はてなキーワード: タンジェントとは
高校の時、休日に部活にでても給料でないんだとぼやいてた我が弓道部の副顧問が、
弓に穴が開いてないからその分矢がまっすぐ飛ばないんだと言っていた。
たしかに弓道は弓に矢が通る穴が開いていない。なので弓の右側を矢が通る。
ウサインボルトのポーズみたいに弓を弾くんだけど、(上向けないけど)そうすると右手と左手の間が100cm位になる。
弓を的に向かって真っすぐ引いたとき、弓の幅が2.5cmだとして、矢が弓の通る所で中心から1.25cmずれる。(ボルトの伸ばしている手の部分。弓道では押している手で押手と言う)
両手間のずれを底辺を100cm高さを1.25cmの三角形で考えるとサインコサインタンジェント的なヤツで角度は0.71度になる。
底辺を28m角度を0.71度とすると高さは34cmになる。(本当は体の中心から28mだけどあんまり変わらないからそのままにする。)
ということで普通に矢が飛ぶと的から34cm右にづれたところに飛んでいく。はず。(弓道初心者は矢が右に飛ぶ)
それがなぜまっすぐ飛ぶかというと、左手で弓を捻っているからなんだけど、
なぜこんなムズイまま進化しなかったのか謎。
弓道はまっすぐ飛ばないものをまっすぐ飛ばす意味わかんないけど面白いスポーツです。
なるほど、なるほど。完全に理解しました。人の直感を上回る概念の管理者として、24時間365日、人からの問い合わせに答える運用をやっているのがサインくんとコサインくんな訳ですね。サインくんとコサインさんかな?そうすると、年がら年中四六時中、一緒にいる状態のサインくんとコサインさんの関係が怪しくなってくるな。良い方向だけでなく、悪い方向に関係性がシフトしていっても困る。なんせいつでも一緒にいないといけないわけですし。一回いい関係になったとしても油断ならない。一度最高の状態になったら、あとは悪くなるだけだからね。そう言う意味でも第三者の存在が必要なんだな。
そう、タンジェント。タンジェント先輩。タンジェント様がいらっしゃれば、三角関係の完成なのである。点と点、その間にある直線という1本の関係性で閉じない空間の完成。これがサービス上大切になるということですよね。
「元素記号やサイン・コサイン・タンジェント、どこで使うの?使ったためしがない」と橋下徹氏が語ったことについて、話題だ。橋下氏は「最低限学ばなきゃいけないこと」以外の例としてこれらを挙げており、「(学ぶかどうかは)選択制でいいと思う」としている。
ソース:https://abematimes.com/posts/5496054
これに対してネット(主にTwitter)では、「あれにも使うしこれにも使う。お前の人生で使ってこなかっただけだろう」と非難轟々。
同氏は同じ場で「勉強のできる人たちは"そういうのも教養だ"というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と語ったそうだが、まずは自分以外の人たちが元素記号や三角関数をどのように使っているのか、インターネットで調べてから発言すべきだったといえる。
まあ、数学の学習指導要領の中でも例えば複素数平面や合同式あたりは入ったり外れたりしているので、そういう意味では「何が学習指導要領として重要か」という議論はあってもいいだろう(氏は複素数平面も合同式も使ったことがないかもしれないが)。
つまり、インターネットでろくに調べもせずに元素記号や三角関数を「いらない教養」として発言してしまったこと自体が橋下氏の失敗であることに他ならないのだが、その辺には目をつむって最大限良い方向に気持ちを汲み取ってあげると、氏は「教養とかいろいろあるけどさ、いろんな子がいるんだしみんなに画一的な教育じゃなくてその子の特性を伸ばせる教育作ろうよ」と言いたかったのだと思う。
そう取れるのは、話の前段で乙武氏が「型破りな子を伸ばせる人材として、今までの教員免許の枠組み以外から教員を一部採用するべきだ」(意訳)と主張しているからだ。
乙武氏は新しい採用方法を取るべき理由について、「(現システムでは)免許を取る人はめちゃくちゃ真面目な人ばかりで、レールの上を歩くような人しか教員になれない」から、型破りな子を伸ばせないとしている。
つまり乙武氏は、教員免許を取る教養がなくても教師として教えることができてもいいんじゃないかと主張している。
その上で、大学で教員免許を取る過程も踏めない人が常勤教師として「型破りな子たち」(学校に何人いるんだ)に義務教育で何を教えるのだろうか。きっと元素記号や三角関数よりも大事な新しい単元があるのだろうから、ぜひ乙武氏には具体的な案を提示してもらいたい。さぞ義務教育期間にやるべき大切なことなんだろう。
そもそも、乙武氏の「教員免許を取るためには、大学で相当な数の授業を取らなければいけない。その時点で、何かにのめり込んだり、旅に行きまくったような人たちは厳しい」という発言自体が、教養を放り投げると未来の職業の選択肢が狭まるという当たり前の事実を映していて香ばしい。
教員へのモチベーションがあるのなら、旅に明け暮れて30代になろうが、その後大学に入って勉学に励めば教員免許は取れる。
強いて問題を挙げるなら、その後の教員採用試験に合格するか、そして職場がイレギュラーな人材を受け入れられるかどうかという方ではないだろうか。
てか、現状でも大学教員に免許はないし、教養を付けた型破りな子は大学で良い先生に巡り会えれば良い方向に伸びるんじゃないんですかね、知らんけど。
サイン・コサイン・タンジェントだってごく一部の人しか使わない知識なのに全員に教える意味がわからない。
学びたい人だけ学べばいい。
もちろん全員に教えるメリットもあるだろうけど、それ以上にデメリットの方が大きいんじゃないかと。
「学校で○○を教えるべき!」と簡単に言う人は、授業時間には現実的に限りがあって、何かを教えることは、逆に何かを教えられなくなることでもあると理解できてない。
多くの人はサイン・コサイン・タンジェントを学ぶ時間があるなら、将来にもっと役立つことを各自が選択して学んだほうが人生幸福な可能性が高くなるんじゃないかという話。
「教育は直接的に役に立つことばかり教えるものじゃない!」とかいう意見もよく聞くけど、それはサイン・コサイン・タンジェントを教えることにこだわる理由になってないよね?
チェーンの学習塾。
人が足りないのでF欄から東大までピンキリ。原則として生徒は先生を選ぶことができず、教室長が日程と相性を見て決めていく。
イケメンの元気がいい男子大学生はカーストが上の方の女子が多く、オタクぽい男子大学生は女子生徒をなるべく担当させない印象。
学力が低い生徒が多いこともあり、塾のマニュアルがあれば一応は教えることはできるらしいけど、中学生の古文や国語の文法、英語の関係代名詞なんかだと、きちんと理解してない学生バイトも多い。それでも、自信満々に国語や英語を受け持つ。
下手すると生徒のほうが頭いいかもしれない。「サインコサインタンジェント」を「シンコスタン」、「アイランド」を「アイスランド」と読む学生もいた。
それなのに、生徒の成績がのびると、名講師扱い。(勉強の習慣がない低学歴層の生徒が多いので少しやれば伸びる)
保護者が可哀想だなって思い、詐欺に協力してるようで苦しくて、1年くらい勤めてバイトを辞めた。当時、自分は教育大学で教育学を学んでいる立場だったけど、親になった時に塾選びは気をつけようと思った。