はてなキーワード: コンテンツ系とは
こういうの見ると真面目に、KADOKAWA財閥は解体されるべきなんじゃないかね。
それが嫌なら全体的に変革しないと、今は良くてもTVアニメから次の表現媒体に移行できなくなるとか、グローバリズムの更なる推進なんかが起きるとガチで完全に老害化するんじゃないかと思う……
まだ今はIPを保持してれば良い時代だろうけど、もう10年も技術とノウハウの蓄積が溜まれば、同人アニメが商業レベルに追いつくなりVRアバターが普通の時代になったり等、キャラを民間で自給自足できるようになり、その内どこかでIP自体の価値が急減するラインが生じると自分は思ってる。
そうなると日本のPC業界(旧)大手みたく業績悪化で、良くてコンテンツ系部門の形骸化や売却なり消滅、ただの出版専門社に逆戻り。復活が事実上困難になる。
そうでなくとも翻訳技術の発達で大まかにでもニュアンスや文脈レベルの自動翻訳が可能になれば、海外資本が映画だけでなく日本アニメにも攻勢をかけれるようになり、他国発祥のアニメが日本でもリアルタイムで視聴できる時代が来る。
今でもNetflixがオリジナルアニメを作ってるが、そういうのがどこかしこで作られては即座に日本語で観れるわけだ。そうなると日本の先進的ないし独自の要素がiPhoneみたく、バージョンアップされ普遍化させられる事になる可能性が高い。
けもフレ的な大人気アニメが海外で受けた要素を分析され、絵的にも高クオリティ化し、それがPPAPと同等以上に全世界の常識と化すわけだ。
動画サイトに目を付けてカドカワを作ったみたく外部から取り込み続ければ時代に付いていくのは可能だが、どちらにせよイニシアチブを取るのは難しくなるだろう。
どれだけ資本を投じようが、内部統制も粗末でクリエーターの価値を見誤るようでは今以上の成長は望めない。内外の害悪に無駄金を吸われるとか論外。
下手すると今後も似たような問題を繰り返し、コンテンツ業界の害悪として歴史に名を刻む事となりかねないし、そうなると日本の政界や経済界全体からも下位に見られるかもしれんな……既に見られてるかもだが。少なくとも自浄作用が働いて全体的なヒト/モノの質が高まらない限り、政治も経済も経営も頭打ちになりやすい。腐り続ける木が今以上に大きくなる事はない。
何にせよ、そうなると新しい企業に今の座を取って奪われるわけだ。すぐではなくとも。
キャラメルにおもちゃつけたら、おもちゃのほうが人気出てしまった場合
キャラメル自体の価値での商売にならないから、キャラメルの質の向上は期待できない
キャラメルのファンが「おもちゃファンは害悪だ」と言っても販売者としてはビジネスでやってるので受け入れない
下手すると古参・老害のように扱われ、界隈にとって煙たがれる存在になるかもしれない
同じ商品を買っているのに、評価軸が異なるファン同士はまるで仲良くなることはない
上手くいって奇妙な隣人である
漫画、映画、ドラマ、吹き替え、声優、アイドル、歌手、服や食べ物やCDなどなど
とは言え大体は「軽症」だから、それぞれがバランス良くやっている
そしてバランス良くできるから先鋭化はできず、腐り、ゆっくりと死んでいく
奇妙な隣人はいつまでも隣りにい続ける
時折殴り合いながら
そういう時代だ
時々爆死しましたソシャゲ辞めます系の報告が話題になって、反応として身の丈課金大事とかソシャゲに合わない人間もいるのだから距離を置くことは大事との意見を見ることがある。
ただこれって、特に所謂二次元コンテンツ系の趣味関連でSNS使ってたりすると何気なくながらとても難しいことのような気がする。これ以上お金を使うべきかどうか悩んでいる時に次々とタイムラインに目玉当たりました報告が流れていたら、そこで自制するというのは相当な精神力が必要とされるし、それならいっそゲームごと辞めてしまおうとしても自分がやめても身内はゲームを続けている訳で、今度はタイムラインの話題自体に乗れない疎外感に苦しめられる。
