はてなキーワード: 東大卒とは
http://anond.hatelabo.jp/20110202035306
「論理操作能力」という言葉を定義したから反論が多いわけではない。
反論が多くなる理由は、
とか。
東大君に「もっとマシな作文してくれ」ってトラバをつけたものだが
お前の話もなんか嫌なオーラがあるな。
正しくなくても自ら手を上げたり、普段から周りの人を助けてる奴が発言力とか信頼集める。
なんか勢いが付きすぎて
「社会ではアホでもガーガー言う奴がまかり通るしそうあるべきなのだ」
みたいな話に読めるんだけど、ただの余勢だよな?
実際社会ではそういう事言う奴はただの学歴コンプレックス持ちであって
高学歴者が何をしようが姑のように因縁つけるポイントを探してるだけなので
東大君はその手の言説を相手にする必要は無いよね。
元増田。うん、君は僕より論理操作能力が高い人間のようだ。論理操作能力の高い人間は、議論に勝つ。だから、君は、そのうち、僕の仕事を奪う。僕が提案したアイデアは、君の反駁によって却下される。そうして、そのうち、僕は有用なアイデアが提案できない人間だとみなされる。そうやって、僕は君に仕事を奪われていき、最後には僕は自滅に追い込まれる。
学歴なんかどうでもいいんだよ。現に俺は東大卒だが論理操作能力が低く、君はFラン卒だと自称しているが論理操作能力が高いじゃないか。論理操作能力が高いか低いかが問題なんだよ。論理操作能力が高い人間は、そうやって、僕を論破して自滅に追い込むのだ。君のような論理操作能力が高い人間に、僕のような論理操作能力が低い人間が抵抗できる唯一の方法は、議論を避けて、他の方法で君を追い落とすことなんだよ。そのための学歴なんだ。僕は、東大を出て本当によかったと思っているよ。君のような正論で僕を論破する人間から、学歴を使って自分を守れるからな。
僕のような論理操作能力の低い人間は、放っておけば論破されて抹殺されるから、学歴を身につけて、それを使って身を守るしかない。君のような論理操作能力の高い人間との議論を避けるのは、僕が生きるための知恵なのだよ。
増田の文、5,6回読んじゃったよ。もぅ。
とりあえずテンプレートにそって書き直せよ。
まず、「頭の回転が速い」でも「論理操作能力が高い」でも何でもいいんだけど、
ブロック2で定義した言葉の具体的な例。シチュエーションの提示。
↑これがないから以降の話が具体的に何をさしてるのかがさっぱりわからん。
どんな言葉定義しても具体例がはっきり示されないと俺とお前で概念を共有できない。
んで、ブロック3で2で提示した具体例を元に、観察し、抽出された特徴の提示とか考察。
ブロック5で4への解決策の提示
ブロック6で最終的な結論。
みたいな流れでないと論にならない。
増田の文は具体例が一個もないから段落ごとのつながりがさっぱり見えない。
んで、文の最初に結論書いてその後に根拠を書いてるといってるが、それすら出来てないので、
なおさらわからなくなる。
例えば、3段落めの
とか。
本来なら
論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。なぜならば・・・
と、その根拠を述べなければならないところで、「だから」で先に進んでる。
論理操作能力ってのもピンと来てない状況で遺伝的だから訓練しても無理とか言われても、
訳わからんしそのまま、説明無しに先に進まれたらもうお手上げ。
どうだろうな。東大生が学習能力と言われたことを正確に実行する能力が高いのは事実だし。
まぁ、いんじゃね?
