http://anond.hatelabo.jp/20140312225618
おれこれ書いたものだけど、やっぱり言ったとおりだ!と思うと同時に泣きたくて泣きたくてしょうがない。
もう構造的にどうしようもない。こんがらがったタコ糸でほどきようがない。かといって糸を切るハサミもない。ヒーヒーいいながら糸を歯で噛みちぎっても、あまりに膨大な糸がからんでるから一本一本噛みちぎってたららちがあかない。そもそも噛みちぎる気力のある人がもういない。
STAPだとか小保方だとか早稲田だとか、そういう話題になるし、たしかにそれらは酷いけども、それだけじゃないんだ。
もう本質的に日本の科学のシステム、特に生命系(嘘やインチキがバレにくい)はどうしようもない状態だ。理研が全然動かないのはなぜか?黒幕がいるから?違う。
黒幕なんていない。もう構造的に動けない。にっちもさっちもいかない。動いたら負けだから。何か言ったら負けだから。負けたら二度と復活できない構造だから負けるわけにはいかない。だから、動けない。動かない。
研究者にも家族はいるお金はいる。だから動けない。正義感をつらぬいてジリ貧になるより、正義感をおさえて生きる道を選ぶ。その選択を責めることはできない。
理研の中にだってまともな人はいる。けれども、そのまともな人が犠牲になることがわかって担ぎ上げることができるだろうか?
小保方の出現は必然だった。突然わいてでたわけじゃない。マグマが地表をわってでるように、地中で溜まってたんだ。小保方をどうにかしても、違うところからマグマはふきでるだろう。そして、残念ながらマグマの噴出をとめることはできない。もう始まってしまったから。
マグマに飲み込まれることがわかっているのにどうしようもない。
どんなに悔しくても、悲しくても、どうしようもない。救うことができない。
自殺者に後ろ指をさして、「私も自殺願望あるけど、あんなふうに人に迷惑をかけるような死に方はしない」とか言ってる「自殺志願者」がいて笑える。
くっだらねえ。どうせお前の遺体の処理だって誰かがするんだよ。
「誰かトラックで轢いてくれないかな」とぼやく人もいる。それむしろメーワクでしょ。だって、運転手を犯罪者に仕立て上げることになるんだから。
飲酒運転や通り魔殺人のニュースを観て、「私が代わりに殺されてあげたかった」なんて言う人もいる。そんな簡単に「誰かの代わり」になんて、なれるわけがない。
その、犠牲者を安易に「かけがえの『ある』存在」にしようとする思考、もう目も当てられない。
自分もそうやって事故や事件で死んで、「自殺を選ばなかった強い人、罪もないのに事故や事件で命を落としてしまった可哀想な人」になりたいってだけなのだろう。
それってとても傲慢じゃないか。
と考え、やはり自分は弱者であり「甘えている」と叱咤される側の人間にすぎないことを最近自覚した。プライベートと仕事の時間をバランスよく取ることはどうやらこの国は難しい事らしい。雇用の安定性を諦めるなら両立は容易いが、正社員という身分でなくなるのは将来に大きな不安の影を落とすようだ。将来、不安、将来、不安、将来……といった単語の頻出度ときたら。
終身雇用制が崩壊している現在でも「正社員」は雇用が安定しているという点においてはとてつもない魅力のようだ。福利厚生・ボーナス・退職金等など正社員でしか得られない部分も大きい。
しかし会社にはよるにしても、場合によってはプライベート(個人的な時間)の大部分を犠牲にしてまで労働することを要されるのは酷である。それに応じられなければ正社員という身分を諦めるしかない。己が良いと思った会社に出会えるまで会社を転々とするということも許されない状況は(転職回数は少なければ少ないほど有利である)、労働者にとって地獄だ。
「ワトスン、これを読んでみろよ」
「なんだいこれは、手紙か?」
「ただのいたずらじゃないのか」
「少し考えてみようじゃないか。まず雨のくだりについてだ。外で雨が降っていることと、雨が降っていないことは、はたして両立するだろうか?」
「雨が降ることと降らないことが同時に起こるなんてありえないだろう、ホームズ。これはあえて矛盾した文章にしているんじゃないのか」
「いいや違うぞ、ワトスン。雨は全世界で降るわけじゃない。ロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない」
「そうか。確かにそのとおりだ。雨が降っているのと、雨が降っていないのは、両立しうるわけだな。でもそれは何を示しているんだ」
「いまはまだ分からない。焦らず次に行こうじゃないか。ワトスン、君はミスター義経を知っているかい?」
「いや、知らない」