ソシャゲの話題に独占されてしまったタイムライン自体から距離を置いて、ソシャゲとは全く関係ないコンテンツの新しいファンアカウントを作っても、結局(距離をおいたソシャゲと同じゲームでなくても)流行ってるコンテンツとして何かしらのソシャゲの話題はどこまでもついてくる。縁を切りたいのにいつまでも影を感じさせられるというか。
ソシャゲと縁を切った上でうまい具合に二次元コンテンツをSNSで楽しんでいる人はどうやって距離を置いているのか、工夫の仕方というか自制の仕方みたいなものを知りたい。自分は自分、他人は他人と割り切ろうとしても、流石にタイムラインをガチャの話題で独占されてしまうとやっぱり堪えてしまう。
あちらこちらで騒がれているアニメ会社過労死の件について。アニメーション制作は大変らしいが、外部の人間としてはどれだけ大変かが分からない。自分はアニメに無知なので、まずはアニメの案件がどれくらいの規模なのかを調べてみた。パラパラマンガを見た事がある人ならわかるように、アニメーションは、複数の静止画(コマ)を動かす事で成り立っている。ここで調べた事を要約すると、
と、アニメは大まかに3つの過程に分けて作られるようだ。さらに詳しい工程は「アニメ制作工程2」に譲るとして、ここからは自分がこのアニメのコマの監修するして思った事を話そう。
まず確かに上記の要約から考え、1で1コマの各素材を書き分けるためキャラクターの動作、背景と違う人が書き分けやすいし工数削減出来そうな手法だ。ここで1秒間に30コマ書くと仮定し、24分放映すると仮定するならば、1話当たりに用意するべきコマの総数(コマ) =30(コマ/秒) * 60(秒/分) * 24 (分) = 43,200(コマ)と仮定できる。さらにこれを5日間で書くと仮定すれば、1日当たりに書くコマの数(コマ) =43,200(コマ) ÷ 5(日) = 8,640(コマ/日)とかなりの数を書くことになる。
計算をしてみて思ったが、こんなの誰がやるんだと思ってしまう。これだったらアニメの広告枠の売買をしてる方が儲かりそうなものだ。ここからは下請けの業界が何故見なし残業になりやすいかについて話す。
以下のサイトを見ていると、まずアニメ制作会社のポジションは広告代理店、テレビ局が受注した案件を受ける形のようだ。ここでアニメ会社に入るお金の割合は800(万円) / 5,000(万円) * 100 = 16(%)と低い割合だ。どうにもこうにも30%〜40%位は欲しい所。
スポンサーが5,000万円を払うが、広告代理店や放送局が介在して、最終的にアニメ制作会社に入るお金は 800万円(「アニメ産業の低賃金:Open ブログ」より)
さらに一件当たりの案件単価の平均を800(万円)と仮定し、1年当たり10本アニメを作ると仮定すれば、アニメ会社の年間総売上 = 800(万円) * 10(本) = 8,000(万円)、月平均 = 8,000(万円) / 12(ヶ月) = 666.7(万円)と受注した単価を割る模様だ。
机上の計算から、アニメ制作会社の年間売上を推定した所で本題といこう。こういう制作業界がみなし残業になる理由は、契約上一定の額で制作を請け負う形になり、その額を社員(複数人)に割り振る形になるからだ。会社側は固定費として足がでないようにしたいため、業務委託や歩合制と言った都合の良い労働契約(詳細は労働基準法を参照)を社員に吹っかける形になる。冒頭の16%(800万円)の話でもそう。広告代理店やテレビ局サイドは頭が大変良く、肝心な作業を安く押し付け、残りの84%(4,200万円)を形で制作会社を利用する訳だ。
ともするとこういった会社だと、残業を顧みず沢山働いてくれる人を欲しがるはずだ。求人広告の「○○が好きな人」と言うのは、残業して給料が出ないけど大丈夫ですか?と言う意味と言っても過言でない。
