はてなキーワード: カテコとは
出会いは某2.5舞台だった。ずっと好きだった作品が2.5次元化され、舞台というものを初めて見に行ったのがその舞台だった。
まだデビューしたてで芝居はお世辞にも上手いとは言えなかったが全力で歌って踊りキラキラした笑顔のAを見て惹かれ、いいなと思いながら何回か通っていた公演中に客降りのハイタッチで満面の笑みでハイタッチをしてくれたAに転がるように落ちた。
初めて贈ったプレゼントが翌日に使われていたのを発見して狂喜乱舞して、その後調子に乗ってちょくちょくタオルやらTシャツやらパーカーやら贈ったけどほぼ全部使ってくれていた。その度に鍵もかけていないツイッターアカウントで大騒ぎしていた。今思うと死にたい。
その数ヶ月後初めての接触イベントで、今じゃ絶対やらないけど自分から名前を名乗ったら「あ〜〜!わかりますよ!いつもいつもありがとう!!プレゼントも色々ありがとう!!」と握った手をぶんぶん振りながら言ってくれた、本当に嬉しそうなAの笑顔に泣きそうになったのを覚えている。
その時上から下まで一瞥されたのも忘れられない。この頃はようやくhoneysを卒業してearthとarchivesとイーハイフンを着こなそうと奮闘している二次オタ上がりのおたくだった。察してほしい。
その後もAはトントン拍子に舞台に出続けていた。Aはどんどん芝居が上手くなっていっていたし、Aの芝居が本当に好きだった。Aは接触する機会がそこそこあったので、その中で完全に顔と名前を認知してくれていた。「いつもありがとう」と言われるたびに天にも昇る心地だった。
毎回ツイッターにリプライもしていたしブログにクソ長いコメントも欠かさなかった。公演ごとに半通すらできるかできないかの金なしおたくだったけど、回数入れなくてもAのことを一番大好きなのは自分だと信じ込んでいた。Aが私の世界の全てだった。ほぼリア恋だったと思う。
我慢できず同厨のツイッター等を見に行って病んでたことも多かったけど、何百枚と溜まっていくプレ着用写メフォルダを見て自信を取り戻していたちょろいおたくだった。
舞台で前列にいれば絶対にカテコで出席確認()をしてくれたし、月1以上で贈っていたプレゼントも8.5割は使用報告写真をあげてくれていた。手紙の内容にこっそり私信もくれていた。プレゼントしたものに関するネタをブログで言ってくれたり、リプライの内容に関する返信を文章に織り交ぜてくれたり。この時は推しのIDでツイッター検索をかけたりそれ以前のブログコメントで私以外に同じこと言っているファンがいないか血眼で探したのを覚えている。必死だった。
手紙の封筒もセンスがないなりに必死で作っていた。ただでさえクソ長い手紙を毎回書いていたので、自分で言うのもなんだが毎回大事に読んでくれているのは接触の時の会話でわかっていたけどせめて少しでも愉快な気持ちになって欲しくて始めた。機会があって本人に直接渡した時すげえ!可愛い!いつもホントにありがとう!って言ってくれたから調子に乗って続けた。
そしてこの頃から某黒い背景の掲示板に頻繁に名前を出されるようになった。
出待ちとか遭遇みたいな迷惑行為は一切してなかったけど公開アカウントでリア恋丸出しお花畑なのがいけなかったんだと思う。何をしても毎回ボロクソに言われた。ツイッターも鍵垢からリツイートされることが多くなった。ありもしないことを捏造されあたかも本当のことのように吹聴された。悪意の塊の掲示板が怖くてたまらなくて、でも何が言われてるのか気になって見てしまった。完全に悪循環だった。会場でもやたら視線を感じたし私を見てヒソヒソ話して笑っているのにも気づいていた。
自分は絶対にAにファンサをもらえると信じていたし、席も最前含め前方が多くてどんな楽しい舞台になるんだろうとワクワクしながら気合を入れてうちわも作った。
公演中、最前列だった日に推しが目の前に来る瞬間があった。すごくテンションが上がって、猛烈にアピールしたのを覚えている。
推しはその時こちらをふと見て真顔で何もせずに去っていった。私はあの時の顔が未だに忘れられない。
雷に打たれたような気分だった。その後の舞台はまともに見られなかったけど推しのことだけは辛うじて見ていた。そうしたら違うおたくに笑顔で手を振っていたのが見えてしまった。地獄だった。
