2020年11月19日の日記

2020-11-19

クマかわいい、って図式

どっから来たんだよ

やつら凶暴すぎるだろ

anond:20201119191621

自民党序列的に逆らえない立場やで。

でも直道が都知事室でひざまづいて百合子の女陰舐めてるのって考えると興奮するよな

anond:20201119190958

こういう見方の奴おるんやな

北海道が先に爆発したのは

気温が先に下がったからだと思ってたわ

anond:20201119190445

やばいやつはほんとにそのとおりだけど

オンナを前にするとヤバくなるやつが一定数いるよね

anond:20201119191213

結婚恋愛子供と暮らすことだけが人生の楽しみじゃないよ。

未婚を貫いて人生を楽しんでいる人は男女ともたくさんいるよ。

他の楽しみを探しな。

異性から必要とされなくても、この趣味だけは誰にも負けないとか、仕事を頑張るんだとか、なにかあるよ生き甲斐が。

あえて言おう、かえるにょぱにょーんは神ゲーだと

小学生のころ、何故か家のPCにあったかえるにょぱにょーんで遊んでいた

小学生ながらもこれにのめり込み何度もやり直してやっていた

1マス1マスの移動のミスで詰む難易度ゲーム性は今なら難易度調整ミスってんだろ!とレビューを書くが当時の小学生の俺はこんなもんかと何度も試行錯誤しながらやり続けていた

スチルも物足りないという指摘が入るだろうけど小学生の俺には充分であって何よりかえる王子様に戻るのを目標に楽しみにしながら続けていた

ある日、俺が遊んでいるのを父に気付かれてそれっきりかえるにょぱにょーんをすることが出来なくなった

俺は未だに王子様をかえるに戻すことができていない

ちなみに、今レビューを調べたら難易度がクソ、イベントフラグがクソ、エロシーンがクソと酷評されまくってた

それでも小学生の俺にはかえるにょぱにょーんは神ゲーだと思っているし今でも思ってる

anond:20201119175621

別にタイトルがいけてると思ってブクマしてるわけじゃないし…

anond:20201119190958

前後関係見ると北海道が先で東京都が後か

特に北海道は何がトリガーになってるのかねえ

札幌が局地的で医療瀕死状態になってる

anond:20201119191317

禿頭の長所を生かして通行人が急に禿ばかりになるフラッシュモブ企画世界主要都市ゲリラ的に開催して話題をかっさらい禿の地位確立して世界征服して豊かに暮らそう

anond:20201119190327

100ページ以上新刊ってお触れ出してるのにゴミみたいな本とか他ジャンル本で交換を迫ってくるバカが跡を絶たないのでやめます

みたいな展開になる。絶対なる

anond:20201119181912

正しさってなんのこと?

何が正しいの?

anond:20201119191124

理想能力プライドに似合うものにできることなんだが現実ダメなんだなこれが

狂ったプライド現状維持をひたすら選ぶんだ、そうする限りこれ以上傷付かないからな

からまず腐った心をへし折って取り除くのが大事

歯医者みたいなものだ、治療の時には歯を削る必要がある

『そういう人』て割と身近にいるし我慢するしかないのムカつくって話

 もうかなーり前の話なんですけど、未だに夢にみたり思い出したりしてイライラモヤモヤするのでここに吐き出してみようかなと思いました。こういうものは初めて投稿するので、長いですし、書き方が変だったりしたらすみません

 あと、すごくくだらない内容かとも思いますが、当時の私にとってはすごく辛かった出来事なので、それを踏まえてお読みください。

 あの頃、私は不登校フリースクールに通っていました。学校に居場所がなかった時期、たまたま見つけただけだったフリースクールに、身も心も救われていました。

 フリースクールというだけあっていろんな問題児が集まっていたのですが、そのフリースクールの長を務めてたMさんスタッフの方々はいろんな子に目を配れる人が集まっていて、最初雰囲気に馴染めていなかった私も次第に他の人と話せるようになり、イベントでも役割を任されるなどして、ここが第二の家だと思えるような場所になってました。両親が共働きというか、不仲だったので、みんなの仲が良いということも楽しめていた要因でした。

 同じくらいの時期、とあるオンラインゲームで同じグループ所属していたHさんという人と知り合いました。和気藹々としたとても良いグループでHさんも穏やかそうな人だったので私自身とても仲良くさせてもらいました。フリースクールとはまた別に、そのゲームグループも私の心の支えになっていました。

