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はてなキーワード: キャラクターグッズとは

2013-09-08

自分の子供だったらかわいい

子供嫌いだから子供いらないんですよって言うと、8割くらいの確率でこんな言葉が返ってくる。

生き物として種を存続させるために子孫を育てなきゃいけないから、

ある程度そういう感情を抱くように出来ているんだというのはわかる。




母子家庭で、ネグレクト母親高校を出るまで暮らしてきた。

水商売麻雀パチンコ趣味の、見本のようなクズだ。

徹夜で飲んで麻雀して朝まで帰ってこないことはザラだった。

食事を作るのは年に片手で数えるくらいで、菓子パンや冷食が主食だった。

それすらもないこともあって、そんな時は海苔や調味料の類で誤魔化した。

その上ヒステリーで、

コップを取ろうとして他のコップに当たって音が出たとか、

ちょっとでも気に入らないことがあると怒鳴る蹴るは当たり前だった。

一定のサイクルで変わるカレシが家に入り浸り、セクハラを受けたこともある。


そんな母親でもね、

あなたのことが一番大事

あなたかわいいに決まってるじゃない」

って、言う。

一番大事かどうかはさておき、かわいいって思ってるのは嘘ではないんだと思う。

赤とピンクのフリフリした服を着せたがったり。

(中身はまともに風呂に入れてない体でも)

あなた好きでしょ」ってジュース菓子キャラクターグッズを買ってきたり。

(真っ当な食事をしていなくても)

「目の届くところにいないと不安」と言っては通学以外で家から出ることを禁じたり。

自分パチ屋行ってて不在だけど)

そういった行動を見るに、「あなたかわいい」と言うのは嘘ではないんじゃないかな。

「都合のいいとき」に「自分の思った通り」の子供でいるときは。

「都合の悪いとき」に「思い通りにならない」子供だったときは、わからないけど。


でも、「かわいいと思う」かどうかと「養育できる」かどうかは別問題。

ファッション感覚ペット飼ってる人いるでしょ、

他人に見せるときは服着せてリボンつけて、でも鳴くと煩いから声帯切って、

動き回って汚されたら困るからケージに入れたままで。

かわいいけど、面倒くさいことはやりたくない。

あいう感じ。


私も、あれすごくわかるんだ。だからペットも飼わないし子供もいらない。

わざわざ面倒くさい子育てなんかしたくないよ。

自分の思い通りになるわけじゃないし、5年は言葉が通じないし、時間金もかかるし。

しかも当面こっちの行動は制限されるしね。

ネグレクトの子供はネグレクトするって言うじゃない。

自分でもその気があるのわかるんだ。

かわいいからと言ってイコール「愛せる」わけではないことを、身をもって知ってる。

から、「かわいい」なんてなんの解決にも理由にもならないんだよ。

なのに、上司も同僚も友人も男も女も未婚も既婚も、

あれだけ自由にやってきた母も、

そんなヤバイ女と不倫して孕ませた父も、

みんな判で押したように

自分の子供だったらかわいい

って、言う。


不幸自慢しても仕方ないし、詳細話しても何も解決しないか

普段は適当に流しているけど、あまりにも同じ台詞を言われるから疲れたよ。

病気なんかで望んでも産めない人もいるしさ、

自分がケツ持てるわけでもないのに、無責任に他人の家庭問題に口出すもんじゃないと思うよ。

多分これからもずっと言われ続けるんだろうけどね。

2013-07-14

かつて俺を振った女とデートに行く

その女に振られてもう1年が経とうとしている。

の子会社にやってきて一目惚れして、頭の中はいつもその子のことでいっぱいだった。

2ヶ月ぐらいして、仕事上の会話もほとんど無い状態でライブに誘った。

の子の好きなアーティストはいえ、思いのほかあっさりと快諾されて、もしかしたらいけるんじゃないか、と思った。

帰りに喫茶店告白したら彼氏いるからと振られた。

しばらくは関係を断とうと思っていた。

同じ職場いるからそれなりに関わり合いはあるんだけど、極力事務的に済ませようと思った。

ところがその子は他愛も無い雑談笑顔で振って来たり、ちょっとしたお菓子をくれたりなんかする。

ちくしょう、一層好きになってしまうじゃないか...

