はてなキーワード: 何をいまさらとは
直接コロナの影響がでる仕事じゃないから、今は在宅勤務でギリ耐えてる。
でも、この自粛が3か月、半年、1年…と続いたら仕事クビになりそう。
クビになったとしても得意の自己責任論で片付けられちゃうのかな。
「コロナが流行することを見通せず、在宅勤務でも稼げる仕事につかなかった人間が悪い」的な。
コロナにかかったら死ぬリスクの高い高齢者の安全のために、お前らは収入ゼロになってくれとか、マジふざけんな~~~って感じ。
早くワクチン・治療薬開発されますように。開発されたら、開発者は世界の偉人図鑑に載るでしょ。
p.s.アフターコロナとか偉そうに言ってるやつ超ムカつく。コロナが流行ってこんな事態になることも見通せていなかったのに。
ていうか法律なんて、相談する行政書士やら弁護士やらによって言ってることが違うのが普通の世界なんだから、これは適応外~とかいう理屈もこれは適応できる~という理屈もいくらでも成り立つ。
そもそも憲法解釈すらそこに文字があるだけで解釈がもうでたらめだからな。
もともとなんで特別な法律があるかって、突然未知の危険なウイルスによるパンデミックが起こる危険に対策するためのもんだろ?
本当に超危険なウイルスが登場した時にのんきに「対策するための法律にありませんので、これから審議します」とか言ってるんじゃもう政治ですらない。
要するに、今回のコロナは緊急ではないとなめてかかっているか、もしくは何か別の意図があって既存の法律をどうしても使いたくないかって考える方が自然。
何をいまさらだというような内容ではありますが、実際に体験して実感をしたので備忘録とさせていただきます。
地域活動に精力的に取り組んでいた友人が、春の全国統一地方選に向けて、政治家を目指したいと思いたち、
今手伝いをしています。
僕らは30代で、以前から、若者の声を政治に反映するべきだということを訴えていました。
ネットでも、そういう意見多いですよね。シルバー民主主義というやつです。
そこで友人は、高齢者の票よりも、若者の票を得る方針にしました。
※地方選に受かった所で若者のために何かをしてやれるとでも思っているのか、という意見が
あるだろうことは理解しております。ただ今回の本筋はそこではありません。
みなさんご存知の通り、選挙の事前活動というのは法律によりできませんが、
政治活動という名目で、色々できることがあるので、それを手当たり次第に実践しています。
僕たちは若い人達に目を留めてもらいたいと、チラシも若者目線の内容にするなどの工夫をこらしました。
ですが、どれだけチラシを撒いても、感想をくれるのは年配の方ばかり。若い人はおそらく見てもくれていません。
年配の方でも嫌な顔をされる方は多いですが、がんばってねを声をかけてくれるのは、やはり年配の方々だけです。
挨拶をしながら、チラシを配ろうとしても、若い人は基本無視です。
うつむいたまま歩いて、声をかけても完全無視だったり、イヤホンをしていて無視だったり
スマホを見たまま歩いて、我関せずの境地です。
ここでもやはり、年配の方が、挨拶を返してくれたり、激励の言葉をかけてくれたり、
やさしく微笑んでくれたりします。
僕たちは落胆しました。
これではシルバー民主主義になるのも当然です。
若者の声を届けようにも、まず関わりをもってもらえません。
なぜ、多くの政治家が高齢者を大事にするのか、この時に初めて実感として感じることができました。
若い人に振り向いてもらえるような施策を考えられていないし、試せてもいないのが
実際の所だと思います。
僕たちも気づいてもらえるように頑張らなければいけません。
ですが、普段、高齢者ばかり大事にして政治がよくない、と思っているのであれば
せめて、若く政治家を目指す人のチラシを手にとるとか、手に取るまでなくても
一つ一つ返していくから下記に上げた事以外あったら言及かブコメして。
人ですら無い艦船やお城や花を美少女化した作品を認めておいて何をいまさら。
Fateのキャラなんかほとんど偉人しかいないけど、そんな不満が全く出ていないじゃん(信長とか性格が悪いだけにされた全くの別人なのに)
重み?手塚治虫の歴史が織田信長や、それこそ三国志の諸葛亮孔明や、アーサー・ペンドラゴンより歴史が重いとは恐れいった。
