はてなキーワード: 人権とは
学校の検診で一部のお医者さんからの性的な目線?が問題になってるようだ
その問題に対する政治家先生の主張が「じゃあ裸を見られないよう着衣でやらせる。それによって発見できない病気については大人の知ったことではない。子供の性的消費を防ぐのが身体の健康より大事だ」とか「生徒に着衣か脱衣かどうか選択させる。もし着衣で発見できなかった場合はそれを選択した子供の自己責任であり大人の知ったことではない。子供の性的消費を防げば皆幸せな世の中になるのである」とかいう思想に基づいているらしい。
脱衣で健診させるのは人権侵害だという思想みたいだけど、それよりも子供の病気を早期発見するための制度を改悪する方がよっぽど人権侵害だと思うぞ。
女性の人権や性的犯罪に敏感なのは結構だが、それと児童の公衆衛生は分けて考えるべきだ。
ごく一部の男医による行為が問題なのはその通りかもしれんし、対策しなきゃいかんのはわかる。
せっかく女医にやらせたい→健診できる女医が足りないっていう現実認識があるんだから、じっくりそこが増えるよう制度や金を持ってきたり関係者間の利害を調節して回ったりするのが政治家の仕事だと思うんだ。
法的な部分は弁護士に丸投げし、子供のためを思ってという建前で自分が気持ちよくなるための単発的な仕事だけやって満足してるのって政治家以前に大人としてどうなんでしょう。なんか考えが毒親とか、そっちに寄ってませんか。
かつて強力な国家であったイスラム国家と虐げられてきたイスラエルは、近代以降の欧米という後ろ盾と自らの軍事力によって形勢逆転したが、今現在でもイスラエルは被害者ヅラしてやりたい放題だ。
翻って男女の関係も同様であり、かつて腕力と社会的地位で優っていた男性とその男性に保護・あるいは虐げられてきた女性が、近代以降の国家・人権という後ろ盾、力の不要な労働形態によって形勢逆転しつつあるが、今現在「私たちは男性より不利な状況にある」とする主張を繰り返し、男性の権利を蹂躙し続けている。
「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」
そもそも、誰かがそう主張すること自体は自由です。その主張を議論の俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権を保障するために1人の人権を犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活を犠牲にすることによる解決は、少数意見を尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見を封殺することは非民主的な行いです。
従って、
という態度は望ましくありません。意見が荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性を奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義を標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢が必要です。もちろん、相手がマサカリで武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権と民主主義を尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手を人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論を封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者」男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。
差別主義とは何か。それは、社会に、本来は存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合でしかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナーを提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行・ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行・ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるものは実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇を引き起こします。「文化・伝統」「宗教・信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来は信仰の守り手として受益者であるはずの行為の宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。
ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考が差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。
同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります。一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的な利益や権力を得る、そんな行いだからです。人権も民主主義も、この社会の構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考法から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。
私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分が民主的で人権を尊重する人間であると自負していたとしても、私たちは不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか、再確認する必要があるでしょう。人権や民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用の最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。
弱者男性という属性が認知されたことにより、同じ属性を持つ者には「弱者男性とは◯◯だ」という決めつけが行われる差別が発生する
って意味だよね
それってフィクションであろうと「◯◯という属性」は「△△だ」が発生しうるよね
フィクションがリアルにまったく存在しないものだけを扱ってるならまだしも
道徳的正義よりも、社会的な利益の方が優先されるべきだからです
差別、迫害、人権無視の労働、パワーハラスメント、それらは利益の前には全て許されます
これは1リアルかも知れん。
弱者男性問題においては『排除』されていった結果、そういう『層』が形成されたと。
ただね、少し言いたいことがあるんだけど、まず『排除』の結果弱者男性という見かけ上の『層』が出来上がっているのであれば、『排除』の構造を正せば『層』そのものが無くなると言う。それはいいよ。
でも一弱者男性(自称するものでもないが)として言わせてもらうと、フラストレーション感じているのは正直そこではないんだよなあ。
もちろん将来的に弱者男性という『層』が無くなるほど『排除』の構造が是正されれば、それは素晴らしいことだと思うよ。ただそれは少なくとも今すぐには無理だし、そこに到達する迄の弱者男性はどうしてもあぶれてしまうのを止めることはできない。つまり『手遅れ』の人間には響かんよなあと思ったり。
ちょっと話がズレたな。うん、個人的には『低学歴・低所得・伴侶無し』という『排除』の結果の地位には別に不満はない。と言えばウソだが、まあしょうがないかとは思うし、実際それはそこまで苦ではない。
じゃあ何が気に入らないのかといえば、はてなでもツイッタでもいいけど、『弱者男 性』というたまたま形成された仮初めに過ぎないはずの『層』に何故か投げかけられる心無い言葉の数々、なんだよなあ。やれ「弱者男性はミソジニー拗らせたアンフェ」だの、「親に頭叩かれすぎたせいで人権も理解できない低能バケモンミソジニーおじさん」だの、『チー牛』とかも併せて検索するとまさに地獄の様相を呈している。