id:TM2501さん 何が問題かというと、コンテンツ系は安かろうとハードだろうと「好きでやっているんだろう?」と偉くなるまでそれを当たり前にされちゃうこと。いや、偉くなっても資本家から買い叩かれちゃうこと。構造的欠陥
id:Arturo_Ui さんところで奴隷は嫌々働いてるから「程々に手を抜く」ことを学ぶもんだけど、「仕事が好き」という使命感だけで続けてると、却って歯止めが利かなくなるのかもしれない。
とこの方々の指摘通り、社員がコンテンツが好きな事を会社に利用されてしまうんだよな。さて自分は「程々に手を抜く」ではなく「程々以上に手を抜く」人間だった(笑)。かつてソーシャルゲームの会社で仕事していたが、残業代が出ないから、大変な仕事は敢えて受けず、デバッグだけやって定時に上がっていたものだ。それでもって上司に退職を迫られたとき「周りが残業してるから残業しろ」と言われた。空気を読まない自分であったが、過労死で倒れなかったから今があると考えると辞めて良かったと思う。
無論こうした業界の制作で働く場合は、制作手法を覚えて独立、コミケの同人誌のネタ探しなど自分で稼ぐ勉強として働くのが良さそうだ。要は好きに流されず、自分の目標みたいな物を持っておくとよい。
一方で会社としての理想論を言うならアニメ制作で余った人員を、キャラクター原案などを担当させたり、CGM(Consumer Generated Marketing)など最初の広告費がかからない案件などに回す。上手く当たれば初音ミクのようなブランドが登場すれば、既存の広告媒体から独立する事が可能となる。いずれにせよ自分自身で利益を生み出せるように持って行かないと、下請け産業はきついと思う。
そもそもエンターテイメントコンテンツってのは不合理なんだよ。適正な予算を用意して、適正なスタッフリングをして、クオリティの高いコンテンツが完成する(さまざまなトラブルを鑑みると、キズナし完成の時点で2割りくらいしか残らんわけだが)――にもかかわらず、思ったように売り上げが伸びないなんて事はよくある。深夜アニメなんか、とくにぬるい萌えなんかもそうで、コンテンツAとBの間に売り上げで10倍の差があったとしても、冷静に見てみてコンテンツの完成度にそんな差なんて無いことがほとんどだ。出版なんてさらにその傾向が強まる。
だからこそコンテンツ業界では「エンタメは水物」という言葉を使う。
この言葉はプロジェクトの失敗を自分で慰める責任回避の言葉じゃないか、と批判されることもあるけれど、本質はそうじゃなくて、そういう現実を踏まえてそれでも作り続けるというような気概の言葉だ。水物だからたとえば5本やってうち1本が成功して残りの四本の穴を埋めてくれればそれで良し――みたいな商売の仕方をする。
前線にとってプロジェクトを当てるというのは正解のないクイズの正解探しを続けてるようなもので、それは相当ストレスだ。結果として「正解でした=ヒットしました」となることはあるけれど、事前にそれはわからない。もちろん当たる率を限りなく高めるためにいろんなあがきをするけれど、そういう努力をしたところで100%ヒットとかないって全員判ってる。
パクリって言うのは、そのストレス部分のショートカットなんだよ。
加えて言うならばアプリの技術者は増えても企画者やゲームデザイナーは増えてないってことでもあると思う。まぁ、業界内でさえ地位が低い(わりに責任だけ重い)ので増えるわけもないよね。
元スレでは「技術力があるのにパクるのが理解出来ない」ってあるけど、それって要するに「企画者やゲームデザイナーの能力は技術としてはカウントしない」って話であって、そりゃパクリも増えるよ。
タイアップ「する」理由、なんてアクティブな理由ではないけれども。
最近のパチ/スロは、演出を強化しないと売れない(と、思いこまれてる)。
自然と、莫大な演出量が必要となるわけで。200時間やそこら打ったとしても、全く同じ演出で当たることなんか無い位。あとプレミア的演出も1つや2つじゃ済まない。
