一人称じゃあないけど、「コインロッカー・ベイビーズ」(村上龍)は完全にトリップしててお好みだと思う。
これ本当のことを書くと、頼れる実家があるから働けないんだよ。
俺も精神ボロボロだけど、親に捨てられ養護施設で育って頼れる人がいないから、メシ食うために働いている。
正直毎日辛い。
けど働くんだよ。
ListにはtoVectorはないのか。
val a = List().toVector
と書いて実行してみる。
REPLだと当然OK。
scala> val a = List().toVector
[error] ...\main.scala:14: value toVector is not a member of List[Nothing]
[error] val a = List().toVector
[error]
ニュース番組、情報番組、新聞、雑誌・・・には、「子育てで、これだけカネがかかる、大変でした」という記事は毎日掲載されている。
だが、
「首都圏年収500万円ですが、何とかやりくりして、2人の子供を育ててます。
具体的には●●を工夫して、市役所の●●の制度を使いました」的な「成功例」は、あまりマスコミは報じない。
マスコミ的には、「子育てに莫大なカネが掛かって、それが少子化に直結している。政府は予算を回せ!!」という
構図の記事にするのが「社会の木鐸の使命」と思い込んでいる。
というか、「子育てにカネが掛かる、ケシカラン!!」というトーンの記事の方が「読者に支持される、売れる」と思い込んでいるから、
そういう記事ばかり量産する。
確かに子育てにカネが掛かり、それが少子化を推進している点は事実だろうが、
一方で、
「あまり知られていないこういう制度を使えば、子育てはもっと楽になる」のような、「真の意味での情報番組」、
「ああ、こういう工夫をすれば、意外と負担少ないんだな。
子供を作る気はなかったが、じゃあ子供作ってみよう」的な出産誘引作用もあるんじゃないか?
いわば「子育てのライフハック」、そういうトーンの新聞記事・雑誌記事・テレビ番組が、意外と少ない気がする。
仮にあっても、そういう情報は「(既に子供を持ってる)子持ち層をターゲットとした雑誌」なんかに限定されていたりする。
むしろ、「(経済的理由が主因で)子供を持つことを躊躇している層」に、その手の情報は届けるべきであり、となると
一般的なニュースとか、一般的な総合雑誌なんかにも、どんどん掲載されるべき。
ビッグダディは極端な例だが、年収300~500万円くらいで、さまざまな制度を駆使して、
何とか子育てを乗り切っている実例(いわば「成功例」)を10例くらい、新聞やテレビが特集して取り上げないものか?
多分、今はやりの「マイルドヤンキー家族」が多数出ることになるだろう。
23区内の一部上場企業勤めで、マイルドヤンキーと無縁な人は、「子供作るのには年収1,000万円なきゃできない」と
思いこんでいて、1,000万円達するのを待っているうちに卵子老化して医学的に生殖不能になったりする。
そういう人に、「年収400万円の子育て成功例」の情報シャワーを浴びせれば、
「な~んだ、今の年収600万円でも、なんとか子育てできるかもしれない」と気軽に出産に踏み切る人も出てこよう。
あと、「子供1人育てるのに、成人まで3,000万円程度かかる」といった報道は、事実かもしれないが、
今時マンション業者でも、ストレートに「このマンションは5,000万円です。」と「金額だけしか言わない営業」はいない。
ちゃんと噛み砕いて、「30年ローンで、毎月●万円、ボーナス時●万円の支払いで済みますよ。家賃よりトクでしょ?