おまけにCDを貸してくれる、ということになって、たまたまバレンタインデーだったとはいえ「ハッピーバレンタイン♥」なんて言ってきて。

そんなわけで俺は予定を変更して、あきらめないことにした。

CDを返すときちょっとしたキャラクターグッズ (値段的には1000円とかの些細なもの) を付けて返したら凄く喜ばれた。

(その後職場の他の女たちにも嬉しげに話してたらしく困惑したけど...)

そんな感じで気づけば普通に仲良くなってしまっていた。

ときどきどうでもいい雑談をしたり、業務中に30分ぐらいチャットでコソコソダラダラやっていることもある。

休日も時々はメールを送ったりする。

そして月イチぐらいのペースで遊びにいくようになった。

先月は飲みに行ったし、来月は演劇 (お互いの趣味のやつ) を見に行く。

今月はというとあさっての祝日ライブに行く。

終わったらご飯にでも誘うつもりだ。

でも「やっぱり好きなんだ」とは言わないだろう。

相変わらず彼氏とは一緒らしいからね。

俺としては、とりあえず補欠の一番に居て、機会を伺うのが最良だと考えている。

さて、ところで俺は20台も半ばを越えて彼女いない歴イコール年齢だしもちろん童貞である

振られたとはいえ、生まれて初めて女に自分から告白できたし、その気になればデートなんかもこなせることもわかって、ささやかながら自信が芽生えた。

彼氏持ちじゃない子を狙って行けば、そのうち誰かと付き合うことだってできるんじゃないかという気はしている。

彼氏持ちであるところの今好きな子を思い続けるのはある種のリスクを伴う。

彼女いない歴 (イコール童貞歴) をいたずらに伸ばし続けるリスクを。

の子結婚でもしてしまえばさすがに諦めるだろうが、職場の女たちの話によるとどうもそういう感じではないらしい。

すごく落ち着いた関係で、喧嘩もしないし、お互い結婚には興味が無いそうだ。

あと相手は20歳ぐらい年上らしい...

しかしたら3年とか5年とか経ってもこんな感じの関係が続いているんじゃないか、と思うことがある。

そのときには俺は30を越えている。

果たして俺は諦めた方がいいのか、それとも僅かな可能性に賭けるべきなのか。

ま、とてもじゃないけど諦められないんだけどね。

なっつってったって10年振りの恋だもん。

そんじゃーね

2013-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20130422142256

単純に疑問なんだけど、サンリオとかディズニーとかのキャラクターグッズが嫌いな人って、キャラクターの何が嫌なの?

版権料のせいで質の割に値段が高いのが嫌なの?

それとも、子どもっぽくてかわいいデザインが嫌なの?

後者だとしたら、「キティちゃんの描かれた文房具」がNGで「特に何かのキャラクターではないかわいい猫の絵が描かれた文房具」を拒絶しないのはなぜ?

2013-02-21

由紀夫ちゃん人形

鳩山由紀夫モデルにしたキャラクターグッズ

小泉純一郎首相の人気に対抗するため民主党製作した。

きわめて不細工で不評であった

ゆるきゃらならぬキモキャラとしても

人気はなかった。

2011-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20110303112432

あんアイマスには興味ないけど、赤字見込みでどうやって儲ける気なんだろう?

MAD 作られるごとにいくらかの金がバンナムに行くの?それともキャラクターグッズ商売?

2009-10-16

限りなく黒に近いグレー

匿名で書けるっていいな。

違法って言うか、限りなく黒に近いグレーと言うかそんな仕事を頼まれそうになった。

何でもキャラクターグッズを作りたいから協力してくれって言うんだ。

知らないところだったけど、割とまともな感じの会社だったから自社キャラでも作るんかなと思ったら、他社の既存キャラのグッズを作ると来た。

結構大手の会社相手だったから、委託されたか、権利取ったか、ちょっと興味あったので確認してみた。

「取ってません、アマチュア製作って事にして売ります」

ちょ、おまっ・・・

堅気の会社がやる事じゃねえんで、丁重にお断りした。

アマチュアがやっちまったことに関してのお目こぼしって言うのは確かにあるけど、会社がそれを隠れ蓑にして利益出すのは洒落になってねえと俺は思う。

2009-06-15

痛飲の間違った使い方

俺の嫁とおぼしきキャラキャラクターグッズに取り囲まれながら一人で朝まで飲む

2009-03-05

やる夫アニメエロゲ漫画主人公が万能になった理由を説明するお

ときメモ萌えブーム襲来お。

ヒロインキャラクターグッズ売れまくるお。

プロデューサーヒロインを沢山作れば作るほど儲かるお!スタッフにこれからヒロインを沢山出すよう命令するお!」

ヒロインを大量にだすギャルゲエロゲが連発されるお(セングラ等)