オリジナルキャラだけでそれを実現しようとしたときに、どれだけネタが必要になるか、想像しただけで大変なこと。
元々ネタや映像コンテンツが有れば、それなりにネタも出来れば、流用も出来る。
スロオリジナルである、ツインエンジェル2(スロ)が、どれだけ手間暇かけて演出を作ったことか。
2)成功者が居る
言うまでもなく、「エヴァンゲリオン」。パチ及びスロだけで、あのコンテンツだけでもう6年近く食ってる。パチは5世代、スロは3世代。
エヴァのパチンコ/パチスロ演出を作る制作会社が脱税で捕まった位、あのシリーズは安定して儲ける事が出来た。
3)客を引き寄せる手法が見当たらない
今のパチ業界は、法律によって、以前のような高いギャンブル性をもった台をリリース出来ず、コンテンツによって客を惹くしかない(と、思いこまれてる)
4)客の引きが早い
コンテンツ系は、知名度が高いものであれば、一瞬大量に客が付いて、その後飽きられるのも早い。
こういう台がリリース出来ると、「大量に売れて、早々に撤去してもらえる(結果としてメーカーは一番売上があがる)」事になる。
客として、店として、タマったものではないが、メーカーにとっては…ね。
ただ、演出はコンテンツそのもの出来ではなく、結局客は「(演出を含めて)楽しいかどうか」「勝てたかどうか」で打つかを判断するわけで。
コンテンツの持つ力はそれほどない、マイナーな版権(GARO)は、台の持つギャンブル性の高さでお客が付いた。
アニメ系ではないが、同じ版権であるはずの「ピンクレディー」は、初代と2代目を比較すれば間違いなく2代目の方がコンテンツとしての力を持っていたが、バランスや台の性能の為に、2代目は早々に消えてしまった。(客が付かなかった)
ドットだけの台が微妙に復権していたりもする。やっぱり作り手が勘違いしているよなぁ…と思わざるを得ない。
1)その版権の知名度が上がる
パチ化されるだけで、そのコンテンツの知名度は上がる。漫画であれば愛蔵版やまとめ版が売れ、アニメであればDVDが売れるorレンタルが回転する。
「花の慶次」なんか良い例かも。
ここでもエヴァは最大の成功を収めていて、結果としてエヴァブームを再点火させることができた。
「絶対衝激」辺りは、プロジェクトの成立時点から、スロ化によるコンテンツの知名度Up及び売上が計算されていた。
そりゃ、最初から資金が有る程度見込めると分かっていれば、コンテンツ作成時に多少楽になる。
そうでなくても、最初に「パチ化による版権売上」が予想出来れば、制作側も色々手を尽くすことが可能だろう。
「ドーベルマン刑事」を見かけた時には、腰を抜かした(苦笑)こんな版権すら引っ張ってくるのかと。
タイアップの黎明期ですら、「コットン」(ゲーム/シューティング)や「ぐっすんおよよ(大工の源さん)」(ゲーム/アクションパズル)といった、マイナー版権が溢れていた事を考えれば、まぁ、理由が複数大量にあるからこそ、数も増えるということがお分かりいただけるかと。
職種はIT系ですが入社してから半年ぐらいこんな感じでプログラミングさせられるようなことも、仕事の面白さを教えられるようなことも特になく。甘えだといえばそこまでなんですが、後輩がコンテンツ系に内定した、という事を聞くと「俺なにやってんだろう」的な心境になりました。
職場の5年選手、10年選手と話をしてみて、彼らにモチベーションというか情熱があるかどうかを見定めるのがいいのか、と。
仕事の意義を熱く語って、後輩に伝えるのが彼らの役割だと思うし、正直その部分が拙いと不安にはなるよね。
夢見がちな中高生のころならまだしもある程度の年齢になると、自分のレベルっていうのがわかってきて、ああ俺に才能なんかないんだな、みたいな気分になる。どれだけデッサンを重ねても、着想とか構図とかで既に才能ある奴らとは差がついていて、で、そいつらは親が元々美術好きだったり、造詣が深かったりして、生まれた段階で既に差がついてる。いいものを小さな頃から見てるから、再現することに労を要しない。
