はてなキーワード: Ideoとは
チカイケ秀夫さんの文章が話題になっていたので、添削してみる。
改善案も良い文章ではないが、少なくとも意味が通る文章にはなっていると思う。
というか、自分も作文が得意ではないので、トレーニング代わりに添削した。
今も…冒頭に副助詞「も」があらわれ、混乱させられる。「今も」ということは、「UI/UXの議論」が以前から続いており、今も議論が盛んであるという主張が読み取れるが、「UI/UXの議論が以前から続いている」という文脈は自明ではない。少なくとも、同じ文章中で文脈を共有していなければ、「も」は使うべきではない。
増えていますが…接続詞「が」を順接の意味で使っているため、やはり混乱させられる。「が」には逆説の意味もある。そのため、「が」を逆説と捉え、「増えている」ことに対する否定的な内容を想定した読者は、ずっこける。
すごい良い…「すごい」も「良い」も形容詞であるため、書き言葉としては好ましくない。「すごい」を副詞に置き換え、「すごく良い」ならば許容できる。なお、好みの範囲ではあるが、くだけた文体でなければ「すごい」の使用は避けて「とても」や「非常に」などを使う方がベター。
と思っています…「すごい良い」は筆者の主観なので「思っています」は自明。使わなくてよい。
IT業界が「UI/UX」が…格助詞「が」が連続して使われ、読みにくい。
見えますが…この「が」は逆説として機能しているが、前の文章に対して問題を提起する文章であるから、文頭に逆接の表現を置かないと、不意打ちの印象を受ける。
この問題…「この問題」が何を指すのか不明瞭。「アプリ」「WEB」における「UI/UX」の問題なのか、狭義の議論が行われていることの問題なのか。
一方で、特に議論が盛んなIT業界においては、「UI/UX」は「アプリ」「WEB」についての話に限定され、議論の幅が狭くなっています。
カスタマージャーニーなどもやっておりましたが…カスタマージャーニーなどをやることが「狭義の議論」に拘泥することだと読み取れるが、筆者にとって自明のことも、はっきりと文章中で言及する方がよい。そうしないと、本文の趣旨から外れる部分でつまずく、あるいは噛みつく読者(例:「カスタマージャーニーって?」「いや、カスタマージャーニーは本質に関わるだろ」など) があらわれる。
やっておりましたが…順接。
地元千葉…書き言葉としては「地元である千葉」とした方がよい。また、「地元が千葉という同郷のよしみで仕事をすることになったのか」「単に筆者の地元である千葉で一緒に仕事をした」のか不明瞭。
『現場に行ったみた?』…タイトルにもなっている、本文のキモである。しかし、「カスタマージャーニーなどやっていた」「マツモトキヨシのロゴデザインを手がけた小谷中さん」「縁があって一緒に仕事をした」など新しい情報が詰め込まれた一文に埋もれてしまっている。太字の決め台詞でタイプミスしているのも勿体ない。
今でも忘れられない一言…忘れられないのみならず、この一言がUXの本質を突くものだと明記しないと、のちの文章で面喰う。
とはいえ、私自身もカスタマージャーニーなど細かい手法論に囚われた時期がありました。
そんな私に、UXの本質を気づかせてくれたのは、デザイナーである小谷中さん(マツモトキヨシのロゴデザインを手がけた)でした。
以前、縁があって地元の千葉で一緒に仕事をさせていただいたとき、施設のパンフレットデザインを見た小谷中さんは私に向かって、次のように言いました。
『現場に行ってみた?』
1951年にロゴ制作(VI)など…やはり、ほぼ既出。なので、小谷中さん初登場時に付加情報としてまとめるか、当時から色々と活躍していたということを強調できる形に変えた方がよい。
UXの言葉…ここに至って、読者は前述の『現場に行ってみた?』がUXにまつわる言葉であると把握できる。なので予め、前の文章でUXの本質を突く一言だと明示する方がよい。また、「UXの言葉」が「UXにまつわる議論」なのか「UXという用語」なのか不明瞭。