プロデューサー「儲かってたまらないお!もっともっとヒロインを沢山だしまくれお!」

脚本家シナリオライターヒロインの数が多すぎて一々細かく書いてらんねーお!(切れる)」

脚本家シナリオライター「そうだ、最初から万能超人主人公にしてモテモテって事にすればいいんじゃね?」

主人公が最初からモテモテの万能超人化するお



一番の問題は質を無視してヒロインを消費した萌えオタとそれに乗ったプロデューサーにあるお。



http://anond.hatelabo.jp/20090305152140

http://anond.hatelabo.jp/20090305151735

2008-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20081210172257

いやその二つはオサレじゃね?まさに。

なんか80年代で一番売れたキャラクターグッズってドクタースランプらしいし。

そういやあのころうんこシールとかあちこちに貼ってあったなあって気がする。

2008-09-27

抱きしめたい奴が多すぎる

しかし、5人いたとして、4人は男性

モーツァルトでもシューベルトでもなくビバルディの四季がいいとか言ってる上司とか、

NUMBER GIRLラストライブを一緒に見に行った奴とか、

メールしても電話しても全然連絡してくれない奴とか、

あといろいろいるかも。ありがたい奴。有り難い奴らだよ。

でも、一人だけ女性で本当に抱きしめたい奴がいる。

俺は彼女の家に泊まったことがある。

けど、何もしていない。

キスセックスもしたことがない。

でも本当にすごく大事な人。付き合いたいとか結婚したい思いとか、それ以上に。

よくある話だが、俺は大学生の時にアルバイトをしていた。

当時、某テーマパークはオープニングキャストを募集していて、

友人(NUMBER GIRL見に行った奴)と面接に行き採用となった。

テーマパークは様々な仕事がある。

アトラクション関係ゴミ拾い、おみやげ売場のレジ在庫なくなれば搬入したりなどなどなどなど。

まぁ、そのほとんどはアルバイト

さて、俺は大学生だったので職場内部で土日キャストと呼ばれることになる。

客はゲストアルバイトキャストと呼んでいた。(社の教え)

