そこ以外全く読んでないからな。言っとくけど。
ありがとう。そこまで目を滑らしてくれただけで嬉しいぜ。
そこに逃げ込むしかないよね
わかるわかる
「既にいるけれども見つかっていない(らしい)悪女」を新たに提示することで、「増えて欲しい」の期待に応える
期待に答えにゃならんらしい
「悪女キャラの増減」に結びつかなければ、論理的につながらない
受け答えが頓珍漢
の話が、いつの間にやら、期待に応える話になってる
流石やで増田さん
>その期待に答えられてない、っつう話だろうがw
>「増えてほしい」という期待に対して、これ以外のものに繋がるわけがねぇw
「既にいるけれども見つかっていない(らしい)悪女」を新たに提示することで、「増えて欲しい」の期待に応えるんだっつってんだろ。
さっきは異論無かったくせに今頃噛み付くなよ。小学生レベルの記憶力もないんじゃないの。
それにしても厭なマスコットだなおいw
読む人のことを考える文章は、書くのがとても難しい。それこそ、文章と向かっているだけのはずなのに、コミュニケーション能力を測られているような気がします。
物事を細分化して、それぞれを深く考察して現象に解釈を与えるのが学問だとするならば、社会問題って学問じゃ解決できないような気がする。
なんて言うか、たくさん言葉を使って、切り分けて輪郭をはっきり捉えていくに連れて、どんどん元々の有り様から変質してしまっていると思えて仕方がない。
放射能云々でカンニング竹山に放火した人たちやら瓦礫受け入れに反発する人たちってのは、もっと単純な理由から反応しているんであって、難しく考えても意味はないんじゃないかな。
人間が死を恐れる理由と似てると思う。なぜか、よりも先に、怖い、がある。だから通じないし、解決できないし、面倒くさいんだ。
そもそも解釈を与えるのが学問だと仮定したんだから、解決なんてできないって端から結論は出ているわけで。
だからといって考えることをやめてしまったらうんぬんかんぬんではあり、困難な物事にぶつかったときに考えることと知識としての学問は必要なんだろうけれどもさ。
どこが分水嶺なのかは人によってまちまちなんだろうけど、争っている人、火病ってる人がいるのを見ると、傍観者としてしか関われないなあって思う。
いつ当事者になるともわからないからこそ、安全な場所にいるうちに対策を考え、できるのならば矯正したり排除すべきなんだろうけれども、それもまたどうなのかなって思うしなあ。
私の安全を確保するために、あなたを排除します、なんて論法は通じないだろうし、ともなれば共生するか、住み分けするかしかないんだけれども、そんなに簡単なことでもないし。
概念としての住み分けや共生は可能だろうけれど、実生活でとなると問題は立ちはだかるわけで、そういうことするのは途方もないからなんか面倒で、好きにやってなよって思ってしまう。
楽だし、ある意味では賢い処世術なのかも知れないけれど、常にいつくるともわからない危険に晒されているわけでもあって、だとすればその危険を回避するためにいよいよコミュニケーションを閉ざす必要も考えなければならなくなって、なるほど傷つかないための非コミュなる分類もあり得るのだろうななどと思い至るわけだけれど、そう言った非コミュにはそもそも発言権なんてないだろうし、ますます悶々と思い悩むしか方法はなくなって、相談しようにもその窓口へ行くまでに精神的な敷居ができてしまっていて、そう言った状況下において増田や2ちゃんは甚だ住みよい住環境を提供してくれているのだなあと気が付かされるわけなのであります。
ものすごい自己愛と表裏一体の自己嫌悪が渦巻いているような感じなんだなあって思って、それはつまり厨二病にも通じるのかも知れないし、高2病にも通じるのかも知れないし、大二病にも通じるのかも知れないし、要は内向的なナルシストでしかないのだろうなと、やっぱり前にも達した結論に帰結するわけで、ほらみろ考えるだけ無駄だったじゃないかと思う一方、なんで厨二病に然り高二病に然り、二年次に掛かる概念なんだろうと思って、いやいや違うぞ、そもそもの起源が中『二』であっただけでそこには何も意味なんてないんだよって考えつつも、三年制の学校における二年生の自由さ、気楽さ、目的も意義もない自己反芻の多様さを想定すると、あながち関係がないとも言えないんじゃないかとなどとも妄想が膨らみ、なんて言うか、二っていう数字はとてもいいなと、零と合わせて素敵な数字だなと感じていることに気がついた折に、数字に意味を見出す働きってどこからくるのだろう、社会性からか人間性からかとか無謀な問題を提起してみたりして、そんなことどうでもいいやないのと思い、でもきっとどこかしらにはそういったものを研究した文章が残っているんだろうなあ、すげえなあと感心する次第なのであります。
頭の中で文章をうんたら考えるより、浮かんだ文章をそのまま書き出している方が楽しいなって思うのです。もちろん、ひどい文章、無残な表現、ぐだぐだとして読みにくい構造になることが多いでしょう。反対に、短すぎたり、突飛すぎたりしてついていけない文脈になっていることだって多いことでしょう。直前の文章における、逆説の使い方が適切なのか、もっといい言い回しはないのだろうかととか考え始めると、わたしの場合は根を詰めすぎてしまって訳がわからなくなるのです。だから、あんまり気負い過ぎないほうがいいのだと思う。こうやって、意味もなく、意味のない長文を書きたれているこの時間こそが至福であり、なんていうか久々に楽しくて止まらなくなっているのです。