敬意もなにも手塚プロダクションが協力しているのでしっかり手塚プロダクションと精査してできあがったデザインですが…。
それはわかる。
俺は艦これとかとうらぶとか「擬人化になってない萌え(イケメン)擬人化」ものに毎回辟易している者だが、なぜ手塚治虫キャラの場合だけネットで反発が大半になっているかが確かに疑問
自分は擬人化は大賛成だけど、言いたいことはこの人の「なぜ手塚治虫キャラの場合だけネットで反発が大半になっているかが確かに疑問」に近い。
リスペクト感じない擬人化(特にいいたいのがガンダム。コアファイターシステムを無視しすぎ。一番重要だろ。)なんか鬼のように見てきたけど、あまりにもこの手塚作品は叩かれすぎていると思う。
なんでもいいから、自分が好きな作品(絵のあるやつね)を一つあげて「これがどういじられても(○○化されても)私は何も思いません」と宣言してみてほしいな。
びっくりするぐらい愚問。むしろ、この質問で今回の騒いでるやつの気持ちがわかったまである。つまりは同一視しすぎている。全ての世界が全て同じカメラで撮られるべきだと思っているのだろう。
アイドルマスターが大好きで特に如月千早、その中の人ミンゴスは俺をオタクに引き込んだものだが、ゼノグラシアを普通に許せた。アイデンティティの72が奪われてもなお。アイドルマスターシリーズの如月千早とゼノグラシアの如月千早は同一人物だったとしても世界とカメラが変っただけだから。
如月千早はミンゴスしかありえない。ミンゴスなくして如月千早はありえない。これはもう大前提よ。でも、それはただの歴史だ。今井麻美が如月千早に影響を及ぼしたとしても、如月千早という人物は今井麻美に依存しておらず、劇中で如月千早は今井麻美だと設定もされていないはずだ。
そして、如月千早をゼノグラシア世界のカメラを通してみたら清水香里の声がして巨乳にみえるだけ。(自分はゼノグラシアを「アイマスのアイドル達がドラマ出演でゼノグラシアを演じた劇中劇だと思っていることもあるが。)
これに近いのが、ガンダムWゼロのTV版とEW版である。ゼロはEW版で特徴的な羽を得るが、設定上では同一の機体という事だが、これを許せる人のほうが多いだろう。
それのどちらが好きなのかは個人の感想なので別にいい。ただ、それで「千早は72じゃないと許せない!」とか「EWはTV版のゼロを使っていないのが許せない」なんて人は居ないだろう。最も、前者に関しては「ゼノグラシアの如月千早は別人である」として受け入れている人のほうが多いが。
リスペクトが足りていただけと思われるからこれだけははっきり宣言するが、例えばガミPが引退し、バンナムがアイマスにすがりついて古参を釣ろうと、公式で続編をだし如月千早25歳といって72が崩れ去り、例えばF91になっても全然許せる。綺麗な青髪が美希の金髪になっても許せる。(受け入れるか別として。)
なぜなら俺は如月千早のファンだからだ。受け入れられなかったら、ちょっとアレは受け入れられないといって、現行のアイマス2(アニマス)の如月千早を愛するだけである。その受け入れられなかった如月千早を受け入れる人が居てもなんとも思わない。なぜならその人も如月千早のファンだからだ。そこに何の違いもない。「違うのだ!」と言わない。
セリーナ・ウィリアムズがラケット破壊したり、審判に難癖付けるの定期だし、何をいまさら感ある。
「フリースタイルダンジョン」というのを最近知った。
「何をいまさら」と思われるかも知れないし、現にオレも取り立てて話にすることじゃないと思っていた。まぁ、そんなうわついた言葉を作ってるあたりで、初心者が目立とうとして新ジャンルみたいなのを作ってるだけだと思うわな。
よく聞いてみると、初心者じゃない、十分に経験を積んだ熟練者がソロでモンスターと渡り合うんだ、と聞かされて、またたびびびのいた。初心者が戦うフリ(スタイル)を自慢してSNSヴァエする写メをとるやつじゃないのか。
なんだそれ、そんなの許可するギルドがあるのか?オレんとこはそんなの認めてねぇぞ(長期戦に向かない職業の集まりというのもあるが)
しかしまぁ、そもそもダンジョンの入り方に決まりなんてないしな。入り方はいくらあってもいいはずだ。入口はひとつだけどな。