実際の俺は、平日は大学に行かず、起きる→飯→オナニー→寝る。の繰り返しだったが。

仕事内容は、風船を売ること。そして、夜はキャラクターグッズ(光り物)を売る。

風船は一個600円だったが一日に最高で300個くらい売れるときもあった。

風が強い日は風船の糸が絡んで大変だったし、ボナセーラこんばんわだった。

そんな俺が配属された職場人間関係ったら、素晴らしいなんてもんじゃない。楽しすぎるのだ。

そして、そこで知り合ったのだ。今、本当に抱きしめたい奴に。

彼女は3年目のアルバイトだった。

いつも笑っているんだけど、たまに元気がないように感じるそんな奴。

一年間に十数回とか、遅刻しまくっていた俺はある日、社員から仕事を辞めるよう言われる。

オープニングキャストだった俺は、1年くらい勤めた後、クビになった。

その後、給料削減、売上至上主義、人員削減、社員からの圧力という波が押し寄せ、

いつも笑顔だった彼女は、心が折れそうなぐらいに、折れても本当に頑張った。

そして、7年が経過した。

俺は、彼女が今年の11月でそこを辞めるということを知った。

彼女は22歳から、10年間働いたことになる。

彼女仕事を辞めると知ったのは彼女ブログからだ。

俺はコメントも残さないし、直接連絡も取らない。

前振りが長くなったけど、直接言えないので、ここに記します。自分のために。

今まで、俺たちが働いていたあの場所を守っていてくれてありがとう

本当にお疲れ様でした。

俺はこの世の中の、俺がキスセックスもしたことがない人の中で

俺が彼女のことが一番好きなんだよ。これからの接点はたぶんないと思うけど。

これからもずっとかどうかわからないけど、

これからもずっとの予定でいます。

今まで生きてきた中で最高の景色は、

7年前。アラビアンコーストで、打ち上がる花火を一緒に見たその時の景色

2008-08-26

俺の嫁』に必要な経費について

世間一般に言われる『俺の嫁』について、実際のところどれくらいの経費がかかるものなのか。

食費
嫁が生活するメディアに対して支払われる定常的なコストアニメであればDVDマンガであれば連載雑誌や単行本、ゲームであればゲームソフトそのもの。メディアミックスされた場合はメディアごとに発生する。
外食
嫁が活躍するキャラクターグッズに対して支払われるスポット的なコスト。基本的に個体依存するが、希にペア扱いでくっついている嫁の場合はしょうがない。かけそばも一杯を分け合う仲ということで。
交際費
嫁関連のイベントがある場合に出かける際の交通費限定グッズについては外食費とする。痛車コスト交通費ということで交際費扱いにしてみよう。

一夫多妻制であること、それに伴いかけ算が効いてくる部分や圧縮できる部分が出てくること(例えば同じ作品に複数の嫁がいる場合は食費を圧縮できる)などがポイントか。

あれ、意外と少ないな。まだあるはずだ。てか単にこれキャラビジネスの収益分類を焼き直しただけじゃねーかということに気づいたので途中まで書いて投げ出すことにする。

2007-12-26

メリークリスマス

まずは次のデータを覚えておいてください。

1、  1355万円

2、  1570万円

3、  1427万円

4、  1572万円

5、  1112万円

6、   574万円

世の中は金がすべてだろうか。

答えはイエス。100%イエス

金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし

タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。

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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。

北朝鮮マスゲームを見ていると

もったいないよな。これを企業に売り込んで

例えば広告として使ったり、大金持ち結婚式イベントとして売り込めば

結構儲かるのに」と思ったり、レバノンとかイスラエルなんかで

見る地中海の美しさを観光客用に整備すれば

紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。

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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、

近寄りがたい印象が強い。

しかし、金儲けのことを考えるだけで北朝鮮レバノン

平和な社会が見えてくると言う矛盾。

「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、

平和の道を作ることができる。

誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、

どこかネガティブイメージを抱える。

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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、

ビジネスを大きくするためにさらに投資する。

一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。

しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて

再生産を繰り返すのが理想の姿。

金儲けに人生を掛けている人間というのは、近づき難い、

嫌なやつといったイメージ

ところが資本主義ルールだと、金を世の中に

送り込む作業をする人間というのは

社会のために生きていることになる。

金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、

明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば

嬉しくてしょうがないのが人間の感情。

お金に羨望の眼差しを向け続けるのに、

世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が

金持ち」に対する嫉妬心を増幅させる。

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今年ももう終わり。

クリスマスイルミネーション

あと1週間もすれば門松に変わる。

ここ何年かで経済面で大きな事件といえば

ライブドアショックを忘れることができないでしょう。

同じ頃に起こったマンション耐震偽装問題も

当事者にとってはまだ終わっていない問題です。

ライブドア堀江社長ヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは

成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、

気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。

奢れる者は久しからず。

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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている

格差社会」という仕組みも、

実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも

ないことが見えてきます。

これまでの安定した人生が保証されなくなったのは事実で、

格差に怒りを感じてしまうことも事実

しかし、格差社会というものが今一つピンと

来ないところがあるのも事実

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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、

どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。

今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう

のです。

このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、

格差社会」と言うキーワードを引っさげて、

なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに

疑問を投げかけている。

「希望とは努力が報われると思う時に生じる、

絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」

?? ランドルフ・ネッセ(社会心理学者) ??

