はてなキーワード: 死にたいとは
つらい
食いきれない量の食材やお菓子を買ってきて無駄にする(捨てるのは私)
掃除しない
ゴミ出しもろくにまとめられない
洗濯もしない
干すのも畳むのも全部私
同じ部屋で寝たくないのに寝させられて
いつも彼の方が遅くに寝る(手も出して来ないし、コミュニケーションしないし意味無い)
共働きでこれって
生きてる価値も無さすぎて早くしにたいんだけど
メンヘラ極め始めてる。
抗うつ剤も飲んでるのに慢性的にしにたいと口にするし実際何もかも気にせず痛みなく死ねるなら死にたい
私より給料が低くて私より家族に恵まれず、私よりブスな人でも毎日ちゃんと生きられてる。すごい。これ以上収入が減ったら、これ以上家族にクソが増えたらこれ以上ブスになったら、耐えられない。
適応障害で半年休職してるけど、よくならない。職場はホワイトだし上司もめちゃくちゃ優しいのに信じられない。家族も働けとは言わないでくれる。こんなに休んでいるのに私は死にたい。情けない。死にたい。
若い頃に自殺未遂をして生き残ってしまったんだよ。死ぬつもりで飲んだ洗剤も吐き気とともに目が覚めたら病院で胃洗浄されてただ体調を崩しただけになったし、沢山腕を切ってもそれじゃ失血死出来ないことを知っただけだった。飛び降りや飛び込みは片付ける人達にも交通機関を使う人にも迷惑をかける。こうやって気にするから死ねない。簡単に死ねるなら死にたい。
10代後半にいろいろあってバグってからずっとうっすら死にたいと思うベールに包まれて生きてる
いいことあると煙みたいにかき消されて見えなくなるし、毎日に忙殺されてると忘れてる
けどふと我に帰ると私の周りにまとわりついて私の体を蝕んでる
早く楽になりたい
「あー死にたい」
って一日に3~5回くらい考えるわけなんだけど
それを掘り下げると
・なんか失敗した
・恥ずかしい思いをした
・激しい劣等感を感じた
って時なわけで
「死にたい」よりも「消えたい」「無になりたい」
っていう言葉が適切かもしれない。
あ~~~~無になりたい。
でもがんばろう。
この増田は、孤独で気が狂いそうだ(https://anond.hatelabo.jp/20220116164742)の続編である。あの時心配してくれた皆さんにご報告をしたいと思って書いた。
私は32歳の女で、生まれつき発達障害があり、父との共依存関係に悩んでいる。
結論から言うと、父とは家を別にすることになった。別居先は、空き家になっている築45年の父方祖母の家で父の持ち物だし、経済的に自立できるまでの間、生活費の一部は父に出してもらうし、1日に1回は父から電話がかかってくる。とても自立とは言えない。それでも、別居だ。別居なのだ。自由だ。
相談支援専門員さんの件はどうしたかというと、父から離れたら、一生生活保護で、治安の悪い地域のボロアパートだねと言われて、ビビって逃げられなかった。ごめんなさい。
中学受験をして入った私立の中高一貫校は、生徒みんなが旧帝大の医学部を目指すバリバリの進学校だった。毎日、大量の宿題が出た。
両親は、
・時間を作らないお前が悪い
と言っていたのだが、それはゲームやインターネットの実質的な禁止だった。
私は鈍臭く、しばしば他の生徒から文房具を投げ付けられたりしていて、何だか勉強に身が入らず、成績が学年最下位付近をさ迷っていた。
ある日、私はどうしても我慢ができず、宿題が終わっていないのに、こっそり母の部屋からゲームを持ち出してやってしまった。すぐにバレた。父はいつも通り「誰がお前みたいなゴミを養ってやってると思ってるんだ。親の言うことが聞けないなら、今すぐ売春婦にでもなっちまえ」と怒鳴った。私を叱る時の決まり文句だ。父が私を押さえ付けて、母が私の頭を何発も殴った。
折檻が終わって、私は自分の部屋で一人になった。むしゃくしゃして、何か壊してやろうと思いながら部屋を見回した。家具やぬいぐるみを壊すのは可哀想でできなかった。代わりに、自分の腕や脚をカッターナイフで切り付けた。今思うと、カッターナイフでやってよかったと思う。カッターナイフで血が出る程度に切ったところで、跡は残らないからだ。
翌朝、傷を見せるでもなく隠すでもなく、朝ご飯のパンを食べていると、両親が傷に気付いた。「見ろよ、あの厨二病。自分が可哀想だとでも思ってんのかね、受ける」と両親は私を指さして笑った。
両親が心配するような期待はしていなかったけれど、喜ばれるとは思っていなかった。アホらしくなって気持ちが冷めて、その後自傷行為はしなかった。
ちなみに、この話を中3の時の担任にしたら「リスカを止めてくれるなんてなんて素晴らしいご両親なんでしょう!感謝しなきゃね!」と一人勝手に感動してうっとりしていた。
その時の、両親に怒鳴られ、殴られ、笑われる夢を見た。カッターナイフの刃が腕に入っていく感触も蘇った。
朝起きて、もう父と暮らすのは無理だ、と強く思った。父と一緒にいると、父がどんなに優しく親切にしてくれても、すごく苦しくてモヤモヤする。その正体を見たような気がした。
その日、私は父を拝み倒した。しばらく、おばあちゃんの家に住ませてください。どうかお願いします。お父さん、ごめんなさい。嫌な夢を見て、死にたくなりました。と言った。父はめちゃくちゃ動揺していたが、死にたいと言った私の勢いに押されて、別居する上に経済的援助をするという、無茶苦茶な条件を飲んでしまった。父のための家事を放り出すのに、お金を請求するのは自分でも無理筋だと思ったが、通ってしまった。あと、父は身内が生活保護になるのは困るみたいだ。
こないだジュンク堂で立ち読みしたギャンブル依存症の本が役に立った。ギャンブル依存症の夫を持つ妻は、治療のお金を夫の親に出してもらいましょう。1ぺこり300万円です。頭を下げてお金をもらいましょう。私はこれを読んで、生き残るためにプライドや気まずさを捨てよということだと思った。
とりあえず、半年分の生活費を私の口座に振り込んでもらった。汚い生き方だ。でも、死ななきゃいいんだ。
今はB型作業所だけど、父と離れたら健康になってもっと働けるかもしれない。そうしたら、いつか自分のお金で全て賄える日が来るかもしれない。そう思っている。