はてなキーワード: ペタンクとは
個人的には
「【いわゆる体育】自体要らない」
です
体を動かすことを身に付ける為と言うのなら、もっと持続可能な運動を「選ばせて欲しい」
「自分のペースで走る・歩く・泳ぐ」
「球技等を楽しむ」
「ペタンク」
「カバディ」
「サップ」
「パルクール」
逆さになるのが恐ろしいのに床運動とか無理にさせないで欲しい。出来ない子は一生逆さにならないので、意味の無い授業です
やりたい奴がやりたいことをやって続けていくことにこそ「運動」の意味があると思います
運動と言うのは、学生時代だけやっとけばいいってものでは無いと思います
生涯に渡って続けられる、楽しめるものでないといけません
なのに、学校に上がると「出来ない」「下手」「つらい」そんなものばかり押し付けられます
でも、出来ない子にとっては単なる「汚点」になります
出来る様に努力すれば成功体験になる…なんて寝ぼけたことを言わないで欲しい
出来ないものは出来ないのです
だからこそ、「本人に合ったサステナブルな運動」をさせるような授業にしていくべきだと思うのです
けれど、「お前これ出来ないから減点な」「はい、駄目」なんて授業はする必要が無いのです
そういった考え方で授業を組み立てて欲しいものです
以上です
世界の誰が嫌いでも、自分だけはこういうシチュエーションやこういうキャラクターが好きでしょうがない!っというニッチなところをまず目指せ。そのニッチを掘りつくせ。あらゆる傍観者に語らせろ。少年は巨乳を憧れで語り、少女は恐怖として語り、おばさんは苦労するわねと語る。
全部の視点をやりつくしたらようやくそこからクセを抜いていくんだ。
語りたいものにであっていないのなら(もうやりつくされているが)おまえがいままでよんだラノベが大好きでそれの話ならいつまででも語れる少年、あたりが手ごろ。だがそれはすでにデュラララからモモからやりつくされてるレッドオーシャンでもあるのだが。
あのさ、
次のサンデージャポンで「喝!」って言う人が
「喝!」って言わせたいんだけど、
その「喝!」の人は彼は彼でシン監督いいんじゃない?って絶賛しそうで、
関口宏さんが「喝!」の人の「喝!」を欲しがる画がもう今から見えちゃうわ。
ヤキウなんて一切全く興味ない私ですら、
なんかシン新庄新監督がシン後方伸身宙返りの4回ひねりを決めてしまいそうな勢いで
わ!なんか凄く面白いことになりそう!って思って止まないわけ無いのよ。
ヤキウを知らない人でもサンデージャポン見ちゃいそうだもん。
それはともかく、
私も電動化したいんだけど、
一度電動化してしまったら、
二度と生身の人間に戻れないので、
そんな電動化までして自転車速くなりたいとは思わないからいいんだけど、
休みの日とかさー
自転車あったら、
わざわざ車出すまでも無く、
さっと自転車で行けるんだけどなぁーって
もちろんそこまでして私は電動化することは拒むんだけど
これじゃー全くの改造人間よね。
と言うか
ここ最近稀に見る本当に偶然に心から上手いこと言えた感じがして、
今日はもう閉店したいところなんだけど、
そうはいかないわよ。
でもさー
自転車は欲しいんだな。
人力では無理でそれこそ電動化されたら持ってこれるかも知れないけど、
いまの時点では人力で実家から私の黄色くてカワイイ自転車を持ってくることが出来ないのよねー。
だから中古のボロボロのでもいいから電気が点いて前かごが付いて銭湯セットが入れられるだけのスペースがあったらいいなって
酒屋さん仕様のボディー剛性が最高に強まったあの手の自転車までは必要ないけど、
そんな私専用の本当に文字通り足がわりになる自転車が欲しいのよね。
でさ、
車で行けばいいじゃん!って言われがちだけど
駐車場なかったり
あんまり彫金距離を車で行くのもエスディージーズに反して今ならグレタちゃんにそんな距離を車で乗って行くの?って怒られそうよ。
そりゃー
ヨットみたいに乗っていける水路があったら私だってヨットとまでとはいかずボートぐらいは漕いだことないけど漕げるはずだから、
でもなかなか日本の奥まった都市や街や村には水路が無いのよね。
って今思ったんだけどアンドワネッツさんって
アーノルドシュワルツェネッガーさんのワルツェネッガーってところに似てない?
