今日、大学にて。私は空き教室で次の講義までの時間をつぶしていた。数人の女の子たちがiPodから少女時代のGeeを流し、その音楽に合わせてダンスをし始めた。
うーん、ダンスって何が楽しいのかな。体育でやらされたけど、何も楽しくなかったなあ。そもそもダンスの意義が分からない。誰が楽しくてテキパキと動くことなんかはじめたんだ…
なんてことを考えていた。
時間も1時間とか2時間とかって区切られてるから読書よりもお手軽。
見終わったらなにかしら知識を得られたという気分になれる。
デメリットとしては深く理解しようと思うと書物の情報量にはかなわないというところ。
そこを気にしなければお手軽に知識欲が満たされるよ。
新入社とか異動とか、ある集団に新しく人が入ってくる場面はよくある。
そんなとき、新しく入っていく側が既存の集団にあわせるのがあたかも当然のようになっているが、発想を転換できないか。
すなわち、不安を抱えている新しく入っていく側が、安心して新しい集団に飛び込めるように、既存の集団がウェルカムな体勢を作って出迎えてあげるのだ。
そうすればきっと色々楽になるはずなんだけど…。
人に変わることを要求するのではなく、人のために自らが変わる。
まあそうなる日は永遠にこないだろうな。
でもせめて俺だけでも、来年4月に入社してくる新入社員に対してそういう態度で臨みたい。
ぶっちゃけ、飼うって決めた理由に深いものはないよね。だって今は「家族の一員」でも最初はただの動物なわけだし。それは本当の家族でも一緒でしょ。
それに、どれだけ「家族の一員」って言っても結局ペットの範疇を抜けないと思うんだよな。震災のときでもそうでしょ。
自分の子供とペットの犬どっちを優先するかってなったら子供でしょ。所詮ペットなんだから。
>>犬・猫を飼い、手術を施すことによってそういうエゴや責任と否応なく向き合うことになるにもかかわらず、それでも飼う・手術する理由は「何か」が知りたい。
今期限りで仕事を辞めさせて下さい。
もう自分にはこの仕事を続ける気力がありません。○○さんも私を怒る事に疲れたでしょう?その力を仕事のできる人の為に有効に使ってあげて下さい。
この1年間私の為に指導をしてくださったことは感謝しています。色んなことを学びました。
でももう限界なんです。あなたと話すことが。同じ空間にいる事が。身体が反応し何も手につかないんです。確か厳しい指導についていこうと思い頑張りました。ただ褒めてもらいたい、怒られてたくない、その気持ちで。でもやっぱり心はだんだんすり減っていくんですね。
誰の為にもがんばれません。本気になれないです。仕事内容が好きならよかったんですが残念ながらいい商品とは思い込むのはできませんでした。
意味:
この単語をこれらの人に言って集団リンチされても文句は言えません。
ちなみにFaggotの略語がFag。
例文:
He's such a faggot.
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1444173718/21
今回僕が見たのは表題の通り、『ローゼンメイデン2013』です。
このアニメの主人公、桜田ジュン君は僕にとってちょっと思い入れのあるキャラなんです。ローゼンメイデンの第一期を放送していたとき、僕も中学2年生で、ジュン君とタメだったんですね。だから、当時アニメを見ているときには凄く感情移入して見ていました。中学2年生だった私は、布団に入り、TVの見れる携帯でこっそりとアニメを見ていたのでした。深夜までアニメを見ていると、次の日には学校で昼寝してたな。幸いにして、僕は引きこもりにはならなかったけど、このアニメを見ていると自分のすぐ隣には引きこもりの恐怖と絶望が待っているんじゃないかとビクビクしながら日々をすごしていたっけな。アニメは開幕から懐かしい。何もかもが懐かしく、心は中学生にタイムスリップ。やはり沢城みゆきボイスで叱られるのは、最高に良い。そういえば、あの頃はツンデレが流行っていたな。
大学生になったジュン君のぼっちぶりは、まるで大学時代の自分を見ているよう。過去のジュン君と大学生のジュン君が出会うストーリーはなんとなく好きなので、楽しく見れました。
アニメ全体は暗くて陰鬱、バトルが始まれば誰も無傷では居られないという物語を突きつけられ、息苦しい気分になります。それでも、次が気になってしまうというのが監督の妙技なのではないでしょうか。
ちょっと悲しいのは、やっぱり前作から10年近く経つとキャラデザも古くなってくるのかなってことです。一昔前には<ゴスロリ>衣装ってかなり多かったし、かわいいイメージが強かった気がするのですが、真紅の衣装を今見てみると多少ケバいというか何というか、ゴスロリは時代に取り残されてしまったんですね。
原作はSF大賞とったときに読んだきりで、中身はすっかり忘れていた。
「女の子が食事中にいきなり自殺する」場面だけは、記憶の片隅に残っていたが
他の部分は、ああこんな感じだったかな、と映画を見ながら思い出した。
(ただ、原作ってこんなに百合要素多かったかな?まあ、嫌いじゃないけど)
ちょっと前に中国政府が掲げてたスローガン「和諧(hexie)」の意味が
まさに「ハーモニー」というのも、この物語とあわせて考えると面白いが
「Big Brother的な管理社会の窮屈さ」よりも
「SNSを通じた相互監視社会の息苦しさ」からの逃走の方が、今の時代のテーマとして面白いかなと思う。