UXの言葉はあるわけではない…「わけではない」は特殊な事情、状況、理由がないということを表す。「当時」は「UXの言葉」がない状況が一般的だったと想像できるので、「わけではない」よりも「ない」と言い切ってしまった方が読みやすい。
小谷中さんは、当時、マツモトキヨシのデザイナーとして活躍しており、UXという言葉が流行る以前から、UXの本質を見抜いていたのです。
場所に行って―中略―目に止まり、手にとって見てもらう…場所に行くのはデザイナーである。目に留まるのはユーザーである。手に取って見てもらうのはパンフレット、またはそう仕向けるデザイナーである。主語を明示しない、ひとつながりの長い文章となっているため読みにくい。
考えている事です…非常に厄介。「考えている」とあわさって、「事」が指すものをどう捉えるか。「現場に行ってみるとはどういうことか」ということ、あるいは「小谷中さんが実際に施設に行って考えていた」ことのどちらかを表現したいと思われる。
小谷中さんがいう「現場に行ってみた?」とは、つまり、デザインを、現場の視点で考えたかということ。
施設のパンフレットであれば、実際にどう並ぶのかを直接、目で確かめる。
複数並ぶパンフレットを見て、ユーザーの目線を意識しながら、目をひき、手に取ってもらえるような表紙のデザインを考えるということなのです。
「IDEO」が…「小谷中さんの話」から、「IDEOの話」へと切り替わる文章である。ここで重要なのは「IDEO」ではなく、あくまで「IDEOのソリューション」なので、「が」ではなく「は」の方が自然な響きとなる。
例:「IDEO」は倒産した。→倒産したことが重要な情報 「IDEO」が倒産した。→「IDEO」が重要な情報
売上、顧客の問題…売上の問題は顧客の問題に含まれる。「顧客の問題」とのみ書けばいい。あるいは別の形のソリューションと区別するために「売上を増やし、顧客の問題を解決」と書く。
米国の有名なデザインコンサルタント会社「IDEO」は、地下鉄の駅にある自動販売機の売り上げをアップして欲しいと顧客に依頼された際、『自販機の上に時計を置く』と提案して、実際に売上を増やしました。
産まれた…一般的に「産」は出産など、生命の発生に使われる。「利益を産む」とは書かないように、ソリューションも「生む」と書く方が自然。ただ、「ソリューションは産むものだ!」とこだわりがあるなら別。
特になし
今の、狭義のUI/UXの議論では、売上を上げたいというクライアントの課題に対して、ディスプレイをどうするか、ボタンの配置をどうするかなどの話になるでしょう。
本文中、最もAIっぽいというか、言葉が足りなくて何を言いたいのか分からない部分。
この2つの文はどういう繋がりになっているのか、言葉に間違いはないか、不足はないか、誰か教えてください。
は?
企業都合で話が進んでいるとしても、アプリ/WEB制作を前提とせず、『ユーザーが笑顔になる』体験を一番に考えるなら、ときにはアプリ制作から離れ、他の施策に予算をかけることもできるでしょう。
ふーん
今のIT業界のUI/UXは、―中略―制作会社、UXデザイナーは…主述が迷子。
今のIT業界においてUI/UXを考える場合、「IT革命」に並ぶこれからの「デジタル革命」の流れでは、WEBとリアルの垣根を越えて、「UX=すべての顧客体験」ということを、制作会社、UXデザイナーは突き詰めるべきです。
チカイケさんは単に文章を書くのが苦手なだけかもしれない。
より問題の根が深いのは「チカイケさんの文章を全然OKと思う人」だろう。
読める文章と読めない文章の区別がつかないということは、全て雰囲気で読解しているということだろう。
「まあ、なんとなく言いたいことわかった」みたいな。
論理を重視し厳密に書かれた文章、あるいは誰にでも分かるように平易に書かれた文章も、おなじように我流の読みで解釈するのだろう。
標題のエントリの文法があやしいということで前半だけ読んでみた。