実際、それをできるやつが、それなりにいるんだろう。こうして話題になってるくらいだからな。今後もますます広まっていくに違いない。いつの間にかびっくりするほど世の中が進んでいることは、ままある。これもそれだ。
「フリースタイルでダンジョンって、そんな装備で大丈夫か. 富士山にスニーカーやヒールで来るバカと同じじゃないのか.」など批判する奴もいるが、そいつもオレ同様に、「にわかがバカやってるだけ」だと思っているんだろう。一昔前なら自撮り写真がTogetterで炎上する事案だったろうが、時代は進んでいる。
オレもこの道で経験を積んできた部類だからな、熟練者と言われてもいいレベルだと自負してる。
これまでは未踏のダンジョンを暴き、そこに隠された真相や物語を明らかにして(それと幾ばくかの財宝を手にして)、自分の名を上げることばかり考えてきたが、フリースタイルという、自らのパフォーマンスで名を上げるのもアリなんじゃねぇかと思うようになってきている。
とりあえず、ギルドの転籍を見据えて情報収集からしてみようと思う。
転職も必要となるとちょっと考えものだが、ソロでダンジョンに挑む職業には少なからず関心がある。そんな職業いままで聞いたこと無いからな。
ギルドだけでなく、パーティからも抜けることになるだろう。でも、うちのは基本ドライなやつらだし、元々個人が成り上がるためのステップとして作られたパーティだ。あっさり認めてくれるだろう。オレの代わりを見つけるのはちょっと難しいかもな。
ともかく、人生は一度きり。「信じた道には頭から飛び込め」という、職訓のニンジャマスターから受けた教えに従い、今までやってきたんだ。それからもそうするさ。
LGBTに「生産性がない」といった発言で、衆院議員の杉田水脈氏が厳しい批判を浴びている。
Twitterでは彼女が出演した保守番組での差別的発言が多数リツイートされ、
LGBTに留まらず、多くの人々が彼女の発言に対しておかしさを感じているようである。
私は同性愛者であるので、彼女の差別発言と無理解さには辟易せざるを得ない。
むしろ私が言及したいのは、この日本という国を構成している「私たち」についてである。
私がこの杉田議員のニュースを目にしたとき、正直「ああ、またか」という感想が一番だった。
こういった政治家の差別発言の類は年に1度くらいは必ず見かけるので、
ゲイというセクシャリティを持って二十年以上生きている私にとっては、
怒ることより「この人はかわいそうな人だなあ」と諦めることのほうが楽なのである。
だからこそ、今回のようにLGBTに限らず多くの人々が批判している状況を見て、
例えば石原元都知事が、LGBTに対して同じような不適切な発言をしていたことは、
一体どれだけの人々が記憶しているのだろうか?
政治の場に限らずとも、学校や職場で、同様な発言はなかったのだろうか?
「お前ホモかよ(笑)」のようなネタとして消費される差別的発言は?
私にとってそういった居心地の悪い空気は人生のどの場面にも当たり前にあったので、
今の世論に対して「むしろ何故今まで気が付かなかったのか?」と滑稽にさえ思うのである。
メディアやSNSにLGBTが取り上げられる機会が増えなければ、
今回批判を行っている人々も依然として差別を行っていたのではないか?
私のように擦れてしまった人間は、LGBTの理解に奔走する人々にとってある意味都合が悪いかもしれない。
しかしもしあなたが今回のように、ある種の「正義」に目覚め、差別を行う人に鉄槌を下そうとするのならば、
私たちは誰しも、無自覚に人を傷つけ差別せずには生きられない生き物だということを今一度自覚してほしい。
特に杉田議員のように「国を背負う」という役割を持つ人を糾弾することはより一層簡単だろう。
しかし残念ながら、国を動かすのは政治家であっても国を構成し形作っているのは、あなたである。
政治家だけ差別に敏感でいれば、あなたは差別に無頓着でいていいわけなどないのである。
あなたが杉田議員に怒りを表すずっと前から、私は初めは同じように怒り、そして諦めた。
あなたがLGBTの問題について知識を得るずっと前から、私は知識のない人から傷つけられた。
あなたはあなたが無自覚に人を傷つけ、差別していたことを自覚しているだろうか?