http://anond.hatelabo.jp/20110202035306
追記の最後の行で、
もし、これらの言葉を東大生しか知らないのなら、東大生を相手にしたときだけ有効な「傍証」だろう。つまり、一般人は知らないわけだから、それが「東大の証」かどうかなんてわかるわけない。単なる仲間内の符牒に過ぎない。よって、仲間(東大生)にしか識別できない。
逆に、一般人にもこれらの言葉が「傍証」として機能するには、一般人もこれらの言葉を知っている必要がある。すなわち、一般人も東大生も両方とも、知っている言葉だということになる。
ただ、あえてそんなことを書くのは東大生かもしれない、と思わせる効果はあるように思う。
東大卒。自分はギリギリで東大理Iに受かったぐらいの大したことのない頭の持ち主だが、東大に入ったおかげで、色々な東大生を見ることが出来た。その結果、論理操作能力というのは極めて遺伝的なものであるという事実を知ることが出来た。東大の中でも頭がイイ奴は、特に、時間あたりに操作できる論理操作の数が常人の数倍は速く、常人より1桁正確だと思う。この事実を知ることが出来たことが、東大に入って最も良かったことの一つだと思っている。
お勉強が出来るだけでは社会に出ても役に立たないというのは、その通りだと思うのだが、論理操作能力が速くて正確なことは社会に出る上で非常に役に立つ。特に、議論で圧倒的に有利になる。議論って言うのは、実は、試験よりも速くて正確な論理操作能力が要求される。その場で返答しなければいけないからだ。試験だったら、その場でとっさに答えを思いつかなくても、「とりあえず置いておいて、試験時間終了間際にもう一度見なおしてみるか」といった戦略が取れるが、議論の場では、相手は何十分も返答を待ってくれない。その場で返答しないと意味が無い。
論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。だから、論理操作能力が低い(才能がない)我々のような人間が彼らに勝つためには、「論理操作能力が高いヤツとは最初からマトモに議論しない」ということが重要だ。例えば、相手が持っていない情報に基づいて反論する。いくら論理操作能力が高くても、知らないものを知ることは出来ない。それから、論理操作能力が高いヤツの前では、自分のやっている仕事を面白そうに見せない。論理操作能力が高いヤツが自分の仕事を持って行くからだ。
こういう勝つ技術の中でも一番多く使うのは「自分の仕事に関係ないことは黙っておく」という技術だ。会議の中で自分より論理操作能力が高そうな人間がいて、その会議が自分の仕事に直接関係なく、意見することで何か自分に利益がもたらされるのでなければ、黙っておく。論理操作能力が高い人間の意見は高い確率で正論なので、しばらく放っておけば、そういう人間が会議を引っ張っていくようになる。
論理操作能力が低い自分でも、論理操作能力が高い人間が多く集まる東大という環境にいられたおかげで、こういう論理操作能力が高い人間の中で立ち回る技術を身につけることが出来た。人類の大半は、論理操作能力が低い人間だ。みんなで、共闘して奴らを追い落とそう。
追記:最後の文の「奴ら」は、論理操作能力が高い人達の事です。時間がたってから校正しないと、こういう曖昧性に気がつかないのが、僕の論理操作能力が低い証拠です。論理操作能力が高い人達は、即興で曖昧性の低い文章を書くことが出来ます。
また、「情報処理能力」の方が適当ではないかという意見がありましたので、「論理」「操作」能力とした理由を説明します。「論理操作能力」というのは、平たく言えば、「頭の回転の速さ」だと思ってください。
まず、「情報」ではなく「論理」という言葉を使ったのは、「情報」では、人に上手く質問して情報を引き出す能力や、ネットや本で調べる調査能力を含むような誤解を与えると思ったからです。そういう調べ物が得意な人は居ますが、その人の専門にもよりますし、信頼できる情報源をどの程度「知っているか」という知識の問題でもあります。例えば、法学部卒の人が法律に関することについて情報入手能力が高いのは当たり前です。一方、「論理」なら、こういった調査能力を含むかのような誤解は与えません。ですから、「情報」より「論理」の方が適切であると思いました。
次に「処理」ではなく「操作」という言葉を使った理由は、「処理」では、処理した結果何をアウトプットとすれば良いのかが明確に決まっている、という誤解を与えるからです。例えば、漠然と「何かいいアイデアない?」と聞かれた場合は、欲しいアウトプットは定まっていません。このような得たいアウトプットが明確に決まっていない状況でも、与えられた条件から「この条件とこの条件をこう組み合わせれば、こういうことが言えて(=こういうアウトプットが得られて)、嬉しい!」ということを即興で考えつくことが出来る人がいます。僕は、「論理操作能力の高い人」という言葉で、こういう人たちのことを指したかったのです。
