会社関係で知り合った彼氏と、仕事の関係で遠距離恋愛を2年した後に結婚した。
遠距離恋愛成功の秘訣は?と聞かれるので、ありていに説明するとこんな感じ。
・朝はどっちかがメール屋電話で起こす。何があっても夜はお互いお休み、と電話して寝る。電話は毎日2時間くらい。
そういう話をすると、だいたい遠距離恋愛している人の目が死んでいく。
自民党が知ってるわけない(多分)のに
さすが自民党が候補者にするだけはあるみたいな論調のブコメするアホなんなの?
会社の年上の先輩(サブカル系メガネ)と良い感じになったので数回デートした。
1回目のデートで「終電なくなっちゃった。家に泊らせてよ」って言ってきて、「チャラいわ!」って言ってホテルに押し込んで帰り、
2回目のデートでさりげなく手を繋いできて「チャラいわ!」と手をほどき、3回目のデートで呼び捨てされて(チャラいわ…)ってシカト。
意外にも。付き合ってしばらくはとても大人しくてコトに進まず(チャラメガネのくせになぜ…)ってだんだんじれったくなってきた。
そして、終に「最初の一連のあのチャラい行動はなんだったの?なんで手を出さないの!?」って聞いたら、最初はごまかしてたんだけど、「慣れてる方がかっこいい感じがするじゃん」という意味不明な供述をし始めた。
後で知ったんだけど、彼は女の子とデートするのが初めてだったそうな。それで、デートに慣れている自分を演出したくて背伸びをしたらしい。何それ。
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はてなー「はぁ?会社は社員が働いた分ちゃんと払うべきでしょー???」
はてなーがブラックブラックうるさいのって自分自身がブラック人材な上に自己チュークズ野郎で世界が歪んで見えてるだけなんじゃないの?
冷静なリーダーに諭されて周囲を見て、
仲間たちが既に限界を迎えていることにようやく気付き、
涙を流しながら降伏を受け入れる…
みたいな展開はテンプレになってる気がする。
時間は昼の14時頃,雲のほとんど見られない快晴の青空の下,立ち並ぶアパートのゴミ収集場所として機能しているであろうラックの一番上,天板部に僕は「それ」を見つけた。
僕は上背がある方だが,そんな僕の鎖骨くらいでやや高いラックなので,普段であればさして気に留めないようなスペースだ。
そのラックの前を通り過ぎるとき,視界の端が「何か」を捉えた。
1秒もないような時間の中で情報として飛び込んできたのは,XJAPANのギタリストだった故人HIDE氏を思わせるビビッドなイエロー・ホットピンク,そして巨乳ロリという文字,いや,記号だった。
嘘偽りなく,横を通り過ぎたその瞬間には僕は「それ」が何かを認識できていなかった。
だから,強烈な配色も,そこに書いてあった文字も,果てはそれが本であったかすらきちんとわかっていたかは定かでない。
ただ「何か」があるということを僕の本能が感じ取ったことは真実であり,しかして10メートルほど歩いて脳内の処理が終わった僕は足を止めた。
頭の中にあったのは「それ」に対するwhatではなくhowであった。
まず,一つ目の理由であるが,稀有なシチュエーションであることそれ自体が僕を高揚させた。
助平なコンテンツを摂取せんと思えば電子の海にROCKET DIVEして有料なり無料なりのものを存分に堪能し,己が欲望が具象化した白い恋人を限界破裂させれば良いのだ。
そんな時代に,「その種の本が落ちている」という場面に遭遇することの衝撃を考えてみてほしい。
さながらポケベルを使って連絡を取る人とすれ違ったような感覚である。
既に述べたようにデジタル時代を迎えているわけだから,この領域で最も勢いのある表示形式は動画であると言っても過言ではないだろう。
そうした世相において本に出会うという現実は,既に非日常である今この瞬間を一層特別なものにした。
たしかに動きや息づかいを知覚できる動画は簡単に臨場感や興奮を与えてくれるだろう。
しかし,静止画だからこそ得られる視聴覚を超えた別次元の感覚,シックスセンスやイマジネーションと呼ばれるような扉の向こう側の感覚は,男をイージートゥワッチ・イージードゥダンスな易きに流れた存在から,一皮剥けた存在へと押し上げてくれるはずなのである。
そう,「あれ」には可能性がある。
歴史を振り返ればいつだって流行は最新技術とアナログなものとが行ったり来たりしているように,動画ではなく,パソコンの画面でもない,本との出会いはかつて読書家だった幼いころの僕を,今も電子書籍にはどこか馴染めないでいる幼い頃の僕の名残を呼び覚ましてしまった。