 しかグループに入って1.2年くらい経った頃、副グループ長的な存在だったSさんが突然、ゲーム内の個人チャットでさまざまなグルメンに「あなたグループでの発言は、グループの風紀を乱している」的な連絡を取り始めてから、少しずつ状況が変わり始めました。

 タイトルの「『そういう』人」というのはSさんではないのですが、私自身もそのような連絡を受けてからグループでの発言がし辛くなりました。○○さんへの返信だけ遅いという、もちろん心当たりのない(そもそも私はグループの中心的メンバーではなく、話を振られることも多くありませんでした)ことで何時間個人チャットに拘束されたのがトラウマになっていました。

 そこで唯一それが相談できたのが、先程のHさんです。HさんもSさんから謂れのない(または些細な)ことで長時間責められ続けていたようで、私がグループから抜けたことに心配し、親身になって愚痴を聞いてくれました。

 それから数ヶ月後、そのゲームのものインフレが激しくなったことや、グループの人たちとフィールドですれ違う時の気まずさから、私はそのゲーム引退することにしました。そこで、特別に中のよかったHさんとLINEを交換することになりました。当時私はインターネットの向こうにいる人とLINEを交換したことがなかったのですが、この人は安心できる(不審者ではない、みたいな意味です)と思ったので、友達感覚で交換してしまいました。

 長くなりましたが、ここからが本題です。

 ゲーム引退してから数年、私とHさんは毎日LINEを送り合う仲になっていました。当時Twitterを知らなかった私にアカウントの作り方を教えてくれたりしました。他にも、共通趣味もありましたし、時間をかけて信頼関係を作りながら、年齢が一つしか違わないこと(私より年上でした)、電車一本で会いに行けるくらいの距離に住んでいることが分かって、会ったことはありませんでしたが、こんなに色々話せる友達はいない!と思っていました。まさに、親友と呼べる存在でした。

 そんな仲になってくると、次第に自分の悩みや愚痴相談することはあり得ると思います事実私はHさんに、学校に行けていないのだということを打ち明けていました。Hさんはそれに否定的意見は持たず、むしろ自分不登校になりたいと言ってきました。

 どういうことかと思って聞いてみると、Hさんは有名な進学校に通っているらしいのですが、学校での居場所がどこにもなく、勉強もついていけない、1日でいいから休ませてほしいが、親が厳しくて休ませてもらえないとの悩みを抱えていました。私は自分不登校だったということもありますが、学校に無理に行くことが美徳だとは思いません。なので、引きずってでもHさんを学校に行かせるHさんの親のことが、すごく嫌な存在に思えました。

 LINEの口調だけで、しかもただの学生だった私でも精神的な消耗が見て取れるHさんに、なんとか休みをとって欲しいと思いました。しか夏休みにも毎日補講があるような学校で、それは容易ではありませんでした。

 1年くらいLINEのやりとりをしながらも、なかなか解決の糸口は掴めず、Hさんが「もう死にたい」「たすけて」と言い出したり、私も私自身の学校へのストレスも相まって、もはや私の手に負えないことをようやく悟りました。

 そこで私が頼ったのは、頼ってしまったのは、当時私が通っていたフリースクールの長・Mさんでした。Mさんフリースクール経営とは別に個人的にカウンセラー仕事もしていました。フリースクールに通わないまでも、Mさんの元へカウンセリングに訪れる遠方の子供たちがいることは知っていたので、Hさんのことも救えるのではないかと思いました。

 今考えればこれは最悪の一手だったのですが、その時はこれが最善の一手だと信じて疑いませんでした。

 最初に、私のスマホを通してHさんとMさん通話しました。MさんもすぐにHさんの消耗に気付き、二人の間で一度会って話そうということがすぐに決まりました。私はMさんカウンセリングの腕を知っていましたから、これでHさんは救われると思っていました。フリースクールが開いていない時に二人がカウンセリングをしたらしいので詳しくは分かりませんが、HさんはHさんの親にも(渋々)了承を取り、二週間だけフリースクールに通うことになりました。

 私はこの時点では、まぁそうなるよな、と思いました。Hさんの消耗はしっていましたし、死にたいと本気で言っているHさんをMさんが放っておくわけがないとも分かっていたからです。だからMさんにそういうことになりそうだけど大丈夫?と言われた時も、二週間くらいなら、と思って、わかりました、と答えました。

