はてなキーワード: 開港とは
主に見る動画はホモビ男優のMADとYoutube rのMADとBiimシステムと呼ばれるRTA動画。
結論から言うと「完全にニコニコ動画は終わっているな」というのを実感した。
プレミアム会員システムが始まってからずっと課金していたので約9年、540×12の6480円、約6万円を今までニコニコ動画に払ってきた。
プレミアム会員でないと動画を読み込んでいないところにシークバーを移動させることができない。この行為ができない動画サイトが他にありますか。月540円払わないとこんなこともできない。
・画質についてはもはやプレミアム会員でも悪かったので特に言うことは無い。
広告はadblockで弾けるのでどうでもいいのに「プレミアム会員になるにはこちら!」と至る所に表れる。
解約するときにひたすら解約させないようにして更にこの仕打。
追い出しでまず見れない。プレミアム会員だった頃は「追い出された」というコメントに「ほ~ん」としか思ってなかったが本当にひどい。
AbemaTV?別にニコ生があるからなあ・・・と思っていた自分の感覚が完全に麻痺していた。
画質も悪く、有料会員でないとまともに見れないコンテンツからそりゃ人は離れる。
ユーザー生放送も今までいつでもタイムシフトで視聴できたのに見れないのが不便の極み。
プレミアム会員に入っててようやく普通の動画サイト、入ってないと完全にどうしようもないゴミサイト。
ひたすら焼きそば焼いててくれ。俺はもう見放した。
横浜DeNA全主催試合高画質で中継してるのでAbemaTVで見よう!開港横浜!
(*^o^*)
都道府県魅力度ランキングで、毎度ワースト争いをするのも致し方ないといえる程度にはダサい。
そもそも、律令国の時代には「武蔵国」として、埼玉県は東京都と一体だったのだ。
で、武蔵国から東京を分離した「あまりの部分」が現在の埼玉県なのだから、これがダサくなくてなんであろう。
(余談ながら、ことあるごとに埼玉はおろか、東京すらも下に見る、あの鼻持ちならない「横浜」という地域の大半も、
かつては「武蔵国」であって、そういう意味では、横浜と埼玉は兄弟であって、ペリーの来航による開港がなければ、
かつての城跡あたりに県庁やら市役所やらNHKやらが集まっている地域が多い。
そこには、それぞれに領主がいて、城下を繁栄させ独自の文化や産業をはぐくんでいたのだろうが、
さしたる文化的な蓄積がない。
そもそも幕府の直轄領だったらしいから、まあ、東京(江戸)の一部みたいなもので、独自性もへったくれもない。
実際、小江戸と言われたこの街には、日本百名城の一つがあるし、寺社仏閣や蔵造の街並みが観光資源として使える程度には残っている。
にもかかわらず、今一つ存在感が薄いのは、この地をがっちりと育ててきた大名が存在しないからではないか。
大坂の陣で江戸留守居役を務めた酒井重忠とか、家光・家綱に仕えた酒井忠勝とか、
知恵伊豆こと松平信綱とか、綱吉の寵愛を受けた大老の柳沢吉保とか
これは要するに、徳川政権の高級官僚が、江戸の手近のところに領地を与えられたという話であって、
「優秀な人ほど、東京に通勤していて、地元にそんなに愛着がない」という
西武線沿線、東武東上線沿線、JR東北・高崎線沿線、東武伊勢崎線沿線と、
東京と各地を結ぶ鉄道沿線沿いに都市圏が発達し、住民はなにかと東京のほうを向いていて
県内の各地域の「横の連携」が弱く、それ故に県としての一体感が弱いのも埼玉県の特徴だ。
たとえば「埼玉西武ライオンズ」といっても、さいたま市あたりの住民などは、ほとんど愛着がない。
なにしろ、ライオンズの本拠地たる所沢に行こうにも、鉄道で行くとなると、
いったん、池袋(埼玉県であるとの説もあるが、行政区画としては東京都)に出なければならないのだ。
愛着なぞ沸くはずもない。
なぜなら、各地域の基盤となっている前述の鉄道路線が、おおむねかつての街道筋に沿っているからである。
もともと日本の蚕糸業は国内向けだったため、品質も価格も国際標準に届いていなかった。
しかし、蚕病により海外の生産量が減っていたことから、日本の生糸は世界の注目を集めることになる。
また、高品質な生糸よりも安価な物が求められていて、日本の低品質な生糸でも十分に需要があった。(日本の糸は、海外では横浜での相場の2倍ほどで取引されていた)
機織りの工程では縦糸は強く引っ張るが、横糸は縦糸にくぐらすだけなので品質の悪い糸でも問題なかったりする。
1840年頃 | フランスで蚕病が発生 |
1853年 | フランスの蚕病がピーク |
1860年 | 横浜港開港 生糸輸出開始 蚕病の影響で日本の輸出増 |
1868年(明治元年) | イタリアで蚕病ピーク |