「そうだろうな、源義経は日本の歴史的な英雄の名前だ。百科事典を取ってくれ。…ありがとう。源義経については…こう書いてある。源義経は1159年に生まれ、1189年に没した。日本の平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、源一族の将軍である。天才的な戦術家で、時の支配者を倒したが、悲劇的な最期を遂げ、そのおかげで日本では今でも非常に人気がある。…義経はさしずめジャパニーズ・ナポレオンというわけだ。よしよし、繋がってきたぞ」
「だがホームズ、地域・時代・性別という、三つの理由によって、源義経の母親がナポレオンということはありえない」
「もちろんそのとおりだが…おや、これはどういうことだ」
「どうした?」
「源義経とチンギス・ハンが同一人物だという説があるらしい」
「モンゴル帝国のか?」
「そうだ。チンギス・ハンが生まれたのは1162年頃と言われているから、少なくとも時代は一致している」
「ワトスン、こう考えてみたらどうだろう、源義経はチンギス・ハンの事績が日本に伝わったあと、遡って生み出された存在なんだ」
「まさかホームズ、君は源義経という人物が存在しなかったと言いたいのか」
「あくまで仮説だ。だが、この源義経という人物の生い立ちは、あまりはっきりしないらしい。架空の人物である可能性は高いと思う。他国の人物を自国の人物として歴史に取り込むことはよくあるんだ。マケドニアのアレキサンダー大王がペルシャでイスカンダル双角王になったりね」
「ふむ、わかった。じゃあ源義経がチンギス・ハン伝説から生み出された架空の人物だと仮定しよう、するとどうなるんだ?」
「義経とチンギス・ハンの関係と同じだと考えるんだ。チンギス・ハンはナポレオン伝説から生み出された架空の人物なんだよ」
「君がその目で見たわけじゃないだろう。チンギス・ハンも謎の多い人物だ。当時、モンゴル軍を率いた王は確かに存在しただろう。だが歴史に書き記され、後世に記憶されている、我々が抱くチンギス・ハンというイメージは、実在のチンギス・ハンとは異なるんだ。同じく天才的な将軍であり、ヨーロッパ全土に脅威をもたらし、広大な帝国を作り上げたナポレオンと混同されて、チンギス・ハンという新たなキャラクターとして生み出された。そのような可能性は否定しがたいだろう」
「いや、ありえない、それは受け入れられないよ、ホームズ」
「ワトスン、さっき君は、源義経がチンギス・ハンから生まれた架空の人物であることを、あんなにあっさりと認めたじゃないか。だったら同じ理由でこちらの説も認めるべきじゃないか」
「…わかった、わかったよ。ナポレオンからチンギス・ハンが生まれたかもしれないことは認めよう。だがそれでも、ナポレオンは女性じゃない、母親にはなれないぞ!」
「ナポレオンが男性か女性かを確かめた人間はいないよ。もしかしたら男装した女性だったかもしれない。ナポレオンを描いた肖像画はどれも髭が生えておらず色白で艶かしい」
「いや、でも、信じられないよ」
「もちろん信じる必要はない。ワトスン。ロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない。我々はナポレオンが男であり、チンギス・ハンと源義経は別人だと信じているけれど、別の視点から見れば、ナポレオンは女で、彼女からチンギス・ハン、そして源義経が生まれてきたのかもしれない。この手紙の送り主はそういうことを言いたいんじゃないかな」
「いろいろな見方があるということかな」
「そうだ、別の視点から見れば、私たちも二人とも男になってしまうかもしれない。いまとは逆に二人で探偵をやっているなんて想像はどうだろう」
どっちが上扱いなのか気になる
いわゆる「姫」って、ネットでのちやほやを覚えてからそういうキャラを作り始めるパターンが多い。
20歳過ぎて、もっと行くと結婚して主婦になってから姫キャラを始める人だっている。
姫を始めてからそれほど年数が経ってないんだと思うよ。
よーわからんが、医者とカウンセラー以外に話を聞いてくれそうな相手としては、自助グループなんてのがある
ネットで「摂食障害」「過食」「自助グループ」あたりで検索すればそれらしいのが出てくるんで、ちらちら覗いてみたらどうか
なお自助グループ内でも、変な情報撒き散らす奴とか、人間関係のウダウダとかはあるという噂なので、まあ過剰な期待はせんように
ふたなりは単に女性に男根をプラスしただけのものだからいわゆる男の娘とは正反対だと思うよ。
美少女の方に感情移入したい!美少女がいろいろされて感じてる感覚を想像したい!でも女じゃないから膣に入れられる感じとかそういうの全然わかんない!アナルの感じは膣とは違いそうだし!
→そうだ、美少女も自分と同じ体の構造をしてればいいんだ!それなら簡単に想像できる!
って感じなんだと思ってる。