努力すれば、それが手に入るものだった人たちなら「才能」なんて口にしないと思います。でも、努力しても、それが手に入らないものだったら、それはやはり「才能」と呼ぶしかないんじゃないかなと。
肉体的な才能ならまだなんとなく分かるんだけど。
才能、努力、運が備わった本当に凄い人々(業界でも五指に入るようなレベル)って言うのはまぁいるにはいるわけだが、
「それでメシを食う」という話だけであれば、意外に裾野は広い気がするよ。
デザイナーとかでも、マイナス100のレベルから始める奴とかもいるんだけど、結局残るのは「それが本当に好きな人々」だしなぁ。
自分のやっている仕事に夢や誇りを見いだせないとしたら、それは不幸かもしれんね。
「安定」と割り切れればいいのだろうけど、徹底的に割り切れる人間って実はそれほど多くないんじゃないのかな。
なんだかんだ言ってそれなりの意義を発見しているとは思うし。
まだ1年目なので仕方がないのかもしれないですが、基本言われたことやってるだけ(しかも書類作成とか雑用とかそんな感じの)なので、意義とか感じたことないです。
職種はIT系ですが入社してから半年ぐらいこんな感じでプログラミングさせられるようなことも、仕事の面白さを教えられるようなことも特になく。甘えだといえばそこまでなんですが、後輩がコンテンツ系に内定した、という事を聞くと「俺なにやってんだろう」的な心境になりました。
自分がくすぶってる間に後輩たちやその他の人は自分にとって辛いけど価値ある経験を積み上げて、着実にレベルアップしてるんだよなー、と考えると、身もだえしたくなるんです。
死を考えるぐらい絶望するのであれば、とことんやれば?って気もするんだよ。
音楽とかマンガとかコンテンツ系の表現には「才能」って語り口が使われるけど、
ただ、そこで勝負する人々って「才能」を逃げ口上として使わないんだよね。
まー生活がかかっているわけだしw
うーん、なんというのか、自分の経験のせいなのか特に、絵(イラスト漫画含む)に関しては明らかな才能の差のようなものを感じるのですよ。
夢見がちな中高生のころならまだしもある程度の年齢になると、自分のレベルっていうのがわかってきて、ああ俺に才能なんかないんだな、みたいな気分になる。どれだけデッサンを重ねても、着想とか構図とかで既に才能ある奴らとは差がついていて、で、そいつらは親が元々美術好きだったり、造詣が深かったりして、生まれた段階で既に差がついてる。いいものを小さな頃から見てるから、再現することに労を要しない。
努力すれば、それが手に入るものだった人たちなら「才能」なんて口にしないと思います。でも、努力しても、それが手に入らないものだったら、それはやはり「才能」と呼ぶしかないんじゃないかなと。
と考えれば、ちょっとは元気でそうな気もしてきましたが。
ただ、
自分にできない部分は他人にお願いすることによって、
映画なんて、監督だけじゃ何も製作できない典型的なコンテンツですね。そう考えると誰かが何かを作るって、一体どういう文脈でその言葉が使われているのかわけがわからなくなってきますが。
自分のやっている仕事に夢や誇りを見いだせないとしたら、それは不幸かもしれんね。
「安定」と割り切れればいいのだろうけど、徹底的に割り切れる人間って実はそれほど多くないんじゃないのかな。
なんだかんだ言ってそれなりの意義を発見しているとは思うし。
死を考えるぐらい絶望するのであれば、とことんやれば?って気もするんだよ。
音楽とかマンガとかコンテンツ系の表現には「才能」って語り口が使われるけど、
ただ、そこで勝負する人々って「才能」を逃げ口上として使わないんだよね。
まー生活がかかっているわけだしw
ただ、
自分にできない部分は他人にお願いすることによって、