明治3年 | 藩営藩営前橋製糸所を開設(日本で初の洋式器械製糸所) |
明治5年 | 富岡製糸場操業開始 "官営で"初の洋式器械製糸を導入した(日本で初とは言ってない) |
明治6年 | 星野長太郎が前橋製糸所を参考に、水沼製糸所建設(民間洋式器械製糸所) |
明治11年 | 水沼製糸所製、パリ万博で一等賞金牌を受賞) |
「諸外国に不当に安く買い叩かれている」
と発言。
「水沼村に器械製糸所を作った」と紹介されていることから、明治6年~の場面だろう。
日本全体で見れば嘘。
これは本当。
前述したとおり、海外では2倍で取引されていた。
しかし、外国人技師を招き、洋式器械をそのまま導入した「前橋製糸所」「水沼製糸所」「富岡製糸場」においては品質は世界にもひけをとらなかったのではないか、と推測している。
事実、星野の水沼製糸所は建設からわずか5年でパリ万博でのお墨付きを得るほどだ。
あの発言は星野長太郎が「せっかく高品質な生糸を作っても、日本の糸というだけで外商に買い叩かれてしまう」という状況に苛立ちを見せたセリフであって、(そして現地で直接取引という話につなげるためで)
脚本家が「日本の製糸技術は昔から世界一ィィィィーーーー!」という認識を与えたかった、と考えるのは少々うがった見方ではないか。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(群馬・桐生市 水沼製糸所跡) 生糸輸出切り開いた2人の兄弟
http://www.sankei.com/premium/news/151025/prm1510250007-n1.html
http://www.pref.gunma.jp/07/p20210002.html
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html
http://www.sukima.com/35_maebashi_ito/08hanei.html
星野長太郎とは【日本人による日本製生糸の輸出を実現した先駆者】
MMOの話だけど、MMOに限ったことではない。たぶんすべてに適用できる話。
グローバル化したことで、何が一体「一番良い」のかが丸わかりになってしまった。
その結果、皆がそれを追従することになり、ゲームの多様性が失われつつあると思う。
しかしここで言いたいのは、だからなんとかしようということではなく、なぜ多様性が失われていくのかということへの考察。
MMOにはいろいろな種類があったんだと思うのだが、ここ最近は本当に「クリゲー」とそれ以外しかなくなってしまった。もちろん、それ以外の数はクリゲーとは比べられないほど少ない。
なので、量産クリゲは嫌だ、という人や、量産だというだけでプレイしないという人が増えてきているのだが、だからといって量産クリゲがなくなるかというとそういう気配はない。
これはつまり、ある一定の需要があるということで、嫌だと言っている人はかなりの少数派ということだ。もし嫌だという声が強ければとっくに量産クリゲなどなくなっているだろう。(量産クリゲを作っている会社の大部分は、競争力のない小さな企業)
で、この量産クリゲというものが一体どうして増え続けているのか、それを考えてみると面白いことがわかってくる。
巷でアンチクリゲ派が言っているような「簡単に作れて集金も楽」というのはあくまで金銭から見た、運営からみたメリットの一部分でしかない。
一番重要なのは、「プレイヤーがとりあえずプレイできてしまう」その安定感だ。
クリゲーはまず、操作が楽。クリックするだけでいい上、騎乗アイテムなどもあり、全体的に移動速度は速くなるようにしてある。
さらに、中毒性のある成長システムが多数存在すること。比較的長い期間、ユーザーの厳しい評価にもまれたおかげか、効率的かつ「楽に気持ちよくなれる」強化成長システムが実によくできている。
具体的に言えば生産や装備の強化、ペットの育成など。これらの成長システムをほとんどすべて詰め込むことで、量産であるにも関わらず「たくさんのシステムがある奥の深いゲーム」のように見える。実際は、ほとんどが流用であり開発側はそれだけたくさんのシステムを詰め込んでもあまり人員を必要としない。これはとんでもなく効率的な開発方法だと思う。
なぜ量産クリゲがはやるのか。ここまでくれば大体わかってくる。開発する側にとって、「これが一番効率的でいいものらしい」と認識されているからだ。
ユニクロのような個性的とは言い難い商品を売る企業が潰れないのも同じ理屈で、「苦労して作った」というのは、所詮はただの自己満足に過ぎない部分がある。苦労して作ったので量産品の3倍の値段です、と言われて喜んで出すのは金が余って困っている人間だけなのである。