読む人のことを考える文章は、書くのがとても難しい。それこそ、文章と向かっているだけのはずなのに、コミュニケーション能力を測られているような気がします。それが一体誰なのか。わたしが想定した架空の誰かなのか、どこからともなくやってきていつの間にか培われてしまった常識というものなのかは知りませんが、とにかくまあ面倒で、厄介で、鬱陶しいわけなのです。無論、悩んでいる最中にそんなことに気づいているわけがありません。気づいていないのですが、とにかく苦しいわけです。産みの苦しみってやつとは違います。もっと煩雑な、ごちゃごちゃとした混沌が頭を塗りつぶしてしまうのです。
だから何なのだろう。分析したつもりになって悦に入って何がしたいのだろう。修造さんに叱られるかも知れないけれど、やっぱり色々思ってしまうなあ。全てにおいて理由があるなんて限らないのかも知れないけれど、大抵の物事については確かに理由や動悸があるはずだもの。例えば衝動的にこの文章を書いているのだとしても、その衝動はどこから来たのか、なぜ生まれたのか、どうして依然としてとどまるところを見いだせないのか、考えることはできるし、一応の答えを当てはめることは可能だと思う。
問題は、その答えに納得できるかどうか、その答えが適切であると認められるかどうかなんだよなあ。認められないんですねえ、わたしは。優柔不断だから。そうなのかな。もっと正しいものがあるように感じることが多い気がする。自分で出した答えに正しさが見いだせず、そもそもに於いて自分の中に確固とした正しさを確立できていない人間が、正しさについて悩むなんて馬鹿げてる。でも、正しさについて確固とした答えを持っている人って脆いと思うなあ。固いだろうけれども、ダイヤモンドみたいなものだと思う。無論、それだけの輝きと価値を合わせもってはいるのだけれど。
ダイヤモンドにもなることができないクズ石が何を語るのかという自虐が出てしまう。いやいや、クズ石ですらないかも知れない。では一体何なのか。わからないなあ。卑下する必要はないのかも知れないけれど、自分が何なのかなんて誰にもわからないんじゃないかなあって思う。例えば学生とか、どこどこの社員だとか、夫だとか、身分を示す言葉はたくさん纏っているだろうけれど、その言葉を纏っている本体は一体何なのかと問われたたらみんな答えに窮すると思う。デカルトかって感じ。デカルト知らないけど。
知らないことがたくさんあって参ってしまうわ。こんなくっそくだらないチラ裏書き散らして恥ずかしく無いのって、それ一番言われているから。
温かく見守ってるから頑張ってくれ、あんたは増田のマスコットだ。
ここについてだけ。
「増えてほしい」という期待の源泉が、「少ない」という認識だとすると、「実は多い」という事実を伝えることには意味がある。
「増えてほしいも何も、沢山いるよ」と言うわけだ。
「増えてほしい」という期待の源泉が、「希少性」に根付いている可能性も捨てきれない。
であれば、その心の真実に気付かせることで、「増えたら幻滅するだけだ」という指摘もあり得るだろう。
キャッシュカードで入金していたら、入金した個人を特定する記録は残らない。
遺言のほうが優先だろって思ったけど、遺留分制度ってのがあるのか
お金を手に入れるという意味でハンターとしての性能は問われてる
ハンターとしての性能が求められないなら、キモオタといった優秀でないマネーハンターも女性から好かれてもよさそうなんだが、
現実を見るとそうではない
それはどう見てもウソだと思う
あと、蛇足だが、細マッチョな男は相変わらず女性から好意を寄せられているから現代でも狩人としての資質を求められていると思う
薬局の待ち時間に週刊誌に載っている某女性作家さんのコラムを読んだ。
その人の作品を読んだことがないが、彼女はテレビにコメンテーターとして出ていることがあり
それを何度か見たことがあるで、なんとなくどういう人なのかは知っていた。
昔に比べればマシになったものの、友達同士で話すかのような口調でコメントを言うので正直あまり良い印象はなかった。
でも作家さんだし本業の文章となればまた違う一面があるだろう、と思って読んでいたのだが内容が酷い。
息子と勉強をめぐって喧嘩をした、という内容だったが言い合いときの口が悪すぎる。両方とも。
読んでいると、コメンテーターをしているときのあの甲高くて感情的な彼女の声で脳内再生された。
行事による相撲の軍配の話を持ってきて「相撲の話じゃないよ」ってw
物事を理解したり判断したりするためにはそれぞれに必要な視野ってものがある。
君みたいな頭でっかちの人はその視野を持ち合わせないどころか視野が必要だってことを認識すら出来ない。
行司の話を「相撲の話じゃない」フィールドでずっと考えてなさい。
ムダだから。
>「悪女キャラの増減」に結びつかなければ、論理的につながらないだろうがw
何が論理的につながらないの?w
回答は増減イエスノーじゃなくていいんだってば。問いに答えるんじゃなくて期待に応えるんだから。
むしろ悪女キャラの増減に繋げようとするなんて論理が破綻してる。
>「増えて欲しいなぁ」に対するレスで「日本でも悪女キャラ認識している人間はいるし悪女キャラと取ることはできる」というのがあさっての方向だってことが理解できないなら、小学生からやり直すべき。
「悪女いるよ。これなんかそうじゃね? 悪女じゃないとか言ってる人いるけど作品が明らかに悪女キャラだし(日本だろうと外国だろうと)悪女と取ることはできるよ」。
何も矛盾しない。
>なんでお前そんな大前提が読み取れないんだ?