷な思い出に比べれば。
さらに悲しい事は、これが実話だってことさ
みんな乙かれ、
1999年ことを思い出しながら書いている。
激しい自意識の垂れ流しで、自分語りでウザイとおもうので、できればスルーしてくれればありがたい。
散々オカルト番組であおりまくっていたTV局は、実際に1999年7の月を迎えると
何事もなかったかのようにスルーしていた。
すげぇ落ちこぼれだった僕は、数学の時間の間この予言を信じて集団自殺した教団のこのことを考えながら、北斗の拳を読んで1999年の7月を過ごしていた。
7月1日ぐらいにはまだ少し「このクソみたな現実はおわってしまえばいいのにwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」のどきどきがあったのだが
致命的にヤバイ中間テストが返却されているころには、
そんなことはすっかり忘れてしまい、放課後近所の公民館のPCで2chで見えない敵と戦う現実にすっかり回収されてしまった。PCオタクの友達からは毎日のように海外のPC事情を浴びるほど聞かされた。若干15歳にしてエロゲオタクだった別の友達からはto heartのすばらしさと、leafの次にでる新作エロゲーの話を延々きかされ、「to heartだとマルチが一番かわいいな」と思ったころ、7月の予言のことはすっかり忘れていた。
いや、うちの高校は全教室にクーラーが一台も設置されていないという
昭和丸出しの校舎で、5月ぐらいには最高に居心地のいい図書館も7月にはいると
梅雨時期の蒸し暑さで、手の汗で今読んでいるページが汗でにじんでしまうほどだった。
当時の僕は、名作を読んでいればえらいと思っている馬鹿で、
文芸部員でもないのに司書の先生と仲良くなってしまった関係で、図書の貸し出し業務を行いながらひたすら、せっせと日本文学全集の読破に明け暮れていた。
実に『真面目』な文学少年だった僕は、ライトノベルをよんでいる連中をバカにするといった優越感ゲームを15歳にて展開し、理解できない岩波文庫をひたすらたたえるといった今考えると赤面もののアホだった。
音楽は毎日浴びるほど聞いていた。
PCオタクの友達がMIDIをやっていた。彼は、この曲を自分のHPにアップするんだとうれしそうに語り、毎日放課後にMIDIコントローラをいじっていた。僕にはさして興味がなく、彼のとなりでサイケロックを爆音でききなから、なんでおれは1960年代に生まれなかったのだと、自分の運命を呪った。
つまり、以上の書きなぐった文章からなにがいいたいのかというと
②創作をほとんどしなったという点。
高校時代に結局文芸部に入り新刊の紹介、大学時代に音楽批評みたいなのを少しやったぐらいで、基本的に延々受け手、しかもネタは2chから拾ってきたり、2ch見えない敵と日々戦っていたというのだからたちが悪い。
あれは5年くらい前の本当に暑い真夏のある日の事なんだけど、自転車に乗りながら普段あんまり来ない街まで来ていて、あまりに暑かったんですぐにその時目に入った、かなりボロい感じの、表にでっかい古いロゴのファンタのロゴと食料品・日用品 ○○商店みたいなのが書いてあるあの看板がかけてある感じ、そんで入ったら「ピロンピロンピロン・・・」ってあのチャイムが鳴って奥からおばあさんが出てくるような、あんな感じの店に入ったんだ。なんか冷たいジュースくらい売ってるだろうと思って。
そんじゃそこはとっくに食料品や日用品の店としては廃業していて、かつてパンや食料品が置いてあっただろう棚に、めちゃくちゃ乱雑に本が積んであるの。どうやら古本屋を今はやっているらしい。でもそんな店だから本もどれもこれもボロボロになってるし曲がってるしそもそもラインナップが古すぎるし、何かマニアの人なら掘り出し物があるかもしれないけど自分にはよくわかんねえな、と思いながら好奇心で店の中を一周してみたのね。
すると奥の方に本来はアイスクリームを入れておくやつってあるじゃない?上からガラスの扉をまっすぐ奥方向に開けるやつ。あの中にはエロ本が大量に突っこんであるんだけど、どれもこれも昭和のエロ本なの。ある意味生々しい写真だけど致命的に女の人の感じが古くさ過ぎて自分には受け止めきれなくて、うわーホントに墨塗って隠してあるんだって感じのやつ。そんな本がどっさり入ってて、もちろん店内は自分とおばあさん二人だけで、おばあさんはずっと無言で。
結局なんやかんやと物色するだけして何も買わずに10分くらいで店を出て、軒先に昭和の駄菓子屋にあったようなアップライト筺体のゲーム機が壊れたまま放置してあるのなんかも見ながら、「この店は今現在、どうやって成り立っているんだろう、これからどうなるんだろう」とか思いを巡らせながら後にした。
で、あれからその街には何度か行く機会があったんだけど、あの店があったはずの場所にも何度か行ったんだけどサッパリ見つからないんですよ。自分が場所を間違ってるのかもしれないし、とうに潰れたのかもしれないし。全部ひっくるめて自分がキツネ的なものに化かされていただけかもしれない(ねーよ)。
増田の言ってるのもそういう感じ?あ、全然違う?