MMOで考えると、FF14と量産クリゲが非常に好対照だと思う。
FF14はたくさんの人間を使って非常に苦労して作られたゲームのはず。なのに、レビューの点数は軒並み低く、クソゲーと連呼されてしまっている。
一方の量産クリゲーは、雨後のたけのこのように苦労せず次々出てきているにも関わらず、批判の声といえば「量産だからクソ」というもので、システム面が根本的にダメというのはあまり聞かない。
これは、MMOという市場におけるスクエニという企業と量産クリゲ開発ツールの熟練度の差なのだ。
スクエニは八年もFF11を運営していたが、そもそもFF11は同社の初オンラインということで、MMOでユーザーが一体何を求めているのかはほとんどわかっていなかったと思う。リサーチをかけたとしても、何年も運営してきたほかの会社と比べれば未熟そのもの。
にも関わらずこれだけ続いたのは、ひとえにスクエニが持つ「ブランド力」というMMOとは関係ない過去の遺産によるところが多い。つまり、スクエニが開発しなければ、そしてFFでなければあのゲームは淘汰されていたのである。
それは、量産クリゲにFF的な特徴を持ったものがほとんどないことからも裏付けられる。時間を使わせ、できるだけ攻略されないようにということだけでユーザーの快適性を考えなかったゲームのノウハウは、流用されることすらないのである。
現在のMMOにおける状況というのは、まさに黒船到来といった感じ。黒船とは量産クリゲで、開港させられるのはスクエニである。
量産クリゲのような「世界が認めた」システムの前に、独自性やグラフィックがきれいといった小さな利点は何の役にも立たない。非効率なシステムが生き残れるのは、グローバル化していない世界においてだけだったということだ。
そして、ここから考えるに、今後はゲームのみならず、あらゆる面で「量産型」が出回り、多様性が失われていく時代に入っていくと考えられる。というか、21世紀はそういう世紀になるだろう。
グローバル化がもたらしたものとは、「誰が一番なのかを見つけやすくする」ということだったのだ。
多様性は生まれるのではなく、失われていく。なぜなら、誰が一番なのかがわかれば、一番ではないと烙印を押された人間は、そこから撤退するか、一番のまねをするしかなくなる。
そうでなければ生き残れない。
グローバル化時代というのは、頂点とその模倣だけで構成される非常に「画一的」な世界であり、いままさにそれがあらゆる面で進行している。
世界はグローバル化しなかったからこそ多様な島宇宙を創りだしていたんだと思う。
たとえば都市。都市は効率化を進めることで巨大に、そして便利になれる生き物である。発達した都市は、皆同じような姿をしており、もはや「どこにいっても同じ風景」なのが当たり前なのだ。
人類は発展するにつれて次第に「他の場所に住む人類」との交流をするようになったが、そういった発展の過程で動植物は次々と絶滅している。これも、グローバル化によって多様性が失われていることの証拠といえる。
いまさかんに多様性を残そうという動きが高まっているが、残念ながら人類が発展し続ける限り多様性は失われていくだろう。ある一つの地域の多様性を守るための活動が、3つの地域の多様性を失わせているような状況である。人類の努力とはその程度のものでしかない。欺瞞と言われてもしょうがないと思う。
そこで、多様性を失わせないためにどんなことが必要なのか。これはもう、「過去の遺産」をデータ化して守るしかないと思う。
MMOの話でいえば、初期UOなどは、現在のMMOとはかなり趣が違うものであり、MMOの多様性を残すために、初期UOをエミュレートサーバで起動させ続けることは非常に意義がある。
量産クリゲではないものは、すぐにつぶれてしまうのだから、そういったものを忘れさせないためにエミュレートする。こういった努力は無駄ではない。第一、MMOの歴史など地球の歴史と比べればカスみたいなものだ、生まれた多様性もはっきり言ってほとんどあってないようなもの。だからこそ、守るのも楽だろう。地球が長い年月をかけてはぐくんできた生き物の多様性を守るのは人類には荷が重すぎる。
このように、グローバル化が進むと物事の淘汰が行われ一番のものだけが生き残り後はすべてその模倣になってしまうという話をした。
量産クリゲがはやるのは当然で、それを否定するのも意味がないだろう。ただし、それとは違う、すぐに淘汰されてしまうMMOを保護することはとても大切だと思う。
この先一体ゲームやそのほかの娯楽がどんなふうになっていくのか興味がある。もし多様性が失われ続ければ一体どんなことになるのか。時代が出す答えを待ちたい
日本政府の捕鯨の一番の目的は何ですか?オーストラリア政府、グリーンピース他か...
