核抑止論とか相互確証破壊理論って、「敵対する両方が相手を滅ぼすために十分な攻撃力を持っていて、なおかつ先制攻撃をされて滅ぶとしても最後っ屁として致命的反撃だけはできるシステムがあるという状況ならば、先制攻撃をしないのが合理的だし、敵側もそう判断するはずなので、核戦争にはならない」って話だろ。
そりゃもちろん戦争なんかない方がいい。
戦争といっても色々ある。ちょっと大雑把に分ければ、一つは相手が自分より弱そうと判断したら「テメエちょっと金貸せ(返す気はない)」「俺の子分になれ」といって植民地支配する侵略戦争である。
かつての大日本帝国はこれを行い、南京では大虐殺を行い、朝鮮半島では男性を徴用工として強制労働させ、女性は慰安婦という名の性奴隷として凌辱した。東南アジアなど南方でも日本軍による非人道的な支配や虐殺は行われた。このような侵略戦争に反対なのは当然だ。
一方、理不尽な侵略に抵抗するための戦いもある。現在ロシアの侵略に対して対抗しているウクライナの例だ。
ウクライナの抗戦も「戦争」といえば「戦争」である。では「戦争」だから悪なのか?
橋下徹などは一時期「ウクライナはさっさと降伏した方が良い」とか言っていた。
抗戦せず降伏していれば、確かに戦死者の数は減るかもしれない。そのかわりウクライナ語は完全に禁止され、街でウクライナ語を話そうものなら警官に警棒でブチのめされたり、ロシア兵の気分を害するとブチャのような虐殺が起こるかもしれない。
そんな状況になるよりは抗戦しよう、と考えるのは十分に理解できる。
「戦争反対」と言っている人達は、ウクライナの抗戦にも反対なのだろうか?
「戦争反対」と言っている人達によくある理論として、「戦争は政府が勝手に起こすものだから、市民はそれに従わなければ良い」とかいうものがある。では、ロシアではいまだに「特別軍事作戦」を支持する意見が7割近くあるということをどう説明するのだろうか?
戦前の日本でも大本営発表の戦勝報告に日本人の大半が大喜びしていた。国民が戦争を支持したのに、戦争を起こすのは政府が悪いのであって国民は被害者、みたいなご都合主義には違和感がある。
話を戻すと、一口に「戦争」と言っても侵略戦争もあれば防衛のための戦争もある。現実にはその中間にどちらとも言えないような戦争がグラデーションのように存在するのも事実だ。
しかし理解できないのは侵略戦争も防衛戦争の全部一括りにして「戦争」だから「反対」で「戦争反対!」といっているような人達である。
暴漢がやってきて「テメエ金よこせ」とか「テメエの顔が気に入らないから殴らせろ」という場合に、その暴漢に「暴力反対」というのはわかる。だが、たまたま付近ににいた柔道家がその暴漢を投げて寝技で制圧したのに、その柔道家に「暴力反対」というのは迷妄である。
今日本で「戦争反対!」と唱えている人達は、「戦争反対!」という呪文を唱えれば戦争は起きないという妄信にはまっているのではないだろうか?
わりと気楽なテンションで転職活動やってるんやが、面接でうまく話せないとやっぱ落ち込んで引きずるな
面接準備もせずに本番ぶっつけだから、ある程度は仕方ないんやが
は?専業主婦世帯は少なくとも1980年代から下降トレンドで、特にここ十年でガクッと下がってるが。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-07.html
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73128100Y3A720C2EA2000/
コストコのような巨大なスーパーは珍しいし、多量の商品が並ぶ様子はフォトジェニックでしょう。
大量消費を象徴するモチーフとして現代アーティストにも好まれる題材です。
え?お役に立ったかよ
なぜ図書館で本を借りることは恥ずかしいのか?
https://blog.tinect.jp/?p=82951
少部数本や、売り上げの見込めないマニアックな本でも買ってくれる。
それより古本市場の方がつらい。
図書館は出版側にお金を払っているが、古本市場は出版側にお金を払っていないからだ。
作者は印税を貰って生活をしているが、その計上に使うデータは売上冊数だ。
それについて図書館は多少なりとも貢献しているが、古本市場は貢献していない。
古本の購入については特に記述が無くて、図書館の利用について恥ずかしく思う辺りは、真に出版側に対して何か感じている訳ではなく、父親の教えに準じているだけなのだろうなと感じた。
お前みたいなのが悔しがるから