はてなキーワード: イエロージャーナリズムとは
朝日新聞とかについては、まあまあ思想的に受け入れられないしクソムーブも実際あった。けど、マトモな記事も毎日発行してるわけで100%否定するのはなんかよくねーよな、がある。
文春みたいな奴については、イエロージャーナリズムどうかと思うし、スクープつきとめて暴露したから偉いなんて話じゃねーよって反感がある。けど、知らないことが書いてあるのは確かだし、特殊なシチュエーションで役に立ってることを認めなくもないよ、とも思う。
ネットニュースのまとめサイトですら、悪いのはまあ現行の検索サイトの技術的限界であって、それに乗っかってるだけのザコをどうこうするのは違うよな、と思ってる。
ハフポストだけはだめ。奴らはクソ。
だよね。
「証言」って言うなら名前と所属を明らかにして証言してもらわないと何の信頼性もない。
「信頼できる筋によると...」って、イエロージャーナリズムがなぜ「学問」を名乗ってられるのか
ネットがそれを許さないことは、いまさら言うことでもあるまい。しかし、ネットゲンロン(言論というに値しないものをゲンロンというのはよい発明であった)はコントール不可能なので、ネットが許さないからといって対応策があるわけではない。
マスコミは以前からイエロージャーナリズムと言われていて、まさにそのとおりだったわけだが、最近になって新聞もテレビも収益が悪化しているようである。そして収益向上のためにますます扇情的になっていく。右とか左とかの方向性の違いはあるが、扇情的であることは同じである。そしてまたネット上の商業的な記事も、ネットの特性の瞬間的な大ヒットを狙って扇情的になる。
非商業的なネットゲンロンがコントロール不可である反面、既存のマスコミや商業ネット記事はコントロール可能であろうか。こちらもあまりコントロール可能という気はしないのだが、批判を恐れる日本的体質を考えれば、扇情的であることを批判し続けることのよってコントロールできるという可能性がまったくないと言ってしまえばそれはほんの少し言い過ぎではないかと思うくらい希望の持てる日もなきにしもあらずという感じである。
クリックベイト(Clickbait)とは、オンライン広告収入を目的とし、特に品質や精度を犠牲にして、リンクをクリックさせようとする扇情的な見出しや目を引くサムネイル画像を使った、ソーシャルネットワークの情報への転送を助長するWebコンテンツを表す軽蔑語です。
クリックベイトの見出しは、一般的に「好奇心の隙間理論」につけこむことを目標にします。それは読み手の好奇心をかき立てるわずかの情報を与えるが、コンテンツのリンクをクリックすることなくその好奇心を十分に満たすことはできません。
歴史的な観点から、クリックベイトの作者が使う技術は、論理的に正しくよく調査されたニュースをほとんどまたは全く提供せず、代わりにニュースの誇張、ゴシップの流布、または扇情的な表現を含む目を引く見出しを使用するイエロージャーナリズムの派生品と見なすことができます。
以上、米wikipediaより。
選挙本戦は石原慎太郎(本候補の増田寛也は巻き添え)、鳥越俊太郎の左右2大セクシスト老害対決による自滅と、内田茂・石原伸晃という自民党東京都連による自滅、民進党岡田克也代表の敵前逃亡という、史上稀に見る茶番劇により小池百合子の圧勝となる。
その典型的な男性老害政治家を倒したのが、日本のサラ・ペイリンと名高い小池百合子なのがなんとも皮肉である。石原親子に足を引っ張られた増田寛也氏には心から同情する。かつての支援者、在特会桜井と幸福七海の票を合わせても、小池の得票の1/10にも届かなかった。
エクストリーム競技の方は、いわゆる「家入枠」である上杉隆が優勝。供託金没収になったとはいえ桜井誠は11万票も集め、東京の有権者の内1%はKKKやネオナチといい勝負のレイシストであることが知れ渡ってしまった。実際には小池に投票したネトウヨもいるだろうから、もっと多いだろう。願わくば、間違ってどこかの区議や都議などに当選しないことを祈る。