繰り上げ返済もできますし、イザとなれば団信でローンも消えますよ・・・」と営業トークして、客の購入意欲を煽る。
「5000万円」という金額を聞くと「自分に縁のない数字、高すぎる」と感じるが、毎月の返済額に置き換えると、
一気に「身近な数字」「なんとかなりそうな数字」に変身して、そのまま購入へとなだれ込む。
「成人までに数千万円掛かります」という報道だと、普段縁のない「千万」という単位になって、
これが「月々●万円」という報道なら、結果的には同じ金額でも、なんとなく、「ちょっと頑張ればなんとかなる数字」のように見えてくる。
第三次大戦が起こる必要はないし、古の邪神は目覚めなくていい。
我々との窓口たる主人公が、ただ滅亡の幻覚を見ればそれでいい。
一人称視点の作品において、我々が物語に触れるためには必ず何らかのキャラクターを通す。
もしそのキャラクターが精神病や麻薬の類で幻覚を見たとしよう。
その幻覚は、物語における現実と一体どれほどの違いがあるのだろう。
……とか、そんなポリシーで作られた作品ってないですかね。
31歳、無職。
鬱、不安障害で通院中。
でも社会が怖い。人が怖い。
薬が効いてるかどうかも分からない。
頭が締め付けられる。
どうしたらいいのか分からない。
肉体労働ができない。
死にたくない。
怖い。
教えてほしい。
お金を稼いで自立したい。
でもしなければ生きていけない。
急に現実的に「お金」ってあればあるほどいいものなんだなぁ、と思えてくる。
なんか大きいお金が出て行くことが多いんだよな。
そして、二十代ぜんぜん貯蓄してなくて、急に焦り出すわけだ。
今はプログラマーやってんだけど、この先どうしようかなー。
マジレスすると、将棋やチェスは盤面の情報を完全に、正確に取得できるのに対して、カーナビや路線案内は、駅や道の情報は人が入力してて、曖昧かつ網羅するのが難しいから
「ゆとり」という言葉の語感に寄りかかって自分の主観を吐きだしてるだけじゃねーか。
「社会で生きていくための知識を若い頃に詰め込み」しまくったトップランナーが、自分の頭で物を考えることのできない今の無責任な50代連中だろーが。アレを見て「こりゃダメだわ」…で始めたのが今の教育。詰め込みに戻しゃいいなんて、どんな寝言だよ。
ああああああああああああああああああああ
自由気ままだった4年間が終わり刑期40年の社畜としての人生が始まる。(3年以内で仮釈放され非人になる人も多いらしいがそれはそれで)
思えば大学生活ほんとなんもしてこなかったな
バイトもサークルもせず友達も誰一人つくらずずっと家にいた。大学とスーパーと家を往復するだけ。暇だから1,2年で単位ほぼ取ってしまって3,4年はほとんど家にいた。
2chしてアニメ見てゲームして漫画見たり、アプリ作ったり、スポーツ中継みたり、ネット小説書いたり、お絵かきしたり、料理したり。
大学の勉強は最低限の講義とテスト前日の1,2hの勉強しかしなかった。
他人からは糞みたいな時間の使い方だが自分的には最高に幸せな時間の使い方だった。暇だと思った瞬間はなかった。
唯一苦労したのは就職活動だった。正直に私はほぼ家に引きこもっていました。と言って採用するところがあるはずがない。自然に嘘が言えるようになるまでは苦労した。結局入ったのは2chの某業界の偏差値ランキングでは下の方でボロクソ言われてた企業だから結果うまく言ったとはいえないかもしれないが。でも希望の職種につけて、着きたくないと思ってた職種は回避できたのはよかった。
書いてて思ったのは2,3ヶ月の就職活動がこの文の中で大きな割合を占めてる時点で私の大学生活がいかに薄っぺらかったのかを表している気がする。この文を見た10年後の自分は果たして何を思うのか。やはり月並みに後悔するのだろうか。
何故乗り換え案内やカーナビは人間より賢いルートを出してくれないのか。商業的な需要はこちらの方が圧倒的にあるのに遅れているのは何故か。
もの凄い文章力の持ち主が所詮娯楽である小説を書く仕事を選び、多くの人の役に立つはずの機械のマニュアルを書いたりはしない(なので劣る人が書くからクオリティが上がらない)みたいなもんか。
要はリソースは持ち主の興味がない所には投下されないというだけの話か。
普通はその手の貧乏人が一発当てる汚れ仕事って言ったらド定番なのは兵士だよな。
少ない友人を遊びに誘う意気地もなければ、誘ってくれるかといえばそう頻繁に誘いは来るものではない。
バイトも休みで、やらないといけないことが残っているけれど、なんとなくだらだらしてしまう。