この言葉が紹介されていて

1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」

と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。

とくに企業が安定していた頃は実力よりも

「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間

結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは

持っている人間がいなくなるだけでも格差社会も悪くはないか。

昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、

とも思う。

自分の力で生きるという選択肢が少なく、ほとんどの人が、

企業奴隷として生きることを強いられた時代。

私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と

いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生

生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。

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一方では相変わらず「成功者」たちがメディアに顔を覗かせる。

「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある

のかもしれません。

テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、

自分もいつか、と夢を膨らませる。

勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を

生きさせられている嫌な感じ。

羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。

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ところで最初に見てもらった金額は

ある企業に勤める社員の平均年収。

会社名は何かと言うと

1、テレビ朝日

2、TBS

3、日本テレビ

4、フジテレビ

5、テレビ東京

6、三菱UFJフィナンシャルグループ

7、永谷園

(MSNマネー企業概要より)

格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。

普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。

お茶づけ”の永谷園がこの中では最も一般社会の感覚として

納得できる企業。

こういったレベル人間が弱者の味方の振りをしたり

格差社会に怒る振りをして、スポンサーからお金をもらい、

そのスポンサー商品を我々が買う。

バカ高い広告料は販売コストとして商品価格に添加され、

それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、

テレビ局には大量のカネが流れ込む。

結局は「格差社会」という言葉事態が、

勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。

テレビ局なんていうのは、ほぼ独占ビジネスで、

彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。

郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。

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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、

たとえば亀田兄弟。

亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ

何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる

視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が

永遠に約束されております。

職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。

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格差社会」に限らず、テレビ、新聞の大企業マスコミ

何か言い出したらロクなことはない。

「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、

そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、

地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。

「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、

そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。

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格差社会」は多分真実でしょう。

また、「格差」は仕方がないという言葉を、

今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが

語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。

しかし、メディアが喜んで使うキーワード

いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。

大手メディア学歴社会やコネ社会の

勝利者が集まる空っぽの洞窟。

彼らの持つ価値観は、大企業生きること以外

は敗北者という「勝者の視点」。

物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。

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格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、

そうじゃなかったりするわけです。

例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、

都会に住む中産階級の子供が大学に行けるとか行けない、

というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。

そんなもん知るか。

メディアは一方では「格差社会」への不安を警告し、

一方では消費社会をひたすら煽る。

消費だけが幸福バロメーター

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格差社会」とか「閉塞感」という言葉が出てきた理由は、

人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、

という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。

メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。

これが格差社会の正体。

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フリーライターの宮島理さんのブログにあった記事。

―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、

これまた古典的な構図による。

 ネットカフェ難民ニート年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の

政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。

エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。

「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体

ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―

http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57

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弱者の味方として商売を続けるエリートインテリ達は

彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。

「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。

「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても

誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。

特にあいつらは。

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下流社会 第2章」の新聞広告コピーライティング。

□2005年9月の衆議院選挙で初めて自民党投票した。

石原慎太郎に心ひかれる自分がある。

オリンピックサッカーワールドカップでは心から日本を応援する。

□中国や韓国はいやだと思うことがある。

これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」

と書かれていて、「格差社会」「下流社会」という言葉が、

ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。

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問題は、以前ほど未来に対しての安心感

ないまま日々を送らないといけないこと。

もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと

落伍者として見られる価値観がいまだに残っていること。

フリーターや職歴の多さ、履歴書での空白を企業は嫌う。

なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。

なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………

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リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。

7歳のオリーブという少女美少女コンテスト

出場するために車でニューメキシコから

カリフォルニアに向かう旅を描いたストーリー。

アメリカ映画と言うとアクション、CGやパニック物で

エンターテイメント」としての役割を背負った作品が

圧倒的に多い。

そういったファンタジーものとは別に、

現実のつらさを描いたのがこの作品。

おもしろいのはこの映画に出てくるオリーブちゃんの父親は

金持ちになる方法を教える成功コンサルタント

人間には2種類しかいない。勝ち組と敗け組だ」が口癖。

しかし生徒は集まらず本人はビンボー。

2種類のうちでは敗け組の方。

成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて

この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?

「オレたちはみんな、敗者だ!」

映画の中で誰かが叫ぶ。

アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。

アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で

あることをうすうす解っている。

アメリカ型成功には無数の敗者が存在することを知っている。

その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人

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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、

日本アメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。

人口が日本の2.5倍の3億人という巨大なマーケット

抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で

ビジネスの勝負ができる条件。

例えば映画ビジネスを取り上げると、作品が映画館で上映され

その後DVDキャラクターグッズが販売される。

このマーケットの大きさはアメリカ日本の5倍。

日本国内でビジネスがほぼ終わってしまう

日本との環境の差は無視できない。

もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、

多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。

しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには

日本ではリスクが大きすぎる。

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億万長者を生み出すベンチャービジネスからくりの一つを見てみると、