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110803096
本当の目的は…水産資源を守り、日本の食糧資源を確保することにあります。
食糧自給率の低い日本ですが、幸い漁場には恵まれていまして、海からの食糧供給はある程度望みが持てます。
科学的でも論理的でもない捕鯨禁止を看過すれば、他の水産資源も捕鯨問題と同様の事態になりかねず、
今でも自給率で問題がある日本の食糧資源は、さらに他国に頼らざるを得ないことになります。
つまり有事の際、食糧を日本に販売しないという政策を他国に取られれば、内容に関わらず言いなりにならざるを得なくなるわけです。
# 本音で言うと、関係者は捕鯨再開で日本の文化を守る云々という非現実的な夢など見ていません。
外交上、著しく不利になりかねない食糧問題の象徴が捕鯨で、日本政府として絶対に譲れない問題なのです。
国際外交をモラルを持った賢人が集まって決めているような幻想を持たないで頂きたい!(当然、経験者です)
捕鯨問題は日本の高度経済成長を疎ましく思った勢力が、人種差別的な反日キャンペーンを張ったことから持ち上がりました。
別に日本人が野蛮な人種であることを世界にアピールできれば、捕鯨でも何でも良かったわけです。
さらに水産の資源問題で圧力を掛けて畳みかければ、世界トップレベルの技術力を持ち、世界最大の日本の水産市場に大打撃を与えることができるかもしれません。
日本の貿易黒字の増大を憎む人々が、日本経済を脅かそうと放ってきた問題だったわけです。
当然国内の大反発が予想されたのですが…工業製品の輸出で利益を受けている人々が問題を大きくしたがらなかったため、
国内世論が割れ、水産庁は国家が一枚岩となっての効率的な手を打てず、漁業者は一方的に損害を受けました。
200海里経済水域なんて、今では当たり前に思われているかもしれませんが、これも日本を標的とした世界の国家間の取り決めです。
それでなくても、捕鯨問題を持ち出されるだけで、日本としては諸国にODAをばらまかざるを得ないのです。
もし今まで看過すればどうなったでしょう?10年以上前にマグロが制限を掛けられていたはずです。
英語で魚のことをプアミートと呼びます。
他国では、魚が食べられなくても肉を食べればいいや…程度の扱いなのです。
魚を食べる社会の底辺の人々のことなど知ったことではありません…と。
文化的な側面も考えてみて下さい。
ペリーが黒船で来航し、日本に開港を迫った理由は捕鯨基地が欲しかったからですよ。
当時の女性のスカートに鯨の髭が使われていたのです。肉は海に捨てていました。
これにより鯨資源は減少しました。
また、敗戦直後の日本人にタンパク質を提供するために、漁師さん達が命懸けで捕鯨を行ったのです。
歌のサビの一部にもありますが「生きて帰らん、望みは持たじ」です。
ちなみに、捕鯨問題で国内がごたついた際、漁師さん達からは「裏切られた」と水産庁は責められました。
捕鯨問題の最先鋒であるアメリカでは、絶滅の危機にある北極鯨を捕鯨問題から外し、現在でも捕鯨しています。
一方で、資源として増えすぎ、他の水産資源を減らす原因となっているミンク鯨などは、捕鯨が許されていません。
あまりにも不公平で異常である状況にお気付き願います。
捕鯨問題が持ち上がった時点で、減少している鯨資源に関しては、日本政府としては保護の立場を取らざるを得ませんでした。
減少している種類は、保護すべきという立場ですし、領土問題が中国,韓国,ロシアとの間にあるため、
EEZ(経済水域)が事実上設定できない(相互乗り入れ海域)と、資源保護に関して頭を抱えています。
でもですね、こと水産問題に関しては、この国は本気で取り組んでいますよ?ODAの内訳でも見てみればよいです。
さしあたってはマグロですし、次は中国を叩くために、サメのキャンペーンが張られますよ。
FAOも国連も一切活動していない海域、しかも私達が水産資源管理庁の頂点にいる、そういう国で、のうのうとサメの漁獲量が減っているグラフなどが発表されるのです。
日本を支持した大臣の首がすげ替えられ、協力者が失踪する…外交戦の裏側です。
盲目的に他国の宣伝を信じ、自分自身の首を絞めることに荷担しますか?