 しかしHさんは、二週間を過ぎてもフリースクールに通い続けていました。Mさんに聞いたところ、1ヶ月に伸びたそうです。Hさんの状況が改善しないから当然と言えば当然なのですが、私にとって、あれ?と思うようなことが出てきました。

 私はフリースクールでは、みんながカードゲームなどをしているところを離れたところで眺めている、ぐらいの立ち位置でした。みんなでテレビゲームをする時には私もプレイできるのですが、当時のブームカードゲームでした。私は家族ゲームに対する理解があまりなく、スマホ無料ゲームならまだしも、お金を払ってカードゲームを買うということは許されていませんでした。

 しかしHさんはすぐに同じゲームスターターパックのようなものを買って、みんなの輪に入っていきました。私は、厳しい家庭で育ち学校を休めず、死にたいとまで言っていたLINE上でのHさんと、フリースクールに通うことに抵抗のある両親からカードゲームを買い与えられ、みんなの輪の中で笑うHさんの姿がどうしても重なりませんでした。

 もちろん、フリースクールで元気を取り戻し、親も辛い時には学校を休むことへの抵抗がなくなったということなら、なんら問題はありません。むしろそう願って私はMさんを紹介し、Mさんフリースクールを紹介したのですから、私が口出しできることではありません。だから、二週間が1ヶ月に伸びたって、その1ヶ月が終われば、きっとこのフリースクールから卒業して、元の「ゲーム友達」に戻れると思っていました。

 しかしHさんは、1ヶ月を年末までに伸ばし、さらにそれを学年末来年末まで、とどんどん期間を伸ばしていきました。私はHさんとのLINEの中で、今通っているフリースクールが私にとってとても大切な場所だということに何度も触れていました。それをHさんも真摯に聞いてくれていたように思っていました。しかし、何年もフリースクールに在籍することになってもなお、Hさんから私に何か言葉があることはありませんでした。

 むしろHさんがフリースクールに通い始めてから、まるで私は用済みとばかりに、今まで築いてきたものが嘘のように、話すことがめっきり減ったのです。

 Hさんを助けられたという達成感もありましたが、その反面、寂しさや悲しさもありました。

 利用されたように感じました。Hさんにとって、私はただ都合よく居心地の良い場所を教えてくれるだけの人だったのでは?と思いました。私にとってフリースクールは大切な場所でした。そんな大切な場所を教えた私が全面的に悪いのでしょうか?と今でも思います。Hさんは真摯で丁寧な人だと思っていましたが、そうではなかったのだと後悔しました。

 フリースクールでHさんが救われていなかったなら、早くどこかに出て行って欲しかった。居心地が良いなら良いで、せめて「ここを紹介してくれてありがとう」とかなんとか、言ってくれたら私だって身を切ってまでHさんを助けた甲斐があったと思えるのに。

 それからもやはりHさんは私に何かを言うでもなく、フリースクールの中にどんどん馴染んでいって、最終的には私と仲が良かった年下の子も、フリースクールイベントにはHさんのほうを先に誘ったりしていました。

 私はフリースクールで楽しく過ごしたかったので、もちろんMさん相談しましたが、「(私)さんはこのフリースクールの中心メンバーから自信持って〜」などと言われるばかりで、Mさんの興味が私ではなくHさんにシフトしたこと悟りました。「Hさんは痩せてるから」「Hさんは親が厳しいから」そんな言葉でHさんを庇うばかりで、具体的に私がどうすれば良いのか教えてくれることは終ぞありませんでした。

 私は完全にHさんに負けたと思いました。社交能力がHさんのほうが高かったと言うだけの話ですが、だとしてもせめて、私とあなたが膨大な時間を使って話しをしたことを忘れないで欲しかった。だけど、Hさんは私とは感性の違う人間だったから、早々に切り捨てられて、私の願いは叶わぬまま、私はフリースクールから足が遠のきました。

 あれから何年経ったのかよく分かりませんが、そんなことがありました。Mさんもっと立ち向かえばよかったのか、そもそもHさんを助けなければ良かったのか、未だに、Hさんとどうすれば良かったのかが分かりません。多分、ふとした瞬間に思い出すのは分からないままだからです。

 既にHさんともフリースクールとも袂を分かっているので、解決をしようにもできません。ですが、感性の違う人間に振り回された時、泣き寝入りするしかないということに苛立って仕方がありませんでした。

 こうしてことの顛末を全て書いたものが誰かの目に触れることで、スッキリできるといいなあ。

 おわり

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