株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。

強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に

なってたとしても、株式上場で金が手に入れば

それでOKとする考え。

もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、

上場できなければ会社は破綻。

メディアに出てくるこういった成功者達の極端な考え方が、

いつのまにか今の世の中基準になってしまった。

多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで

金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。

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ビジネス成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。

しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、

好きな仕事でそこそこ生きている人達なんかは

絶対にメディアでは取り上げられない。

彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間

結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディア

流通させるための包装紙に包まれた商品であって、

成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。

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成功するというのはすばらしいし、

誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。

しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい

というベクトルも世の中には存在している。

勝つこともあれば、負けることもある。

勝ち組企業の社員になれば幸福なのか?

「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。

どんなに給料を貰っても、心を開く友人のいない職場や、

責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を

持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。

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この先、我々はもう一つの成功者

生み出す必要があるんじゃないかと思います。

金とはさっぱり縁がない。だけれど成功者という存在を。

多分「格差社会」ということに関しては

我々が試されているんでしょう。

たった漢字四文字にうろたえて人生を振り回されてしまうのか、

冷静でいられるのか。

この世は金が全てか?

ノー。100%ノー。

「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも

限界があるという事実

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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、

世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。

エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を

意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と

この手の権威が継承されてきています。

しかし日本エスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、

歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。

豊臣秀吉は百姓出身、伊藤博文大久保利通

岩崎弥太郎は下級武士の出身。

本田宗一郎坂本竜馬も権威とは無縁の人達

ということは弱者が強者にだってなれるということ。

しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、

という、でたらめばかりを言ってきた連中は、

この手のことには触れようとしない。

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別にカザフスタン型成功でもポルトガル型成功でも

カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。

ごく一部の人達が、人生ゲームでの

「あがり」を生み出す思想からの脱出を。

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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。

どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、

全く体が動かない状態になった時、

小指の一本でも動かせないかともがいてみた、

という話。

とにかくもがいてみる。

すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。

そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。

手の次は腕。

そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。

うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、

小指の先から暴れてみることを考える。

誰もが出来る小さなレジスタンス運動

結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、

実行できる人だと思う。

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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が

いつのまにか社会を支配してしまいました。

彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、

そこから外れたら敗北者。

東京のごく狭い範囲で起こっていることが

日本社会の価値観として定着する。

しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも

時代が変わっているのも事実

例えばセレブ人達としてあこがれの的だったのは歯科医

親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。

絶対に負けない人達

ところがこんな事実がある。

現在コンビニが全国で4万店。

歯医者が7万店。

そして今は歯科医が開業をして初年度で25%が倒産

つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。

今までの金持ち勝ち組が永遠ではないという証拠。

社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実

これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、

マンガアニメゲームが外貨を大量に獲得する。

今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。

つまり今年までの負け組来年には勝ち組にもなれるということ。

====================

今年の終わり。

この日記を読んでいる方は残りの数日間、

ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう

自分にとって金より大事なことは何なのか。

これがこれから先のあなたを成功に導く。

金より大事なもの。

      自分の子供。

      レスポールギター

      古本屋でやっと見つけた本。

      仕事仲間とのクリスマスパーティ

      家族。

      ヒップホップダンス仲間。

      大枚をはたいて買った骨董品

      一人になる時間。

      いつも通う喫茶店の窓際の席。

      成功。

      愛車。

      ロックンロール

クリスマスのこの日。

世界中幸福を感じる人間がいて、

その何倍も不幸を感じる人間がいる。

元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、

いつのまにか孤独や不幸が通常よりも

増幅してしまう日になってしまった。

今、日本を覆っている「閉塞感」(マスコミだけで通用する

つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?

他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、

負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。

カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、

この先の時代はあなたは有望。

今の時代の「成功」はまもなく消え去る。

時代は変わる。

「オレだって」「私だって」という野望が

結構受け入れられるのが、日本社会です。

そのためにはカネよりもまず「情熱」という

革命用の武器を手にする必要がある。

美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!