難解な文章だったため、自分の中で文章を書き換えながら読む必要があった。
今、「UI/UX」の議論が盛んである。これまではUI/UXの表面的な手法について議論されることが多かったが、今ではUI/UXの本質的な部分に関する議論が多くなっている。
しかしながら、IT業界においては議論の対象がアプリ・WEBに限定されており、狭義のUI/UXに関する議論になっている。UI/UXの本質的な部分に関する議論をしないと問題を解決することはできない。
→「問題」というのが何のことを指しているのかわからなかった。
マツモトキヨシのロゴデザインをしたデザイナーの小谷中さんと、地元千葉で一緒に仕事をしたときに、施設のパンフレットのデザインを見せた。そのときに言われた「現場に言ってみた?」という一言が今でも忘れられない。
デザイナーの小谷中さんはマツモトキヨシのハウスデザイナーとして1951年にロゴ制作などをしていたが、当時、「UX」という言葉はなかった。
「パンフレットがどのように並び、どう見えるのか」「パンフレットが来訪者の目に止まり、手にとってもらうにはどのような表紙デザインが良いのか」といったことを、実際にパンフレットが並ぶ場所に行って考えることが大切だ。
米国の有名なデザインコンサルタント会社「IDEO」は、顧客からの「地下鉄の駅にある自動販売機の売上をアップしてほしい」という依頼に対して、「自動販売機の上に時計を置く」ことを提案した。この提案によって、顧客の問題を解決した。
ここまで読んで疲れたため読むのをやめた。以上。
昨今、コンサル会社がデザインエージェンシーを買収またはそれに出資するニュースをよく耳にする。
会社それぞれの良し悪しはさておき、制作部隊を仲間にするのは正しい判断だと思う。(まぁ博報堂は元から制作部隊持ってるけどね)
自分たちで作れないものをどうして提案できるのか。彼らは制作部隊を内部に持たないので結局外注になり、そしてそのとりまとめはしない。
「企画 → 結果」の話ししかせず、ではどうやって実現するのかがすっぽり抜けているのだ。過程や組織を考えるコンサルは優秀。というかそれがコンサルの本質だと思うけどね。
彼らの力を借りるなら業界の動向や知見を得る一つの手段とするべきであって、決して依存してはいけない。
ただ、自ら依存を好む会社が多いのもまた事実であり残念に思う。
自分なりに決して少なくはないと思う経験上、コンサルタントの影響力が大きい案件は地雷率が非常に高い。
っていうかコンサルや代理店まかせで自分たちは一体何してんの? って会社多すぎ。
代理店時代にホテル会社のキャンペーンで食事メニュー考えたことがあったけどアホかと思ったぞ。
方向性やキャンペーン内容、施策はやるけど、メニュー自体はおたくが考えたほうが良いんでないの? 俺決めていいんかって(笑)結局作ったメニューでキャンペーンしたし。今も多分料理素人の担当者がメニュー考えてるんだろうな。
猫とか、犬とかが可愛いのは、人類とうまくやっていくためかもしれないけど、世の中の動物は人間目線からしてもどうしてあんなにかわいすぎるのかな。動物は、あんなに可愛い必要は全くない。ずるい。可愛すぎてずるい。
例えばペンギン。何あのフォルム。ずるい。丸っこくて、歩き方もユニークってずるい。あざとい。ぶりっこな感じがする。「わたしぃ、とろくてぇ」みたいな。北極とか寒いところにいるのに、人間に媚びるような可愛さを身につける必要はなかった。エンペラーペンギンなんてもう、フォルムが芸術。すごい。あれ、絶対なにか芸術の神様か何かがつくたんだろうってくらい、デザイン完璧。それなのに、結構力強くて翼パタってすれば人間なんてイチコロらしいからやばい。まったく人間に媚びる必要がない。
あと、パンダ。でかい図体してるくせにかわいい。無邪気。女の子に例えたら少しどじっ子な巨乳。ぜったい巨乳。繁殖難しすぎるくせに子パンダ可愛い。もう、子パンダやばい。確かにあんなに可愛くなかったら絶滅してたかもしれない。人間はパンダの保護目的ももちろんだけど、絶対子パンダが見たいがために繁殖頑張ってるだろ。子パンダ、すごい可愛いもん。分かる。今日もパンダの飼育員の人には繁殖のために頑張ってほしい。そんくらいやばい。ずるい。