■気持ち悪い
もう我慢ならん。
「気持ち悪い」
何が気持ち悪いか、まず父親の放任が気持ち悪い。
でもさ、わかってネーの。「子供」が。経験する前に、分かった気になってるから。
あ、話それるけど、リアルで「わからないことは何でもパパに聞け」とかほざく情報強者(笑)がいたら直ちに首を吊ってほしいなぁ。
なにがわからないかもわからないのが子供よ。
空気嫁よ。血の通ってない情報強者(笑)乙。とうとう魂までインデックスされたんだな
親「せみとり行こう」
子「やだ。ぶよにくわれて熱出したら明日からの学校キャンプに行けないし」
こんな会話がもうリアルにありえるわけ。「母親だって一緒だろ?」と思う人もいるだろうが、全然違う。
母親は虫取りとかしない。現在の熱帯化した気候や外来害虫への対処の仕方とか、現時点の学校情報口コミ全部知ってる。
それだからやりとげさせたときの喜びはひとしおだし、一緒に苦労した子供は余計に愛しかった。
父親は「自分で考える」ことを放棄している。子育ての多様性(笑)のために、現状の中でやりとげる喜び、まず自分を大切にする心を奪い取っている。これでいいの?
「父親はああいうもんだから」と考えない子供が大人になって、いざ自分の子供に直面したときが怖い。
むしろ調べるべきということに気づけない、「自分の子供時代に即したら何でも分かる」と考える父親はまあ減っているかも。虫取りしたら世話もせずえさも調べず暑かったっつってひたすらビール飲むとか最悪な。
少なくともこの父親の現状を子供には見せられない、というか見せたらイカン。
漏れに今何ができるか、父親にnさんちはキャンプですってすてきねーなんて声かけるくらいか。
それでいい。それでいいんだと思い込むしか今はできない。いまの父親がわからない
すごい困った。
足首の、踵のちょっと上の筋の辺り、ここ、垢が溜まりやすいんだけど、ここの垢を取ると「全身が」痒くなる病気にかかってしまった。
垢を取らなくても、マッサージ屋とかで足首をグリグリされると、全身痒くなる。
どこが痒いって具体的に判らない。何だか全身が痒い。だからマッサージ屋ですごい困る。
そもそも、この条件を見つけ出すのに、すごく時間がかかった。マッサージ屋で痒くなるって条件だから、最初はマッサージ屋の床にダニがいるのを疑ったりした。
ある日、ふと条件に気が付いた。マッサージ屋行けなくて、足首の垢が気になって、といくつかの条件が重なって判った。
さて、とりあえず痒くなる条件はわかった。
しかし、足首の垢を取らないわけにはいかない。困った。
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俺はそこで、一大決心をした。
垢すりマッサージ童貞を捨てる。全身を異性にいいようにいじられるという意味では処女を奪われる、かも知れない。
足首の垢を取る→全身痒くなる→しかし全身の垢を取る→よっしゃ痒くない、というコンボを夢見た。
まぁ暑いんでサウナに行こうとちょうど思ってたところだ。何もかも満たす為に、東京健康ランドへ行く事にした。ひょっとしたら幼女サプライズがあるかも知れないし。
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とりあえずサウナに入って汗をかいてシャワー浴びて水飲んでサウナ入るを1時間ぐらいループ。うん、汗の線が開いた。気がする。
で、垢すりの予約を入れる。
20分ぐらい風呂に入って、皮膚をふやかさないとダメと言われ、今更のように20分風呂に入る。
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マッサージのオネエサンは、西洋と東洋のハーフみたいな人が来た。一応日本語は通じた。判りにくいけど。
で、足首から垢を取られる。具体的には油をたらしたあと食器洗いみたいなスポンジでゴシゴシやられるのだ。
痒い。足首をこすられると、全身痒くなっちゃうっ……!ビクビク。
よく、耳が弱いっていう女の子いるじゃんか、アレってこういうのなのかな。全身ビクビクしちゃうけど全然よくない。性の感覚とはかけ離れたものだ。俺超Mだから、イジメとしてはいいかも知れないけど。
でも、すぐに足もゴシゴシされた。
おなか、胸、肩、足と全身ゴシゴシされた。
やった、全身こすられてるから、痒いの平気!