「どこかの弱者男性によっぽど酷い目に合わされたんだなあ、気の毒に」と少し思う一方、「知らねんだよ、十把一絡げにして叩くんじゃねえよクソが」とは沢山思う。ここまで好き勝手叩かれる『層』として確立していると、「あくまで差別でなく排除なので、排除構造を解消する方向で動くべき」とばかりは言い難い気がするんですよね、個人的には。
西側諸国は、自国の侵略行為や二枚舌を無視しながら、他国を批判することしかしない。例えば、セルビア人による民族浄化を非難しておきながら、数々のセルビア侵略や、クロアチア人やアルバニア人による虐殺は無視されている。
アメリカとその同盟国は、長い歴史の中で多くの侵略行為を行ってきた。
例えば、アフガニスタン侵略は、数十年にわたる不安定と市民の苦しみをもたらした。
リビア侵略では、安定した福祉国家が崩壊し、国が混乱に陥り、多くの武装勢力が権力を争う危険な国となってしまった。
イラク戦争は、大量破壊兵器の存在という虚偽の主張に基づいて開始され、何十万人もの人々の死を招き、イラクは現在も混乱と貧困から抜け出せていない。
グレナダ侵略では、民主的に選ばれた政府が倒され、アメリカに従順な政権が設立された。
これにより、民主主義や人権は単なる口実に過ぎないことが明らかとなった。
アメリカは、歴史上、「悪の独裁政権を倒す」と声高らかに叫び、侵略行為を繰り返してきたが、
多くの例で民主的に選ばれた政府を倒し、独裁政権を支援してきた。
メディアは中国のアフリカ搾取を非難するが、西側諸国も現代においてアフリカから富を搾取し、戦争を煽り、無能な独裁者を支援し続けている。
西側諸国の企業は、アフリカの天然資源、例えば石油、ガス、ダイヤモンド、その他の鉱物を搾取し、現地のコミュニティを貧困の中に置き去りにしている。
また、西側諸国は不平等な貿易協定を押し付け、現地経済や農業を脅かしている。大国の自分勝手と大国による搾取が現地の発展の妨げとなっていることを皆は知らない。
多くのアフリカの指導者が、西側・東側の支援を受けた腐敗した独裁者だ。自国民を抑圧しながら西側諸国や東側諸国に富を差し出している。
現在、ウクライナでは、西側諸国とロシアが勢力争いを繰り広げており、ウクライナの都市や自然が破壊され、ウクライナ人が苦しんでいる。
西側メディアはロシアのプロパガンダを非難するが、自国のプロパガンダもまた垂れ流している。
Западни свет често игнорише своје сопствене злочине док критикује друге. Многе агресије на Србију и масакри које су извршили Хрвати и Албанци остају непримећени и непризнати. САД и њени савезници имају дугу историју интервенција које су резултирале уништењем и патњом.
На пример, инвазија на Авганистан је довела до деценија нестабилности и патње цивила. У Либији, интервенција је оставила земљу у хаосу, са бројним оружаним групама које се боре за власт. Рат у Ираку је започет на основу лажних тврдњи о оружју за масовно уништење и резултирао је смрћу стотина хиљада људи.
У Гренада, САД је срушила демократски изабрану владу да би инсталирала режим који би им био послушан. Ово показује да су демократија и људска права само изговори за агресију. Историја је пуна примера где су САД и њени савезници свргавали демократски изабране владе и инсталирали диктатуре.
Медији често критикују Кину због експлоатације Африке, али истовремено игноришу како Запад наставља да из Африке извлачи богатства, подржавајући неспособне диктаторе и потпаљујући ратове за своје интересе. Западне компаније искоришћавају природне ресурсе Африке, попут нафте, гаса, дијаманата и других минерала, остављајући локалне заједнице у сиромаштву. Такође, западне земље често намећу неповољне трговинске споразуме који угрожавају локалну економију и пољопривреду. Многи афрички лидери који добијају подршку Запада су корумпирани диктатори који угњетавају свој народ, али су толерисани јер обезбеђују приступ ресурсима.
Тренутно, у Украјини, Запад и Русија се боре за утицај, уништавајући градове и природу, док украјински народ страда. Западни медији критикују руску пропаганду, али су и сами део пропагандне машине која оправдава своје интервенције.
弱者男性を救うために女性の人権を迫害する女あてがえ論について言及してからお話しください
その論旨で枝を繋げている以上、元増田の話に立ち戻るのは話がズレます
ツリーをしっかり読んで頂いて女性の選択肢や発言権を侵害するような言葉に言及してから人権を語ってください
ホームレスが犬を飼っているのは動物虐待だとしてホームレスに暴行を加えて犬を連れ去れるのが、ポリコレ的に正しい人権のあり方なので、弱者男性がペットを飼うことは認められません…。
学校の検診で一部のお医者さんからの性的な目線?が問題になってるようだ
その問題に対する政治家先生の主張が「じゃあ裸を見られないよう着衣でやらせる。それによって発見できない病気については大人の知ったことではない。子供の性的消費を防ぐのが身体の健康より大事だ」とか「生徒に着衣か脱衣かどうか選択させる。もし着衣で発見できなかった場合はそれを選択した子供の自己責任であり大人の知ったことではない。子供の性的消費を防げば皆幸せな世の中になるのである」とかいう思想に基づいているらしい。
脱衣で健診させるのは人権侵害だという思想みたいだけど、それよりも子供の病気を早期発見するための制度を改悪する方がよっぽど人権侵害だと思うぞ。
女性の人権や性的犯罪に敏感なのは結構だが、それと児童の公衆衛生は分けて考えるべきだ。
ごく一部の男医による行為が問題なのはその通りかもしれんし、対策しなきゃいかんのはわかる。
せっかく女医にやらせたい→健診できる女医が足りないっていう現実認識があるんだから、じっくりそこが増えるよう制度や金を持ってきたり関係者間の利害を調節して回ったりするのが政治家の仕事だと思うんだ。
法的な部分は弁護士に丸投げし、子供のためを思ってという建前で自分が気持ちよくなるための単発的な仕事だけやって満足してるのって政治家以前に大人としてどうなんでしょう。なんか考えが毒親とか、そっちに寄ってませんか。