まず前提として、「客観的」にどれが優れていてどれが劣っているかを「論理的」に「科学的」に論証することがほぼ不可能だということは認める。
問題はそういうことではなく、個人の主観的な評価の中で本当に優劣はないと言い張っていいのだろうかということ。
ゲームが好きなオタクは自分の大好きなゲームが本当にペタンクや現代芸術と同じ価値だと思っているんだろうか。
ゲームオタクは当然のようにペタンクや現代芸術を下に見ているだろう。それが個人の中での優劣ってものだ。大好きなゲームがペタンクや現代芸術なんかと同じわけがない。同じなのであればゲームだけやってるのではなく、いろいろな趣味を探すだろう。あらゆるものに無意識のうちに順位をつけているからゲームを最優先する人生を送っているわけだ。
「娯楽や芸術に優劣はない」と言いながら、自分では明らかに順位をつけている。なぜこういう発言が出てくるのか。これは結局劣等感から来ているのではないだろうか。
たとえば世間で高尚とされる趣味を持っている人はいちいち「娯楽や芸術に優劣はない」などとは言わない。こういう発言をしているのは大体オタクだ。
オタクは「娯楽や芸術に優劣はない」と発言することによって、低俗と見られがちな自分の趣味と世間で高尚とみなされている趣味が同じ価値だと主張しているわけである。つまり、相手の価値を毀損することによって相手を自分と同じところまで引き摺り下ろすということをしている。
「どれも娯楽だろ」「娯楽に優劣なんかあるかよ」ともっともらしいことを言って、すべてを自分のレベルに落として均質化しようとする。
オタクは教養がないのでこういう理屈で満足なんだろう。それに芸術に親しんでいる人たちもいちいち世の中の娯楽を批判して敵を作るようなことは積極的にはしない。
芸術に親しんでいる人たちは理論も勉強しているから芸術もわかり、かつもちろん娯楽もわかるが、一方でオタクは娯楽しかわからない。オタクは娯楽しかわからないのに、その価値観で芸術を酷評して「優劣はない」などと言っている。
要するに自分たちの理解できないものを理解する気もなく批判している。
こういうオタクが自分は賢いと思っているのを見るたびにとても滑稽だと思う。
「娯楽や芸術に優劣はない」などと言いながら多様性や理論を理解する気もない。主張の意図としては相手を理解せずに理解する気もなく自分と同レベルと言い張るという自爆行為である。自爆行為でありながらプライドだけは高く、むしろ自分の趣味こそ至高だと信じている。
「娯楽や芸術に優劣はない」という言葉はオタクが他人と同等になれる魔法なのだ。「お前らも俺と同じだろ」というわけだ。
オタクは競争のない世界が好きらしい。ネトウヨでありながらも、徒競走でみんなで一緒にゴールという価値観をあわせ持っている。自分に都合の悪いところは競争しない。
オタクにコンプレックス持ちすぎだろお前