これは痒くない、痒くない!やった!
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「アリュガトゴジャマシター」
何人かサッパリ判らないオネエサンに感謝の言葉を述べて、俺は垢すり部屋を出た。
……痒い。
足が痒い。
膝下が痒い。
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結局、ファンタジーはファンタジーで終わってしまった。オネエサンと分かれた後に痒みが襲ってくるのは、まさしく現実に戻されたかのようだった。
Wikiに載ってたが、この病気は結構いろんな人がかかるらしく、原因不明らしい。
どうしようかな。痒いな、足首が。
ちょっと前の話。
カミさんと娘をつれて近所のショッピングセンターに行った。
なんだかんだで暑かったので、家族3人そろって某チェーン店のアイスを食べることにした。
よーしお父さんはポッピングシャワーだ!なんて並んでたら、一個買うことにくじが引けるようで、その賞品を娘がいたく欲しがった。
まあ3人で買えば一人ぐらい当たるだろうと思っていたんだが見事に家族そろってはずれ。
ガッカリする娘。
アイスを食べているときも
「あー欲しかったなー」
「ねーお父さん、もう一個買ってー」
「もう一個買ったら当たるよ?」
「買って、買ってー!!」
「買ってくれないとお父さんのこと嫌いになる!」
と要求はエスカレート。
まいったなぁと思いながら我が家の教育方針に乗っ取って追加投資はなしということに。
ぶー垂れている娘を置いてゴミを捨てようとしたときにm-floのバーバルのようなエキセントリックな服装をした青年が近付いてきた。
参考→http://images.google.co.jp/images?q=%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB&
絡まれる!とひ弱な俺は若干身構えてしまったのだが、彼はそっと
「これ、どうぞ。」
と賞品を手渡してきた。
どうやら、娘がぶーぶー言っている様子を見ていたらしい。
ちょっと身構えた自分が恥ずかしいやら情けないやらで慌ててしまい
「いいんですか? わたしなんかに。」
と答えたら
「できたら、娘さんに渡していただけませんか?」
となんだかウィットに富んだお答を頂いてしまった。
よくよくサングラスの奥の顔を見たら恥ずかしそうだ。
顔もちょっと赤くなっている。
きっと、勇気をもって話しかけてくれたんだろう。
彼ははにかみながら、何度も頭を下げながら彼女と思わしき女性を連れて去って行った。
人は見た目で判断しちゃならんな。
世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思った。
賞品をもらった娘は本当に喜び
「あたし、大きくなったらあの人と結婚するの!」
と高らかに宣言した。
自宅待機を始めて1ヶ月。
体調が悪くなってきた。
体力が衰えてきてるのが判るし、ちょっと暑かったり寒かったり。
朝、いつ活動開始すべきか踏ん切りが付かない。
昼、いつ昼食を開始すべきか踏ん切りが付かない。
金が少ないので、あんまり外に出歩かない。
机に座ってる時間が長くて、あんまり水分を取らなくなって、トイレもちょっと我慢気味になった。
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キッチリ何時に起きて、駅に向かって、電車に乗って、また歩いて会社へ。
仕事に集中してばっかりして居られないので、水分取りに席を立ち、トイレに席を立ち。
チャイムが鳴って昼食開始。
昼休みは有効に。昼飯はチャッチャと食べて外を早足でウロウロ。