これらの理由から,僕は今臨んでいるこのあまりにもアナログで古き良き光景に魅せられきっていて,趣さえ感じている。
極力性的なものを近づけないようにと努めてきたが,作用には必ず反作用があるもので,そう,有り体に言えばムラムラしていた。
三つ目の理由はそう,春の日差しが心地よかった,ただそれだけである。
とにかく,僕の頭は落ちていたブツが何かを理解すると同時に,どのようにミッションを達成するかに切り替わっていた。
とりあえずということで一度地図アプリなりなんなりで調べものをしている風を装って後退し,目標物が本当に僕の認識したとおりのものであったのかを再確認する。
横を通り過ぎがてら目視し,間違いなく想像通りのもの,それも2冊あることを確認して一度道を大きく引き返す。
近くの個人商店で少年ジャンプがフライングゲットできるのでまずは購入,もちろん手提げ袋をお願いして,だ。
今日の鞄は最低限のものしか入らない小ぶりのもの,したがってターゲットを収納することは能わない。
もしジャンプを買うことでもらえるビニール袋が十分に大きければ収納は可能であり,小さくともジャンプを買うことができるということで,最初の作戦はローリスクハイリターンだ。
結果として袋が小さく作戦は失敗に終わったが,回収のチャンスが人目のないほんの一瞬であることを考えるとすぐに次の作戦に移る必要があるだろう。
思わず上着を脱いだところで,これだ,という閃きが訪れた。
上着の中に包み込んでしまうのだ。
今日着ていたのは薄手ではあるがダウンなので内容物の輪郭もカモフラージュしやすい,古典的ではあるものの効果的な方法だと言える。
これで準備は整った。
あとは人通りのなくなった瞬間を見計らって,計画を実行に移すだけである。
ドクン,ドクン,と胸が高鳴った。
かつて多くの漢たちが同じ死線をときにくぐり抜け,ときに散っていったのだろう。
昂る感情とは裏腹に,頭の中は静かにフル回転し,スパイやエージェントのような気分になる。
最高に,スリリングだ。
かくして雷光の如き手さばきで勝負を制した僕は,興奮冷めやらぬままにしばし歩いた。
アドレナリンが大量に出ているのを感じる。
周囲の音や普段目につかないものがよく見える,今,間違いなく僕の脳は活性化しているのだと断言できる。
中身がどうという話ではない,「道端のエロ本を拾う」という体験を楽しむのだ。
よもや20代中盤にもなりこのようなイベントでここまでテンションが上がるとは思ってもみなかったが,「エロ本を拾う」という事象は男を童心に返し,心身ともに研ぎ澄ませ,スリルを提供してくれ,そして獲物はどんなものだったろうと心を躍らせる,そんな狩猟本能を呼び覚ますはたらきがあるのかもしれない。
ひとしきり歩いて人目を忍べる場所を見つけてから,ついに報酬とご対面である。
上着の包みを丁寧に開き,逸る気持ちを制しながら手に取ったその本。
なんと,2冊ともダイジェストDVDがついているタイプの本であった。
趣とは何だったのだろうか。
交換留学でアメリカにいた時、単位がたりなくて美術の授業をうけていた。
アニメとか好きで、絵を描くのが趣味だったから、若干腕に覚えはあったんだけど、美術コースの中じゃずば抜けてうまくて、そのクラスでは人気ものになった。
美術とかに興味がある人がそのクラスを受けてるのは当たり前なんだけど、みんなすごく絵がうまいことを好意的に受け止めて、褒めてくれた。それがすごく新鮮だった。大学とかじゃ、隠れてコソコソ絵を描くのが関の山だったし。
それから、最後の授業で「私、これを買いたいの。いくらなら売ってくれるかな?」っていつも褒めてくれた女の子に言われて、びっくりした。
オウムの油絵だったんだけど、5ドルで買ってくれた。自分の絵に値段がついたのなんて初めてだったし、本当にめんくらった。
その後、夏休みに教授のひきあいで、教授主催の美術展に描いた絵を飾ってくれて、しかも何枚か売れた。
ガルパンのプラウダ戦にしろアイシールド21の白秋ダイナソーズ戦のような
主人公チームが相手チームからの降伏勧告に対して突っぱねるシーンはよくあるけど、
たくさんのブコメどうもです。
そもそも思いついた発端がガルパンのプラウダ戦で、トーナメントという1敗もできない状況での降伏勧告を想定してしまったから他が思い浮かばなかったけど(それでも話が止まることはないな)。
戦争物とかは負けてもそこで終りじゃないか。
同情されたり構ったりされたいわけじゃないが、何一つ苦労なくのうのうと生きてるから手荒に扱っていいみたいに思われるのも癪だ
「俺も大変だがあいつもそれなりに大変らしいな」って程度に思ってそっとしておいて欲しいだけなのに、どうしてその中くらいが難しいのか