はてなキーワード: 湯葉とは
いわゆる平天とかさつま揚げといったああいう種類のものって子どもの頃から好きだった?
自分はそうでもなかった 嫌いでもないけどあってもなくてもいいものの代表だった
肉とも魚ともつかないほの甘いもので、食事のメインにするには微妙かなって
でもある一定の年齢を超えたら突然しみじみとうまいなあ…と思うようになってしまった
世の中にこんなに油と相性のいい野菜があったのか!?
って衝撃受けるくらいうまいと思うようになった ナスほんとにうまいな
「おつまみ」という選択肢が増えたことも理由の一つのような気がするけど
酒はそもそもあまり飲まないし、単純に味覚や好みが変化したんだろうなと思う
(7.10 20:25追記)------------------------------------------------------------------------------------
たくさん反応があってびっくりした
教えてくれた方々ありがとうございます やっぱり味覚の変化ってあるよね
共通点や傾向がある一方で本当に人それぞれだな~って思うものもいっぱいあってすごく面白い
人によってはその転換が正反対なこともあるだろうし、ほんとに千差万別で楽しい
それでもブコメやトラバを読んで、おおまかに大人になってから好きになるものの傾向として
薬味やハーブ、山菜、香辛料、他に香りや臭みの強い食べものなんかが当てはまるのかなと思った
逆に味がそんなにしない食品もそうかな 豆腐とか湯葉とかこんにゃくとか
ということがわかると同時に「好き」に傾いてくるのかも
納豆は小さい頃ひき割りしか食べられなくて、今は大粒じゃないと物足りない
味の好みは変わるけど食感の好みってそんなに変化がないような気がする
好きな食感は増えても嫌いな食感は嫌いなままというか、
自分は貧乏舌なのでなんでも美味しく食べられるし、48円で200gの豆腐で満足していた。
寒くなってきましたね。
こんな寒いときにはお湯に昆布出汁を取って絹ごし豆腐を入れるだけで体の芯からぽっかぽかな湯豆腐。それに、芋焼酎のお湯割り。
やっぱこれだね。
食事を安くおいしく済ませたい自分にとって湯豆腐、水炊きなんていうとりあえずぶっ込んで美味しくいただける料理はスターダムで、湯豆腐なんて昆布出汁の素とか、出汁の素とか、コンソメとかがあれば50円もかからない自分にとっては寒い時期のエース料理なんだけど、職場の先輩と京都のほうに打ち合わせに行った時に「ええもん食わせたるわ!」とおごってもらったのが湯豆腐。
自分としては普段そんなに油を取っていないので先輩におごってもらうならラメーンとか焼肉とかがいいなぁと思いながら先輩の「ほんとハマるで」と言ってちょっと高級そうな5000円ぐらいする湯豆腐(もちろん豆腐だけの値段じゃなくて天ぷらとか田楽とかがついて)をごちそうになる。
うん、豆腐ってスゴイ。
自分が普段食べていたのは豆腐じゃない。豆乳を固めただけの何かだ。舌触りがまず全然違う。コシっていうのか、豆腐のくせに噛みごたえがある。まるで柔らかい鶏肉でも食べてるんじゃないかっていうぐらいの噛みごたえ。そのくせ、プツッと噛み切れて口の中にホロホロと茶碗蒸しのように崩れて、広がるのは大豆の旨味。
「大豆って本当に畑の肉なんですね」
豆腐がこんだけうまいと田楽もうまい、湯葉もうまい、天ぷらも全然くどくない。焼酎も進む。
異質な体験だった。
今年も寒くなり、湯豆腐を食べてるけども、やはり安い豆腐っていうのは安いんだ。
このまとめを読んで思ったことをつらつら書こうか……と思って帰ってみたら大幅に補記されてる! でも全部読み通す気力はないので(ごめん!)、とある更新部分までを読んだ段階での、生煮えのおれなりの感慨を書く。
