私達が欲しいのは「金」と「数字」であって、感想は別に求めてません。
それを理解していない消費者が多すぎるから苦言を呈させていただきたい。
何でこんな日記を書こうとしたのかというと、某匿名掲示板で「コンテンツについて不特定多数の人と楽しみを分かち合うことは普通に価値あることでは?」と言われて
あまりにも気持ちが悪くて吐きそうになったからです。その掲示板の流れの中の文脈で言うと、要するに、「作品を褒め合う馴れ合いのコミュニケーションに価値がある」と言われてたんですね。
もうね、馬鹿かとアホかと、小一時間問い詰めたい。
素人同士が書く作品の感想には、ハッキリ申し上げて「良い感想」も「悪い感想」もありません。
わかりますか?
「消費を促すコミュニケーション」に価値があるのであって、それが「楽しみを分かち合うこと」である必要性は全くないんです。
貴方達が何かを褒めていて、それが消費を促すならそれは価値があることです。
逆に、貴方達が何かを貶めていて、それが消費を促すなら、それも価値あることなんですよ。
文春砲だの何だのと言って他人のゴシップを語って他人を傷つけて、ネガティブなコミュニケーションが生まれようがなんだろうが、文春が売れてるならそれは価値があることなんですよ。
「不特定多数の人と楽しみを分かち合うこと」という馴れ合い自体には何の価値もありません。深く胸に刻んで欲しい。
数字は欲しいですよ。
何万RT、何万いいね、これは消費を促す傾向がありますからね。だからいいねとリツイートは欲しい。統計的に。
そういう意味で、「数字」は欲しい。でもね、感想は要らないです。
ハッキリと申し上げてしまうと、書き殴られた素人の方の感想を作品の軌道修正に使うことはあまりありません。
購入後のアンケートなどの意見は参考にしますが。SNS上のコミュニケーションは無駄なので観測していません。
ここから下は個人的な意見です。商売人としての意見ではありません。
何で今のインターネットって、正しく自分を卑下できない人がこんなに増えちゃったんですか?
みんながゴミだからいいんじゃないですか。世界の石ころが全部ダイヤモンドだったらダイヤモンドに価値なんてなくなっちゃいますよ。
匿名での意見や言葉というものに一切価値はない、という方が気持ちがいいじゃないですか。
『誰でもない何か』という最高の無価値を、何故投げ捨てようとする人が多いのか理解できない。
この世で無法というものは最も価値があるものなのに。素晴らしき自由と無責任を何故自ら捨てようとするのか理解できない。
そもそも、この世界で価値がある文章というものには全て値段がついています。このテキストに価値がないのと同じです。
つまんねーんだよ死ねカス作者どんな教育受けてきたんだ?というテキストと何万文字にも及ぶ誉め言葉は同価値で0円だということです。
本当に価値のある誉め言葉ならnoteでも何でも使って、有料記事にしてみればいいじゃないですか。
価値があるということは責任があるということです。有料のコンテンツにはその分の責任が発生します。
しかし、無料の感想なんてものには何の責任もいらないんですよ。それでいいじゃないですか。だから他人が自分の好きなコンテンツをけなしていても、それを修正しようとか思わなくていいんです。
クリエイターと消費者を繋ぐのは馴れ合いのコミュニケーションなんかじゃない。金です。
だからね、別にいいんですよ。別に作品をけなそうがなんだろうが金を払ってくれるならどうでもいいハズです。
万人に褒められるような作品を作るなんて責任負いたくないんですよね。息苦しくてやってられないですよ。
でもね、支払ってくれた金分はキッチリ楽しませますよ。それ以上の責任は負いたくないということです。動作不良修正以上のアフターサービスはクリエイターの保証外じゃないと嫌なんです。
褒められるために頑張るのではなく、金のために頑張る。これが一番素敵なことです。
俺は勉強やりまんびっちが好きだった
いい匂いがしてバレたの?
ここに書いて本人に届くか不明だが、現時点ですでに
使えねーし、いちいち頼んでも口答えするうるせー奴って烙印が押されて煙たがらてる可能性があるので、その職場で頑張っていきたいとか金の入りがいいとか成長できそうって感覚があるのなら
上司と一回飲みにでも行かせてもらって、そんだけ困ってて焦ってるなら語ってれば涙も出るだろうから本気で一回泣いて「どーじだらいいがわがんながったっす!これからは元気だけは取り柄で付いてくんでいろいろおじえてぐださあああい」って言ったら良いんじゃないスカね。そしたら可愛がられるようになるかも?
その当時の小山田くんとか小沢くんの発言の雰囲気は、時々突拍子もないことを言ってインタビュアーを煙に巻いておいて、「クスクス、僕の言ったこと本気にしている?本当だよ?、クスクス。。。」みたいな感じ。言っていることが本当なのか?嘘なのか?は、正直どうでも良くて、インタビュアーというか大人をバカにしているような、していないような、わざと掴みどころ無い話をする、みたいなところがあったと思う。そういうところをカッコいいと感じるファンも多かったと思う。
そんな当時の雰囲気の中で自分がその記事を読んだときに思ったのは、この出来事は本当でも嘘でもなくて、ただただ学生時代にそういった鬱屈とした衝動的な暴力的な色々な思いを抱え込んでいて、それが今の小山田くんの表現の一部になっているのかな、みたいなことだ。フリッパーズ・ギターの頃からインタビュアーをバカにするような言動も多々あったので、まあその延長線上なのかとも思った。本当にひどいことをして、それを雑誌のインタビューで話す、なんてことはありえないだろ?という前提で読むのかなと思っていた。
集まって陰口を叩くのが好きそうなお人だ
わざわざ本人がいる前で侮辱したり、クラス全体が見ている場所で侮辱するのはダメだと思うけどさ。
仲良しの友達が集まって遊んでいるとき、障害者の〇〇君をバカにする発言があったとしたら、それはイジメになるの?
それって男子が集まって「美人・ブス」を論評したり、女子が集まって恋バナをするようなもので、プライベートな場所での発言だよね?
わざわざ本人がいる前で侮辱したり、クラス全体が見ている場所で侮辱するのはダメだと思うけどさ。
仲良しの友達が集まって遊んでいるとき、障碍者への侮辱発言・差別発言があったとしたら、それはイジメになる?