例えば、車を操作する、とは言いますが、車を処理する、とは言いません。「操作」という言葉が、どの方向に進みたいかを決めることをも含んでいるからです。一方、「車をA地点からB地点まで移動するという仕事を処理する」ということは出来ます。処理するためには、アウトプット(目的)が最初から決まっていないといけないのに対し、操作することは、アウトプットを定めることも含んでいます。ですから、「処理」よりも「操作」の方が適当であると思いました。
ところで、この文章では、遺伝的と先天的を同じ意味で使ってしまっています。僕が言いたかったのは「先天的」の方です。先天的だからといって遺伝的であるとは限りません。また、論理操作能力が先天的であるということは、実際に東大にいて、多くの東大生を見てきて、僕が経験的に(帰納的に)知ったことです。また、僕は、論理操作能力の高い人が東大だけに存在するとは思っていません。どの大学でも、名前が知られている大学なら、上位何%かは論理操作能力が先天的に高い人だと思います。東大は、その「何%」が、1~2割程度になっているぐらいです。東大は、一般教養の代わりに、シンフリ制度(最初は全員教養学部に属し、1年~2年前期までの成績で、他の学部学科に転籍する進学振り分け制度)を取っているので、学部・学科によって、論理操作能力の高い人の全体に占める比率は大きく異なります。シンフリ点数の高い学科は、やっぱり、論理操作能力の高い人が多いと思います。シンフリとかシケプリ・シケタイ・シケ長とかいった言葉を知っていることは、僕が実際に東大卒である傍証にはなると思います。
追記2:
言いたいことが伝わってこない、という人が何人かいるのですが、そういう方は、どこが悪いか教えていただけると幸いです。理系出身なので、各段落の1文目をキーセンテンスにして書く点や、曖昧性がないように書く点だけは気をつけて書いているつもりです。文章が長い(冗長性が無駄に高い)のは、校正してないのでしょうがないと思っています。
追記3:
何で「論理操作能力」っていう言葉を定義しただけで、こんなに反論が多いのだろう。とりあえず、「論理操作能力が高い」=「与えられた前提から、単位時間あたりに論理的な推論を用いて導き出せる有意義な結論の数が多く、また、その推論が精確なこと」と定義しておく。単に論理的な推論がたくさん出来るだけ(=論理演算能力が高い)では、コンピューターの方が人間より優秀だということになってしまう。論理的な推論を重ねて、「有意義な結論」を見出さなければならないから、「操作」という言葉を使った。また、人間は推論を間違えることも多々あるので(例えば、A→Bが、議論を進めていくうちに、B→Aも成り立つことになっていたり)、推論が精確であることも重要なので、「推論が精確なこと」を定義に含めなければならない。
「コミュニケーション能力」とか「国語力」とか「人間力」とかよりも、ずっと精確に定義できていると思うのだけど、何でこんなに反発を食らうのか分からない。
追記4:
英語を使うと冗長すぎるって言われそうなのでやめておいたのだが、やっぱり、書くことにしてみた。操作は、"operation"の意味で使っています。"operations"のように複数形に出来ることが大事。まぁ、"manipulation"の意味でもよいかもしれない…これも、"manipulations"にできるからね。"control", "exploit"の意味では使っていません。
追記5:
20代後半で、虫歯で歯がボロボロになった東大卒。小学校の歯の検診で表彰とかするのやめて欲しい。競争の道具にしないで欲しい。
小学校では、何もしなくても殆どのテストで100点だった。一方、毎年一回ある歯科検診の日は、ちゃんと朝磨いて行っているのに、B+「もうちょっと頑張りましょう」以外、取ったことがなかった。歯の検診でもAを取りたかった。テストや成績は、一人ひとり返されるだけだけど、歯の検診でAを取るとクラスの前で褒められるから。
そこで、小3の時に、俺は一計を案じた。歯科検診の当日、30分早く起きて、30分間、これでもかという程歯を磨き続いた後、自信満々で小学校に行った。
…やっぱり、B+「もうちょっと頑張りましょう」だった。ショックだった。
もう、やる気がしなくなって、小4の時は、反動で、朝、全く歯を磨かずに小学校に行った。