気温調節はオフィスの女性社員が勝手にやってくれる。暑すぎたり寒すぎたりしない。してたら女性社員に文句言って調整してもらう。
会社が終わったら早足で自宅へ。自宅で飯。
次の日は会社があるから、ほどほどの所で寝る。
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高校時代はロクに勉強していなかったせいで、受験時には近大クラスしか合格できず、当然浪人した。目標は早慶だったが、やはり1年では難しかったようで、どちらも落ちて地元の同志社の法学部に進学した。大学では、スポ推でもないのに部活に入ってしまって、ほぼ部活の毎日になった。当然、成績は卒業ギリギリの状態。4年になったとき、遂に部活でレギュラーになって、試合に出られるようになった。就活もあったが、3年間の努力を無駄にしたくなかったので、部活最優先で過ごした。結果、就活では、都銀や商社の最終面接までは残れたが、最後の一歩が上手くいかず(たぶん志望動機が甘かった)、持ち駒が消滅した6月に、就職部で紹介されたメーカーに内定した。スーツが暑かったので、とにかく早く内定を決めて、部活に専念しかたった。
そして、2004年の4月に社会人として第一歩を踏み出したのだが、どうもおかしい。というのも、やはり中小企業、給料は少ないし、社員の質も低い。朝からスポーツ新聞を読んで、遅刻が当たり前の人々だ。最初に支給されたパソコンのOSがwindows95だったのを見て、これはさっさと出て行かねばならんと決意したが、とにかく履歴書を綺麗にしようと、まずは資格の勉強を開始した。
英語と会計が有利だと聞いたので、その日から独学で勉強を始めた。平日の定時後と休日返上で5年間働きながら勉強した。
簿記1級、英検1級、TOEIC905点を取得したときには、もう28歳だった。とりあえず履歴書を何社か送ってみたが、書類すらなかなか通過しない。それでも、なんとか東証1部の証券会社とコンサル会社の最終面接まで進んだ。有給を使い、東京で面接を受けて、それなりの手ごたえを感じたが、さっきお祈りメールが送られてきた。
あと3日で29歳。
中小企業から有利な条件で転職するには、そろそろ年齢的に無理とリクルートで働く友人から言われた。
簿記を勉強して会計士の資格にも興味はあるし、英語の勉強を続けて留学もしてみたいと考えているが、どちらもやや非現実的だ。
生理前で思考も止まる位辛い。
体もむくんでるし貧血起こしてるし
なんか気分がそぞろそぞろして落ち着かないし、暑かったり寒かったりするし
さっきまで倒れるように寝てたけどまだ眠い。
人間としてポンコツになっているのが本当によくわかる。
しかも全ての人がそうなるわけじゃなくて、体質によるらしい。
漢方治療を医者に薦められて大分よくなってやっと常人と同じ生活レベルを保てているけれど
やっぱりこんな体質は次の世代とか残したくないなあと思う次第。
そんな中での出来事でした。変なこといってたらごめんよ。
これだけはどこかに書きとめようと起き上がってしまった。
↑増田にこんな事書くとか判断がおかしいのもこの時期の傾向です。あー、本当やめたい。女を。
なんか疲れたので箇条書きで
あと、生放送のコメントが会場の大画面に映されていたのだけれど、会場の反応&沖縄を批判するコメントが多く流れていたのが気になった。
運営的には大成功らしいですが、正直微妙だったように思う。コメントにあったように、秋葉原とか、人の多いところでやったほうがいいと思う。
会場が盛り上がりに欠け、微妙な雰囲気だった一番の理由は、たぶん、ニコニコ動画すら知らない人が大半だったからだと思う。国際ニコニコ映画祭自体が沖縄国際映画祭(普通の映像祭+よしもと芸人が監督した映像作品などを上映)のおまけなので、なんかイベントあるから見にきた感じの人が多い。