暇を持て余して食べ過ぎ、胃もたれを起こしているのに、一丁前にお腹はぐうと鳴る。
雑炊がいいな。昨日買ったかつお節があるから、それも入れよう。ご飯も炊かなくちゃ。
久しぶりに米を研いで炊飯ボタンを押した。一時間弱すると炊きあがりの合図が聞こえたので、キッチンに行く。窓からは夕暮れの気配がして、ふんわりと炊きたてご飯の香りが広がっていた。
そのとき、デジャヴを感じた。一人暮らしをし始めてすぐの強烈な孤独感とさみしさだった。
少しだけその場に立ち尽くして、電気ケトルに水を注いだ。がんばらなくちゃなあと思う。
「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。
自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。
とはいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。
自分も弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。
「東大理Ⅲしか許さない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。
受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いからに決まっているからで。
自分の高校名も父親の名前もバレバレであり、「さすが頭がいい人は勉強道具を持ってこないのね」などとナースがいう。
嫌味には全く聞こえなかった。
「あなたもお医者さんになるんでしょ」と皆が言った。いつの間にか病棟の患者さん全員が知っていた。
そういうつもりはないのです、とは言わずに、「なれると良いですね」と答えていた。
手術後は貧血があるだけで元気であった。
今思い出せば、それは末期がんの患者さんが多くいる病棟であった。
当時、流動食(で、かつ高カロリー)というのは病院のメニューにはなかったようで、ラコールやらエンシュアやらいう薬もなく、
自分でミルクセーキのようなものを作ってチューブで流し込む、というような生活をする人がいた。
その人は喉頭が失われていたので意思の疎通は筆談なのだけれど、わざわざ病院の近所のスーパーに買いに行っていたから自分がお使いをしたり。
俺は高校生で全くの素人なわけで、そんな自分に健康相談をするのは全く間違っている。
全く間違っているわけだが拒絶するのもおかしな話だし、第一自分の家は病院で、物心ついた時には患者さんたちや従業員さんに囲まれて育ったわけだから、
死ぬとか、苦しいとか、そういう事について多少は自分なりの考えを持っていたんだろうとは思う。
(「死ぬのは苦しくはないんですよ」というような。それはうちの病院が30年前にすでに緩和ケアみたいなのをやっていたから本当の話)
とはいえ、自分が何か話す、というよりは人々の話を聞いたり、会話の媒介者になる、ということをただただ繰り返していたわけだ。
そんな中に顔色の悪い「その人」はいた。
30歳ぐらいの「その人」はいつも口数が少なくて、元気がなかった。
でもだんだん日にちが経つうちに、打ち解けて来たかもしれない、という印象を持った。
今はその人がどんな病気だったかがわかる。乳がんで、たぶんあんまり予後が良くない状態なんだ。
俺が退院するという日になって、「ちょっと話がある」と地下に呼び出された。
なんだろうと思ってついていくと、めっちゃいかつい男性がいた。こわい。
どう見てもその筋の人である。
どうしよう、怒らせてしまったのだろうか。
別に文句を言われるでもなく、
「夫です」などと自己紹介をされた。自分はといえば、どこからか刺青が見えるんじゃないかとかそんな事を考えながらさりげなく相手を観察しつつ
「はいはい」と話を合わせていたのだけれど、そのうち「その人」の顔つきがちょっとかわって、
「はい?」
「○○くんは絶対医者になってほしい」
「と、妻が申しております」
頭を下げてお願いされたのは、その後の人生でもあまり記憶にないのだけれど、
と言ったが嘘である。
知らない人に頭を下げて頼まれたから、という理由ではあまりにもいい加減すぎるだろう。
<あとがき>
この話は本当の話。
なんで医者に向いてるんだか全然わかんないまま「その人」に指示されるままに突っ走ってる。
転載はご自由に。
たくさん素敵な人と出会ったよ。
あの人も本当素敵だったんだよ。