静岡県に住んで2年になる。出張がてら富士山静岡空港を3回くらい使ってみた。今年開港したばかりのあたらしい空港だ。
感想としては、この空港はビジネス客のこと一切考えてないということですね。というのも、書類やパソコンを置くデスクがない。あと、今どき、電源プラグがない。
この空港は、クルマジャンキーの静岡県らしく、自家用車でのアクセス(だけ)が想定されている。結果、連絡バスと飛行機との接続が悪く、空港で2時間近く待たされるなんてことがざら(東名高速はすぐ渋滞するので、ぎりぎりのバスでは危険すぎる)。というわけで、県外からのビジネス客はラウンジどころかコンビニと寿司屋しかないような空港で、ベンチに腰かけて待つしかない。作業のできるデスクくらい作ろうよ。
さらに、上述のとおり電源がない。たまたまないわけではなく、無断借用を警戒して、利用客のいる空間からコンセント(プラグ)をほとんど追放している。確信犯。羽田や札幌や中部や福岡は無料の電源が豊富にあるし、佐賀や愛媛や小松や女満別などは、職員に言うと「不便な空港ですみませんね~」と言われつつ、電源を貸してもらえた。
ところが、富士山静岡空港の職員は違った。
「掃除用のコンセントを勝手にお使いになる方が多いので、その都度、注意しております」とのこと。
その物言いに違和感を覚えた私が、「今どき、空港の電源使用は必須のサービスだと思いますけど?」と聞いたところ、
「みんなの空港ですので、一部の方だけを優遇することはできないという、公共のルールです」と自信たっぷりに言われた。
静岡県のネイティブはこの手の高飛車で役人的な奴が多くて私はいつもうんざりしているんだが、それはともかく、
「では、空港使用料を払っていない、空港見学の住民がトイレを使って水を流しているのも注意なさっているんですか?」とお聞きすると、
「この空港の決まりごとですので!」と繰り返すだけの壊れたレコードになってしまった。
いや、無許可で電源を使ってはいけないのは分かるよ。私もそれはしない。
ただね、空港での電源開放が「一部の方への優遇」になるという発想はどうなのかなと。
私は、空港での電源使用は最低限のインフラに含まれると思います。特に、こういうフライトの前後にやたら待たされる空港では。実際、静岡空港の複数の職員は、電源プラグがないというクレームをよく受けていることを認めた。
富士山静岡空港(というか静岡県庁)のおかしいなと思うところは、クレームが多い案件を改善点として上にあげるのではなく、「ルール違反者」として処理したがるところ。別に、空港に温泉を作れとかムチャクチャ言うてるわけじゃないのにねえ。
そのようなわけで、富士山静岡空港の真意がどうであれ、この空港をビジネス用途で使うのはやめたほうがよいなと思った。
あと、コンセントを無断使用していたわけでもなく、ただ利用の有無を問い合わせただけの人間にまで「説教」口調で話しはじめたのがいかにも静岡県民らしいと思いました。この県は全般に、接客下手なんだよな。これは余談だけど。