…やっぱり、B+「もうちょっと頑張りましょう」だった。
この実験の結果、歯を磨く事に虚しさを覚え、中学~高校の6年間、マジメに歯を磨かなかった。一旦、歯をマジメに磨かない癖が出来ると、大学に入ってからも、その調子が続いてしまって、大学時代もあんまり歯を磨かなかった。
24になって、一念発起して、2年間歯医者に通い続けて直した。結果:大臼歯と小臼歯のうち、4本金属クラウン。大臼歯一本喪失。奥歯と前歯は大体神経抜いてる。前歯は差し歯。他、インレーたくさん。
まー、自業自得っちゃ自業自得なんだが…小学生の時は分からなかったが、今考えてみると、小学校の時に「歯を磨けば歯の検診でいい評点が取れる!」みたいなガンバリズムを醸し出していた小学校教師(男)なんて、当然、歯学については素人だし、歯が磨けているかどうか実際にチェックしていたのは、今の俺よりずっと若い歯科衛生士の姉ちゃんなんだよな…そんな奴らが作ったくだらない評価のせいで、自分の歯がボロボロになっのかと思うと、悔しいわ。
毎回毎回、こちらに書き込むたびに匿名じゃなくて告知ばかりで恐縮なんですが、今夜もそうです。。。
今回、某出版社から「"東大卒"サラリーマン/OL」が職場などで体験した悲しいエピソードを集めた本を出すことになりました。
元々、このテーマに行き着いたのは、私の職場の東大卒の方が、会議で「君さあ、良いアイデアないの?東大出てるんだから」と、なぜか責められていたのを見たのがきっかけでした。東大卒社員への社会的な評価を見ると「まじめだが独創性が低い」(2003年朝日新聞)「基礎力はあるけどクリエイティビティがない」(森永卓郎)そんな意見が多い。しかし、これはけっして「東大生・東大卒」の実態を表していないのではないか。なぜ東大生はそんな風に偏見やイメージで語られるようになったのか。そこには個人の資質ではない、社会的な何かがあるのではないか…。
……なんていうことで、インタビューさせていただける東大卒サラリーマン/OLさんを探しております。(「自分じゃないけど、こんな話を聞いたよ!」「うちの職場の東大卒の人はこんな人!」という方もぜひご連絡ください)
↓詳しくはこちら(^^
ちなみに俺の実家付近のタクシー屋は元東大卒元教師にして俺の中学校の元担任がタクシードライバーで日銭を稼いでるぞ。
まあ頭だけ出来て口と身体が回らないボンクラだったから、いつか辞めんだろーなーとは思ったが俺のいるときに辞めてった。
http://anond.hatelabo.jp/20110120022852
地方の進学校で天才と呼ばれていた奴が、東大に進学したら周りにもっとすごいやつしかいなくて挫折してしまった時、それを乗り越える方法を考えてみた。
ちなみに俺は東大生ではないが、とある一分野で似たような挫折を味わっているので、根拠のない想像というわけではない。
こんなすごい人たちと机を並べて学べる立場の俺すげー、でもいい。
周りのすごい人たちの威を借りるわけだ。
「俺たち東大生ってさ……」って言い方は、東大生でもまん中以下の奴しか言わない。
2 真の敵は自分だけだと思う
周りを見るのをやめて、自分がやりたいことをどの程度達成できたか、という物差しで測るようにする。
たとえば地方に戻る。地方に戻れば、「東大卒の俺が、東大で学んだことをお前らに教えてやる」っていうデカい態度を取ることができる。
追記だけど、事務のお姉ちゃんって仕事が機械化されても0にはならんし、
そういった、誰にでもできる事務のお姉ちゃんになるために、東大どうのこうのってのは、言いたいことはわかるが、実質必要ないし。
増田のいいたいことは、ホワイトカラーではなく、年功序列狙いのサラリーマンというべきだと思う。
年功序列狙いのサラリーマンのように、上意にしたがって動くだけの仕事は、単純能力の勝負だから、東大卒程度の頭がなければ日本経済の失速に合わせてリストラに合いやすい。
ある程度勉強ができない奴は、平凡サラリーマンではなく、独自スキルを目指して起業するなり、フリーランスを目指さないと 会社勤めしてもリストラに合いやすいと。
言うことか?
「東大卒・早稲田法科大学院卒の入社希望者をエントリーシート段階で落としてやった、少し優越感」と
しかし、中小企業などでは、「あなたはウチに来るには、あまりにも高学歴過ぎる」と
「おことわり」するケースは、案外多いらしい。
思うに、日本の「中小企業が多い産業構造」に対して、「あまりにも大学を作りすぎ」てしまい、
「社会が必要とする学歴比率」に対して「オーバースペックなまでに社会が高学歴化してしまった」
ということはないのか?