今思うと気分屋のA的にはそんなに深い意味はなかったんだと思う。タイミングが悪かったのかもしれない。友達にも気にしすぎだとさんざん宥められた。それでも掲示板でdisられ続けた奴の自己肯定感を完全に打ち砕くには十分な出来事だった。
その後、降りはしなかったし舞台もイベントも頻度は変わらずに行っていた。封筒も作らないかつ以前ほど頻繁には書かなくなったけど手紙も送ったしリプライやブログコメントも続けていた。でも自分の中で何かが変わってしまっていたのはわかった。この頃から積んで前方席に入るようになった。段々Aの舞台に行く目的が見る<<<見られたいになってしまっていた。
Aの態度が変わり始めたのもその頃からだった。
舞台でどんなに前列に入ってもカテコの時にもはや目すら合わなくなった。Aはカテコで上手から下手まで一人一人の客を見るタイプの人だったんだけど、左右にずらっと目線が動いてるはずなのになぜか一瞬たりとも目が合わない。最前立ち位置0ズレに座ってもだ。接触でもあからさまな塩対応になり、プレゼントも滅多に着なくなった。何万ドブに捨てたかは数えたくない。
最初からそうだったのならそういうスタンスの俳優だったんだなと思うし受け入れられたかもしれない。でも途中からこんな感じになってしまったら、あー嫌われたんだな、と思うしかなかった。私が変わったからそうなったのか、Aが変わったのかは未だにわからない。
この頃はもうファンをやってても何も楽しくなかった。
本当に惰性と意地で通っていた気がする。やっぱり推しはカテコでガン無視だったし、他のおたくには目線を合わせているのも見えてしまっていた。そもそもAはブログを更新しなくなっていたけど、私もブログへのコメントもしなくなった。
もう限界だと思った。
Aの芝居やパフォーマンスは大好きだったけれど、それだけで嫌いという意思を向けられているらしき人を応援し続けるのも、他のおたくから自意識過剰ではないレベルの敵意を向けられ続けるのも私には無理だった。
最後の接触イベントでも頑張って笑顔で話しかけたけどほとんど目すら合わなかった。最後に思ってもいないことを伝えてみたら、やっと顔を上げた。ありがとうって笑顔で言ってくれた。久しぶりに目の前で見た笑顔だった。それがAの前に姿を見せた最後の記憶である。
降りてから数年経ったけど、今Aの前に姿を現したらまだ私のこと覚えてるのかは少し気になる。記憶力はいい人だったから。
嫌なこともたくさんあったし泣いたことも多かったけど、それでもやっぱりそれ以上にAのことは大好きだったし楽しかった。
でも時間が戻るならAのことを応援していた時間と金を違うことに使いたかったと思う。
たまにツイッターとかブログは見に行っているけど、全盛期の1/5ぐらいに減ってしまったコメント数を見て彼が何を思っているのかは知らない。
多分私は若手俳優のおたくに向いていないタイプだと思う。何もかも一人に注ぎ込んで精神的に寄っ掛かりすぎてしまうし多くを求めすぎてしまう。Aに関しても勝手に暴走して自滅したのは私自身だ。
はじめに言っておくけど、キャストに罪はない。
ほぼ。だいたい。
だけど映像見返して「自分演技下手だな…」って思ったら、サニワ女子にちやほやされたまま調子乗らないで、良い演劇たくさん見てほしい。
それか演技指導のワークショップ参加して、2.5出るときは原作研究めちゃくちゃしてほしい。それだけ。
刀ステはわりと楽しみにしてた。推し出るし。
ストレートプレイだっていうから、ちゃんとキャラクターとキャラクターが会話して、そこに『存在』してくれるもんだと思ってた。
でも、舞台終わったあとは悲しみと怒りとやるせなさしかなかった。
周りのサニワは「よかったね〜!!」「○○やばかった♡♡♡」しか話してないの。
ツイッターでもフォロワは「刀ステ最高だった!!」しか言ってないの。
っていう気持ちをどっかに吐き出したくなったので刀ステめちゃくちゃ良かった!って人は見ないほうがいい。少しネタバレもしてる。
個人的に良かったところは所作指導入ってたところ(特に三日月)、
鈴木三日月・北村薬研がちゃんとキャラクターで居ようとしてくれたところ。
カテコでもいらんこと言わんし。キャラクター像を崩さないんだよ。ザ・2.5俳優って感じでした。ありがとね。
あと衣装。特に山姥切の頭巾の、程よく重くて柔らかなドレープの綺麗な布。走ったとき一番自然になびいてた。
殺陣がんばってた。多すぎたけど。
なんで歌った?