おれもカクヨムで小説の大賞を狙って投稿した人間だ。ジャンルは「恋愛・ラブコメ」だった。
おれは結果としてカスリもしなかったようだ。でもおれは大賞を取った作品に対して、是非はクリエイティヴな「批評」として論じたいが、読まれた功績は素直に認められる。負け惜しみとか妬みとか嫉みとか、そういうものはない。
何故なら、おれは全力を出し尽くしたからだ。おれの持てる全ての力を振り絞って、作品に対して集中して書き切ったからだ。
おれもウケを狙ってショートショートを書いてみたりしたよ。カクヨムではそういうのもウケるみたいだからな。でもボロクソに言われた。
言われたことももちろんショックだったんだけれど、おれがショックだったのはそういう批判ではなく(批判する権利は誰にでもある)、その批判に応えられなかったからだ。作品がその批判に対抗出来る力を持っていないと思ったからだ。安直な動機で書いたことを見抜かれたからだ。
読者は貴重な時間を費やして読んでくれるんだ。批判もまた、その好意の裏返しだ。それに対してきちんと応えられないウケ狙いの安易な作品を書くことがどれだけ下らないことか、その時良く分かったよ。
逆に言えば、批判/否定されてもそれに応えられるだけのものとは、大賞の受賞を逃しても納得出来るだけの、自分は精一杯全てを出し尽くしたと言い切れるもののはずなんだ。おれは大賞を狙った十万字の小説に対してそれだけの情熱を注げた。それは断言出来る。
おれは読んでないからなんとも言えないが、イスカリオテの湯葉さんの作品もきっとそれだけのありったけの力を振り絞って書いた作品なんだろう。だから読まれるだけの力があるんだろうな。それは結局実力の差、あるいは時の運、その他諸々が絡み合って出された当然の帰結なんだ。
おれは『カッコーの巣の上で』という映画が好きだ。あの映画で、閉鎖的な病院から抜け出すべく水飲み場の台を持ち上げて窓ガラスを壊そうとするマクマーフィという男が登場する。そいつは結局その水飲み場の台を持ちあげられない。でも、最後にひと言言うんだ。「でも努力はしたぜ/チャレンジした」と。
おれの今の心境も同じだよ。おれは努力した。全力を振り絞って書いた。なけなしの力を、これ以上ないというほど、血を吐くような思いで書き切った。だから、落選したが、ボロクソにも言われたが、不思議と傷はついてない。むしろ爽やかな気分だよ。やり切った、って充実感/達成感がプライドとして守ってくれるからな。
おれは努力した。燃え尽きたよ。これからまた小説を書くのかどうかは分からないが、おれはカクヨムという場は好きだ。だから撤退はしない。
っていうことを書こうと思って(そういう部分だけ読んだんだよ!)家に帰ったら、なんか怒りをこじらせた挙句の果てにご覧の有様だよ! でもここまで考えたことをムダにはしたくないので、敢えて増田で書き捨てる。ごめんな!
一日一食はとても素晴らしい。
今まで食欲が無かったのは、朝と昼を食べているからだと気づいた。
一日3回も食べてれば、何を食いたいとかなくなる。
お腹が減った状態で買い物に行くと、今日は何を食べようかなとワクワクする。
当たり前だけど、3回食べるより1回のほうが食費が安く済む。
夕飯は、1000円買っていいことにしている。
それでも食費は3万円で済む。
天ぷらに湯葉にセブンゴールドにプレミアムビール、うまい棒プレミアムでも1000円だ。
なかなかの充実感がある。
これを夜中、増田をあてにしながらちびちびやるのが何よりの幸福だ。
今までなんで3回も食べていたんだろうと後悔する。
1回ならご飯はこんなに楽しいのに。
夕飯いっぱい食べたら太るだろうと思うけど、すごく痩せる。
同僚は今日も豚のように昼飯を食べている。
美味しいとか何も言わず、一度も箸を置かない。
きっと食べてない時の手持ち豚さに耐えられないのだろう。
俺は水を飲んでいる。