はてなキーワード: 子供の人権とは
勘違いしないで欲しいが、「女」という性そのものが悪いという話はしていない。
現状の「女の文化」(つまりそれはジェンダーバイアス社会が生み出したものでもある)に問題があるという話をしている。
だから、「女」という性でも、「女の同調圧力がきらい」という個人には全然問題はないし、そういう人は同じような批判を女の側からしているのをよく見る。
しかし、そういう「女」は、残念ながらびっくりするほど女の中で発言権がない。SNSでいうなら、まったくRT等はされない。(どうやってそれを見つけるか? エコーチェンバーに籠らず、個別の問題についてキーワードをまんべんなく検索してみるという地道な見識の広げ方をしていればいくらでも見つかる。)
つまりここが問題なのだ。現状の「女」というコミュニティがもつ同調圧力、そこで無批判に培われるある言論の傾向、そういうところに明らかに問題がある。
「女」の自称リベラルが差別を広げる問題の原因は主に以下のようなところにある。
これらは、「女」という性とイコールではないが、傾向として明らかに現状の「女」文化の影響があるといえる問題点である。
結果として、「女」の関心に比重がおかれるようになった現状の「リベラル」運動は、歴史を忘れた差別的な主張が平気で通る有様になっている。
これらは一例でしかないが、このように、人類が歴史上培ってきた「弱者の保護」を全部ひっくり返してゼロベースで書き直すような暴論を平気でやるのが昨今のSNSを中心に広がる「リベラル」運動の問題である。
一方で、男社会だった「オールド左翼」にももちろん問題はある。(学生運動の中で「女はサポート」として炊き出しや繕い仕事をする役目を与えられていた例など。)しかしこれはまあ、世代交代とともに消えつつあるものでもある。
繰り返すが、現状の「リベラル」の問題が「女」の参画によって出てきたものであるということは、「女を排除すれば良い」ということをもちろん意味しない。
ジェンダーバイアスをなくすということは、「女の文化」というものとも戦わなければいけないということである。
「女性誌」を見よ。ファッション、コスメ、芸能、恋愛、占い。そんな話題でページが占められている。
「少女漫画」を見よ。主人公は美少女でなければならず、また美男子と恋愛をしなければならない。少女がただ仕事や部活に精を出すだけの漫画は、少年漫画と違って存在を許されていない。
SNSを見よ。「女の話題」は芸能人やら子育てやら「推し活」やら。ただ学問や仕事の興味をつぶやくだけの女は、いても「女コミュニティ」からは存在を無視される。
「女」が「女」(ジェンダーバイアス社会で、無知な側という地位に落ち着いて生きた「女」)であること自体を否定し戦わない限り、本当のジェンダー平等なんてある得るはずがないのは、合理的に考えれば明らかである。
「有害な女らしさ」とでも言おうか。
「価値観のアップデート」とは、これまで人類がひとつひとつ改善してきた差別問題もすべてなかったことにして、ガラガラポンで「弱者ランキング」を一から書き直すことなのか?
そんなわけはない。女性だけが不当に貶められてもいけないのと同様に、今まで弱者であったものを突然弱者でないと見なすような暴論もあってはならない。
現状のリベラルの問題をより一般的にいうならば、大衆化、ファッション化(歴史の忘却)、無知化(非学術的な感情論の横行)が急速に進んでいることにある。これは(無知な側という地位の)「女」文化を、それ自体進歩させずにいきなり「リベラル」の優先順位の上位に上げてしまったことからくる問題に他ならない。
性差別は、他の差別問題と排他的に選ばなければ解決できない問題ではない。「今は女性問題が話題だから」で他の差別問題を軽視するような「リベラル」などあってはならないし、こんな状況を野放しにしていては、いずれ全体的な問題意識は、性差別含め悪化する方向にしかいかないだろう。
願わくば、「リベラル意識の普及」が「社会全体の知性の底上げ」という意味になって、「バカに合わせる」方向には行かないで欲しいものである。
予言しておくが、こんな言葉は「リベラル」には届かないだろう。
彼らは痛いと思ったら無視するし、どこか隙が見つけられたと思ったらそこをせめて言葉尻を取り誤摩化すだけだろう。
「女の問題を口実に「部落差別」や「地方差別」「子供の人権無視」を肯定するな」と言っているだけなのに、彼らは自分のそういう傾向には一切反省をしようという考えをもたないだろう。
「外国人との結婚が破綻した日本人妻が子供を日本に連れ去り返さない事件が多発している。これは拉致である、犯罪である、子供の人権侵害である。日本も批准しているハーグ条約違反である。先進国並みの共同親権を早急に認めよ」という欧米諸国からの。
この外圧を共同親権を導入せずに済ませるルートはおそらくあった。子供を連れ去った日本人(妻であれ夫であれ)を犯罪者として処罰し親権を剥奪するという法の運用を日本が行えば。
「共同親権の導入は我が国固有の歴史と文化から難しいのでございます。しかしながら、貴国の訴えを最大限尊重いたしまして、今後は外国から一方的に子供を連れ去った日本人親は誘拐犯として懲役刑に処します。刑務所に入っている犯罪者に子供の養育は不可能ですので、子供は外国人親のもとに返されます。共同親権ではないですが、子供を奪われたと貴国に訴えている外国人親の望んだ結果が実現いたしますので、これでどうかご容赦いただけないでしょうか?」
このように交渉して単独親権のまま外圧をかわすことはできたはず。
共同親権反対派は、敵は外国人DV夫や保守政治家や統一教会だと思い込んでいたようだが、日本に外圧を招いた犯罪者である日本人妻こそが本当の敵であることに早く気付くべきだった。
賛成というか、そうならざるを得ないだろうなあ
今もネット上では言われてるけど、子育てを強制されない権利っていうのは、いずれ重要な権利として主張されるし社会としても認められるようになると思う
そうなると誰が子育てやるの?って話になって、①子育ては公務員化する、
②子供の人権の方を落としてめちゃくちゃ適当な育児でいい、子捨て間引きOK
のふたつの道になると思う
今までが保育園とかシッターとかで①に近い道だったけどそれも効果がないとなると、②の子供の人権制限が入ってくるはず
軽い人権制限なら、平成初期くらいの適当な育児ok、だろうし、重い人権制限だと子供を売買の対象にするまで行くはず
国家による完全保育は金がかかりすぎておそらくなされないと思う
あと、カナダが安楽死の範囲を広げているという話が話題になっているが、おそらく行き場をなくした子は安楽死が取られるってこともあり得そう
これぞ間引きだわね
女性の人権を制限して子育てに集中させるのは?という意見も出そうだが少子化社会で女性は貴重な労働力なので女性の人権制限には向かないと思う
働かなくてもいいから育児してというのは人口が増えたたり相当豊かな国じゃないと無理
ひょっとすると田舎の女性は子供五人育てたらもう働かなくてもいいくらいのお金がもらえるということはあり得ると思うけど
とはいえしばらくは中国除いたどこの国も大筋は変わらないんじゃないかな
ここがどう動くかで今後が決まると思う
中国は子育ての義務化に動きたかったけど、それは無理だとわかってそうなので、国家による子育ての養育に舵を切ると思う
そうなったらよその国も真似るんじゃないかあと思う
「母親やめたくなる人も増えちゃうかも」…厚労省が示した体罰の指針案に親たちは「線引き難しい」(FNN.jpプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191206-00010000-fnnprimev-soci
親が楽するために手っ取り早く子供を殴らせろ、子供を放置させろ、子供を危険な目に合わせてもごちゃごちゃいうな、っていうのが日本の親