そして、メリークリスマス

== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==

      コーヒーブレイク

== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==  

Gladys Knight and the pips - Neither one of us

http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related

この曲はサンボーンバージョンが好きでよく聴いていました。

デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど

ボーカルものもやっぱいい。

ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、

いまこれがやれたら結構かっこいい

安室奈美恵チャンも、アメリカブラックミュージック

トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。

Dean Martin, Gladys Knight & The Pips

http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related

グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像 

アメリカシャボン玉ホリデー

"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)

http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related

フィラデルフィアからメンフィスヘ移動。

ギターコーネル・デュプリー

ドラムバーナード・パーディ

ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが

超かっちょいい。

Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)

http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc

メンフィスからお次はニューヨーク

ソウルつながりでジャコ。

82年のオーレックスジャズフェス日本でのライブ

ドラムピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で

このバンド自体は当時のジャズ界ではかなり異端な扱いでした。

どっちかというとオーケストラロックバンド

やってしまった例。

Smile by David Sanborn

http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0

最後は東京に戻って

さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン

Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)

じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)

この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、

もしかしたらもうなくなっているかも。

さんま。お前は判って聴いてんのか?)

それでは皆さん、よいクリスマスを。

2007-12-13

夢を見たのでメモする

場面その1「電車

旦那と二人で電車に乗っている。どこに行くつもりなのかは覚えていない。

ちょっと古い作りの電車。対面するヤツじゃなくてロングシート(7人がけ)の真ん中に二人で座っている。

まわりの明るさからすると、ちょっと陽が傾いてきた午後4時??5時ぐらいだと思う。

ほんのりと暖かい映画アニメ的に好みそうなシチュエーションだ。

外を見ると草原のような畑のような場所が広がっていて、なぜかそこに大きなかぼちゃ着ぐるみ2体と農夫がいた。

なぜか自分はそれを「何度か見たことがある」という記憶があって、特には驚かない。

けれど旦那が「え、なにあれ?なんで着ぐるみがいるの?」って聞くので

「なんだろうね、最近何度かこいつらが畑にいるのを見たよ」と答えた。

そんな話をしていると運転手が気を利かせて電車を逆運転させる。

「興味があるならもう少ししたら降りれるから観光しておいで」とか言っていた。

そこに駅はないんで悪いなあ、と思いつつもお言葉に甘えて降りることにした。

傾斜がきつい場所で扉が開く。ものすごい斜めになってる。しかも電車は動いたままだ。

何とかして私と旦那はそこから降りた。

場面その2「農園?庭園?」

降りた場所からの道はわからないが、庭園のようなテーマパークのような場所に出た。

広場のような所に大きな木があって、ところどころに赤い実がなっている。

旦那が「これって何の実?」と聞いてくるけど何の実かわからない。

わからないけど何か食べられそうだったんで「食べてみなよー」と言ってみる。

旦那はひとつもいで踏んでから中の黒い粒を取り出して食べた。「味が薄くてよくわからない」とのこと。

ちょっとブルーベリー想像した。

入手したパンフレットによれば、他にもいろいろな畑があるっぽいので巡ることにした。

場面その3「いちご畑」

いちご畑の場所が新しくできたらしい。

これも、どうやって来たのかは覚えてないが建物の中に居た。

が、どこもお土産コーナーっぽい。ハ○ーキ○ィとかキャラクターグッズが置いてあったりする。まあ、いちごだしねえ…。

肝心のいちご畑はまだ季節でないのと盛況だったことから入れないようだ。残念。

そうこうしているうちに園の入り口に来たらしく(どうやら入り口を通らずに迷い込んだようだ)

律儀にチケットを買う。が、手違いか詐欺なのか1日券でなく3日連続券を買わされそうになったところらへんで目が覚めた。

一連にきちんとした繋がりはあるものの、長いな。

2007-04-24

[]問題は作画崩壊祭り発生のしくみなんですってばよ!

あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。

本文のクオリティ保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。

さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。

グレンラガン』#4は脚本ダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。

ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。

ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。

冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。

作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。

祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログエントリまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。

例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニ山本寛アイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフ絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒEDベリ工PVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。

教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイター著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。

実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナーイラストレーターが注目される時期に、アニメはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!

そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。

あと、anond:20070424113453増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクター一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。

「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!

キャラクター一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメDVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!

最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。

もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。

しかしながら、ガイナックス内部スタッフキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。

ていうかいまどきエヴァ語りもどうよと思うけど、新劇場版ってことでひとつ!

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

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