演出に必要不可欠かな?えらい人に「CD出そうよ!」って言われたのかな?知らないけど。
謎ダンスじゃだめ?殺陣しながら静止、名前文字バババン!でよくない?充分すぎない?
カテコの歌もよくわかんないし。なんで歌った?
不動はなんで謝らないの?
謝って、「力を貸してくれ!」って皆で共闘シーンって流れが王道じゃないの?
薬研は巻き込まれ、長谷部は散々蔑まれ、挙句宗三は刺されたんだけど。山姥切は歩み寄ろうとしたけど何もかえってこなかったんだけど。
不動ってこんな子なの?違うよね。
原作だと刀剣男士から『審神者』への信頼や好意が少なからずあって、それで互いの関係性が築かれてるところがある。
固定の『審神者』が出せない分雰囲気しか出せなかったのはしょうがないね。難しいもん。
でも話の中で本丸の皆と不動の信頼感は築けなかった?
ただ、まあここの本丸じゃ築けないのも無理ない。
山姥切はがんばってた。でも彼の頑張りは自分の『近侍』としての自信を抱くための頑張りなんだよ。
不動のことなんてこれっぽっちもみてなかった。
不動は反発しかしてなかったし前の主に未練たらたらだけど、そうかもしれん、だがうちの主もいい主だぞ!ってならない?ならんか。
長谷部は長谷部で否定しかしないし。そりゃあんだけ否定されたら不動も噛みつくわ。噛みつくしかなさすぎて怒りの演技も怒鳴り散らす一辺倒になる。
だれもかれも不動の話を一度もまともに聞いてあげないんだよ。
審神者の考え「強くあれ」って何?どういうこと?何理解した気になってんの?
織田組の子たち、いつ乗り越えて強くなった?どこにレベル上がる要素があったんだ。心身共にボロボロだわ。やるせねーわ。やってらんねーってスト起こす勢いだわ。
キャスティング、どうにもならんかった?これ好みの話かもしれないけど。
喋るし脱ぐのにあのキャスティングはちょっとどうなの。ゴリラはネタじゃねーから。
真剣必殺の時笑ってごめんな。
キャラ解釈は箔かよってくらい薄っぺらくて、そんなんだからキャラとキャラが会話してないし、話の中でキャラクター像が構築されてないから、演技もうまくいかない。
どうしてそういう考えになったの?こっちきて。ちゃぶ台はさんで議論しようか。手がでたらすまんな。
原作の本編ないから作るの難しいよね。だったら、ちゃんとキャラクター解釈ちゃんとしてて、発展させてストーリー組める人でノベライズして、それ舞台化してくれたほうが全然良かった。
高名な演出家さんか知らんけど。別にあなたの作品観に来たんじゃないんだ。推し応援しに来たんでな。すまんな。
公式側がチェック入れてたのは互いの呼び方と喋り方だけなのわかった。(長谷部が尊敬語使ってたらどうしてやろうかと思ってた)
何より一番悔しくて悲しかったのが「キャラクターがないがしろにされてる」っていう点。
原作があれだけキャラクターも関係性もこだわって作っているのに、今回舞台では『このキャラクターでなければ駄目だった』って要素を一切感じなかったんだよ。
人気キャラだから?織田組の子たちとの関係性考えて手っ取り早くぶっこんだだけ?
だったらその子が、その子たちが、話の中で織田組の子に与えた影響は?
『乗り越えられた』のは周りのおかげ……ってわけではないんだな。
何もないんだもん。いなくてよかったよね。
漫画とかアニメと違って、ゲームからの舞台はキャラクターが動くことではじめて吹き込まれるいのちなんだけどな。
ビジュアル推しでもないし、演技推しでもない。
かといって話が完璧だったわけでもない。
何がやりたい舞台だったんだろう。
(動いた金については考えないことにする)
そのまま純粋に観れる人が羨ましい。楽しめなかった。悲しい。
私だって「推しサイコーだった♡♡♡舞台よかったー♡♡♡」って言いたかったし言おうと思ってたよ。
あまりにも悲しすぎて何も考えられなかった。
逆に何が「最高だった♡♡♡」んだろう。
今後もこういった原作に愛を感じない舞台ばかりが増えていくのかな。
観て「お母さん産んでくれてありがとう…この子とおんなじ世界にいる…ありがとう…生きてるって尊い…生きる…………」
ってやつじゃん。