それからフェネック。天使。地上に舞い降りた天使。かわいすぎ。目の位置と良い耳の大きさと言い、配置が完璧。はいはい、かわいいかわいい。何もかも完璧な美少女系。もう、何の反論もできないくらい可愛い。ずるい。鳴き方も可愛い。砂漠にいるくせに。人間に媚びる必要なんてないくせに。ずるい。最近飼ってる人いてずるい。俺も飼いたいけど、フェネック半年分の給料分くらいだってさ。安月給つらい。
そんなこんなで今日も、動物の動画見てたら一日過ぎてた。最初AVみてたのに。アダルトな方。一発抜こうかなって気持ちだったのに、いつのまにかAnimalVideoみてんの、俺。アニマル。めっちゃアニマル。オススメ動画、動物か爬虫類しか出てこない。なにしちゃってんの、俺。悔しい。動物が可愛いのがずるい。あざとい。俺の休日返して。悔しい。可愛い。
あとは、「頭が良い」ということと、「回せるプロジェクトを設計できる」ということと、「設計されたプロジェクトを問題なく施工できる」ということとの間にはマリアナ海溝よりも深い溝があるという現実も。
自分は研究畑なので世間的には「頭が良い」とされているけど、じゃぁあの現場にいって仕事できるかってーと、アドバイスはできるけど切り盛りできないもん。技術も練度もまちまちな出入り業者さん(しかも累積線量の限界があるから人の入れ替わりが激しい)を使って施工可能な範囲で、熟練工を被曝させるともったいないから熟練工はここぞという場所にとっておいて云々、とか、すげー大変そうな気がする。
いちおう、一つだけ確認。
世の中、何事にも例外はある。
事実と意見を分けて書くトレーニングはそれなりにやってきたつもりで、これまで書いた文章で全称記号をつけてまで断定した記述はしてないはず。
日本最大最強企業であるトヨタなんかは、組織の大きさにも関わらずイノベーションを継続する能力を維持できているように見える(内情は知らないけどね)。
これは同意見でトヨタは凄いと思うよ。ただ、(内情は知らないけどね。)も同立場で、トヨタ人材は画一的なトヨタ人材なんじゃないかと邪推している。
つまり、認識の歪みは承知だが、「QC活動万歳!」「下請けは明日からコスト50%減で作ってね」といったイメージ。
大野耐一の生産性向上運動、サプライヤー企業との共同開発研究も大きく、そこらへんのホワイトカラーの貢献度で言えば小さいものだと思うけれども。
紹介された「art of innovation」であるが、どうもIDEOというシリコンバレー企業の話らしい。
創発型のプロセスであれば、ワールドカフェ手法であるとか色々知ってはいるが、それが凡人からイノベーションを起こせるというプロセスならば大歓迎。
個人的には凡人からイノベーションは生まれ得ない、むしろブレーキと思っているが。
内なる組織改革か、外なる自己追求か。その閾値はこのカギ括弧にあると思うのだが、「東大の」はまあ明確だ。
それでは、「優秀で」は?「意識の高い」は?
私自身について言えば、
優秀:「話してみると、優秀なのが伝わってくる」「天才型」「期待している」とかいう評判は聞く。平均から見たら優秀な思考能力だと思うよ。
ところが、外に出るとなると、なにか武器が足りない気がする。
意識の高い:インサイドアウトな状態ということだろうか。これまたよくわからない。
ちなみに、採用担当が「こいつは優秀だ」と思うやつ、オレは優秀でないと思うことが多いんだけど、どうなのかなあ。
強いて、絶対的な優秀という意味では、トラックレコードというのだろうか、
テニサー副部長といった肩書き、全国大会という実績、会計士という説明可能な資格こういったわかりやすい指標がホンモノの優秀なのかも。
だから製品機能のコンセプトも含めて「デザイン」だっつってるだろうが。
読め。少しは。あとはIDEOの本でも読んで涙流しとけ。