「元素記号やサイン・コサイン・タンジェント、どこで使うの?使ったためしがない」と橋下徹氏が語ったことについて、話題だ。橋下氏は「最低限学ばなきゃいけないこと」以外の例としてこれらを挙げており、「(学ぶかどうかは)選択制でいいと思う」としている。
ソース:https://abematimes.com/posts/5496054
これに対してネット(主にTwitter)では、「あれにも使うしこれにも使う。お前の人生で使ってこなかっただけだろう」と非難轟々。
同氏は同じ場で「勉強のできる人たちは"そういうのも教養だ"というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と語ったそうだが、まずは自分以外の人たちが元素記号や三角関数をどのように使っているのか、インターネットで調べてから発言すべきだったといえる。
まあ、数学の学習指導要領の中でも例えば複素数平面や合同式あたりは入ったり外れたりしているので、そういう意味では「何が学習指導要領として重要か」という議論はあってもいいだろう(氏は複素数平面も合同式も使ったことがないかもしれないが)。
つまり、インターネットでろくに調べもせずに元素記号や三角関数を「いらない教養」として発言してしまったこと自体が橋下氏の失敗であることに他ならないのだが、その辺には目をつむって最大限良い方向に気持ちを汲み取ってあげると、氏は「教養とかいろいろあるけどさ、いろんな子がいるんだしみんなに画一的な教育じゃなくてその子の特性を伸ばせる教育作ろうよ」と言いたかったのだと思う。
そう取れるのは、話の前段で乙武氏が「型破りな子を伸ばせる人材として、今までの教員免許の枠組み以外から教員を一部採用するべきだ」(意訳)と主張しているからだ。
乙武氏は新しい採用方法を取るべき理由について、「(現システムでは)免許を取る人はめちゃくちゃ真面目な人ばかりで、レールの上を歩くような人しか教員になれない」から、型破りな子を伸ばせないとしている。
つまり乙武氏は、教員免許を取る教養がなくても教師として教えることができてもいいんじゃないかと主張している。
その上で、大学で教員免許を取る過程も踏めない人が常勤教師として「型破りな子たち」(学校に何人いるんだ)に義務教育で何を教えるのだろうか。きっと元素記号や三角関数よりも大事な新しい単元があるのだろうから、ぜひ乙武氏には具体的な案を提示してもらいたい。さぞ義務教育期間にやるべき大切なことなんだろう。
そもそも、乙武氏の「教員免許を取るためには、大学で相当な数の授業を取らなければいけない。その時点で、何かにのめり込んだり、旅に行きまくったような人たちは厳しい」という発言自体が、教養を放り投げると未来の職業の選択肢が狭まるという当たり前の事実を映していて香ばしい。
教員へのモチベーションがあるのなら、旅に明け暮れて30代になろうが、その後大学に入って勉学に励めば教員免許は取れる。
強いて問題を挙げるなら、その後の教員採用試験に合格するか、そして職場がイレギュラーな人材を受け入れられるかどうかという方ではないだろうか。
てか、現状でも大学教員に免許はないし、教養を付けた型破りな子は大学で良い先生に巡り会えれば良い方向に伸びるんじゃないんですかね、知らんけど。