今までであれば、「若者の高学歴化は、当然必要な政策・望ましい政策である」という
「疑いようがない公理」があって、「受入側こそ、高学歴を使いこなせるよう、職種の高次化を
進めるべきだ」との論調が主流であった。
しかし、逆の発想として、「職種の高次化がなかなか進まないのであれば、若者の『行き過ぎた』
高学歴化の方を抑える」方が、現実に即した政策にならないのか?
高卒比率が増えると、一見年収が低く抑えられて「不利」に見えるが、
生涯勤労年数は「大卒比で4年は増える」(1割増える)ので、実は生涯トータルで見れば大差ないのでは?
加えて、年金加入年数も増えるので、その点でも有利。
また、実質的に親が負担している大学教育コストも「不要」になるので、「親子連結家計」で見れば、
なによりも、第一子の親になる年齢が30代⇒20代と若くなるので、
大卒だと「30代で第一子作り⇒体力・精神的に参ってしまって、子供は1人だけ」
のようなところが、高卒だと「20代で第一子作り⇒体力・精神的に余裕があるので第2子も」
となり易い。
そろそろ、「大学進学率が高いほど、望ましい社会だ」という「社会学者・政治家の常識」を
疑ってかかってはどうか?
まだ午後10時だろ いくら稼いでんの?東大卒ですか?
はやく答えろよ はやく答えないと俺死ぬぞ 死なせたくないだろ早く答えろよ
http://iekemencom.blog9.fc2.com/blog-entry-923.html
これを見た感想を書く。
ちなみに上記を要約すると、こうだ。
・お前ら「どんな底辺であれ、東大なら使えるだろ」
・お前ら「ひがみ乙」
「東大なら使える」
「中卒の嫉妬乙」
これを繰り返すのみだった。
結局、お前らは言い訳がしたいだけだろう。
「底辺だから使えない」
「高学歴だから使える」
わかるよ。
お前らは、自分にできないことを「自分以外のせい」にしようと必死になっている。
友達がいないのは周りに非コミュしかいないせい。
環境のせいだから、努力しても無駄だ。おれは努力しない。環境が阻害しているから、努力しても結果なんて出ない。そうに決まってる。
だから、中卒の>>1を認めてはならない。
認めてしまったら、自分が底辺にいる理由が「己の怠慢である」と認めてしまうからだ。
「環境のせいでクズであるべき人間」が「本人の努力」で認められる事実から、目をそらしたいんだろう。
「高学歴は使える」
自分が何もできないのは「努力していないせい」ではなく「高学歴でないから」と言い訳するために。
「中卒のひがみだ」
東大卒が使えないという事実はあってはならない。「結局本人の努力次第」という事実だと、言い訳できないため。
ただ、他人の努力ぐらい認める余裕を持ったらどうよ。
余裕ないと、すぐ老けるよ。
参照URLが間違っていたので返信されていたことに気づかず,
気づいてそうか納得できないかーと思っていたら,こちらですでに納得していたんですね.
これまた参照URLが間違っていたので気づかず..
すでに納得できたようなので特に返信することもないのですが,
質問の回答を書いてしまったので貼り付けておきます.
GTDについてはあんまり良く知らないのでなんとも言えませんが,
こんな風に書いているので,人生の目標をGTDで探すのは不適切なのでしょう.
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0812/31/news002.html
しかしデビッド・アレンさんはここで彼の経験に基づくアドバイスをしてくれています。それは「日々の仕事を片付けられないと、将来の目標など見えてこない」というものです。日々仕事に追われていたり、ストレスにさらされていると将来のビジョンは描きにくくなります。疲れた頭では自由に未来を創造することは難しいでしょう。日々の仕事をコントロールする術をまずは身につけることによってのみ、トップダウンのアプローチが可能になるのです。
将来の目標や価値観について考えをめぐらせることは悪いことではないですが、ボトムアップから始めたほうが結果的に自由な思考が可能になるかと思います。
やるとしたら,おそらく「人生の目標を探す」というプロジェクトを登録し,
次のアクションとして「○○を読む」「○○について考えをまとめる」とか登録するのではないかと.
具体的に将来の目標を考えるための手段としては他の方法を試すべきなのでしょう.
下記は目標達成可能性最大化を実践している知り合い(東大卒)から薦められた本です.