https://www.tokyo-co2down.jp/individual/ecoother/LED-family/
ご家庭で使用していた白熱電球又は電球形蛍光灯1個を家電店に持参すると、
LED電球の受取は、 一人1個、1回限りです
あと2日
匿名ダイアリーに自分の容姿を「ぱっとしない」とか「美人でない」と書いたら速攻でブス認定された。
文脈的にそういう風にとられても仕方ない話だったのでとりあえずその場はそれで流したんだけど、ここって極端に「自分は不細工(あるいはブス)」と劣等感を持っている人と、自分の容姿を棚に上げて人のことを「ブス」とか見下す奴の両極端に別れてないか?
特に容姿が優れていなくても務まる業界なら、大部分を普通の顔の人が占めているんじゃないかと思うんだが。街中や自分の会社の中を見たとき、目が覚めるような美男美女はめったにいなくて、生理的に受け付けないレベルの不細工もそんなにいないというのが普通じゃないのかな。
ただ、その普通の中でどっちかといえば美男美女に分類される人と不細工寄りの人に分かれるという話ではないかと私は思う。しかも女は髪型とかファッションとか化粧で相当印象が変わるので、「すっぴんが美しくない=ブス」はずいぶん乱暴な結論の出し方だと思う。
まだおおよその年齢を見てババアとかジジイとか認定する方が外れにくいと思う。たまに年齢を感じさせない人もいるが、おおむね年齢とともに容姿は劣化するし、さほど美男美女でなくても若さで人目を惹き付ける人は存在する。
あと、ここで容姿についてうんぬんかんぬん言うときって、顔の造作ばかりを気にして表情とか印象とかを無視してる話が多くないか。お笑い芸人とか、顔の造作は普通~不細工だけど愛嬌があって何となく好感を持たれる人が多いと思う。自称不細工やブスの人は周囲に好感を持たれるためにどんな表情や印象を心がけるべきかを彼らから見習うべきではないか。
かくいう私もどうすれば人から好感を持たれるか悩むクチではあるが、少なくともそれを容姿のせいだけにすべきではないと思う。そして世の中の大部分の職業ではそうそう優れた容姿の持ち主でなくても生きていけるはず。
イマジナリーフレンドと呼ぶと格好付けになる。実際はただの架空の友人。
私は幼少期から親の都合で関東を転々としていて、同じ家に5年以上住んでいたことが1度しかない。最長で8年。
そんなわけだから新天地で友達を作っても、どうせ長続きしないだろうと諦めて越すと同時に縁を切ってしまう。虚しい。
携帯を手に入れてからは人と繋がることが容易くなり、1年に1度でさえも会う事は無いけれど連絡は時折とる、そんな知り合いも増えてきた。
それでも虚しいし、寂しい。
小中高と同じ出身の人達を見ると胸が苦しい、幼馴染という概念が羨ましくて仕方ない。
元同級生達が卒業式後の打ち上げの話をしているのを見て喉を掻き毟りたくなった。
片鱗は以前からあったけど、はっきりと自覚して架空の友人を作り上げたのは高校転入時だ。東京から他県の田舎寄りの高校に転校した。
前の土地ではどんな風に友達と過ごしてた、とかオーソドックスな転校生への質問だったと思う。
私はAという友達とどこそこでよく買い物をした、映画を見た、食事をした、そう答えた。
今にして思えば見栄なんだけど、架空の友人を作る人なんて大概虚栄心じゃないか?
Aは最も長く過ごした土地で出来た仲の良い同性の友人で、私の一番の理解者でもある。8年ほど前に生まれた存在だが、設定からいえば16年ほどの付き合いだ。
人生の半分以上を共にした人間。もはや家族に近い感情を抱いている。
彼女に救われている一方で、彼女に囚われているとも自覚している。
彼女が存在することで救われているから、彼女が存在しないことを突き付けられる度に、絶望しそうになる。
私はツイッターのアカウントをいくつか持っていて、その中には俗に言うリア垢が存在する。
私だけではなく、Aのアカウントもある。
実在性を上げる為だ。
私が新作の映画を見ればAは「私も気になってたんだよね」と呟いてくれる。
私が誰かと食事をすればAは「どこのお店?今度連れてってよ」とリプをくれる。
そんなかんじだ。
別にAが私と会話をする為のアカウントではなく、Aはこの本を好むだろうと感じた本を読んで感想を呟いたり、彼女ならこんな曲を好むだろうと他人伝いで見つけた知らないバンドの新譜を買って写真をあげたりする。
直近だと、出演作もろくに知らない俳優の写真集イベントに飛び入りで参加などした。Aが好みそうな顔をしていたから。
時折よく会話をしている鍵垢は誰?と聞かれる。他人の会話覗いていることよく口に出来るな、と思いつつも自分でも同じことをしているのでなんとも言えない。(みんな見てるよね?)
彼女は私の中で生きていて、嘘はついていない。
彼女は私なくして存在する事はできないし、私も彼女なくして生きる事はできない。
大学も出て社会人になっていい歳してなにをしているんだろう、とも思う。
●追記
私と彼女の生活は「日常」の一コマで、平生の延長線上にあるものだ。だからトラバやブクマコメで、漫画映画といった「非日常」的要素を挙げられて驚いている。
自分にとっては大したことない行為(勿論私の中で占める割合は大きい行為)でも、他人にとってはフィクションに該当するんだな。当たり前のことなのにアハ体験。価値観のアップデートが行われた。
このエントリ?を書くためにアカウントを取得したので、返信の仕方がわからない。追記の方法も間違っている気がする。
誰からも反応が無いまま消えるのだろうとわかりつつも、彼女を私の中で生かし続ける後ろめたさからこのエントリを書いた。
でもありがたいことに(?)少し反応をいただけて、その瞬間だけでも擬似的に彼女が他人の中で存在することができたから、嬉しい。
ブクマコメに「自分が死ぬと同時に彼女も死ぬんだし」という言葉があった。
私が死ぬと彼女も死ぬという言葉、ガツンと後頭部をバットで殴られたような感覚。そうか、私が死ぬとAも死ぬんだ
本人にそんな意図ないのはわかってるんだけど、なんとなく長生きしようかなと思えた、ありがとう。これが言いたかっただけ。
それだけの追記です。
ブコメ < 「てぇてぇ」が使われたのは1回だけ
国内外を問わず、俗説としては「鼻の大きさ」「手の大きさ」と男性器の大きさが比例するという話はあるので、その程度にはありなんじゃないかなあ。足の感覚は、脳で処理する部位が性器の部位と近いという話も聞いたことがある。
女性の場合でも「足の小ささ」「耳の小ささ」が女性器の小ささと比例してると言う俗説もある。
こうして性器の大きさと関連付けられるパーツを並べてみると、一般的な外見的指標(目や唇、髪など)に比べてより個人的主観で、さらに性的意味のあるパーツに関連付けた俗説にも思える。
ツンツンがスマブラスペシャルを買って貰ったらしい。
↓
ということは、ツンツンはアベベとスマブラスペシャルを遊ぶつもりだ。
↓
ツンツンはアベベが好きだった。
なるほど。
ケツ使わせてくれ。
イケメンに言われたら濡れる