すごく似てると思うわー。
そういったことひっくるめて、
やっぱりお手軽な足がわりの自転車があったらなぁーって
最近10分も歩くのも億劫になったらいけないけど億劫なのよね。
人間楽な方に流れて行くサガなのよ。
そこの根底からある怠け癖からたたき直さなくちゃいけないのかしらね?
あーあ自転車欲しいなー。
うふふ。
ハムタマゴサンドよ!って威張って言うほどでもないけど威張って言ってるわけでもないけど。
美味しいものは美味しいに尽きるわ。
今日はそれを使って作る
ほんの少しだけでいいのよね、
何事もほどほとが良いのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そろそろペタンクが来ても良い頃。
まず前提として、「客観的」にどれが優れていてどれが劣っているかを「論理的」に「科学的」に論証することがほぼ不可能だということは認める。
問題はそういうことではなく、個人の主観的な評価の中で本当に優劣はないと言い張っていいのだろうかということ。
ゲームが好きなオタクは自分の大好きなゲームが本当にペタンクや現代芸術と同じ価値だと思っているんだろうか。
ゲームオタクは当然のようにペタンクや現代芸術を下に見ているだろう。それが個人の中での優劣ってものだ。大好きなゲームがペタンクや現代芸術なんかと同じわけがない。同じなのであればゲームだけやってるのではなく、いろいろな趣味を探すだろう。あらゆるものに無意識のうちに順位をつけているからゲームを最優先する人生を送っているわけだ。
「娯楽や芸術に優劣はない」と言いながら、自分では明らかに順位をつけている。なぜこういう発言が出てくるのか。これは結局劣等感から来ているのではないだろうか。
たとえば世間で高尚とされる趣味を持っている人はいちいち「娯楽や芸術に優劣はない」などとは言わない。こういう発言をしているのは大体オタクだ。
オタクは「娯楽や芸術に優劣はない」と発言することによって、低俗と見られがちな自分の趣味と世間で高尚とみなされている趣味が同じ価値だと主張しているわけである。つまり、相手の価値を毀損することによって相手を自分と同じところまで引き摺り下ろすということをしている。
「どれも娯楽だろ」「娯楽に優劣なんかあるかよ」ともっともらしいことを言って、すべてを自分のレベルに落として均質化しようとする。
オタクは教養がないのでこういう理屈で満足なんだろう。それに芸術に親しんでいる人たちもいちいち世の中の娯楽を批判して敵を作るようなことは積極的にはしない。
芸術に親しんでいる人たちは理論も勉強しているから芸術もわかり、かつもちろん娯楽もわかるが、一方でオタクは娯楽しかわからない。オタクは娯楽しかわからないのに、その価値観で芸術を酷評して「優劣はない」などと言っている。
要するに自分たちの理解できないものを理解する気もなく批判している。
こういうオタクが自分は賢いと思っているのを見るたびにとても滑稽だと思う。
「娯楽や芸術に優劣はない」などと言いながら多様性や理論を理解する気もない。主張の意図としては相手を理解せずに理解する気もなく自分と同レベルと言い張るという自爆行為である。自爆行為でありながらプライドだけは高く、むしろ自分の趣味こそ至高だと信じている。
「娯楽や芸術に優劣はない」という言葉はオタクが他人と同等になれる魔法なのだ。「お前らも俺と同じだろ」というわけだ。
オタクは競争のない世界が好きらしい。ネトウヨでありながらも、徒競走でみんなで一緒にゴールという価値観をあわせ持っている。自分に都合の悪いところは競争しない。