はてなキーワード: カップヌードルとは
コンビニのカップめんの棚のまえで立ちすくんでさんざん迷ってしまい、途方に暮れた末に、結局カップヌードルカレー味にしてしまうことがよくある。最近はそば系のやつとかもよく食べるけど、カップヌードルのたまに帰ってきたくなる感は異常だ。
その中でもカレー味が1番好き。昔カップヌードルに入っていたよくわからない立方体の肉の塊、ネット上での通称「謎肉」はカレースープによく合った。いまは「コロチャー」という別の肉になってしまったけれど。いまのも別に嫌いではないんだけど、やっぱりあの肉がまた食べたいという気はする。(調べるとライトやリフィルのほうにはまだ入ってるらしいのだが)
カップ麺の世界も競争が激しくていろいろな新商品が出ては消えていく。その中でよく見るのが「生麺そっくり」というような、本物のラーメンと比べて遜色ないことを喧伝する謳い文句だ。あと有名ラーメン店とのコラボ商品とかもよく見かける。ふつうに鍋でゆでるタイプの袋麺をめぐる状況もだいたい同じ感じで、マルちゃん正麺という商品がヒットしてから、より生麺っぽい乾麺を目指す技術競争が加熱してきたようにおもう。
しかし、これだけ各社が技と工夫を凝らして新しい麺を開発してるのにもかかわらず、(他のカップ麺と比べれば相対的に値段が安いとはいえ)カップヌードルはこんにちに至るまで淘汰されず、同じ味を守りつづけている。他のインスタント麺が「まるで生麺!」とか「行列のできる店の味!」とかばかりにこだわっている中で、カップヌードルの姿勢のあの揺るがなさ。堂々たるものである。
それは、カップヌードルが自らひとつの評価軸になってしまったということを意味するのだろう。チョコレートやポテトチップスやコーラは日本人の記憶の中では比較的最近登場した食べ物だけど、チョコレートやポテトチップスやコーラをようかんやおせんべいやほうじ茶と比較しておいしいとかおいしくないとか言いだすひとはいない。チョコレートはチョコレート自身なのであって、他の甘いお菓子とは別のジャンルを確立しているからだ。それと同様に、カップヌードルはラーメンではない。ラーメンや他の麺類とはまったく違う、異質の食品が20世紀後半のある時期の日本に突然発明されてしまったということが重要なのであって、この一点においてカップヌードルの偉大さは他のカップ麺と比較できるものではない。
そういう食べ物って他に考えられる? いまちょっと考えたけど、乳酸菌飲料とかはそうかもしれない。ヤクルトとかおいしいとおもうんですよね。
後発のインスタント麺はしょせんラーメン的イデアの似像に過ぎないので、王道っぽいしょうゆ味やとんこつ味が多いし、カップの形からしてだいたいがどんぶりを模した横長だ。対してカップヌードルは非ラーメンなので、カレーとかチリトマトとかクリームシチューとか、かなりのゲテモノを投入しつづけ、しかもちゃんと受け容れられている。
そこでおもいだしてみると、カップヌードルCMでふつうの家庭人が家で平和にカップヌードルを食べてる風景というのはあんまり出てこないことに気づく。たいてい宇宙にいくとか南極に行くとかそういうSF。
ここまで考えると、あーまんまと広告戦略に踊らされてただけだったなーという気にはなるんだけど。まあ、それにしたって「カップヌードルという食べ物」のセルフイメージを確立するまでの道のりというのはなかなか平坦なものではなかったろう。
昼食後の事であった。過食嘔吐を抑えていると、久々に殺人衝動が湧き上がる。安定剤の経口により治まりを見せたが、いつにも増してそわそわしていた。気を紛らすため、同室の中原さんと談笑していた。名前は失念したが、昨日話し掛けてきた叔父さんも会話に加わる。叔父さんと中原さんは二人で入院病棟の昔話に花を咲かせていた。しかし、互いの距離を測りかね、間も無く解散する。夕食後、移動売店で購入したカップヌードルを詰め込もうと思ったが、ココアを飲むことで落ち着かせようと知恵を働かせる。ココアを飲み干し、すぐに歯を磨く。が、一度何かを摂取してしまうと、抑えが聞かなくなり、本日二度目の安定剤を服用する。イライラは収まらない。夕食前、読書、WEBでの学習を90分ほど行っていたので、再び手を付けようとするも、読字障害を引き起こし、文字を読むことができない。どうしようもなくなったので、僕はThe Comes「No Side」を子守唄代わりに聞きながら、窓辺にて佇んでいる。大病院の5階から見下ろす冬景色は、僕をより一層苛立たせた。
その後、カップヌードルを食らい、ミルクココアの粉末をスプーン山盛りで掻き込んでいた。自責の念はあったものの、嘔吐をすることはなかった。しかし、精神科病棟というのは、どうなっているのだろうか。過食嘔吐の経験は前以って知らせたはずであるが、どういうわけか、「おやつ規制」の対象となっていない。問診の際、精神医学准教授の診察を受けた。准教授はそこで、「リストカットと過食は若者のストレス解消の手段だからねぇ」と述べていたが、薬によって治療すべきでないということか。私の症状は錯綜を呈しており、診断も付かない状況である。不安ばかり募る。いっそ、死んでしまいたいとさえ思う。
痩せ薬として色々とヤバげな効き目を出すシブトラミン
服薬して、すでに半年以上だが、最近ききの実感がなくなってきたので(飲んでも腹がへる