さて、本年からルール変更となり、当選者や供託金が戻ってきた候補も2年以内にスキャンダルが発覚した場合はエクストリーム競技で逆転優勝となる。今回の有力3候補の周辺は既に文春をはじめとするイエロージャーナリズムが徘徊することだろう。唯一スキャンダルとは無縁そうな宇都宮健児が辞退したことは誠に残念であるが、ある意味ではまだまだ楽しみである。
「今日も得るものなし」と「Hagex day info」っていうブログがひどい
はてブのトップページを見ると、よくこれらのブログの記事がホッテントリ入りしている。そして、基本的にどの記事も炎上ネタだ。イケダハヤトだとか家入一真だとかワタミだとか乙武だとか、そのとき一番ホットな炎上ピープルを攻撃している。
(中略)
ネットだと、こういう「ネットウォッチ」的なブロガーが本流というかジャーナリズムだと思われてる節がある。でも、こういうのってジャーナリズムの世界ではイエロージャーナリズムと言われてますから。アサヒ芸能とか東スポと一緒。
なんて言われてたけど
不肖Hagex東スポデビューしました - Hagex-day info
本日発売の「東京スポーツ」に、おいどんのインタビューが掲載されています。
なあおまえ、実は馬鹿だろ。
それをいうならここは日本だし、外国のイエロージャーナリズムを引き合いに出されてもこっちこそ困る。
だから、ここは増田だって言ってんだよ。
どうしてここが日本なんだ?日本語使ってるからか?はてなが日本の会社だからか?
複数のエントリの書き手が同一人物だという大前提の元に反論するのは何故だ?
答えを教えよう。おまえが馬鹿だからだ。
ここは増田だ。
それをいうならここは日本だし、外国のイエロージャーナリズムを引き合いに出されてもこっちこそ困る。
疑問形を取った反語が通用しないなんてどこの三国人ですか?
例えば道徳教育においては「罪を憎んで人を憎まず」って習いますよね。
社会に出てからだって、失敗の原因を追究するときや、ふりかえりとかケプトするときだって、人を責めないってのがグラウンドルールだったりしますよね。これだって「罪を憎んで人を憎まず」ですよね。
ところがマスコミの報道って、思いっきり当事者への憎悪を煽る演出をしてきますよね。
ワイドショー的な番組ならわかりますけど、全部がそうなってきているように思うんですよ。
右寄りの局も左寄りの局も、お互いにその攻撃対象を“憎んで”いて、それを剥き出しにしているみたい。
悲劇的な事件が起これば当事者をこれでもかと言うほど憎み罵倒していますよね。
そういうネガティブな感情を押し付けてくるような感じがそのまま違和感になっているように思うんですよ。
ファシリテーション的にもあり得ない、やっちゃいけないとされていることを、思いっきりテレビでやっちゃってる。
昔(と言ってもそんなに昔のことは知らないけど)は、どちらかと言うと世間は比較的無知で無邪気で感情的で、マスコミがそれを諌める、みたいなところがあったのかもしれない。
でも今は、世間は知識を得て比較的冷静さを持つようになって、それゆえにマスコミが世間の激情を駆り立てようとやっきになっているみたい。
でもそれって破滅的な方向ですよね。
イエロージャーナリズムって言うんですか?
そういうの良くわからないんですけど、それがエスカレートしちゃってるんでしょうか。
そこまでマスコミは冷静さを失っちゃってるんですか?
それとも本当はマスコミがそれをしているんじゃなくって影の黒幕がいるんでしょうか。
本当にそんな単純な話なのかな。
散々既出な話題な上に結論はおろか言いたいことは何?って感じで申し訳ないです。けど、
何かが起ころうとしているんじゃないか?
誰かが何かをしようとしているんじゃないか?
っていう漠然とした思いがなんか引っかかってくるんですよ。