一気に増量して、効き方を再認識しようとオーバードーズにちゃれんじ
一日の上限が15mgとのことだが
15mg一錠ごとに、5分ごと程度にスニッフ、舌下、経口で摂取
はじめにスニッフするも痛い
刺激っぽい苦みがある薬はスニッフに向かない、と思いつつも
とりあえず頑張るもほとんど鼻水で流れてしまう、薬効実感は希薄
経口で余った粉末と錠剤を服用
この時点での効き方は、胃に何も入っていないのに
一番効きがガクっと来た舌下
初めて服用した時の、視界がグワーッと広がり
お腹いっぱいがかなり強く感じる
食べ物を見ると「気持ちが悪い」になっている
効き方としてベストというか、これ以上無いくらい
痩せ薬として作用している状態に移行
飴、ガム、野菜ジュースなどをのぞけば
最後にまとめて食事をとったのが20時間ほど前(カップヌードル)で
下降線を描く前に、ジワジワと効き始める
目が冴えているというより、目があいてる状態のほうが楽という感じに
GIGAZINEにしてはめずらしくyoutubeを embed タグで動画を貼り付けたエントリだが(いつもはyoutube動画紹介でもスクショのみ)、そういうエントリに限って再生しようとしたら
「これは非公開動画です。この動画を送信された場合は友だちリクエストを受けてください。」
とは悲しすぎだろ。
釣られておきます。普及云々は置いておきます。美味いかどうかについてです。
いかなる状況にあっても、文化として存在するものに優劣をつけるということは甚だ愚かであると思っております。
くだらないと思います。
日本食とは、良質な水を供給できる環境にあってこそ、その真価を発揮することができます。
貴殿が挙げておられる国々では、その食文化において良質な水を使用する割合より、(良質な)油を使用する割合が高いです。
生まれ育った食文化を肯定したいのは誰しも同じです。
京料理と江戸料理でさえ、その使用する水の違いが出汁に影響を与えております。
京料理は昆布出汁が基本ですが、江戸料理は昆布と鰹節を使用します。
水が肝なのです。それは日本酒においても同様です。
旨いとされる日本酒の多くが、まるで水のようだと評されることはしばしばあります。
日本食を美味しいと思えないのはあなたのせいではありません。
いつか味わえる日が来ると良いですね。
しかしだなぁ、いわゆる「先進国」に生きている以上、
何を買っても、何をしても、どうやったって同じことだよ。
私たちはそういう犠牲の上に豊かな生活をしているという感謝を忘れてはいけないけれど、
しかしそれを避ける生活は、もはやできない。
いま、あなたが飲んでいるコーヒーには、プランテーションで働く子供たちの汗と涙が、
いま、あなたが飲んでいる紅茶には、プランテーションで働く子供たちの汗と涙が、
いま、あなたが食べているカップヌードルのエビには、養殖場&皮むき場で働く子供たちの血と涙が、
いま、あなたが使っているマウスには、東南アジアの向上で働く娘さんたちの涙と汗が、
・・・
この辺でやめておこう。
もうさ、こんだけ食べ物に関する不祥事が出てくるとさ、何食べたらいいかわかんなくなるよね。
まぁ、直接的な中毒にならないにしても、ジワジワと健康を害するものを既に山ほど食べてるのかもしれないけどさ。
お金無いから安売りの冷凍食品買い込んで凌ぐか、なんてやってたら冷凍餃子問題じゃん?
サイゼリアって安いからちょいちょい行く、なんてやってたらピザがなんとかかんとか。
あげくカップヌードルまであれだもんね。
最近安すぎるものはなんかあるんじゃないか?と思って敬遠し始めちゃったよ。
あぁ、でも事故米のこと考えたら安くないものも危ないかもしれないのか。
もうここまできたら自分で食べ物作るしかないよなぁ。でもそんなの無理だよなぁ。
じゃあお高い有機栽培たらなんたらの食材買えばいいじゃんっつったって、そんなの続かないし、そもそもそれも必ずしも安全じゃないかもしれない。
もうどうすりゃいいの?って感じ。
一連の食品の不祥事からの一番の影響ってこれなのかなぁ。疑心暗鬼ってやつ?
安全かもしれないものも危ないと思っちゃう。
よくよく考えるなり、ちゃんとした知識を得ればそうじゃないってことも分かるのかもしれないけど、
簡単に目に付くような事例ばかりに接しているとそういうのが見えなくなっちゃう。
もうあれかね?全部を受け入れて緩やかに健康を害していくしかないのかね?
いやはや。
階段を降りると、台所はゴキブリで埋め尽くされてた。電気をつけ、一歩進むごとにゴキブリは拡散していく。まるでコーヒーにミルクを落としたような広がり方だ。次第に黒で埋め尽くされていた台所は、本来の姿を取り戻していった。やかんを洗い、水を入れ、ガスコンロの前まで移動する。移動する瞬間にカサカサという音が広がっていく。恐怖はなかったが気持ち悪さだけは纏わりついてくる。ガスコンロにやかんを乗せ火をつける。半径30センチ以内にゴキブリの姿が見えるが、見てみぬ不利をする。こちらから干渉しない限り奴らは避けていくだろう。カップラーメンが食べられるお湯さえ確保できればそれで構わない。無駄な殺生はしたくない。こうして無事にカップヌードル(カレー)にお湯を注ぎ、3分を待っている間にこれを書き連ねている。さあ、食べるか。